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第1話 呼び方
私はゴキブリです。
彼は私を、何度もそう呼んだ。
一度や二度じゃない。思い出せないほど、何度も。
最初にそう言われた日のことを、私はまだ覚えている。
些細な言い合いの延長で、軽いノリだった。
その言葉は笑いの中に混ざっていたのに、私の中では音を立てずに沈んだ。
「なぁ」
彼は笑いながら言った。
「お前、ほんまにゴキブリみたいな女やな」
私はそのとき、何も言い返さなかった。
言い返せなかったわけじゃない。
言い返す言葉が出てこなかった。
「はぁ」
大きなため息をついて、彼は部屋を出ていった。
ドアが閉まる音だけが、少し遅れて残った。
テレビはつけっぱなしだった。
笑い声の入ったバラエティ番組が、部屋の中で浮いていた。
私は彼だけを見てきた。
気づけば、それ以外の見方を知らなかった。
何が間違いだったのか、わからない。
ただ、言葉の余韻だけが部屋に残っている。
私はゴキブリです。
その言葉だけが、頭の中で繰り返される。
何度も、何度も、何度も。




