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死ねない私は、竜王様に囚われる  作者: ゆきだるま


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空が割れた日



瑠璃を叩き砕いたような、澄んだ音が響いた。

春の国を覆う結界に、亀裂が走る。


本来、何もないはずの青空に、硝子めいたひびが幾重にも広がっていく。


次の瞬間――空が割れた。


暗雲が流れ込む。


白。


白。


白。


春の暖かな風を呑み込みながら、凍てついた嵐が国中へ雪を撒き散らした。


人々が逃げ惑う。街路に花びらのように雪が降り積もっていく。春の国ではあり得ない景色だった。


「結界が……!」


「うそだろ……!?」


「妖魔だ!!」


空を見上げた人々が、絶望に顔を引き攣らせる。空一面を覆い尽くすほどの異形。


巨大な翼。


幾つもの目。


黒い獣。


蛇のように長い影。


妖魔。


人外。


春の国では、絵本や伝承でしか語られない怪物たちが、空を埋め尽くしていた。


怪物たちは、ただ、逃げ惑う人間たちを嘲笑うかのように静かに旋回し、降りてくることはなかった。


まるで、いつでも喰い殺せる獲物を眺めるように。


 


王城では、怒号が飛び交っていた。


「状況を報告しろ!」


「術師団は何をしている!?」


「結界を張り直せ!!」


「無理です! 術式そのものが破壊されて――」


「怪我人は!?」


「クソッ!なぜあいつらは降りてこない!!」


混乱。恐怖。誰もが青ざめていた。


春の国を守る結界は絶対だった。人間の通行のみを許した、人間のための、人間を守るための結界。人外は侵入できない。妖魔も、獣人も、竜も。


だから人々は信じていたのだ。自分たちは安全なのだと。だがその神話が、たった今壊された。


「あの影は……冬の国の、竜王です……」


重臣の一人が、机に突っ伏し震える声を漏らした、その時。


ぞわり、と。王の間の空気が凍りついた。


誰かが来る。その場にいた全員が、凍りついたように動けなくなる。


次の瞬間には、全員が膝をついていた。立っていられない。呼吸が浅くなる。心臓を握り潰されるような圧迫感。


ギィィ、と王の間がゆっくりと、音を立てながら開く。


一人の男が現れた。長い漆黒の髪。頭上で高く結われた髪が、雪嵐みたいに揺れる。黒と白を基調とした衣。


人の形をしているだけの、何か。


絶対的上位存在。その瞬間、王の間にいた全員が悟った。この存在には、どう足掻いても敵わないと、本能が逃げろと警鐘を鳴らす。


その男は、血のような紅い瞳で、静かに周囲を見回した。紅い瞳が、膝から崩れ、震えることしかできない人間を捉える。ただ、それだけ。それだけで、何人かが吐いた。


「……我が名は冬竜王」


静かなのに、耳の奥へ直接流し込まれるような声。開け放たれた扉から、凍えるような風が王の間に吹き込む。


その名を知らないものはいない。その名を聞いただけで、絶望が身体を支配する。正真正銘、終わりを告げる怪物だ。


玉座に項垂れるように座り込んでいた国王が青ざめた唇を震わせながら問う。


「……何を望む」


傲慢なほどゆっくりと玉座の前に足を運んだ冬竜王が、薄く笑った。その唇からは、人外の証である鋭い牙が覗く。


「この国で一番の術師を寄越せ」


紅い瞳が、ぞくりとするほど残虐な光を帯びる。


「そうすれば、この国には手を出さないと誓おう」


誰も息を出来ない。国王が、乾いた喉を鳴らした。


「……断れば?」


冬竜王が嗤った。心底、くだらないものを見るように。


「結界の中で惰眠を貪っていたような奴らは、全部言われないと分からないか?」


その一言で、王の間から音が消えた。


取引でもなんでもない。ただの脅迫だ。選択肢など、最初から与えられていない。


空を埋め尽くす妖魔。


結界を一瞬で破壊した力。


春の国に、抗う術はない。


国王の額に汗の玉がいくつも浮かんでは、頬を伝い、顎先から冷たい大理石に落ちていく。


長い沈黙の末。震える声が落ちた。


「……雪那を、連れてこい」


 


しばらくして、兵士たちに囲まれ、一人の少女が王の間へ連れて来られる。


雪のような銀髪。一度も日に当たったことがないような白く薄い肌。


雪那は、恐怖そのもののような冬竜王の姿をその目に映して、立ち止まる。


後ろにいた屈強な兵士たちは、冬竜王に近付くだけで身体が恐怖に支配され、その場に跪く。


「この女か?」


冬竜王の視線が、雪那の透けるような銀髪へ落ちる。ほう、と。興味を持った獣みたいに目を細めた。


「治癒術式か」


その瞬間、雪那の肩が僅かに揺れた。


「しかも質が良い。随分丁寧に育てたらしい」


育てた。その言葉に、何人かが顔を顰める。まるで人ではなく、家畜に向ける言葉だった。だが誰も否定できなかった。


雪那は国の術師。春の国を維持するための道具。ずっとそう扱われてきたのだから。


「……雪那。お前には、国のために尽くしてもらう」


雪那は、ただ諦めたように静かに目を伏せた。拒絶はしない。泣きもしない。


それを見て、冬竜王が、クツクツと喉の奥で笑った。嫌な笑いだった。人の心を抉るためだけに存在するような声。


これで穏便に済む、と気を緩めかけていた全員へ向けて、冬竜王が言う。


「誰か、この女の代わりに俺の生贄になろうという奴はいないのか?」


静寂。誰も顔を上げない。兵士たちは息を殺し、貴族たちは視線を逸らし、術師たちは俯いたまま動かない。王ですら、口を閉ざしている。


「こんな年若い女を、お前たちは俺に差し出すのか?これで全てが片付くと?」


雪那は、それを見ていた。


……ああ。やっぱり。胸の奥が、ひどく冷えて、奥底にしまっていた感情が、微かに軋む。


自分は春の国の術師。国のための道具。必要だから生かされていただけ。

理解していたはずなのに、こんな風に真正面からと突きつけられると、苦しかった。


誰か一人くらい。せめて、迷ってくれる人くらいはいるのではないかと。今まで尽くしてきた国に、こんなに簡単に捨てられるのか。


冬竜王が、紅い瞳を楽しそうに揺らす。まるで人間の醜さを暴くのを、心から愉しんでいるみたいに。


「なるほど。随分と愛されているらしいな?」


その言葉に、誰も反論できなかった。雪那の視界が滲む。嫌だ。


もう、見たくない。これ以上、こんなところにいたくない。


雪那は、冬竜王への恐怖ではなく、人間たちによって失意のどん底に突き落とされ、膝をついた。


「……いや……」


掠れた声が、王の間に響く。


「どうか、やめて……ください……」


雪那は俯いたまま、壊れたように言う。その姿に、冬竜王は満足そうに笑みを浮かべる。


「早く……」


震える唇から、嗚咽みたいに言葉が落ちる。


「早く、連れて行ってください」


大きな手が、目の前に差し出される。


その手が、救いの手ではないことは分かっている。けれど、もうこの手に縋るしか、雪那は逃げられなかった。


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