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第十三話

 松さんは私が物心ついた時から祖父の会社で働いている人だ。

 

 大のお酒付きで、素面の時ですらいつも赤ら顔。同じく酒好きの祖父とは気が合うのか、しょっちゅう飲みに行っては、夜遅くに酔い潰れて一緒に帰ってくるような、そんな人だった。


 強面だが気のいい人で、私は松さんが好きだった。


 いつも、勝、勝、と私のことを気にかけてくれた松さん。そんな松さんが父の死に関わっているなんて考えたくなかった。


 だからこそ確かめなければならない。松さんが父の死に関わっているのか、どこまで関わっているのか。


 いや、ひょっとしたら。


 父の死に関わっているなんて曖昧なものではなく、父を殺したのは松さんではないのか。


 そんなことどうやって確かめるのか、もし本当に父の死に関わっていたとして、私はどうしたいのか。


 何も決まっていないまま、私は松さんと対峙した。


「松さん」

「ん、おう。勝」


 ちょうど除雪が終わり、帰ろうとしている頃合いだ。都合のいいことに松さん1人だった。


「ここんとこ毎日だね」

「そうやな。ずっと雪降りっぱなしやから、どんだけ除雪しても追いつかんわ。勝、手伝ってくれや」


 いつもと同じような冗談を言ってくる。


 さて、どうしたものか。松さんがお父さんを殺したのか。なんて聞けるわけもない。


「どうした、勝」


 話の切り出し方がわからず黙り込んでいると、松さんが怪訝な表情を浮かべた。


「松さん」

「ん」

「お父さんって、昔じいちゃんの会社で働いてたんだよね」

「そや」

「どんな人だったの」


 咄嗟に口にしたのは、以前から知りたいと思っていたことだった。私の質問を受けて、松さんは困った表情を浮かべる。


「どんな人って、なんでや」

「だって僕、働いているお父さんのこと知らないし」


 父が働いているところを直接見たことがない。私が知っているのは、汚れた格好で帰ってくる疲れた表情の父だけだ。


「なんでじいちゃんの会社で働いてたの。仲悪いのに」

「それは」


 戸惑い、口籠もる松さん。


「なんでそんなこと知りたいんや」


 質問には答えず、聞き返してきた。その表情はあからさまにこの質問への回答を避けたがっているように見えた。


「だって、僕知らなんだもん。お父さんのこと何も」 


 私は父のことを何も知らない。


 先日父と遊びに出かけたことで、父の過去に少しだけ触れる機会があったが、そのせいで余計に父のことを知りたいと言う思いが強くなった。


「他に聞ける人がいないんだ」


 父と仲の悪かった祖父に聞いても答えてくれないだろう。祖母に父の話題を出すと悲しませる。


 そして当然、父から聞くことはもうできない。


「お願いだよ。お父さんのこと知りたいんだ」


 懇願する。


 本来、松さんが父の死に関わっていないか確かめるための、会話の糸口を必死になって考えた結果の質問だ。しかし、父のことを知りたいのは紛れもない本心で、私はつい当初の目的から外れる質問に夢中になった。


 まっすぐ松さんを見据える。


 松さんは口元をへの字に結んでいたが、やがて観念したようにため息をついた。


「あんま気分のええ話やないぞ」

「わかってる」


 それぐらいはとっくに覚悟している


「俺から聞いたって、社長には言わんでくれよ」

「うん。約束する」


 松さんは話し始めた。


「俺がこの会社に入ったのは、英がまた中学生の時や。その時からあいつはエラいグレとった。父親も母親もええ人やのに、何が不満なんか知らんがしょっちゅう喧嘩しとった」

「じいちゃんと」

「そや。あの人も昔は結構血の気の多い人やった」


 どこか遠い目をする。


「高校に入ればちょっとは落ち着くかと思ったんやが、全然やったわ。社長と殴り合いになったこともあってな、俺らで必死に止めに入ったんやが。本当、あの時は酷い目にあったわ」


 松さんは苦笑した。


「で、高校卒業しても進学も就職もせんと、毎日毎日ふらふらしとった。当然社長がそのことに怒って、また喧嘩。殴り合いに巻き込まれた回数なんて数えきれんほどや」


 そう言いながら顎の辺りをさする。おそらく過去にそのあたりに手痛い一撃をくらったに違いない。父と祖父、どちらにやられたのかはわからないが。


「そんなやったのに、ある時英が社長に『会社で働かせてくれ』って土下座で頼み込んできたんや。なんやなんやと思って話聞いたら『付き合ってる彼女が妊娠した』なんて言い出したんや」

「え、それって」

「そや。あいつ、お前が産まれるから改心しよったんや」


 松さんはクツクツと笑った。  


「それまでのあいつを知ってる俺らは全員半信半疑やった。ほんまにこいつまともになったんか、ってな。でもな、いざ働き始めたら真面目も真面目。身重の嫁さん養うため仕事覚えようと必死やったわ」


 松さんは嬉しそうだった。


「英がクソガキだった頃知ってる俺らはもう面白くてしょうがなかったわ。あいつ、仕事の間は俺らに慣れん敬語使ってきよったんやぞ。あんまり可愛らしいもんやで酒やらタバコやらよお奢ってやってな、何回も酔いつぶしてやったわ。ああ、いや。タバコは結局吸えるようならんかったな」


 私は意外に思って、父と出かけた時のことを話す。


「お父さん、タバコ吸ってたよ」


 そう言うと、松さんは驚いたような表情を浮かべる。


「そうか。俺の知らん間に吸えるようなったんかあいつ」


 そして目を細めた。


「お前が産まれてから飲みの場でよく言っとったわ。子供と何を話せばいいのか、どう遊んでやったらいいかわからんって。子育ての方法がよくわからんくて、嫁さんに任せっぱなしで申し訳ないって」

「お父さんがそんなこと」


 父がまだ家にいた時、私は父に避けられているように感じていた。


「僕、お父さんに嫌われてるかと」

「そんなわけない。ただあいつが不器用だっただけや」


 思い出す。私が近づこうとすると顔を顰める父を。話しかけても言葉少なく無愛想な返事しか返さない父を。


 あれは私のことを迷惑に思っていたのではなく、ただ接し方がわからなかっただけだったのか。


 私は初めて知った事実に唖然とする。


「なんもかもうまくいくと思ってたんやけどな」


 松さんはため息をついた。


「本当やったら今頃あいつが社長で、俺が副社長として支えるとるはずやった。社長も跡取りにはもう困らん。俺は引退してゆっくりするって言ってたんやけどな」


 そう。結局、そんな風にうまくいかなかった。


「お前の母ちゃん死んで、全部あかんくなった」


 松さんはくらい表情で、ポツリとつぶやく。


 母は元々病気がちで、体の弱い人だったらしい。母が入院してから亡くなるまであっという間だった。


 お見舞いに行くたびに、どんどん痩せていった母の姿を覚えている。 


「ええ子やった。あのクソガキが真面目に働くようなったのも頷ける明るい子やった。どうやってあんなええ子捕まえたんか、今でも不思議なくらいや」


 松さんの言う通り母は明るい人で、記憶の中の母はいつも笑顔だった。


 いつも不機嫌そうな顔をしていた父も、母といる時は笑顔を見せていた。


「あの子が死んだ時の英の落ち込みようったら、見てられんかったわ」


 その時の父は、私もよく知っている。無気力で、ただ虚空をぼんやりと見つめる毎日。


 祖父母の言葉にも生返事で、反応はどこまでも鈍い。


 かろうじて生きているだけ、と言った様相だった。


「今まで必死こいて働いてきた反動もあったんやろうな。嫁さん死んで、心の中の大事なもんがポッキリと折れたみたいやった」


 松さんは悲しげに目を伏せた。


「時間が経っても英はもうまともに働けんかった。それどころか自分の人生捨てようとしてるみたいに酒ばっか飲んで、酔い潰れて。ひどい有様やったけど、俺らはなんて声かけたらいいかわからんかった。あんまりに痛々しくてな。でも、社長はそんな英が許せんかったらしい」

「じいちゃんが」

「お前、勝彦ほったらかしにして何しとるんや。それでも父親か。ってな。えらい厳しいことも言っとった。なんとか英に立ち直ってもらおうと必死やったんやろうな。でも、そんな説教あいつには逆効果やった。放っておいてくれ。勝彦のことなんか知るか。なんて言いよった」


 勝彦のことなんか知るか。


 それがやけっぱちになった父の捨て台詞だとわかっていたが、私にはショックが大きかった。


「それ聞いた社長は激怒しとった。嫁さん亡くしていくら落ち込んでいようが、息子のこと蔑ろにする父親があるかって。それからはもう、わかるやろ。お互い殴り合いや。2人とも現場で鍛えられとるから殺し合いになるかと思ったわ。で、それを最後に英は家を出たんや」

「じいちゃんとお父さんが殴り合ったなんて」


 そんなこと知らなかった。


 だから祖父は父との過去を語ろうとしなかったのか。


「僕のせいで、2人は喧嘩したんだ」


 2人の争いの原因は間違いなく私だ。私の存在が、2人の間に決定的な溝を作ったのだ。松さんの話を聞いて私はそう思った。


 しかし、松さんは首を横に振る。


「違う違う。お前はなんも悪くない。悪いのは英と、そうやな社長も悪いな」


 松さんはそう否定する。


「社長の言うとおり、自分がいくら悲しくても英はもう父親なんや。母親亡くして一番寂しい思いしてるのは息子なんやから、ちゃんと父親として勝のこと考えたらなあかんかった」 


 松さんは続ける。


「そんで社長も社長や。あの人は昔気質と言うか、頑固なとこあるからな。いくら正論でも言い方っちゅうもんがある。もっとあいつに寄り添ってあげとったら、あんな反発されることもなかったやろうに」


 もう今更どうしようもないけどな、と松さんはため息をつきながらつぶやく。


「本当言うと、いつか立ち直ったあいつが戻ってくるやないかって待っとった。社長の後次いでくれるんやないかって。それがまさか、まさか、あんなんなるなんて」


 松さんの声に嗚咽が混じる。微かにだが目元に涙が見えた。


 私はそんな松さんを見ると、どうしても松さんが父の死に関わっているようには見えなかった。


 だからこそ、私は真相を確かめるために松さんに問いかけた。


「松さん、休憩所っていつも鍵をかけてないんだよね」


 私の質問に松さんは困惑した表情を浮かべる。


「なんや急に」

「警察にそう言ったんでしょ」


 松さんは頷く。


「そや。あんなとこ誰も入らんし、鍵なんかかけるとうちの作業員が休みたい時いちいち俺が鍵開けに行かなあかんからな」


 松さんはそう言う。しかし私は、松さんの声がどこか強張っているように感じた。


「前にさ、小屋が使えなくなったから休憩所で遊ぼうとしたことがあったんだ。その時、鍵がかかっていて中に入れなかったんだよね」


 松さんの表情がはっきりと固まった。


「松さん。本当に普段休憩所は鍵をかけてないの」

「それはーー」

「鍵はかかっていたよ。絶対に僕の勘違いじゃない」


 松さんをじっと見つめる。この人の一挙一足を絶対に見逃すまいと思った。


 松さんは私から目を逸らし、苦虫を噛み潰した表情で黙り込んだ。


 しばらくして、観念したように松さんは弱々しく語り出す。


「勝の言う通りや。本当は休憩所に鍵かけてる」


 認めた。


 松さんの嘘を暴いたが、そのことに気分が高揚することなんてなかった。もしかして、という不安が押し寄せ、私の体も小さく震える。


「元々は本当に鍵をかけとらんかった。けど何年か前に、近所の認知症の婆さんが入り込むようなったから鍵をかけるようになったんや」


 松さんは一言一言確かめるよう、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「あの日。火事が起こった日の前の晩に、英信が俺んとこ来たんや」

「お父さんが」

「そや。それで、今晩だけ休憩所の鍵を貸してくれって頼まれた」

「鍵を貸したの」

「いや。俺の鍵は貸しとらん。実は合鍵があるんや。さっきも言った通り、鍵かけてると、俺がおらん時に休憩所を使えんからな。だから休憩所の近くの、灯油やらなんやら保管してる物置に合鍵を一個置いてあるから、それ勝手に使えって英信に言ったんや」


 眉間に皺を寄せながらそう言う。


「なんで、鍵をかけてるなんて嘘ついたの。合鍵のこと教えたって、警察に言えばよかったじゃん」

「それは、そんな、言えるわけないやろ」


 松さんは両手で顔を覆う。


「英はもう会社の人間やない。部外者に会社の休憩所勝手に貸して、そんで火事まで起こって死人が出たなんて、そんなん、言えるわけないやろ」


 心の底から後悔しているような松さんの声。私はこうやって真相を追求することに罪悪感を覚え始めてきた。


 しかし、途中で止めることはしなかった。


「お父さんが松さんのところに鍵を借りに来たのは何時ごろ」

「それは、よお覚えとらん。確か、夜遅かったとは思うが」

「他に誰か一緒じゃなかった」

「いや、車の中にはあいつ1人やったはずや」


 ひとまず、松さんに聞きたいことは聞けたはずだ。


「ありがとう松さん」

「勝。お前、こんなの調べてどうするつもりや」


 松さんは顔をあげ、私を少し睨むような目つきで見つめてきた。


「お父さんを殺した犯人を見つけるんだ」


 私はその目をまっすぐ見返しながらそう告げる。


 私の言葉を聞いた松さんは眉間に皺を寄せる。


「やめとけやそんなこと。もう英のことは忘れた方がええ」


 忘れろだって。

 

 父のことを忘れるなんて、できるわけがない。


 私は何も言わず、松さんの元を去った。

 

 

 

 松さんの話を聞いてすぐ、私は休憩所の焼け跡を訪れていた。


 休憩所から少しだけ離れた場所にある小さな物置。火はこの倉庫まで及ばなかったらしく、焼け跡一つついていなかった。


 物置に鍵はかかっていなかったが、引き戸の立て付けが悪く開けるのに苦労した。開けるとツンとくる油の香り。灯油の入ったポリタンクがいくつか並べられている。


 並べられたポリタンクの間に不自然な空きがある。私はそれが休憩所を焼くために使われたものだとわかった。


 鍵は壁に取り付けられたフックにかけられていた。松さんの言った通り、合鍵があった。少なくともそのことは嘘じゃなかった。


 私は松さんを疑い続けている自分に吐き気がする思いだった。

 

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