穂希田南高校女子剣道部
剣道が嫌いになってしまっていた凛は、ひょんなことから剣道部を見学することになった。その場を乗り切るため、嘘をついてやり過ごそうとするが剣道部2年の芹沢薫に見破られてしまい、嘘が嫌いな薫に問い詰められる。そんな中、過去の記憶が蘇り、意識が朦朧とし夢の中に入っていく…。
放課後、遂にこの時が来てしまった。
「それじゃあ、掃除当番もないし、早く行こうよ」
桃香はいつになくやる気だった。どんなことでも一生懸命で何一つ逃げ出さず、最後までやり遂げることに定評がある。中学時代も数え切れないほどやっていたと今になって思った。仕方ないこうなったら、見学だけでもしにいって、上手い具合に諦めさせ、やんわりと断ろうかなと考えていた。
穂希田南高校の体育館は本校舎から渡り廊下を抜けた先にある。体育館は2階建てで、1階は武道場になっており、剣道場と柔道場が半面ずつに分けられている。
武道場に入るとどこか懐かしい雰囲気とやはり足を踏み入れたくないという気持ちが混在していた。そんなことを考えていると奥から稽古をしている声が響いている。真っ白の道着に防具を身に纏い、稽古をしている3人の人影が確認できた。
「すごいなぁ、やっぱり迫力があるよ」
桃香は、その勢いのある気勢と剣筋に心が飲まれていた。
私たち3人は、上履きを脱ぎ武道場に足を踏み入れると剣道部の先輩と思われる人たちもこちらに気付き、稽古を中断して出迎えてくれた。
「ようこそ~剣道部へ~!。3年、剣道部部長の坂本涼子です」
「私は剣道部副部長、2年の高杉風見」
「2年、俺の名前は芹沢薫だ」
右から明るくムードメーカーの人が坂本涼子。茶髪のポニーテイルで寡黙な人が高杉風見。大柄で髪型が銀髪のぼさぼさヘアー、言動が荒らそうな人が芹沢薫。見た目で判断してはいけないことは分かっているが、最後の先輩が一番苦手かもしれないと思った。
「え~と、島田桃香ちゃんと河上凛ちゃんだねっ!二人とも初心者だけど音穏ちゃんよく連れてこれたね~」
『楽勝です』
涼子が音穏を褒めていたが、私は少々不服だった。ほぼ強制的に連れてこられた凛は音穏のスケッチブックの書き込みに少々怒りを覚えた。
「自己紹介をそこそこに、ジャージに着替えて早速練習しよっか。私と薫ちゃんで教えるから、風見ちゃんは音穏ちゃんと稽古してて」
と涼子は、薫と風見に手早く指示を出した
「じゃあ俺は河上さんにつきます。体格近いので教えやすいと思うので」
「了解~。じゃあ、任せるよ」
薫と涼子もそれぞれ一年生について教え始めた。
「それじゃ始めるぞ、まず竹刀の握り方からだ。まず最初に――」
薫は鏡を正面に凛の体を寄り添いながら丁寧に教えていく。
「なかなかいいね。何かスポーツでもやってたか?」
「いえ、中学の時は文学部に入っていたので、スポーツはやっていません」
凛は先輩からの質問をうまく誤魔化しながら潜り抜ける。中学時代はどの道スポーツはやっていないので、万が一感づかれても、桃香が証明してくれる。
凛は薫の教えの通り、次々とこなしていった。
しかし、薫は腑に落ちなかった。
(初心者にしては出来すぎだな…。竹刀の握り方・構えの姿勢があまりにも良すぎる。中学の授業で剣道をやっていたとしても、ここまでには到底ならないと、)
薫は推理を張り巡らせていく。そして、一つの結論が浮かび上がる。
何か隠している。
(初対面とはいえ、この俺にこんな分かりやすい隠し事をして、初心者として騙そうなんて、度胸あるじゃねえか)
薫は内心で邪悪な笑顔を浮かべつつ、どのように鎌をかけるかを考えていた。
(ならば試してみるか)
「河上さん、一個質問だ…」
薫は呼びかけた凛が振り返り「なんでしょう」と答えると同時に、凛の頭上に向けて、竹刀を振りかぶり、勢いよく振り下ろしにかかった。
この唐突な出来事に凛は反応が遅れた。
(竹刀をこちらに向けて振り下ろしてくるっ!こっちは防具をつけていないのになんでっ!)
そんなことを考えている暇もなく凛の頭上に竹刀が迫る。
薫自身は頭上で寸止めしようと考えていたが、そんなことを凛には知る由もなく、緊張のあまり鼓動が早くなる。この剣筋は普通に考えれば避けられない。そして、竹刀は頭上数センチ前に到達した。
凛の鼓動が早くなっていく。目の前の竹刀が徐々に遅く見えていく。
スパァァーン。
轟音。
竹刀の音が辺り一面に轟く。薫は竹刀を凛の頭上で寸止めしようとしたため、そもそも竹刀が直撃した音は発するはずがない。
ならどこから。
その答えは薫の背後の凛にある。凛の放った竹刀が薫の身に纏っていた胴を打突し、そのまま斬り抜けたのだ。
抜き胴。
打ち終わった凛は、斬り抜けた先で構えを解いていた。
この結果に凛自身も驚いていた。事実、考えて竹刀を振ったのではなく、本能的に体が働いてしまったのだろうか。剣道をやめてはいたものの、体が自然と動いた。正体は分からないがそのような感覚に囚われた。薫と凛を除き、突然の竹刀の響きに驚き、剣道場の視線は凛に集まった。そして薫はニヤリと笑った。
「この竹刀の味は、――嘘をついている味だぜ」
凛ははっとした。自分のやった行いを今理解した。初心者と偽っていたことが白日の下にさらけ出された。
「涼子先輩、稽古は一旦中断だ、紐お願いします!」
「ラジャー、音穏ちゃん、ちょっと待っててね~」
涼子は音穏に気を使いつつ、部室に紐を取りに戻った。そして音穏は目の前で起こった出来事をワクワクとした表情で見ていた。
まずい、この場から逃げなくては。凛はその思考にたどり着いた時にはすでに遅かった。
「答えろよ。質問はすでに……拷問に変わってるんだぜ」
薫は油断していた凛の背後に周り、羽交い絞めで足止めし、涼子が持ってきた縄で縛った。
その後部室へと連行され、中にあるパイプ椅子に括りつけられた。
「さあ話してもらおうか。この俺に嘘をつこうとした、答えないのであれば、お前を弄り回す」
薫は悪い笑顔を浮かべながら、左手に棒上のものを持っていた。
そして凛も直前の出来事に涙目になりながら朧気な視界で薫が左手に持っているものを確認した。
(ああ。嘘をついたから竹刀で叩くつもりなのか…。やっぱりこの人は、やばい人…)
(竹刀……剣道……おねーちゃん……佐々木先生)
凛の思考には今まで遠ざけていたものが頭によぎってきた。
(竹刀……神聖……大事なもの)
遠くに置いてきて、もう開けることがないだろう思っていた。
凛の記憶が蘇る。
「凛。竹刀はそんな風に遊んじゃだめよ。竹刀はとても大事なものなんだからね」
「おねーちゃんごめんなさい。竹刀さんもごめんね、もうこんなことに使わないからね」
「凛はえらいね~。ちゃんと稽古するんだよ」
「うん!」
幼い時代の凛は、竹刀を床で回しながら遊んでいたことを姉の蘭に注意され、竹刀は神聖なものだということを理解している。
そして場面は凛の小学生高学年に移り変わる。
「こら、そこの男子共。竹刀で遊ぶんじゃない!」
「待ってよ、凛。そこまで怒らなくても…」
「よしのちゃんは黙ってて、これは大事な問題なの!」
剣道場で稽古している中、道場の端の方で竹刀を振り回し遊んでいた小学生の男子を叱りにいった。少し度が過ぎると判断した【よしの】と呼ばれた子が凛を止めにいく。
「こらこら、喧嘩はよしなさい。だけれども、竹刀はとても大切なものだよ。お互いしっかり謝って、稽古に励みなさい」
壮年期を漂わせる道着姿の男性が小学生の喧嘩に割り、仲裁に入る。凛の言い分は分かってはいるものの、互いに謝罪させ、竹刀の大切さを説いた。その男性の道着には【佐々木】と刻まれていた。
(それだけじゃない…)
凛の中で聞き覚えのある声が響く。それは自分自身の声だった。
それもいつまでも煮え切らない考えに苛立つ自分自身である。
「なんで……自分の声が……」
(今のは竹刀に対する記憶。そして、お前にとって剣道が大事である記憶はたくさんある……。剣道に対して閉ざした心……)
「勝手なこと言わないで。私は……剣道が嫌いなんだ!嫌いになったんだ!」
(ならこの目の前の状況をどう見る。お前はこの状況を見て怒りの炎を見え隠れしているぞ)
「そんなこと……」
凛は内心、反響する自分の声の問いかけに否定できなかった。
(今のお前はまだ剣道に対する気持ちが煮え切っていない。なら、姉との約束ならどうだ、目の前で姉と誓った約束を破ろうとしている奴がいるんだぞ)
「おねーちゃんとの……約束」
そして、ふと目の前に視線を戻す。
(竹刀は神聖なもの。それを汚そうとするものは――)
さっきまでの朧気の様子から一転、冷静さを取り戻す。
「さあ、何か言い残したことでもあるか?」
「…ください」
「よく聞こえないぞ?」
「…ないでください」
(怖気づいたか……)
そのように薫は考えていた。静まり返る部室、一瞬の静寂。
そして、凛の周りの空気が一変した。
「竹刀をそんなふざけた理由でっ、使わないでくださいっ!」
叫び、怒りの声を上げる。
その言葉は荒々しく、相手が目上の人でなければ、敬語すら使わないほどだった。それと同時に凛を縛り付けていた縄がちぎれそうな悲鳴を上げている。
(何事かと思ったが、これが竹刀に見えていたのか。そういうことね……。これは剣道に対する冒涜行為は絶対に許さないという信念の表れか…。こいつにはやるといったらやる………スゴ味がある)
この光景を見て薫はそのように解釈していた。
そして凛を縛る縄が千切れる寸前で薫が言う。
「安心しろ、これは竹刀じゃない」
「そんな嘘がまかり通るとでも思いますか!」
やれやれ。薫は左手に持っていた棒状のものを見せつけた。
パパパッパッパパ―。
「声に出してはいけない、振動する棒~」
道具をポケットから出すような軽快なリズムと共に薫はそう発した。
凛は混乱していた。勘違いだったいうことだけはここに判明した。竹刀ではないという結果だけが残る。そして、その棒の真の目的が脳裏をよぎった。
「自分用ですか?」
「残念、他人用だ」
得意げに話す薫だったが、呆れ気味だった凛は思う。この人は悪魔だと。
「それでは拷問を始める」
薫は同時に声に出してはいけない棒に電源が入れ、ブルブルと唸るような音を立てながら振動している。それと同時に凛自身がどのような仕打ちを受けるのかの想像が容易に出来、凛の顔が強張る。
「やめてください先輩。どうしてそこまでするんですか」
「俺は嘘が大嫌いなんだ」
凛の涙ながらの訴えが薫の一言で返される。
「まあ言いたくない事情もあるだろうが、それはどうでもいい。ただ、剣道を知っているのに知らないという嘘だけは許しがたいなぁ」
「分かりました、事情は話しますからその棒の電源を切ってください」
「断る」
凛の抵抗空しく、薫は即答だった。
「じゃあどうしたら――」
「あぁーだめだめだめだめ、ここまで回答を先延ばしにされちゃあね」
声に出してはいけない棒がそこまで迫っていた。
「さあ、逝ってもらおう。跳べ、銀河の果てへ!」
終わった、と凛はそう考えていた。しかし、次の瞬間薫の後頭部に木刀が直撃する。
ゴンッ
その鈍い音と共に薫は崩れていった。
「1年生をいじめるんじゃあないよ」
木刀の主は高杉風見だった。
「高杉先輩、ありがとうございます」
「ごめんなさいね。うちの薫が迷惑かけちゃったみたいで」
「そんなことないですよ、私は大丈夫です」
凛は本心とは真逆なことを口にしているときに、桃香が部室に駆け込んできた。
「凛ちゃん、急に連れてかれちゃったけど大丈――」
桃香は椅子に紐で縛られ、特殊な何かをしていた凛を見て言葉を失う。
「凛ちゃん、なんていう破廉恥な格好を…」
「違うの、これは…」
凛は桃子に弁解をしようと試みたが木刀の一撃をくらい床に突っ伏していた薫の復活により、無に帰した。
「そうだ!こいつが嘘をついたからだ!」
「あなたは一旦黙ってなさい」
凛に詰め寄る薫を風見が取り抑えたが、続けざまに涼子と音穏が詰め寄る。
「さっきの胴すごかったねー、剣道やってたの?」
『認めたくなくないものだな』
涼子と音穏の追撃により凛は頭が回らなくなっていく。
「あの……その……」
言葉に詰まる。凛は普段から初対面の人とは気軽に話すことが苦手だった。そして緊張のあまり頭がオーバーヒートする。そして次第に意識が朦朧とし、気絶してしまった。
「凛ちゃん大丈夫!?」
桃香は必死に凛を起こそうとしたが完全に気絶していたため目が覚めることはなかった。
「おい、まだ話は聞いてないぞ」
「あなたのせいよ。ちゃんと責任取りなさいよ」
「はい。……しゃあねぇ、保健室に連れていくか」
悪びれない薫を鋭い睨みを効かせ、風見は凛が気絶した責任を取らせる。
「あの、私が運びます」
「いいよいいよ。薫ちゃんに運ばせるから」
「だけど…」
「そうね…じゃあ榊原さんと坂本さんも一緒に保健室に運んでもらえる?」
桃子は涼子の指示に従い、不安そうなだった音穏も凛を担いだ薫と共に保健室へと向かった。




