第13話 Rotary
いつだったか、たった1人の大事な人に愛される将来を想像したことがある。
母親からの期待。父親からの同情。他人と比べて、勝手に感じていた劣等感。
馬鹿にしていたのは、私の方だ。
周りはみんな馬鹿で、自分だけはそうじゃないと心の中で思っていた。
プライドの高さは、母親譲り。
だから寂しいくせに、誰も踏み込ませようとしなかった。
自分が寂しいときにだけ寄り添ってくれる人が欲しい。たまに叱って、たまに甘やかしてくれる、自分を見てくれる人が欲しい。
本当は甘えたいのに、それを口には出せなかった。
たぶん、あの頃にはもう好きだったのだ。
気づいたときには、鉄矢を好きになってしまっていた。
無条件に優しくしてくれて、私を真っ直ぐ見てくれたから。
鉄矢を守りたいと、一瞬でも思っていた。
「触らないで……」
地べたに座って泣きじゃくる私の腕を、誰かが強く引いた。
「馬鹿が」
冷たく浴びせられた言葉には、不思議な温かさがあった。
やめて。
見ないで。
触らないで。
「見るな……っ」
リュウは私を抱え上げ、そのままロータリーを抜け出した。私の顔を隠すように、自分の肩へ押し付ける。
「誰も見てねぇ」
ぼそりと呟かれた言葉に、嗚咽が止まらなくなった。
ロータリーの外れに停めていた車まで来ると、リュウは助手席のドアを開けた。
座席へ下ろされ、私は乱暴に涙を拭う。
後ろめたいことをしたとは思っていない。
久住は私の謝罪に返事をした。関係は、あのとき終わったはずだ。
だからロータリーにいようがいまいが、私の勝手なのに。
煙草に火をつけたリュウは窓を開け、煙を外へ吐き出す。
その行動の1つ1つにびくついてしまう自分が嫌だった。
怒られる。
そう思った。
後ろめたいことなんてない。
それなのに、リュウに叱られるような気がした。
「お前、何が気に入らねぇの? 久住のやってたことか? それとも何だ。ロータリーが家にでもなってんのか」
リュウが煙草をくゆらせながら口にした問いは、少しだけ予想外だった。
聞かれるとは思っていなかった。面倒だと愚痴られ、そのまま叱られるものだと思っていたから。
「気に入らないのは……自分。受け入れられない自分が、嫌」
「そりゃ俺にはどうにもできねぇな。自分の感情は自分で何とかしろ」
「何とかならない。変わらないの」
「変わらないって決め付けて、それで満足か」
澄んだ真っ直ぐな瞳が、わがままな私を貫く。
そんなこと、リュウなんかに言われたくない。
そう思って、はっとした。
私がリュウを下に見る理由は、何だろう。
年下だから? 作業着を着ているから?
手のひらが黒く汚れているから?
自分は、何もできていないのに。
正論だった。
リュウの言葉は正しく、力強い。
いつも見て見ぬふりをして問題をすり抜ける、ずるい私とは大違いだった。
相手のためになると思った言葉を、リュウは真っ直ぐ吐き出している。
それが、余計に私を卑屈にさせた。
「私はリュウとは違う」
「どこがだよ」
「……全部。すぐ卑屈になるし、自分がつらいときだけ誰かにそばにいてほしいし、面倒なことには関わりたくなくて、ずっと避けてきたし」
人のために何かをしたことがなかった。
誰かのために必死になるのは、怖かった。
人のために動くことさえ、どこか上から目線で、自分のプライドの高さを見せつける行為のように思えていた。
私は違う。
母親とは違う。
きっと、そう思いたかっただけだ。
「でも、なんかもう、どうしていいか分からなくなった……」
考えれば考えるほど、悪い方向へ進んでいく。
鉄矢との出会いも、ハシバミツルとの出会いも、久住との出会いも。
どの出会いも最後には苦しさへつながって、次も同じになることが怖かった。
「テメェがテメェで思ってるほど、難しくはねぇだろうな」
「……難しいから悩んでるのに?」
「悩むから間違えんだろうが。悩むのやめて、やりたいようにやりゃあいい」
強いから、そう言える。
リュウは1人でいることを寂しいと思わないから、きっとそんなことが言える。
「私は運が悪いのかな。それとも、見る目がないのかな」
好きになれる。
そう思った。
違う。
好きになっていた。
恋へ進む前に、私は相手を見定めようとして――鉄矢も久住も、自分から除外した。
なんて酷い女だろう。
どれだけ醜い感情を、私は抱えているんだろう。
張り詰めていたものが、するするとほどけていく。
やっと、自覚した。
私はお母さんに似ている。
潔癖で、諍いを避け、傷つかない幸せだけを選ぼうとしている。
「リュウ、私……私ね」
馬鹿かもしれない。
ううん。きっと馬鹿なんだ。
「恋に落ちるのは、下手くそみたい」
恋は、するものではなく落ちるもの。
だけど私は、それがとても下手みたいで。
「――お前みてぇな女にこそ、アイツがよかったんだろうな」
「え?」
「久住はお前を落としてやれる。上手く扱えんじゃねぇか?」
でもな、とリュウは続ける。
煙草の吸い殻を灰皿へ捨てた。
「どうもお前の中じゃ、久住は認められねぇらしい。必要なのは最低限、きれいな過去だけなんだろうが」
ぴたりと言い当てられても、驚きはしなかった。リュウは不思議なほど淡々と言葉を吐き出す。
「運が悪ぃのは、あながち間違っちゃいねぇ。それに惹かれた理由も分かる」
「惹かれた、理由?」
「お前は自分と似たような奴にばっか寄っていく」
鉄矢も、久住も、ハシバミツルも。
何か共通点があるとしたら、それはきっと――。
「孤独って言葉は便利だよなぁ? 使えばいつでも、1人になったような気になれる」
その言い方は、明らかに私を嘲っていた。
見下すように、馬鹿にするように、リュウは笑う。
「勘違いすんじゃねぇ。恋愛なんて誰がどこで始めようが、本質に変わりはねぇ」
髪を掴まれ、少し痛かった。
リュウは私を自分の方へ引き寄せる。
「何も考えねぇで俺にしとけ。悩んでふらつくくらいなら、いっそ何も考えんな」
唇が触れた。
そこに優しい愛情があるようには思えない。
それでも、リュウの言葉には妙な熱があった。
「俺の視界でチョロチョロすんな。うざってぇ」
「してないし」
「してんだよ。充にまんまと嵌められた」
「……嵌められた?」
「何でもねぇ」
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まずは、どこから話そうか。
リュウと私の関係がどうなったか。
それとも、久住と鉄矢がどうなったか。
たくさん話したいことも、たくさん押し殺してきた想いも、やっぱり胸の中には残っている。
リュウが私を迎えに来た日。
本人はたまたま通りかかったと言い張っているけれど、あの日を境にロータリーは取り締まりが強化された。
並ぶ車は警告を受け、若い男女は次々に補導されていった。
急に決まったわけではなく、実はもっと前から予定されていたことらしい。
それを知らなかった私は、かりそめとはいえ、居場所を失うことになっていた。
最近になって私が過去を振り返ったのは、リュウとの出会いそのものが、あまりにも印象の薄い始まりだったからだ。
鉄矢や久住と過ごした時間の方が、ずっと強く記憶に残っている。
だけど、これは忘れない。
忘れたくない記録だった。
「テメェが行かねぇなら俺が行く。あの女が行く場所なんざ、ロータリーくらいしかねぇだろうが」
面倒臭ぇ、と悪態をつきながら、リュウは車の鍵を握り締めた。
「俺が貰う。文句はねぇだろ? あっても聞く気はねぇけどな」
そう言って久住を振り返る。
偉そうで、意思が強くて、マイナスなんて縁遠いほどに、リュウは心底意地悪そうに久住へ笑ってみせた。
私を迎えに来る少し前。
久住の店で撮られたその動画は、リュウには決して見つからないよう、今も私がひっそり隠している。
その記録をくれたハシバミツルは、後に私を見てこう言った。
「まぁ、実際のところさぁ、アレはキミのためじゃなくて、リュウのための紹介だったんだよねぇ」
リュウは言葉を撤回しない。
私を悩ませる隙を与えず、強引に先へ進んでいく。
まだこれが恋愛だと思えているわけではない。
それでも、こんな出会いも始まりも、きっと悪くはない。
「行きたくなったら行きゃあいいだろ。ただし、俺はお前のことを是が非でも連れて帰る」
もう行けなくなると知っていて。
ロータリーが規制されることも知っていて。
そのうえで、リュウは私にそう言った。
だから、それを信じてついていくのが、私の幸せなのかもしれない。
たまに叱って、たまに触れて。
たまに構って、たまに放って。
不安にはさせないで。
だけど、安心し過ぎるのも私には怖いから。
――面倒臭ぇ女だな。
そう言いながらも手を引く彼を、私はいつか好きになる。




