番外編その2
森の中を一人の少女が進んでいく。
彼女の名前はマリー。訳あって家族と共に移住するべく故郷を離れたのだが、この森を抜けようとする途中で運悪く家族と離れ離れになってしまい、一人で森を彷徨うはめになったのだ。
「うぅ……」
日の沈みかけた森は薄気味悪く、強い恐怖がマリーを襲い目が滲む。それでもなんとか歩き続けた彼女だったが、ついに我慢の限界に達し、涙がこぼれて止まらなくなった。
「ひっく、ぐす……うぇ……うっう……うぅ、お、おかあさん」
家族は今どこにいるのだろう、いつ会えるんだろう、もしかしてこのままもう二度と会えないんじゃないか、自分はずっと森を彷徨うことになるだろうか。
考えれば考えるほど不安は大きくなって、声も抑えられなくなる。
「お、おと、さん……うぐ、おにぃちゃん……うあ、ああっ」
太陽は沈みあたりはすっかり暗くなってしまった後もマリーは泣き止むことができなかった。それどころか、その泣き声はますます大きくなっていた。夜の森は危険だ。いつどこに猛獣がいるのかわからない。だから、彼女も本来なら早くどこかに身を隠すべきなのだがマリーにはそんなこと考える余裕すらなかった。
追い寄せる不安と恐怖に身を任せ、より一層大きな声をあげようとしたその時。
「ねえ、どうしたの?」
マリーは驚いて振り向いた。そこにいたのは一組の男女でだった。女の人はマリーに優しそうな顔で微笑みかけ、男の人は無表情で見つめている。家族と離れてから初めて会った人である。
一瞬止まった涙が、今度は安堵の涙としてこみ上げた。
「あ、わ、わだ、わだじっ」
「ああ、泣かないで。ほら、もう大丈夫だから」
どんどん溢れる涙を女性は丁寧に拭う。
それからしばらくしてようやく落ち着いたマリーは彼女たちに事情を話した。家族と別の土地に途中だったこと、その家族と離れ離れになってしまい一人でとても怖かったこと、つっかえつっかえで支離滅裂になりながらも必死に伝える。
女性はマリーに同情の眼差しを向けると、近くの村まで一緒に行こうと誘い、マリーはそれに一も二もなく頷く。そうしてマリーはスズカと名乗った女性の手を取り、ロイドという男性と共に森を進むこととなった。
「マリーちゃん大丈夫?疲れてない?」
「ううん、平気」
「そう、マリーちゃんは強い子だね」
その言葉になんだか照れくさくなったマリーがふとスズカの方を見るとあるものを見つけた。
「ねえ、お姉ちゃん。それは何?」
スズカが腰から下げている先端に宝石がついた杖のようなもの。武器にしては細くて頼りなく、飾りにしては少々大きすぎるように思える。
「ああ、これはね魔法の杖で、魔術を使うときに使うんだよ」
「魔術?お姉さんは貴族なの!?」
マリーは驚きの声を上げるが、スズカはそれを笑って否定する。
「違う違う。私は確かに魔術が使えるけど、貴族じゃないよ」
「貴族じゃない?」
マリーは驚いた。彼女の常識では魔術が使えるのは貴族だけなのだ。混乱するマリーにスズカはさらなる追い打ちを掛ける。
「外の世界ではもう皆が知ってる技術なんだけど、この杖を使えば誰だって魔術が使えるだ」
「え?本当!?」
信じられなかった。マリーは魔術とは選ばれた者にしか使えない特別な力だとずっと教えられてきたからだ。
「そうだよ。ほら、ここに綺麗な宝石がくっついているでしょう?これは魔晶石っていって、魔力を貯めることができる特別な石なの。これがあれば魔力が少ない人でも魔晶石に魔力を貯めておけば魔術が使えるようになるんだよ。しかも杖として加工されているものは魔術発動の補助もしてくれるから呪文も簡略化されて、すぐ発動できるんだ」
「そうなの!?すごい!」
なにかやって見せて欲しいとせがむマリーにスズカは了承すると、杖を持つ。それから小さな声で何かを唱えると杖の先端から小さな炎がポッと現れた。それはゆらりと揺らめいて突然消えたかと思えばぱっと現れてくるくる回った。
それはマリーが今まで見てきたどんなものよりも幻想的で美しい光景だった。
「すごい……」
思わず感嘆の声を漏らすと、スズカはふふんと得意気に笑う。
「こう見えてお姉さんは魔術が得意なんだよ」
「ねえねえ、もっと見せて!」
「いいよ、それじゃあ」
「二人とも」
スズカがまた杖を構えようすると、ロイドが声をかけた。マリーが彼の声を聞いたのはこれが初めてだ。
「もう今日は遅い。ここで休もう」
その声はとても平坦で、マリーは彼が怒っているのだと思い、こっそりとスズカに伺いを立てると彼女は笑いながら否定する。
「違う違う。ロイドさんはいつもあんな感じだから、別に怒ってないよ」
そうは言われてもにわかには信じがたく、マリーはなるべくロイドと距離を取るように野営の準備を手伝った。
「マリーちゃん、寒くない?」
「ううん、平気」
一枚の毛布に包まってマリーとスズカは身を寄せ合い、ロイドはそんな二人の様子を焚き火を挟んだ場所から見守っている。先ほどの光景が忘れられないマリーはあれこれとスズカに質問し、スズカもそれに一つ一つ答えていった。やがて二人の話題は故郷のことに移る。
「へえ、お姉さんはずっと遠い国から来たんだ」
「そうなんだ。マリーちゃんのふるさとってどういうところ?」
「うーん、普通の田舎だよ。畑ばっかりでなんにもない……でも、いいところだったよ」
マリーの脳裏に生まれ育った故郷の情景が浮かぶ。言葉通り、畑と家畜と自然以外何もない村だった。
けれど、村人は皆いい人達で、近くの山々には毎年沢山の幸が実り、それを使って母親が作ってくれるきのこのシチューはとても美味しかった。でも、もうあそこへ帰ることはできない。
「本当はね、離れたくなんてなかった……でも、お父さんたちはもうここでは暮らしていけないからって……結界が、なくなっちゃったからって」
それはマリーが生まれるずっと前から、聞くところによると村一番長生きしているおじいちゃんが生まれた時にはすでに張られていたものだったらしい。それのおかげでマリーたちは平和に暮らしていた。
しかし、その平和は突然に崩れた。
村の木こりが山で見たこともない魔物に襲われたのだ。なんとか命からがら逃げ延びた彼の報せを受け、村の男たちは総出で魔物退治に向かったのだが全員、生きて帰るのがやっとだった。
これは極稀に現れる突然変異種に違いないと考えた村人たちは騎士団に救援を求めたが、そこには他にも多くの人々が殺到していた。
当初は何が起きているのか誰にもわからなかったが、その後、結界の力が弱まって外にいる強力な魔物が入り込んでいるのだと判明したのだ。なんとかこの魔物たちを追い返そうとしたものの、彼らにとっては今まで出会ったこともない未知の存在。手に負える相手ではなかった。
そうしてマリーの家族を始め、多くの人々が長年暮らしていた故郷を離れまだ魔物の被害の少ない土地に身を移さざるを得なくなったのだ。
「どうして結界はなくなってしまったのかな……」
「それは、多分……老朽化が原因だと思う。結界を張っていた装置はもう何百年も前のものだし、壊れてしまっても不思議じゃない……」
「……そうなんだ」
「ねえ、マリーちゃん。貴族の人たちは?彼らは何かした?国の一大事なんだから、彼らだって人事じゃないはず……」
「貴族の人たち?……そういえば騎士の人が貴族は王都から出てこないって言ってた」
「……そう」
スズカは小さな溜息をついた。どうしたのだろうとマリーが不思議に思っていると思わぬところから声がかかる。
「マリー」
「え、あ、はいっ」
ロイドから声をかけられるとは思っていなかったマリーは思わず大きな反応を返してしまう。しかしロイドは特に気分を害した様子もなく淡々と言った。
「……今は辛いかもしれないが、耐えるんだ。生きていればいつか帰れる」
「あっ、ありがとうございますっ」
「……いや」
告げられた言葉があまりにも意外で呆けるマリーにスズカはそっと耳打ちする。
「ね?結構優しい人でしょう?」
スズカの言葉にマリーが頷こうとしたその時、突然何かの唸り声が辺りに響いた。ロイドは即座に立ち上がって抜刀し、スズカはマリーを庇う体勢になる。周囲を見渡せば、森の木々の向こうから赤い光が見える。のそりのそりと巨体を揺らしながら現れたのは熊だった。しかもただの熊ではない。その毛は青黒く、額に大きな目玉がついている。さらにその後ろからもう二頭姿を現した。
「スズカ!」
「はい!」
ロイドは一番前にいる熊に斬りかかり、スズカは呪文を唱え、火の玉を複数生み出した。先ほどマリーに見せた小さなものとは違って人の拳ほどの大きさがあるそれは、猛スピードで熊たちに向かっていく。突然の出来事に驚き、後方の熊は逃げ出そうとするが、火の玉が回り込んで止める。その隙にスズカは矢の形をした氷を幾つも生み出し、熊を攻撃する。
一方のロイドは一度は熊に斬撃を弾かれたものの、熊が火の玉に驚いてできた隙をついて攻撃し、仕留めた。
残った二頭の内、一頭は氷の矢で撃ちぬかれ、もう一頭も満身創痍である。しかし、その目には生への渇望が燃え上がりやすやすと討たれてくれそうにない。手負いの獣の恐ろしさを知るロイドは剣を構え直した。
両者一歩も動かず、睨み合いを続けたが怪我の痛みか、出血によるものか、熊の体がふらりと小さく揺れる。その僅かな隙を見逃さず、ロイドは動き、熊もすぐそれに反応すした。
勝負は一瞬でついた。マリーの目では何が起こったのかわからなかったが、倒れたのは熊の方であった。
「ロイドさん!」
熊が絶命してるのを確認して剣を収めるロイドにスズカが駆け寄る。
「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
「ああ。お前たちの方は大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「なら、よかった……」
マリーは今、目の前起こったことが信じられなかった。普通の熊を退治することすら命がけなのに、それをこの二人はあんな凶暴そうな魔物の熊を三頭もあっという間にやっつけてしまったのだ。まるでおとぎ話の出来事みたいだった。
(外の世界にはこんなすごい人がいるんだ……!)
特にスズカの魔術が頭からはなれない。
(いつか、私もあんなふうに魔術を使いたい!)
それは故郷を出てからずっと曇ったままであったマリーの心に宿った小さな光だった。
翌日、森を抜けたところにある近くの村でマリーの家族と無事再会することができた。そして涙を流し抱き合うマリー達にスズカ達はあともう少しの辛抱だと告げる。きっと外の世界からの救援がくるから、それまで少しだけ我慢してほしいと。
マリーの家族からするとにわかには信じがたい話だったが、マリーはその言葉を信じた。そしてある約束をして二人と別れた。
「早く隣国の騎士団が到着してくれるといいんですけど」
「ああ、そうだな……あいつに会うのは嫌だが」
「ふふふ、ロイドさんってあそこの騎士団長のこと苦手ですもんね」
「……あいつはいちいち絡んできてしつこいんだ」
「あの人、ロイドさんのことライバル視してますから」
「……はあ」
「そういえば、国民の人達は救助されるとしてこの国の政治とかはどうなるんですか?」
「まあ隣国に統合されるだろうな。幸い、あそこの王は高潔で聡明な方だ。悪いようにはしないだろう」
「……貴族の人達もそこの貴族になったりするんですか?」
「それはない。連中はすでに為政者としての役割を放棄している……平民と同じ身分にされるぐらいだろう……連中がそれに耐えられるかどうかはわからないが」
「そうですか」
「ところで、さっきあの子と何か話していたが何を話したんだ?」
「ああ、あれはですね。驚かないでくださいね?」
「ん?」
「私、もしかしたらとっても可愛い弟子ができるかもしれません」
剣聖・ロイドとその妻である大魔術師・スズカ。
彼らの残した逸話は多い。ジュデルビリア国初の女王・ヒルダデルタが政敵から陥れられそうになった際に彼女を助けた話や、世界一周を初めて成功させた冒険家・ロビンと共に遺跡探索を行ったり、後に賢王と呼ばれる王子・フリートが連れ去られた時、彼を救出するべくロイドの生涯のライバルであるロナロス国騎士団長・ライオネルとの共闘などが有名だろう。それからもう一つ、スズカの愛弟子・マリーの話も忘れてはならない。
師であるスズカとは違い、魔力の乏しかった彼女はそれでも師のような偉大な魔術になろうと弛まぬ努力と周囲の助力を得て、やがて新たな魔術をいくつも生み出しその名を轟かせた。
その後、ロイドとスズカの子供の師となりその子たちが独り立ちすると、学校を創立し教鞭をとる。これが多くの名だたる魔術師を輩出するベルニカ学園の始まりである。
このようにロイドとスズカが人々に与えた影響は大きく、今なお多くの人から慕われている存在である。
ちなみに二人は引退した後、人里から離れた山に小さな一軒家を建て、そこでのんびりとした余生を過ごしたらしい。
大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした
巻き込まれ少女の幸福、これにて終わりです
評価してくださった方、ブックマークしてくださった方、本当にありがとうございました