第十二話
翌日、私は再び先生の家を訪れていた。
先生は壁掛けの小さなホワイトボードを用意していた。ホワイトボードの隅には『牛乳、ポン酢、大根』と書かれていある。
そのことを指摘すると先生は苦笑いする。
「すみません、冷蔵庫のメモ書きに使っているものなので」
慌てたように文字を消した。
「さて、では事件について勝彦くんの知っていることを教えてくれますか」
「えっとね、火事が起きた前の日に、お父さんが車の中から声をかけてきてーー」
私は父と出かけた日に起きたことを先生に伝える。
父が祖父に私と出かけることを言ってあると嘘をついたこと。
車中での父との会話。
今何をしているのか聞こうとすると不機嫌になったこと。
コンビニに寄って買い物をしたこと。
コーヒーが飲めなかったこと。
競艇場で見たレースのこと。
父は賭けで負け続きだったこと。
タバコを吸いに行くと言って1時間も1人きりにさせられたこと。
私の選んだ数字が当たったこと。
焼き鳥屋に行ったこと。
できる限り詳細を伝えようとしたため、話し終えるまで随分とかかってしまった。
普段これほど長い間喋ることなどないため喉が痛くなったが、父との思い出を誰かと共有できることが思いのほか楽しく、私は夢中になって喋り続けた。
その間先生は言葉を挟むことなく、優しい表情で話を聞いてくれた。
そして、父が死んだ後の話。
全て警察から聞いた話だが、その内容を先生に伝える。
休憩所が燃え、その中から父の遺体が発見されたこと。
父の車も燃えていたこと。
その火事は放火であったこと。
休憩所からは別の人の遺体も発見されたこと。
その遺体の主は植村という男で、父は植村に借金があったこと。
父の死因は一酸化炭素中毒で、植村は絞殺であったこと。
植村がどうやってこの村に来たのかわかっていないこと。
「勝彦くん」
一通り話し終えたところで先生に肩をゆすられる。
「大丈夫かい」
気がつけば寒くもないのに体が震えていた。
「ごめん。私が無神経でした。やっぱりこんなことはやめましょう」
先生は心配そうな表情でそう提案してくる。しかし、私はやめるつもりは一切なかった。
「大丈夫です先生、大丈夫です」
先生の入れてくれた紅茶を一口飲む。すっかり冷めていたが、幾分落ち着くことができた。
「先生、今の情報で犯人わかるかな」
当然、この程度の情報で犯人がわかるはずもない。そんなことできるのならとっくの昔に警察が犯人を特定しているだろう。
先生もそのことは承知のはずだが、私の言葉を否定することなくホワイトボードに書き込みを始めた。
「いくつか疑問点があります」
なぜ放火なのか。
なぜ車も燃やしたのか。
なぜ植村はこの村にいたのか。
どうやって植村はこの村に来たのか。
なぜ植村は休憩所に英信さんと一緒にいたのか。
なぜ植村だけ絞殺だったのか。
「まず、なぜ放火なのか。勝彦くんのお父さんの死因は一酸化炭素中毒。殺害の手段としては確実性に欠けます。火事に気づいて逃げられる可能性もありますからね」
「刑事さんはお酒を飲んで寝ていたから逃げられなかったんじゃないかって言ってたよ」
「アルコールの耐性は人によって違います。一見深く眠っているように見えて、実は浅い睡眠かもしれない。そう考えるとなぜ犯人は放火という手段を選んだのか疑問が残ります」
「確かに」
「考えられる仮説はいくつか。一つ、勝彦くんのお父さんを殺害するつもりはなかった」
「殺害するつもりはなかったって、どういうこと」
「もし君のお父さんを殺害するつもりなら、植村と同じように首を絞めた方が確実ーー」
それまで澱みなく話していた先生が口をつぐみ、表情を歪めた。
「すみません勝彦くん。私はひどいことを言いました」
「先生、気にしないで。そんなんじゃ話が進まないよ。僕のことは一切遠慮しなくていいから」
父の死の真相を追求するために、私はどんなことでもする覚悟だった。このぐらいのことでいちいち話を止められていたんじゃたまらない。
「わかりました、勝彦くん。辛くなったら言ってください」
先生も覚悟を決めたように頷いた。
「先ほどの続きですが、勝彦くんのお父さんを殺害するなら、植村と同じように睡眠薬を飲ませて眠らせ、抵抗できない状態で首を絞める方が確実です」
恐ろしい考え方に身震いする。
「だから、お父さんを殺害するつもりはなかったって」
「そう。放火はお父さんを殺害するための手段ではなく、別の目的があって放火を行ったのではないか」
「別の目的って」
「例えばそうですね、殺害した植村に犯人につながる手がかりを残してしまい、証拠隠滅のために火を放った」
「お父さんは巻き込まれただけってことなの」
「あくまで可能性です。現時点では何の根拠もない妄想にすぎません」
父がただ巻き込まれただけだとすれば、そんなのあんまりだと思った。
「次になぜ車を燃やしたのか。これも何らかの証拠を隠滅するためだと考えれば辻褄が合います」
「お父さんの車に犯人につながる手がかりがあったってことなの」
「たとえば、犯人の毛髪、指紋。犯人がお父さんの車に乗ったことで残ったものを全て燃やして消し去った。これもただの妄想にすぎませんが」
先生は妄想と言うが、その推理は高確率で当たっているように思えた。
「そしてここが一番のポイントだと思いますが、なぜ植村はこの村に来たのか。どうやってこの村に来たのか」
「刑事さんは僕たちと一緒に来たって疑ってたけど」
もちろん、父の車に乗った植村なんて見ていない。そもそも借金をした相手を故郷に連れてくる意味がわからなかった。
「確か、植村の住まいは競艇場の近くだったとか」
「うん。刑事さんそう言ってたよ」
「そうですか」
先生は口に手を当てて黙り込む。私は先生が何を考えているのかわかった。
「やっぱり、お父さんが僕を競艇場に連れて行ってくれたのは、この事件と関係あるよね」
「勝彦くん。それはまだーー」
「先生、遠慮しなくていいって言ったよね。わかってるんだよ、お父さんが僕と一緒に出かけたのは、僕のためじゃないってことぐらい」
父が純粋に僕を思って遊びに連れて行ってくれるような人なら、そもそも僕を何年も放ったらかしにはしない。
出かけた先が借金の相手の家の近くだなんて、ただの偶然ではないだろう。おそらく父には何か明確な目的があって、私を連れ出したと考えるのが普通だ。
「お父さんは借金で困っていた。この事件に植村が絡んでいることを考えると、お父さんは借金をなんとかしようとしたんじゃないかな」
借金をなんとかするために、父が取った手段。
私はふと、恐ろしい考えが脳裏によぎった。なんの証拠も根拠もないおぞましい考え。
私はその考えを追い出そうと、頭を振った。
「勝彦くん、どうしたんだい」
「なんでもない」
こればっかりは口にするのも恐ろしかった。まだなんの証拠もない。そんな言い訳を自分にする。
「そうだ、実は警察の話で変なことがあったんだ」
誤魔化すように話題を変える。
「お父さんと植村が使ってた休憩所、じいちゃんの会社の松さんって人が鍵の管理をしてるんだけど、刑事さんの話だと、松さんは鍵はいつもかけてないって証言したんだって」
「確かに、この辺りの家は鍵をかけないことが多いですね。でも、それが何か」
「ついこの間、小屋が使えなくなって休憩所で遊べないかと思って見に行ったんだけど、その時は鍵がかかってたんだ」
私の話を聞いた先生は表情を険しいものへ変える。
「つまり、本来であれば2人に休憩所は使えなかったということですね」
「そうなんだ」
しかし実際に父と植村は休憩所の焼け跡で発見された。何かが食い違っている。そんな印象が拭えなかった。
先生は口に手を当て再び考え込んだ。
「いくつか、考えられる仮説があります」
やがてゆっくりと口を開いた。
「まず一つ。鍵がかかっていたのが、勝彦くんの勘違いだったという仮説」
思いがけない言葉に、私は目を丸くした。
「実は鍵がかかっていなくて、扉が何かに引っかかっていて開かなかった、とか」
「そんなことなかったよ」
あの時、なんとか扉を開けないものかと試行錯誤したのだ。そんな単純な話であれば悩んでいない。
「ならば別の仮説、勝彦くんが扉を開けようとした日だけ鍵がかかっていた」
「それはーー」
確かにその可能性はある。しかし、そうすると別の疑問が出てくる。
「松さんは、休憩所には普段鍵をかけていないって言ったんだよ。普段開けている扉の鍵をその日だけかけていた理由ってなんだろう」
考えるが答えが出ない。先生も明確な答えを持ち合わせていないらしく、別の仮説について言及した。
「次の仮説は、普段鍵はかかっていて松さんが嘘の証言をしたと言うもの」
「でもその場合、どうやってお父さんは休憩所に入ったんだろう」
「そうですね、例えば窓ガラスを割って中に侵入したとか」
「え、でも雪入ってきちゃうよ」
あの日はかなり吹雪いていたはずだ。極寒の空気が入りこむ状態で一晩過ごすのはかなり厳しい。
しかしその疑問を先生はあっさりと解消する。
「ガラスの割れたところを段ボールで補強すればいいんですよ。応急処置として十分ですし、結果的に休憩所が燃えてしまったことでその痕跡は残らない」
先生の言うとおりではあるが、それでまだ疑問は残る。先生もその疑問については承知の上らしく、私の言葉を待たず説明を行う。
「もちろん、ダンボールの補強程度で寒さの全てを防げるわけではありません。松さんが鍵をかけていないと嘘をついた理由も不明。なのでこの仮説の信憑性は低いと思います」
ここで先生は指を一本立てる。
「これが本命の仮説。休憩所は普段鍵がかかっている。だから勝彦くんのお父さんは、松さんから休憩所の鍵を借りたという可能性です」
私が考えもしなかった説だった。
「事件があったあの日。いえ、正確にはその前日の夜からひどい吹雪になっていました。私はこの冬で一番だと思いましたね。あの天候で車を走らせてこの村の外に出るのはかなり厳しかったでしょう」
確かにあの日は雪がひどく、風も強く吹いていた。ニュースではあの吹雪があと三日続いたら、回復した交通網がまたしても麻痺するだろうと騒いでいた。
「この村から出られない以上、どこかで宿を取る必要がありますが、ここらにはホテルなんかありませんからね。民宿なんかも飛び込みでは厳しいでしょう。そうなった時、思い至ったのがあの休憩所だったのではないでしょうか」
「だから松さんから鍵を借りた」
「ええ。聞けばお父さんはおじいさんの会社で働いていたことがあるとか」
「うん。松さんのことも知ってるみたいだった」
「なら、行く当てがなく困っている英信さんに松さんが救いの手を差し伸べるのも自然なことでしょう」
「じゃあなんで松さんはそのことを黙ってたの。わざわざ鍵は空いていたなんて警察に嘘をつくなんてさ」
「勝彦くん、松さんは善意とは言え、社長であるおじいさんに無断で鍵を貸したんです。それもおじいさんとは仲が悪い君のお父さんにね。その結果休憩所は放火され、2人の死者を出したとなれば、後ろめたさから咄嗟に嘘をつくのも仕方ないでしょう」
「そっか。そうだね」
先生の推理に矛盾はないように思う。
松さんの「鍵はいつもかけていない」という証言について、一番信憑性が高そうな考え方だろう。
しかし私は別の考え方を捨てきれない。
おそらく先生も気づいている。気づいた上で、私に気を遣って決して口にしない。
それは、松さんが父の死に関わっているという仮説。
お互いその仮説については知らないふりをしたまま、その日は先生の家を後にした。
この仮説は、私自身が確かめねばならない。




