12 夜のはずれ森
木々が邪魔して見えない月を追って、走り出したい気持ちを、マルコはどうにか我慢した。
森にさし込む月の光は弱く、おぼろげな影をたよりに行き先をさだめる。
だが、しばらくして方向違いに気づく。
木々や低木、草むらが彼の脱出を邪魔しているようだった。
◇
気づくと、草の向こうから金色に光る二つのものがこちらを見ている。
獣の目だ。
マルコは恐怖でガチガチに緊張しながら、小剣を抜く。
二つの光が近づいて、あらわになると、彼はほっとした。
おぼろな月明かりがてらす輪郭は、ホロホロ鳥だった。
冷たい水色もようと、血のように赤いトサカ。
狩り慣れた相手に、マルコは対峙した。
だが、いつもは真っすぐ突進するばかりなのに、いつまで待ってもやってこない。
鳴き声もあげず、光る目でただじっとこちらをうかがう。
少しずつ、少しずつ足を運び、マルコとの間合いの外を歩く。
緊張につかれマルコはふと目をそらした。
瞬間、素早い突進。
間一髪でよけ、いつものように反転し、マルコは横に切る。
しかし翼が広がり、鳥は上に飛んだ!
マルコの右腕に爪をたてる。
シッ!
と、口ばしでマルコの眼球を突いた。
剣術も忘れ、マルコはただ驚いてすくむように、とっさに腕で顔を隠す。
「ガァン!」と音が響き、鉄付小盾が口ばしを防いでいた。
鳥は羽ばたいて下がると、何事もなかったかのように、また横に歩く。
こちらの様子を、ただ静かにうかがう。
それは一切の無駄がなく、マルコの命に狙いを定めた、暗殺者のようだった。
「本当に同じ鳥か?」
マルコは、背筋が寒くなるのをおさえられなかった。
◇
鳥の亡骸を背負い、マルコは暗い森の中を疾走していた。
もう我慢できなかった。
今は叫び出したい気持ちを我慢している。
鳥との戦いは、口ばしと剣の応酬が何度も続いた。
鉄付小盾が鳥の頭に当たり、ふらついた瞬間に一撃を決める事ができた。
だが、ずいぶんと手間取ってしまい、時と方向の感覚を失ってしまった。
走りながらマルコは、背中から何か垂れるのがわかる。
鳥の血だ。
鉄の匂いを感じたとたん、嗅ぎつけた狼が暗がりからじっと見ているような、恐怖を覚えた。
「こんな事なら、シェリーに血抜きのやり方をちゃんと習えばよかった」と思い出を頭に浮かべ、なんとか彼は自分を取り戻そうとする。
だが得体の知れない生き物の声が、幹の裏から聞こえると、想像は現実にかき消され、無駄だった。
◇
黒い幹の柱の間に、ぽつんと灯りが見えた気がした。
森の中に一つだけの明かりなんて、自分はとうとう頭がおかしくなってしまった、とマルコは錯乱する。
しかし、その不可思議な光を求め、黒い柱のすき間を必死に探した。
「あった」
真っすぐ前に、か弱く小さくとも、灯りがある。
一直線に駆け抜けた。
気づくと、高く昇った満月がてらす広場にマルコの身体は飛び込んでいた。
◇
目を凝らしていたので、見上げた満月は、白い輝きがまぶし過ぎて面食らった。
息を切らしながらマルコは、放心して満月のまん丸を見つめている。
すると、月は下から伸びる影にだんだんとおおわれ、やがてなくなってしまった。
何かの気配におされ、マルコは後ずさりする。
「え?」ともれる。
巨大な人影が、満月の手前から、こちらを見下ろしている。
毛むくじゃらの影のふちが、月の光を反射した。
天地を裂く獣の咆哮。
広場の空気を震わせ、マルコの耳を壊し、腹をねじ上げ、そして木々の葉を揺らす。
獣は、突き出た口を天に向け、その凶悪な牙を月光にさらす。
節をつけて、まるで歌うように吠えた。
マルコは耳が聞こえなくなり、脚はすくみ一歩も動くことができなくなってしまった。
恐れのあまり、歯をガチガチと鳴らすが、目はその巨大な影からひと時たりとも離すことができなかった。
ゆっくり空を割る獣の腕、爪の影は伸び、自分にふり下ろされるのをマルコは見た。
あぁ自分の命はここで尽きるんだ、と瞳を閉じた。
その時、瞼の裏に何かがうつる。
草色の体と手足は宙に浮いて、桃色の髪は逆立ち燃え上がる。
その精霊は、背後から彼に呼びかけた。
「ぜったい、《《こわさないでね》》」
身を守る、ではなく「鎧が壊される!」とおかしな考えにマルコは囚われた。
震える脚に「動け。動け!」と命じ、なんとか地面からはがす。
体をひねり、自分を骨ごと切り裂く爪を紙一重でよける。
体は傾いてよろけ、うしろへ跳んで尻もちをつく。
彼は、俊敏この上ない獣の最初の一撃を、見切ることができていた。
獣の腕は空を切った。
マルコが背後をふり返ると、精霊はいなかった。
そしてその時。
斜め上の樹上から、口笛ともつかぬ、風を切る音ともつかぬ、空気を裂く音が響く。
刹那、巨獣は悲痛なうめき声を上げ、顔の前を何度も腕ではらう。
満月の前、獣の目から生えた一本の細い矢が、長い長い影を伸ばしていた。
マルコが耳が聞こえるようになったとわかったのは、木の上からの声が届いたからだ。
それは低く、とてもなめらかな、甘い声だった。
「助太刀しよう」