第10話:マリクイアゴダイ ブッコミ釣り・リベンジ
いつの間にか日はすっかり暮れ、街の隅々に明かりが灯り始めた。
部屋の窓から見える街の夜景は何とも風流だ。
そろそろ夕食の時間なので、食堂に向かうことにする。
客室があるフロアから1階降りると、賑やかな声と共に香ばしい匂いが漂ってきた。
高級感のある客室とは打って変わり、木の床に木のテーブル、椅子、簡素なテーブルクロス。
比較的庶民的な食堂フロアである。
部屋の札を見せると、夜景が見える窓際の席へ案内してくれた。
庶民的な雰囲気ではあるが、ウェイター、ウェイトレスは至って上品だ。
周りを見れば、冒険者風の者たち、亜人、いかにも高貴な雰囲気のあるご夫婦等々……。それぞれが思い思いに食事を楽しんでいる。
気取らない上質な宿っていいよな……。
窓の外を見れば、月明かりに照らされた山が白銀に輝いている。
高い地熱でも溶けることのない神秘の雪と氷が山頂付近を彩っているのだ。
時折、山の上の空が赤く光り、未だ衰えないマグマの息吹を感じさせてくれる。
「あっ! 料理来たっスよ!」
大自然の絶景に心奪われていると、ミコトが嬉しそうに声を上げた。
この子は花より団子派である。
ワゴンに乗せられて運ばれてきたのは、例の巨大魚であった。
マリバナナと共にパイ生地で蒸し焼きにした料理らしい。
甘い香りと、魚の香ばしい香りが食欲をそそる。
ウェイターが「マリクイアゴダイの蒸し焼きでございます」と言いながら切り分けてくれる。
ほう。マリクイアゴダイって言うのか。
ちょっと色々聞いてみよう。
「これって目の前の川で泳いでる奴と同じ魚ですか?」
「左様でございます。この地域ではお祝いごとの際に食べられております」
「漁師さんが取るんですか?」
「いえ、この地域は水産資源が少ないので、専門の漁師はおりません。ハンターの方が猟ついでに捕獲してくるのが一般的ですね。銛で突いて捕ると聞いております。突いた後は数人で綱引きをして水揚げするそうです」
ほー……。
銛で突いてロープで手繰り寄せる方式か。
確かにあの引きをこの世界の原始的な釣り糸で受け止めるのは不可能だろう。
コツを得るのは無理そうだ。
しかし、綱引きか……。
話している間に、マリクイアゴダイは食べやすい大きさに切り分けられていた。
「どうぞごゆっくり」と、ウェイターが戻っていくと、「もう辛抱たまらんっス!いただきまス!」と、ミコトがその身を一口で頬張りにかかる。
おいおい……カジュアルな雰囲気だからってがっつくなよな……。
しかし、ミコトは本当に旨そうな顔して飯を食う。
俺も逸る気持ちを抑えつつナイフで魚の身を切ってみると、確かに皮と身の隙間から脂がジワリと流れ出る。
口に含めばパリパリの皮、続いて甘く上品な脂のうま味、そして舌触りのよい白身が順番に舌を楽しませてくれる。
マリバナナの風味が川魚特有の臭みを消し、純粋に魚の味を際立たせてくれているようだ。
魚の脂で蒸されたマリバナナを食べると、これもまた絶品だ。
付け合わせの麦飯炒めも魚の旨い脂をたっぷりと吸い、旨いことこの上ない。
「ああ、コレ釣って色んな料理試してぇなぁ」
「そうっスね。これも抜群に旨いっスけど、湯引きとか煮つけも絶対旨いっすよ」
取り分けられた80㎝級の身はあっという間に俺達の胃袋へと消えた。
それを見計らっていたかのように、デザートが運ばれてくる。
マリバナナを始めとするこの地域特産の南国フルーツに混じり、半透明のプルプルとした物体が涼し気なガラス皿に盛られている。
「マリクイアゴダイのアゴと果物の盛り合わせでございます」
「コレあの魚のアゴなんですか!?」
いかん思わず大声を上げてしまった……。
「はい。マリクイアゴダイは顎にプルプルとした身を持っているんです。ほんのり甘くて美味しいですよ」
「ほんとっス! プルプルフワフワで美味しいっスよコレ!」
説明を聞くまでもなく既に頬張っているミコト。
旨そうな食い物目の前にすると凄い素早いなお前……。
緑色の果物と一緒に口に運ぶと、ヒンヤリプルプルとした食感。
それはやがてフワフワとした食感に変わり、口の中で溶けて消えた。
旨い!
臭みなど全く無く、ただただ透き通った味わいだ。
冷えた果物と、甘酸っぱいソースにピッタリである。
「この発想は無かったわ。現地特有の料理法って面白いな」
「ますます釣りたくなったっスか?」
「ああ、明日は絶対デカいの釣ろうぜ」
「はい! お手伝いするっス!」
その後、俺たちは食後のお茶まで美味しくいただき、部屋の温泉にふやけるまで浸かった後、翌朝に備えて速攻でベッドに潜り込んだ。
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翌朝。
夜明けより早く目が覚めた俺は、ベッドから這い出てそのまま朝風呂へダイブする。
昨晩えらく寝汗をかいてしまったのだ。
夜明け前の澄んだ空気が心地よい。
目の前の川を見れば猛烈な勢いで湯気が立ち込めていた。
外気も決して冷たいわけではないのだが、川の温度は相当に高いらしい。
温泉が流れ込んでいるだけのことはある。
その湯気の中、巨大な影がいくつもバシャバシャと飛び跳ねている。
マリクイアゴダイだ。
他の多くの魚の例に洩れず、あの巨大魚も朝マヅメ(早朝)に活性(捕食活動へのやる気)が上がるようだ。
ああ、早く釣りたい。
「雄一さん相変わらず朝強いっすねぇ……」
そう言いながらミコトが隣に浸かってきた。
こちらを見つめてくるので、とりあえずおはようのキスをする。
尚もスリスリと頬を擦り付けてくるが、とりあえずチョップで撃退した。
流石に釣りに行く前に激しい運動はしたくない。
ムッと膨れるミコトの頭を撫でながら「今夜家に帰ったらな」と額にキスをしてやった。
ミコトも大概朝夕のマヅメ時に食い気が増すとこあるな……。
朝夕のビッグゲームを予感しつつ、俺は素早く着替え、ミコトと共に宿の下の河原へと降りて行った。
「釣具召喚」
まだ寝ている人もいるので声のトーンは抑えめである。
昨日と同じく、イシダイ用の強固な竿、リール、仕掛けで挑む。
マリバナナの一か所をターボライターで加熱し、そこへ針をしっかりと通す。
仕掛けを投げると、その着水音に反応したのか、跳ねまわる魚影が一瞬消えた。
しかしその直後、俺の竿にガクン!という衝撃が来た。
食いついた!
だが、ここで焦ってはいけない。
まずは糸を軽く送り込む。
両足を思い切り踏ん張り、ミコトに腰を支えてもらう。
彼女が「準備できてるっス」と言ったのを確認し、思い切りアワセを入れた。
そして、間髪入れずに竿を魚目がけて真っ直ぐにし、リールを力の限り巻き上げていく。
綱引きファイトだ。
九州の一部で岸からの巨大カンパチ、大サメ釣りに使われる特殊なファイトスタイルである。
魚に反転の隙を与えることなく、リールと腕の力だけで魚と綱引きをすることからこの名がついている。
「うおぉ……!!」
重い。とにかく重い。
魚は必死で反転し、突っ走ろうと頭を振っている。
だが昨日の感覚からすると、一度走り出したら俺の力では止められない。
この綱引きファイト、上手くいけば相当の大型魚でも釣り上げられる釣法だが、一度でも反転されてしまえば即座にラインブレイクというハイリスクハイリターンなテクニックなのだ。
釣り上げるにはとにかく巻くしかない。
やがて赤い魚影が水面に姿を現し、巨大なヒレがバシャバシャと水を叩く。
「ミコト……! 行くぞ!」
「はいっス! せーのっ!」
二人で勢いよく後ろに下がる。
巻き上げに隙が生じるギャフもタモ網も使用しない。
最後は抜き上げかずり上げあるのみである。
俺達が尻もちをつくまで後ろに下がると、ズザザッ!という音とともに、真っ赤な巨体が河原に横たわった。
「やったっス……!! 釣り上げたっスよ……!!」
「はぁ……はぁ……」
ミコトが極力声を絞りながら魚の周りで跳ねまわり、体全体で喜びを表現する。
俺はほんの数分のファイトでヘトヘトだ。
やっぱりこの釣法は俺には厳しい……!
時間だけ見ればあっけなく釣り上げたかのように思えるが、足はガクガク、腕はプルプルである。
立ち上がることができず、四つん這いで歩いて魚の元までたどり着く。
デカい……!
昨日食べた個体のよりも二回りはデカい。
1.4mはあるだろうか。
よく見ると鱗は鑢のように細かい刃が付いていて、触ると指から血が出てしまった。
なるほど、昨日は魚体にラインが擦れて切られたのだ。
これでは一度でも反転を許したが最後、強固なフロロカーボンでも耐えられないだろう。
仮に綱引き以外の釣り方をするなら、ワイヤーを使わないととても攻略出来そうにない。
「やった……! やった―――!!」
「こら……! 煩いぞ君達……!」
突然背後から声をかけられ、俺たちはビクッと振り返った。
朝靄の向こうから光が差したかと思うと、その中から皮鎧をまとったおじさんが現れた。
濃密な靄のせいで気が付かなかったが、俺たちは小さな小屋の前で釣りをしていたようだ。
「君達こんなところで何をしてるんだ。何か悪事を働いていたのならこの場で取り押さえるぞ」
「い……いえ! 俺たちはここで釣りをしてたんです!」
「そうっス! あれが証拠っス!」
ミコトが慌ててマリクイアゴダイを指さす。
それを見たおじさんは「ほう! かなりのデカさだな!」と一通り感心した後、俺達への疑いを解いてくれた。
話が分かる人で良かった……。
おじさんによると、宿の露天風呂の覗きを働く不届きものが数多くいるそうで、ここから見張っているらしい。
「昨日は朝から風呂場で盛ってるカップルがいるとかで覗き魔が多くてな……。疲れてしまったよ」
「い……いやぁ不届きな輩もいたもんですねハハハ……」
犯人を知っている俺たちだが、敢えて知らないフリをさせてもらった。
「キャーーーー! 覗き!!」
いきなり大きな悲鳴が響き渡り、ベランダから人影が飛び降りる姿が目に入った。
ベランダから伸びる細腕がその影を指さし、「犯人よ!」と叫んでいる。
覗き魔は川の中を泳ぎ、逃走を図っている。
しかし見張りのおじさんはそれを追おうともしない。
「犯人が逃げるっスよ! おじさん追わなくていいんスか!?」
「川に逃げたのなら大丈夫だ。彼はきっと一生分の反省をして上がって来るさ」
「へ?」
白い靄の向こうからバシャバシャとマリクイアゴダイが跳ねる音が聞こえてきた。
その数秒後、「ぎゃああああああ!」という悲鳴が上がる。
「マリクイアゴダイが食うマリはマリバナナだけじゃないってことさ。奴ら音と臭いに敏感でね」
俺は咄嗟に股間を押さえる。
「私は雄一さんのマリ好きですよ」などとミコトが言ってきたが、とりあえずチョップを見舞っておいた。