第8話 暗躍のち恋のキューピット
カエルスライムがラヴィニアの服に潜り込む光景を、女は間抜けな顔で眺めていました。
「な、なに!?!?」
突然のぷにぷにとした感触に、ラヴィニアは大慌て。
必死に捕まえようとしていますが、相手はスライムです。服の中をスルスルと移動して、とらえどころが全くありません。
「どうしたのですか!?」
奇妙な踊りをするラヴィニアを前に、お見合い相手はうろたえるばかり。完全に手に負えない様子です。
ラヴィニアお姉さまは逃げ込むように倉庫の中に入ってしまいました。
数瞬後、中から響く大絶叫。
倉庫全体が震えるほどの音量でした。
さらにはカエルスライムがひとりで出てきて、伸ばした舌を巧みに使い、倉庫の閂を閉めてしまいます。
――ど、どうしましょう! 大変なことになってしまいましたわ……。
木の後ろに隠れている女の額には、だらだらと冷や汗が流れています。
しかし、すぐに不敵な笑みを取り繕います。
――い、いえ。都合がよいではないですか。これでお姉さまは赤っ恥をかくのですから!
女は事の顛末を見届けるため、倉庫に視線を移します。
「ラヴィニアさん、大丈夫ですか!?」
お見合い相手の張り詰めた声が、庭中に響きました。
しかし、返ってきたのは震えた声。
「は、入ってこないでっ!」
「しかし! すぐに開けますから!」
「やめてくださいっ!!!」
ラヴィニアの悲鳴めいた懇願を聞き、お見合い相手の顔が青ざめていきます。
「そんな……何か気に食わないことをしてしまいましたか? 教えてください。そんなつもりはなかったんです!」
――あー。見事に擦れ違っておりますわね。ラヴィニアお姉さまはただ恥ずかしい姿を見せたくないだけですのに。
女はお見合い相手の顔をじっとみつめました。
彼は焦った様子で、自分の言いたいことや謝罪を口にし続けています。
――誠意が先走っている。少しだけ、もったいないですわね。
軽くため息をついた女は、木の影から出て、騒動の渦中へと向かっていきます。
「どうされたのですか?」
「あなたは……」
女はスカートをつまみ、軽い会釈をしました。
「わたくしはルヴナンと申します」
「……ああ、君が。キャダバーさんの……」
「ええ。妻ですわ。お姉さまはわたくしにお任せいただけませんか?」
「しかし……。僕が悪いとしたら……」
――マザコンと聞いていましたが、意外と……。
意外に思った女はふと、思いついた疑問を口にします。
「どうしてラヴィニアお姉さまにそこまで執着するのですか? あなたなら、他の相手なんてみつかるのでは?」
――顔も家柄もいいですし。
「それは……その……」
彼はうつむいたまま、黙ってしまいました。
女は言葉を挟まず、ただ待ち続けます。
「実は、昔から好きだったので……」
お見合い相手は頬を紅潮させ、か細い声で言いました。
「今日がはじめての出会いではないのですか?」
「実は……小さい頃に、パーティーで……」
――なるほど。初恋だったのでしょうね。
「当時の僕にはもう婚約者がいて、それでも忘れられなかったんです……。パーティーで全身を使って走り回る姿を見て、僕もああなれたらいいなぁ、って。でも最近、婚約者の家が没落したことでフリーになって、それでラヴィニアさんに会いにきたのです……」
――走り回るお姉さまの姿、容易に想像ができますわね。キャダバー様の苦笑まで。それにしても……。
「マザコンではなかったのですね」
女はつい口に出してしまい、とっさに口を閉じました。
「……ああ。その噂ですか。確かに母のことは尊敬しています。母が主役の舞台も好きですけど、あくまで英雄譚の中の母が好きなだけなので」
彼は諦めたような、力ない笑みを浮かべました。
――なるほど。理想と現実は結構違うようですわね。
「ありがとうございます」
軽い会釈をした後、女は倉庫の前に立ちました。
「ラヴィニアお姉さま。少しよろしいでしょうか」
「……ルヴナン。見てたの……?」
「ええ。心配でしたので。さっきの話は聞こえておりましたか?」
「…………」
ラヴィニアの沈黙に、女は生暖かいため息を漏らしました。
「出てきたいのではないですか。ほら、準備はしましたよ」
閂を外す音が響きました。
「……でも、顔が真っ赤だし」
「心配ありませんよ。少しぐらい、自分をさらけ出したらいかがですか? この方なら喜んで受け入れてくれますわ」
「…………うん」
「では、わたくしはどこかに行きますので。おふたりでごゆっくり」
それだけ言い残すと、女は踵を返して、お見合い相手に向かってお辞儀をします。
「これからもラヴィニアお姉さまをよろしくお願い致しますわ」
彼は目元にくしゃっとした皺を浮かべました。
「ありがとうございます。あなたのような家族がいて、ラヴィニアさんも幸せでしょうね」
「その言葉はわたくしにはもったいないですわ。姉さまに直接伝えてくださいまし」
――あなたのような人に出会えていれば、私の前世もきっと……。いえ、考えても仕方がありませんわね。
頭を振って数歩進むと、後ろから男女の幸せそうな声が聞こえて、女は思わず笑みをこぼしました。
――ふふ。なんだかいいことをした気分ですわね!
そのまま弾んだ足取りで庭から去ろうとします。
しかし、目の前にカエルスライムが現れて、足を止めました。
「そうでしたわね。あなたにも一応感謝いたしますわ。スライムさん」
「いや、そんな言葉よりもおやつをくれや」
突然声をかけられて、女は目を丸くしました。
周囲を見渡しても、人影はありません。カエルスライムがいるだけ。
「ワイがしゃべっておるんじゃ」
「……え?」
女はカエルスライムの瞳をみつめ返しました。
「……なんか喋り始めましたわね?」
「当たり前じゃろ。お主の使い魔になったのだから」
使い魔。聞き馴染みのない言葉に、女は小首を傾げました。
「使い魔……?」
「ほら、おやつ、プリーズ」
「…………????」
――とてつもなく異世界っぽくなってきましたわね……。
頭が追いつかず、女は天を仰ぎました。さらには、背後から迫る魔王のような足音に気付いていません。
「ルヴナン様。こんなところで何をしているのですか? 言いましたよね。部屋で大人しくしてください、って」
「……あ」
アレットの貼りついたような笑顔を前に、女はヘビに睨まれたカエルのごとく動けなくなってしまいました。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます
前回告知しました通り、タイトルを変更しました




