第9話 おやすみのキスは突然に
日が沈み、ろうそくの火すら寝静まったカタヴル邸。
「……うぅ。もう肩と腰がバッキバキですわ」
女は20歳は老け込んだ顔をしながら、フラフラと廊下を歩いていました。
――今日は大変でしたわ……。まさか5時間もぶっ続けでレッスンさせられるなんて……。一周回って目がギンギンですわ。
少しでもリフレッシュするために、屋敷をさまよっているのです。
――アレット、覚えていなさい……! 今度はあなたの弱みを握ってあげますから!
妄想の中でメイドをこき使いまくっていると、別の足音が聞こえてきました。
その人影が近づいてくると、女は軽く前髪を整えます。
「ルヴナン。こんなところにいたんだ。部屋にいないから心配したよ」
「キャダバー様。ごきげんよう」
お辞儀しながら、女はキャダバーの姿をチラ見しました。
――寝間着姿だと、年相応の青年にしか見えませんわね。
「しかし、こんな夜中にどうしましたの?」
「ルヴナン、ありがとう」
突然頭を下げられた女は、瞬きを繰り返しました。
「いきなりどうしましたの?」
「ルヴィニア姉さんから聞いたよ。破談になりそうなところを助けてくれたんだってね。本当に感謝してる」
「あ……いや、その……」
純粋な尊敬の眼差しを向けられて、女はたじたじ。我慢できずに顔を背けました。
――事の発端はわたくしのせい、なんて言えませんわね……。このままではさらに寝覚めが悪くなってしまいますわ。
なんとか話題を逸らそうと頭を回しはじめます。そして閃いたように口を開きました。
「キャダバー様。そんなことより、相談に乗っていただきたいことがあるのですが」
「どうしたの?」
「今日不思議なことがあったのです……」
女は手のひらサイズの布袋を取り出し、中身を見せました。
「これはスライムかい?」
「今は眠っているんですが、なぜか懐かれてしまったようで……」
「なるほど。カエルの形をしているけど、なんの変哲もないように見えるね」
キャダバーに手渡すと、カエルスライムは大きな目を開けました。
「なんや? おやつの時間になったんか?」
「……しかも、喋るんだね」
「ええ。喋るのです」
「ワイには喋る自由すらないんか……?」
「言葉がわかるスライムなんて初めて見たよ」
キャダバーは興味深そうに観察しはじめます。すると、カエルスライムは「やんのかこらぁ」とガンを飛ばしました。
「なるほど。無意識に主従契約してしまったみたいだね」
聞き慣れない言葉に、女は小首を傾げました。
「主従契約ってなんですの?」
「友好的な魔物と魔術的な関係を結び、使い魔として使役することを主従契約と呼ぶんだ。契約をすれば、対価のかわりに命令をきいてくれたり、お互いに傷つけることができなくなる。本来は訓練しないとできないはずなんだけど……」
「わたくし、何かやってしまいましたの?」
キャダバーは顎に手を当てたあと「そうだね」と唸りました。
「どうやら君の体に刻んだ術式が悪さしたみたいだ。それも契約の一種だから」
「死体人形になった時、わたくしも契約を交わしているということですの?」
「主従契約ほど強力なものじゃないけどね。だから――」
ほんの、一瞬でした。
キャダバーの赤髪が揺れたかと思うと、ゆずのような爽やかな香りが鼻先を掠めます。そして、薄い紅色のぬくもりが沁み込みました。
「忘れないでよ。君と最初に契約したのは僕なんだから」
女は瞬きどころか、息も忘れていました。
ただ、おでこを押さえるだけ。
ですが額は徐々に熱を持っていき、その熱さは手足まで広がっていきました。
「な……!」
「おやすみのキスだよ」
満足げなキャダバーの顔を見て、女は目をぐるぐると回しました。
――こ、この人、スライムに嫉妬しておりますの!?
「どう? 眠れないなら、僕の部屋で一緒に……」
「か、勘弁してくださいましっ! これ以上は心臓が持ちませんわ!」
「ふふふ。そうだね。じゃあ、おやすみ。ルヴナン」
「お、おやすみなさいっ!!」
女は逃げるようにその場を後にし、あてもなく歩き回りました。
さきほどの光景と感触が何度も蘇り、女は「ん~~~~~ん~~~~」と悶えました。それでも落ち着かなくて、とうとう頭を壁に打ち付けてしまいます。
「……はぁ。本当、ルヴナンは愛されていますわね。うらやましいですわ」
女は深呼吸をして、自分の頬を優しく叩きました。
――ちょっと夜風に当たってから眠りましょう。
思い立つままに歩き出し、庭に続く扉が見えた時でした。
「あ、パロマお姉さま」
小柄な女性の影を見つけて、女は声をかけようとしました。
しかし、女に気付いていないのか、彼女はどこかへと向かっていきます。
――こんな夜にどうしたのでしょうか?
不思議に思っていると、ふと、間抜けな音が響きました。
女は恥ずかしそうに自分のお腹をさすります。
――もしかしてつまみ食いとか? ちょうどわたくしも小腹が空きましたし、後をつけてみましょう。
女は足音を消しながらついていきます。
しかし、たどり着いたのは食堂でも食糧庫でもありません。
普段は客人の接待で使われる応接間でした。
――何をしにきたのでしょう?
ひっそりと覗き込むと、部屋の中にはふたつの影がありました。
ひとつはもちろんパロマです。
もうひとつは、長身の青年。黒髪が特徴的で、涙ぼくろが妖艶です。
「パロマ。会いたかったよ」
「ええ。パロマもよ……」
ふたりは向かい合うなり、抱き合いました。
お互いの存在を確かめるように、力強く。
「……ん?」
女は頭にハテナマークを浮かべながら、応接間から離れました。
そして自分の部屋に戻って、ベッドに入ってから、ようやく理解が追い付きます。
――これって、逢瀬というやつなのでは!?




