53・ヘルムートのコンプレックス
そう言って、陛下たちがAクラスの前で足を止める。
教室のクラスメイトの間に、一瞬で緊張が走る。
一方、先ほどから興味なさげに窓から外の風景を眺めていたヘルムートは、
「……ちっ」
と舌打ちをして歩いていき、陛下の前で膝を突いた。
「ヘルムート、学園生活はどうだ?」
「親切なクラスメイトにも囲まれ、楽しい学園生活を送らせていただいています。日々、学ぶことばかりです」
彼が敬語を使っているところなんて、初めて見た。
さすがのヘルムートでも、陛下の前ではいつもの不遜な態度を貫き通すことは出来ないらしい。
「成績も優秀らしいな。学期末のテストでは一位を取れなかったみたいだが……」
「不甲斐ないばかりです。偉大な兄上たちの愚弟として、恥ずかしいばかりです」
「はっはっは! そう自分を卑下するなよ。ヘルムートも十分優秀だよ?」
第二王子ウォーレスがヘルムートに言ったことに対して、明るく笑った。
一見、弟を気遣う優しい兄のようであるが……私は相手のことを下だと思っているからこその、弱者に対する施しのように見えた。
それはヘルムートも感じ取ったのだろう。
ほんの少しだけではあるが、彼から苛ついた雰囲気を感じ取った。
「そうだ、気にするな。こいつが特別なだけだ。お前はお前のやれる範囲をすればいい」
「……!」
特別。
その言葉を聞いて、ヘルムートの体が一瞬震えた。
怪物と称される第一王子と第二王子にコンプレックスを感じている彼にとって、陛下の言ったことは胸に突き刺さるのだろう。
陛下の言葉は、ヘルムートの胸には響かない。
それどころか、優秀な兄たちとの差を如実に表す結果になるだけだ。
こういうのが積み重なって、最終的に彼は闇落ちしてしまうのよね。
だから。
「陛下、私からも一言よろしいでしょうか」
勇気を出して、一歩踏み出す。
フェリクスとオレリアが私を止めようとする。しかし私はそれをさっと手で制して、ヘルムートの隣で膝を突いた。
彼は驚いた顔をしていたが、今はそれに応えている余裕がない。
「そなたは……?」
「私はクラリス・ギヴァルシュ。ヘルムート殿下と仲良くさせていただいています」
陛下と言葉を交わすなら、今のタイミングしかない。
そう思ったんだけど、それに待ったをかける人物が現れた。
「き、貴様……っ! 陛下の前だぞ!」
近衛騎士のグレンさんである。
ここまで一言も喋らなかったが、陛下の前に立ち塞がって私に怒号を浴びせる。
「なんたる不敬なことを! いくらヘルムート殿下のご友人であっても……」
「まあまあ、いいじゃないか」
そんなグレンさんの肩を、ウォーレスが叩く。
「別に彼女は僕たちに敵意を抱いていないみたいだよ? 話くらいは聞いてあげようよ。彼女、すっごく喋りたいことがあるみたいだしさ。ね?」
そう言って、ウォーレスは愉快そうに私を見る。
彼に見られた瞬間、首元に蛇が巻きついたような嫌な感覚を抱く。
しかし今更、引き下がれない。
私はウォーレスに対する動揺を隠して、こう言葉を紡いだ。
「どうしても陛下に渡したいものがありまして……どうか発言の許可をいただけませんか?」
「クラリス……ほお、そなたの名前は聞いている。学期末のテストで学年一位の座を射止めた令嬢らしいな。そして……先の事件でも迷惑をかけた。でもよい。発言を許可する」
「ありがとうございます」
よし……っ! ここまでは順調。
正直、今すぐここから逃げ出したい。胸の鼓動が騒がしい。
私の陛下に対する行動は、完全に不敬なものだからだ。
私でなければ、なんらかの処罰が下されても仕方がないだろう。
だが、若草祭のロレッタの一件で、王家は私に負い目があるはず。
実際、事件が終わってからギヴァルシュ伯爵家に、王家から莫大な賠償金が支払われた。
それは一種の口止め料も含んでいると思うが、なんにせよ、陛下が私に感じている負い目を利用させてもらう。
「お前……」
「お願い、私に任せて」
小声で隣のヘルムートにそう囁く。
彼は納得がいっていない顔をしていたが、ここで言い争うのも得策ではないと思ったのだろう。
口を閉じて、じっとことの成り行きを見守ることにしたみたいだ。
「これを……」
そう言って、私はあらかじめ用意していた書類を、陛下に差し出した。
それは部長たちに手伝ってもらって、献身部の活動をまとめた書類であった。




