火種
無言で見下ろし、
やがて口を開く。
「これは?」
俺は、短く答える。
「俺らも食わねば生きてはいけぬ。供養した布施として頂く」
風が、山を撫でる。
男はしばらくそれを見つめ、
小さく呟いた。
「……漁るだけの連中とは、違うのだな」
誰も、返さない。
風と土の匂いだけが、残る。
その中で、猿がふいに走り出す。
「俺、高台から見てくるよ」
軽い足取りで、斜面を駆け上がる。
やがて、影が小さくなる。
十分ほど。
高台の上に、猿の姿が現れる。
大きく手を振り、何かを指さす。
俺たちは、その方向へ向かう。
草を分けると――
そこに、倒れた影。
無言で運ぶ。
それを、繰り返す。
十数度。
同じ動きが、また積み重なる。
俺は、ふとれんを見る。
れんは目を閉じ、
静かに指を伸ばす。
その先へ行く。
やはり、ある。
同じように運ぶ。
数度、繰り返す。
俺は顔を上げる。
「猿、他に見えるか?」
声を張る。
高台から、返る声。
「ここからは見えねぇ! でも……あそこに馬が倒れてる!」
指が、別の方向を示す。
俺は、そのままれんを見る。
れんは、静かに首を振った。
風が、草を揺らす。
その意味だけが、
そこに残った。
……
俺たちは、猿の指さす方へ進む。
草を踏み分ける音の中、
あの男も、無言で後に続いてくる。
やがて、開けた場所。
馬が倒れていた。
息はある。
だが、足はあらぬ方向へ折れている。
苦しげに、わずかに身体を震わせていた。
「……ちょっと見せろ」
男が前に出る。
迷いのない足取りだった。
「こいつは、もうムリだ。離れて、目を塞いでいろ」
低く言う。
俺たちは、何も言わず距離を取る。
男は、ゆっくりと馬の頭に手を置いた。
その手つきは、思いのほか柔らかい。
「辛かったな」
静かな声。
「最後まで戦いたかったのに……怪我なんかしちまって、悔しかっただろう」
風が止まる。
「もう怖い思いをせずに済むように……楽にしてやる」
その言葉に、馬は目を閉じた。
男は布を取り出し、喉元にあてる。
刀を抜く。
一閃。
音もなく、刃が入る。
――止まる。
生命の気配が、すっと消えた。
静寂。
俺は手を合わせる。
読経を始める。
低く、ゆっくりと。
れんも、猿も、茂も、長も、
それに重ねる。
そして――
男もまた、同じように口を動かしていた。
声が、ひとつになる。
風が、それを運んでいった。
……
再び、土を掘る音が続く。
鍬が入り、
土が返り、
亡骸が消えていく。
同じ動きが、淡々と積み重なる。
一刻ほどが過ぎたころ――
あの男が、戻ってきた。
「大きいの、手伝ってくれぬか」
長を呼ぶ。
長は動かず、こちらを見る。
俺は男を見て、わずかに考え――頷く。
長が、立ち上がる。
二人は、そのまま奥へ消えた。
――馬か。
供養でもしてやるつもりかと、そう思った。
しばらくして、足音が戻る。
男と長が、戻ってきた。
手には、葉で包まれたもの。
重そうに、いくつも抱えている。
「なんだ、それは?」
俺は手を止め、問う。
男は、あっさりと答えた。
「……あの馬の肉だ」
一拍。
「戦場でケガをした馬は、治療するか……できなければ、こうする。皆で食う」
風が、土の匂いを運ぶ。
俺は、茂と長を見る。
二人とも、静かに頷いていた。
それが、この場の理だった。
土の匂いが、まだ残っている。
俺は、葉に包まれた肉から目を外した。
「……俺は、仏の道に生きる者だ」
それだけを言う。
男は、わずかに肩を落とした。
「そ、そうか……すまない。つい、侍だったころの癖で……」
言葉が、少し濁る。
俺は視線を上げる。
「侍だろう」
短く問う。
男は苦く笑うように、首を振った。
「それは……一年ほど前までだ。今は浪人だ」
風が、衣を揺らす。
「家老を手にかけてしまってな。どこも仕官は受けてくれぬだろう……お尋ね者だ」
目を伏せる。
だが、その奥は揺れていない。
まっすぐだった。
「……なにか事情があったのだろう」
俺は小さく呟く。
男は、少しだけ顔を上げる。
「家老は……敵国の領主と結託し、謀反を企てていた」
一拍。
「だから斬った。だが……誰も信じなかった」
乾いた風が吹く。
「それで、逃げてきた」
言葉が落ちる。
沈黙。
茂と長、れんと猿が、互いに顔を見合わせる。
誰も、すぐには口を開かなかった。
風が、わずかに匂いを運ぶ。
「俺は僧ゆえ、無駄な殺生はせぬ。馬も食うてやらねば、無駄な殺生になる。どうやって食う?」
俺は男を見る。
その一言で、空気が変わる。
茂と長の目が、はっきりと輝いた。
「煮てもいい。焼いてもいい。しばらく茹でて火を通してから干せば、保存食になる」
長が、一気にまくしたてる。
言葉が途切れない。
――こんなに話す男だったのか。
俺は、思わず口元が緩む。
「御浪人様。我らも頂いても?」
静かに問う。
男はすぐに頷いた。
「もちろんだ。拙者だけでは食いきれぬ。干し柿と水の礼だ。皆で食って、供養しよう」
その声は、もう荒れていなかった。
そのとき――
「永徳、これ」
れんが、ひょうたんを差し出す。
小さな手の中で、軽く揺れる。
俺は蓋を開け、鼻を寄せる。
酒の匂い。
「どうした?」
俺は問う。
「拾ったの。これも、供養してあげたら」
れんは、真顔で言った。
俺は、思わず吹き出した。
乾いた空気の中に、笑いが弾ける。
それにつられて、茂も、猿も、れんも、長も――
小さく、そして次第に大きく笑い出す。
その中で、男が口を開く。
「拙者は吉之進。お主らの用心棒に、雇わぬか?」
笑いが、ぴたりと止まる。
空気が、少しだけ硬くなる。
つい先ほどまで、刀を向けていた相手だ。
俺は、間を置かず答える。
「用心棒はいらぬ」
短く、切る。
男は、わずかに目を伏せる。
「そ、そうか……そうだな。虫が良すぎる。すまぬ、忘れてくれ」
その声は、さきほどよりも小さかった。
一拍。
「……うちには、供養する者しかいらぬ」
俺は続ける。
男は、きょとんとする。
言葉の意味を、測りかねている顔。
その横に、茂が歩み寄る。
肩越しに、やわらかく言う。
「永徳の旦那はな、用心棒はいらねぇが……供養を手伝うなら、来てもいいって言ってるんですぁ」
風が、ひとつ抜ける。
吉之進の目が、わずかに揺れた。
茂が、こちらを振り返る。
その目を受け、俺は静かに頷いた。
風が、場を抜ける。
男――吉之進は、しばらく黙り込む。
視線を落とし、何かを量るように。
やがて顔を上げた。
「……経は、般若心経くらいしか読めぬ。拙者でも、供養は務まるか?」
その声は、先ほどまでとは違っていた。
「俺は経なんて、全然知らなかったぜ」
猿が言う。
つい先ほどまで刀を向けていた男に救われたことが、
まだ飲み込めていないのだろう。
どこか間の抜けた顔をしていた。
俺は、その頭を軽く撫でる。
「……まぁ、しばらくついてくるとよい。本気になれば、剃髪してやろう」
そう言うと、猿は少しだけ目を丸くした。
誰も多くは語らない。
それぞれが手を動かし、
荷をまとめる。
やがて――
無言のまま、戦場を後にする。
背後には、土の山と、沈んだ気配だけが残る。
冷たい風が、すっと流れる。
空の色が、ゆっくりと変わる。
寺へ辿り着くころには――
雨が、落ちてきた。
ぽつり、ぽつりと始まり、
やがて、音を立てて降り始める。
ざあざあと、強く。
まるで、戦場の血を洗い流すかのように。
その音だけが、
世界を満たしていた。
END
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この作品は完結していますが、
反響があれば続編を書く可能性があります。
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