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Lost Inside―取り戻せない日々―  作者: 古見理英
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冷たい半身

 その晩は、久々に運動したせいかすぐに寝付くことができた。何の妨げもなく、自然な眠りの中に落ちていくのはいつぶりのことだろう。薄れる意識の中で私は少しだけ感動し、そしてまたあの夢の中へと潜っていった。

 気が付くといつもの葬儀場にいた。ただ、これまでとは少しだけ様子が違っているようだった。

 部屋の中には自分以外に誰の姿もなく、ミサキの遺影が色鮮やかなリンドウの花の中にぽつんとあり、その下に蓋の閉まった棺が置かれていた。


 私はなんの迷いもなく、ゆっくりと棺の元へ歩み寄った。棺の前まで来ると、膝を折って堰を切ったように泣いた。泣きながら、昼間の出来事をすべて棺の中のミサキに話した。伝えられることは全て伝えた。心のどこかで、彼女に話せるのはこれが最後のような気がしていたからだ。


「泣くな。気持ちが悪い」


 突然、棺の中から声がした。とても馴染みのある、冷たい声だった。私は棺のふたを勢いよく取り外した。大きな音が誰もいない式場に響き渡る。

 中に入っていたのは、ミサキではなかった。薄汚れた制服に身を包んだ自分の遺体がそこにはあった。


「そうか。結局、全部私の妄想だもん。本物のミサキがいるはずない。死んだ人間には何もない。何も言えないし、何も聞こえない」


 私はそんなことを言って棺から顔を上げた。言葉にしてしまえば何てことのない、薄っぺらい真実だった。

 ミサキの遺影は、いつの間にか私の遺影に変わっていた。撮った覚えのない写真だった。怒り、憎悪、悲しみをすべて混ぜ込んだ真っ黒な瞳が、私の方をじっと睨んでいる。彼女は、私自身が自らを罰するために生み出した化け物であり、これまでずっと見てきたものだった。そしてその化け物を葬り去ることができるのは、他でもない私自身であるということもちゃんと理解していた。


 遺体の瞼がゆっくりと持ち上がり、濁った眼球が露になる。棺の淵に手を掛けると、灰色の蔦植物のようなツルが目にもとまらぬ速さで部屋中にわさわさと伸び広がった。私は驚いて棺から飛びのいた。ツルは色鮮やかなリンドウの花も瞬く間に覆い尽くし、すべてを無機質な灰色に塗り潰していく。


「お前みたいな人間が生きているなんて許せない」


 遺体はそう呻いて棺の中から這い出ると、蛇の様に床を這いずりながらこちらに近づいてきた。そのあまりの異様さに、私は急に恐ろしくなって衝動的にポケットの中をまさぐった。すると何か固いものが手に触れた。取り出してみると、それは彗星蘭で貰ったマッチ箱だった。

 私は咄嗟にそのマッチを擦った。灰色に呑み込まれた部屋の中に、真っ赤な炎が色鮮やかに灯される。とても綺麗な炎だった。私は何の躊躇もなく、火の点いたマッチ棒を床に落とした。


「さよなら。でも、ずっと忘れない」


 自然とそんな言葉が零れた。

 落とされた炎は、部屋中に張り巡らされたツルに沿って滑らかに走った。あっという間に、すべてが力強い炎に呑まれていく。そこには熱さも苦しさもなく、ひたすら心地よい温かさに包まれていた。

 遺体は炎に焼かれて泣き叫び、私はこの世界のすべてが焼き尽くされるのをただ静かに見守っていた。


 やがて、私の意識は温かい炎の中に溶けた。



 数日後、隣町の駅ビルにある大型書店で、大学入試の過去問題集を手に取っていた。父に勧められた大学ではなく、自分で選んだ大学だ。卒業したところで周りに自慢できる程のネームバリューはないが、そんなことはもうどうでもよくなっていた。

 どんなに周りに同化しようと、他人に迎合しようと、結局私は私でいることしかできない。生きている以上、「次」へと歩みを進めなければならない。自分で決めた道のりを、自分一人の足で歩いていくことに変わりはないのだ。


 買い物を済ませ、すっかりクリスマスムードに染まった駅ビルの中をひとり黙々と歩いた。     

 ホームで上り列車を待っていると、聞き覚えのある声がして、私は辺りを警戒した。

 浅く頭を伏せた状態で目玉だけを動かすと、少し離れたところに三十木さんと新井さんの姿を見つけた。私服を着ていたので一瞬誰だかわからなかったが、間違いなかった。一緒に出掛けるほど親しい間柄になったのか、二人は同じ下り列車を待っているようだった。

 私はそんな二人を見ながら、病院で働いていた時のことをぼんやりと思い出していた。数か月前まで同じ職場で働いていたというのに、不思議と二人の存在が遠く曖昧なもののように思えた。


『間もなく、一番線に電車が参ります。危ないですから、黄色い線までお下がりください』


 ホームに無機質なアナウンスが響いている。私は立ち上がり、点字ブロックの内側で電車を待った。レールから微かにカタカタと音がして、電車がホームに近づいて来るのがわかった。

 みぞれ混じりの冷たい風を巻き上げ、電車が目の前を勢いよく走っていく。私は何もせず、何も考えず、ただ黄色い線の内側に立って目前のドアが開くのを待っていた。背後からは二人の楽し気な会話が微かに聞こえていたが、こっそり内容を聞き取ろうなどとは思わなかった。


 だいじょうぶ……大丈夫。


 心の中で呟く。これで、ようやく自分の人生が戻ってくるように思えた。

 ただ、未来に対する不安や過去に対する後悔はどうやっても誤魔化せそうにない。いつかまた行き止まりにぶち当たって、駄目になってしまうかもしれない。ミサキのことを思い出し、また悪夢にうなされる日が来るかもしれない。そんな考えが幾度となく浮かんでは消え、思考は同じ所をぐるぐると回り出す。だが、今はそれで良いのかもしれない。誤魔化す必要も、忘れる必要もない。まだ、何も終わってなどいないのだから。

 迷ったらもう一度引き返し、進むべき道が他にあったのだと信じて探し続けよう。生きている以上、そうするよりないのだ。


 目の前のドアが開き、乗客たちがわらわらと降りてきた。私は暖房の効いた車内にひとり乗り込むと、ボックス席の窓側に腰を下ろした。窓から見えるみぞれ雨は、いつの間にか羽毛のような初雪に変わっており、やがて町全体を真っ白に覆い尽くした。

 

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