第10話 帝国の遠征軍が悲惨な目にあう話 (3)
三人称視点です。
『オアシス都市の外が一面緑になっている』
わけのわからない報告を受け、帝国遠征軍司令官の皇子が側近の部下たちと町の外に出てみると、そこには確かに草木が広がっていた。
「バ、バカな……」
皇子と部下たちはあんぐりと口を開ける。
今朝まで、たしかにここには砂漠が広がっていた。一面、草一本の生えない砂地だったのだ。
それは皇子が自身の目で確認していた。
だというのに、今や周囲は草で覆われた原っぱが広がっている。
遠くには木々が生い茂っているのさえ見える。
砂漠が一瞬にして緑豊かに変わったその光景は、ファンタジー世界の人間である帝国人から見ても、不気味であり、異様であり、未知なる怪異の存在を疑わざるを得ないものであった。
「し、し、信じられない……」
「司令官閣下……こ、これは一体……?」
「……もしかして、3日前に月が青くなったことが何か関係しているのでは……?」
「そ、そうです。聖職者どもは『たいしたことはない』などと言ってましたが……やはり何かあるのでは……」
部下たちが口々に不安を口にする。
(うるさいなあ……)
皇子はイラついた。
確かに不気味である。奇妙である。それは認める。
でも、しょせんは草や木だ。火をつければ燃える程度のものでしかない。そんなものに、栄光ある帝国軍がうろたえるなんて!
何より、愉悦の時間を邪魔されたのが腹立たしかった。
皇子は第8皇子だった。皇位継承権は低い。皇帝になれる見込みはほぼゼロである。
いい気分ではない。
でも、蛮族どもをぶっ殺している間は愉悦を感じられた。
身の程知らずの蛮族を自慢の魔炎で蹂躙する。生き残った敗者どもに帝国の素晴らしさを説く演説をたっぷりと聞かせる。
そして最後は楽しい皆殺だ。
「いやあ、あなた! 死なないで! お願い! あなた!」などと泣き叫ぶ妻の目の前で夫にとどめを刺す。「よくも俺の娘を! 貴様ら、全員地獄に落ちろ!」などとわめく父親の首をはねる。愉悦の極みである。
そんな素敵な愉悦を味わっている最中だというのに、たかだか植物くらいでうろたえている部下たちが腹立たしくて仕方がなかった。
皇子は大声で叫んだ。
「ああもう、うるさいなあ! 草木が生えたからなんなんだよ! それで、第8皇子である僕の遠征が止まるとでも? まだまだ滅ぼすべき国はたくさんあるっていうのに?」
部下たちは、はっとした。
彼らにも帝国軍としてのプライドがある。
「ああ、いや、確かに……」
「まったくその通りですな……いや、お恥ずかしい限りで……」
そう言って、恥じたように黙る。
(やれやれ)
皇子はため息をつくと、中央広場に戻ることにした。
遠征軍は全部で1万人おり、そのうち一番大きな集団が中央広場にいる。
一番人数の多い彼らが部下たちのように動揺すると面倒だ。先手を打って落ち着かせてやらなければ、と思ったのだ。
◇
皇子達がそんなやりとりをしていたのと、ちょうど同じ頃のことである。
北門前の広場に100人の少女たちが訪れていた。
少女たちはみな、白いスカーフを頭に巻き、動きやすそうな庭師みたいな格好をしている。
表情はまるでない。
ただ、みな若く、美少女ぞろいである。
外に出かけていたこの町の住民が帰ってきたのだろうか。
(まあ、なんでもいいか)
兵士達は、少女達に難癖をつけて、その体にたっぷり尋問をする気満々であった。
砂漠がいきなり緑になるという不気味な現象を目の当たりにしてしまったぶん、なおさら弱そうな少女をいじめて気持ちを落ち着かせたくもあった。
これから始まる楽しい尋問を想像し、兵士達は下卑た笑みを浮かべると、さっそく少女たちを取り囲んで拘束しようとした。
「へへへ、ようこそオアシス都市へ。お嬢ちゃん達、この町の住民かい?」
「ねえねえ、知ってる? 俺たち帝国軍なんだぜ。逆らうとどうなるか、わかってんだろ?」
「ひっひっひ。おとなしくしていれば、痛い思いをしなくて済むんだぜ」
帝国兵達はそう言ってニヤニヤと笑う。
きっと少女達は、自分たちが帝国軍だと知って震えあがり、土下座して許しを乞うのだと思っていたのだ。
ところが、少女達は一切反応がない。
無表情のままである。
兵達はイラついた。
偉大なる帝国人である俺たちが話しかけてやっているというのに、土下座もせずに無視するとは何事だ!
「おい、てめえ。無視してんじゃねえぞ!」
兵の1人が少女に向けて拳を振るった。
とりあえず見せしめに1人ボコボコにぶん殴って、ビビらせてやろうと思ったのだ。
その拳を少女はパシッとつかんだ。
そして、ぶんと腕を振る。
その瞬間、帝国兵は空高く飛んで行った。
「ひゃあああああああああ!!!」
絶叫を上げながら帝国兵は上空へと飛び去っていく。
「……へ?」
「……はい?」
残された帝国兵たちはあぜんとして固まる。
ある兵士は(え、なに、あいつ空飛べたの?)という顔をする。
別の兵士は(いやいや、そんわけないだろ!)という顔をする。
さらに別の兵士は(え、じゃ、今の何?)という顔をする。
やがてたっぷり30秒は経ったころ、何かが落ちてきた。
少女はそれが地面に激突する寸前、腕でつかんで勢いを殺すと、そのまま地面に放り出した。
それは、さっき飛んで行った帝国兵だった。口から泡を吹き、おもらしをし、気絶していた。
「は、はああああ!?」
「な、な、なんっ、なんだあああ!?」
帝国兵たちは、混乱の叫び声を上げた。
わけがわからなかった。
弱者でしかないはずの少女達がやってきたから、拘束すべく、兵士の1人がぶん殴ろうとした。
そのとたん、少女の1人が腕を振った。
すると、信じられないことに、その兵士ははるか上空に飛んでいってしまった。
言葉にするとそれだけである。
それだけなのだが、意味がわからない。
「お、おい、女! 何しやがった! さっさと答え……はぐあっ!」
一人の帝国兵が少女の襟首をつかもうとしたところで、吹っ飛んだ。
女がトンと押したのだ。
それだけで彼は5メートル以上も後ろ吹っ飛ぶと、そのままのびてしまった。
「おいおい……」
「な、なんだよこの女ども……」
帝国兵たちに動揺が走る。
「お、お前ら、落ち着け! 距離を取って魔炎を使え! 魔炎で焼き尽くすんだ」
隊長が叫んだ。
その言葉に、兵士たちははっとなる。
「そ、そうだ。魔炎だ!」
「あ、ああ。俺たちの魔炎は最強だからな」
そう言うと彼らはすぐさま十分な距離を取り、一斉に少女たちに向けて右手を突き出した。
「女どもめ。上玉ぞろいだからもったいねえけど、なめた真似をされた以上、生かしておくわけにはいかねえ。とーっても熱いだろうけど、覚悟しろよ」
「へへ、わかるか? 今からお前たちを焼き尽くしてやるんだ。恨むなら自分のバカさ加減を恨みな」
「ぎゃははは。見ろよ、この女ども。ブルっちまって、表情が固まってるぜ」
帝国兵たちは「あはははは!」と笑った。
彼らは自分たちの絶対的優位を確信していた。少女達が妙なことをしてきた時は驚いたが、この形になってしまえばもう自分たちの勝利は確定だと信じていた。それだけ自分たちの魔炎に絶対的自信を持っていたのである。
「撃て!」
隊長が号令を出す。
兵士達は一斉に魔炎を放つ。それらは全て蛇のようにうねりながら飛んで行く。そして少女達の全身に絡みつくと、燃え上がった。
すさまじいまでの熱量と共に、少女達が炎に包まれる。
帝国兵達は、少女達が消し炭になったと確認していた。
自分達の魔炎は地上最強である。
どんな重装備の戦士も、あっというまに黒焦げにしてしまう、この世でもっとも強力な魔法である。
蛮族の女ごときが、耐えられるわけないではないか。
あわれな少女達の姿を想像し、帝国兵達はニヤニヤ笑っていた。
ところが、信じられないことが起きた。
炎の塊が、歩いてきたのである。
全身を絡みつく炎で焼き尽くされたはず少女達が、炎に包まれながらも、平然とこちらに向かってゆっくりと歩いてきているのである。
「……は?」
帝国兵達は目の前の光景が理解できなかった。
屈強な男ですら、魔炎を食らえば、全身を高熱で焼かれて動くことすらできないのである。
なのに、あの女どもはあろうことが歩いてきている!?
魔炎は永遠に燃え続けるわけではない。
少女達が一歩歩くごとに炎は小さくなっていく。
やがて、炎が完全消えた時、そこには無傷の少女達がいた。
消し炭になるどころか健康そのものであり、体はおろか、服にすら焦げ目ひとつついていないピンピンした姿の少女達が、平然と散歩するように歩いていたのである。
「……はああああああ?」
「……な、な、なあああああああああ!?」
「ま、ままま、魔炎が!? 魔炎が効かないだとおおおおおおお!?」
帝国兵達は驚愕のあまり、絶叫した。
鋼鉄ですら溶かす魔炎をくらって平気? 傷ひとつない?
意味がわからない。わけがわからない。あの女たちは一体何なんだ!?
彼らは知らなかった。
3日前、火消坂という名の青年が月に向けてスキルを使った直後、このようなできごとがあったということを。
「兵士の1人が『く、くらえ!』と叫び、手から炎を放つが、人型の何かにはまるで効いていない」
魔炎がまるで効かなかった人型の何かは、火消坂を助けに飛んで来たメーレムという名のゴーレムであった。
そして、今、目の前にいる少女達もまた、そのメーレムと同じタイプのゴーレムたちであったのだ。
そのことを彼らは知らなかった。
帝国兵達が呆然と固まっている間に、少女達はすばやく彼らに駆け寄る。
あっ、と彼らが気づいた時には、もう遅い。
少女達は兵達を軽くトンと押す。
「はぐあっ!」
「ほぎゅごおっ!」
「ぐぎゃはっ!」
兵達は全員、あっけなく吹っ飛び、気絶した。
殺されなかったのは、べつだん慈悲によるものではなく、火消坂が自分の目的を達成するためであるのだが、彼らはそんなことは知らない。
帝国兵達が意識を失ったのを確認すると、少女達は残りの帝国兵らを狩るべく、動き始めた。