お迎え
朝6時
「はい、はい、・・・そうですか・・・」
まだ意識がはっきりしていないわたしの耳におかあさんの声がひびく。
「どうしたの・・・?」
眠い目をこすりながらわたしは問う
「おじいちゃん駄目だったって・・・」
言葉が出なかった。
このときわたしは小学校高学年。
ほんの数年前よりは世の中の状況とか他人との接し方とか解り始めた頃。
涙なんて滅多に流さなかった。が
このときばかりは泣かずに居られなかった。
このときだけ。
このときだけ・・・
おじいちゃんが居なくなる前
ある約束をした。
「もし、おじいちゃんが死んでしまっても泣かないでほしい。
お前は笑ってた方が可愛いから。」
衝撃を伝えられた後。
永遠という永い眠りについたおじいちゃんに会った時
わたしは泣かなかった。
それが約束。
お葬式の日、おじいちゃんが骨になってしまう日
おねえちゃんは泣いていた。おかあさんも泣いていた。
だがわたしは泣かなかった。
強い炎の中おじいちゃんが柩と共に入っていく・・・。
わたしは敬礼をした。
それがおじいちゃんと別れる時のお決まりだったから。
心の中で「いってらっしゃい」と呟いた。
―
大体の人々は眠りという小さな死を遂げても
朝になれば目覚める。
だから明日がくるのをあたりまえだと錯覚してしまう。
人がいつ死ぬなんて誰にも解らない。
だから今という時を大切に生きなくてはならないのだと思う。
2ヶ月に一度、わたしはおじいちゃんとおばあちゃんに会いに行く。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
コレ全部一応実話です。幼い頃に最愛の人を亡くすというのはとても辛く、悲しいです。
どうしてこの人が死ななければならないのか。どうして今なのか。この人の代わりになれたらよかったのに・・・。
と色々考えてしまいます。
しかし、「死」というのは誰にも予知できず誰でも必ず起こる事なんです。
早いか短いかの違い・・・
本文でわたしは生意気な事を言っていますが、少しでもご理解いただけると嬉しいです。
こんなところまで読んでくださった方、ありがとうございます。
7.11 sun




