第2話 傷だらけの指先
「……うそでしょ」
取れた自分の腕を目の当たりにして、女の顔から血の気が引いていきました。
ですが、キャダバーの顔色は全く変わりません。
「ごめんね。縫い方が甘かったみたいだ。すぐに直すから待っていてくれるかい?」
彼は使用人に刺繍道具を用意させ、縫い針を火の魔法で消毒しました。そして肌色の糸を取り出し、針の穴に通そうとします。
――え? どういうこと? 今から縫うの……? くっつくの……? この世界では当然……なのかな?
女は困惑した表情を浮かべましたが、キャダバーは見ていませんでした。
糸の先端が広がったり横に逸れたり、糸にすっかり弄ばれてしまっています。
「ごめん。ちょっと手袋を外すね」
返事を待たずに白手袋を引っ張るキャダバー。
露わになった素手を目撃した瞬間、女は「あっ」と短い声を上げました。
「あまり見ないでくれると嬉しいな」
高貴なイメージにそぐわないほど、針仕事の傷でボロボロだったのです。
照れくさそうな笑みを浮かべる彼を見て、女は目を細めました。
――絶対痛いのに。
ようやく糸を通し終えた後、彼は離れた腕同士の断面を慎重に合わせ始めました。
「ごめん。もう片方の手で持っていてくれる?」
「は、はい……」
言われるがままに自分の腕を支えます。
「そう。そのままにしてて……。じゃあ、いくね」
針が肌に刺さる瞬間、女は無意識に目をつむりました。
「大丈夫? 痛くない?」
その質問に答えようとして、彼女は不思議そうな表情を浮かべます。
「ちょっと痒いぐらい、です……」
「よかった。じゃあ、続けるね」
ーーなんで痛くないの?
針が肌を破り、肉を通る感触はありました。しかし、痛みとしては認識されていない。
「あの……私の体は一体……」
「ごめん。今は集中したいから、後で説明するね」
「は、はい……」
手持無沙汰になった女は、作業するキャダバーを観察しはじめて、小首を傾げました。
――あれ? なんだか楽しそう?
彼の頬にはえくぼが浮かんでいたのです。
指の動きは弾み、かすかに鼻歌も聞こえました。
――なんだか、平和ボケした人。
居たたまれなくなった女は、今度は周囲を見渡します。
花嫁の腕が取れたというのに、不思議と誰も驚いていません。
ほとんどが出来立てカップルを見守るようなほのぼのとした視線で、一部からは嫉妬で濁った感情が混じっています。
――まあ、悪い気はしないかも。
女が悪役のような笑みを浮かべていると、キャダバーが顔を上げました。
「これで大丈夫だ。動かしてみてくれないかい?」
言われるがままに腕と指を動かすと、滑らかに曲げ伸ばしができました。
――本当に糸だけでくっついた……。
「よかった。うまくいったみたいだね」
「あ、ありがとうございます」
「ううん。君の役に立てて、とても嬉しいよ」
女は動くようになった腕をさすりながら、疑問を口にします。
「あ、あの……。それで、私の体って……」
絞り出すような声を聞いたキャダバーは、逡巡したように唇を震わせてから、口を開きました。
「……そうだね。なんて言えばいいんだろう……。今の君は、その……死体人形なんだ」
「したい……にんぎょう……?」
彼は女の瞳をまっすぐと見つめながら、話を続けます。
「うん。僕の家、カタヴル家は代々辺境伯を務めているんだけど、当主の手で自らの奥さんを死体人形にするしきたりがあるんだ」
女は思わず目を見開きました。
――辺境伯って、かなり偉いはず……だよね? 国境を守っていて、広大な土地と軍事力を持っているとか。ううん。それよりも死体人形って……。
「人質としての価値をなくすと同時に、生涯を共にする覚悟を示す。しきたりの意味はそんなところかな」
「………そう、ですか」
女は自分の額を抑えながら、必死に言葉を整理していきます。
辺境伯。
しきたり。
生涯を共にする。
そして、死体人形。
死体でできた、人形。
「つまり、私は生きていない……?」
「それは『生きる』の定義によるかな。僕は生きていると信じているよ。君と僕の命が繋がっているんだから」
キャダバーの言葉を聞いても、女の表情は晴れません。
――なんだかなぁ。
天井を一度仰いでから、ゆっくりと息を吐いていきます。
――転生したら死体人形になってるって、どんな冗談? これからどうしろっていうの?
そんな女を見たキャダバーは、彼女の手を取り、顔を近づけていきます。
「ルヴナン。本当にありがとう。僕と一緒になるために死体人形になってくれて」
言い終わると同時に、陶器のような手の甲にそっと口づけをしました。
「…………?」
女は反応ができず、目を白黒させるばかりです。
しかし、頭の中は大騒ぎ。
「ちょっとだけ踊らないかい? 体を動かすと楽しいよ」
「は、はい……」
まだ理解が追いつかなくて、促されるままに立ち上がろうとしました。
その時、ふと、空気が変わりました。
――あ、音楽が……。
演奏が止み、人々の話し声も減っていきました。
会場を出る人も少なくありません。
もうお開きといった雰囲気です。
「ごめん。終わりの時間になったみたいだ」
「あ、いえ……」
――よく考えたらダンスなんて踊れないし、助かった……。
女の口から安堵の息が漏れました。
「ダンスは次の楽しみだね」
「そ、そうですね……」
キャダバーは優しく微笑みましたが、女は苦笑いを浮かべるしかありません。
「せっかくだから、すこし外に出ないかい?」
「外……ですか」
女はとっさに会場の壁を見渡しました。窓がなくて外の風景は一切見えません。
――異世界って、どんな感じなんだろう。魔物とかいるのかな。それとも幻想的な景色が広がってるの?
女の瞳は期待で輝きはじめましたが、口元は不安そうに歪んでいます。
「安心して。そんな遠くまではいかないから」
「そ、その……では、どちらまで?」
キャダバーは今までにない真剣な表情を浮かべた後、静かに息を吸いました。
「僕の両親に顔を見せてあげてほしいんだ」
彼の言葉を聞いた女は返事もできず、全身が徐々に冷たくなるのを感じました。
――ど、どうしよう。私、本物のルヴナンじゃないのに。




