29・最初から愛されなかったら、傷つかないから
早いもので祭りも終わりに近付いてきた。
すっかり日も落ち、夜の学園は昼とはまた違った装いを見せている。
今日の校舎は祭り用にライトアップされているので、まるでお城に来たみたい。
そして……この若草祭、夜にはメインイベントとも言えるものが待っている。
それが毎年恒例のダンスパーティーである。
だけど私は……。
「え? クラリスはダンスパーティーに出ない?」
献身部の部室。
ゴミ拾いが終わってそこで休憩していると、フェリクスが私の言ったことに目を丸くした。
「え、う、うん」
そんなに彼が驚くと思っていなかったので、一瞬戸惑ってしまう。
「夜のダンスパーティーって任意よね? 今日はもう疲れたし、もう家に帰ろうかなーって……」
あれから結局、ほとんどゴミは拾えていないが、それでも学園中を歩き回ったのだ。
足が棒のようになっていて、正直今すぐベッドに寝転がりたい。
「それはいけませんわ!」
オレリアがそう声を上げる。
「クラリス様には婚約者のフェリクス様がいます。夜のダンスパーティーでは、婚約者がいる人はその方と踊ることになっていますわ。それなのに帰るだなんて……」
「で、でもそう決まってるわけじゃないでしょ」
あくまで、一部の生徒がそう言っているだけのことである。
「それに……私、パーティー用のドレス持ってきてないし」
まさか制服姿のままで出るわけにはいかない。
「それは問題ないと思いますよ」
しかし、部長がその心配を払拭する。
「どういうことですか?」
「先ほど、若草祭の運営部から連絡がありまして……なんでも、クラリスくんの家の方が来られているようです」
「…………」
嫌な予感がするわ。
「あ、あの、部長。悪いですが、やっぱり私、帰りま……」
そう言葉を続けようとした時だった。
「クラリスお嬢様! このリタ、ドレスを届けに参上いたしました!」
──遅かった。
ドアが勢いよく開けられ、廊下から入ってきたのは私の専属メイド、リタであった。
「あ、あなた、どうしてここに!?」
彼女はいつものメイド服姿。
この学園でリタの姿が見られると思っていなかったので……なんだか変な気分。
「当然です。私はクラリスお嬢様の専属メイド。あなた様が困っていたら、どこにでも駆けつけます」
そう言って、リタは部室の中に入ってきて大きいケースを広げる。
そこには淡い青色をしたドレスが入っていた。
「焦りましたよ。クラリスお嬢様がドレスを忘れていると知ってから、奔走し……なんとか祭りの運営部に繋いでもらい、そこから献身部に確認……ようやくここに辿り着くことが出来ました」
「い、いや……それは忘れてるんじゃなくて……」
お弁当を忘れたから、親が学校まで持ってくる……というようなお話を、どこかで読んだことがある。
それと同じスケールで、ドレスを持ってこないで欲しい。
「さあ、これでフェリクス様と一緒にダンスパーティーに出席出来ますね! 伯爵様と夫人様からも目一杯楽しんでこいと伝言を預かっております!」
リタは前のめりになって、捲し立てるようにして言った。
私はフェリクスや部長たちの方を振り返ると、みんなは優しい顔で頷いてくれた。
……うん、これは逃げられないわ。
どうやら私の家のメイドは想像していたより優秀だったようで、誇らしいやら困るやらで複雑な気分になるのであった。
このネコナシュリア学園には、ダンスホールも建てられている。
そこはさすが貴族の学校といったところだろう。
そんな華やかな場所で、私はフェリクスと踊っていた。
「クラリス、今日の君も世界で一番美しいよ」
彼が私の顔をうっとりした視線で見て、そう言葉をかけてくる。
「あら、ありがとね」
「あんまり嬉しそうじゃないね?」
「いつも言われてるからね」
そう息を吐く。
さすがに彼と婚約してから六年が経っているのだ。フェリクスと踊ることは初めてではない。前世の分もカウントすると、もう訳が分からなくなって数え切れない。
しかし最近は学園の入学準備やらで忙しく、彼と踊らなかった。
だからこうして彼と久しぶりに踊ると、胸が高鳴る自分がいることに気付いた。
「クラリスは照れ屋だなあ」
フェリクスが楽しそうに言う。
彼のダンスは包容力があって、私が少しミスしてもすぐにカバーしてくれる。
こうして踊っているだけでも、周囲からの視線を感じる。
まさしく、今このダンスホールで一番目立っているのは私たちだろう。自信を持って、そう言える。
「照れ屋……ってことはないと思うけどね」
私はステップを踏みながら、彼と言葉を交わす。
ちなみに……他の献身部の部員たちもダンスパーティーに参加している。しかし他に婚約者が決まっている人はおらず、本人たちいわく『空気を読んで』私たちを二人きりにしてくれているのだ。
部長はモニカさんと踊るらしい。
二人だったらお似合いだ。
オレリアはお相手が決まっていなかったけど、このダンスホールに着いた瞬間に色々な男性から声をかけられていた。
オレリア、ほんっとに可愛いからね。そうなるのも仕方がないだろう。
「照れ屋ってことじゃなかったら、なんなのさ」
フェリクスの問いに、私は少し迷ってから答える。
「なんというか……今、こうしていることが夢みたいで」
「夢?」
前世でフェリクスやロレッタに断罪された時、私はたくさんの絶望を味わった。
まさか彼ともう一度、こうして踊れるとは思っていなかった。
彼のことは嫌いじゃない。今でも好きだった。
だけど。
「……言葉にしたら、この幸せが消えてなくなってしまいそうで」
そう私は続ける。
「私、怖い。フェリクスやオレリア、ヘルムート殿下も一緒にいて、献身部の先輩も優しくて……今の楽しい日々が。夢を見るのよ。これだけ優しいみんなが顔色を変えて、私を糾弾している光景を。そして私はお城の地下牢に閉じ込められて、いつか処刑される」
「どうして君が処刑されないといけないのさ。それに……たとえなにがあっても、僕は君の味方だよ」
私の言ったことを冗談だと受け取ったのか、フェリクスが笑う。
「ありがとう。だけど……やっぱり怖い」
優しかった人たちが、まるでなにかに操られているのかのように私を責め立てるのが。
だから──愛されなくても構いません。
あの絶望をもう一度味わうくらいなら。
最初から愛されない方が良いに決まっているから。
「だからフェリクスにしたら、ちょっと困った婚約者なのかもしれないわね。素直じゃなくて意地っ張り。ダンスパーティーにも出席しようとしない。婚約者が私じゃなかったら……って思うこともあるでしょ?」
「……うん。婚約者がクラリスじゃなかったら──って思うことはあるね」
否定の言葉が返ってくると思った。
しかしフェリクスからそんな答えがきて、私は思わず「え?」と聞き返してしまう。
「だけど、その後に続く言葉は『もし婚約者がクラリスじゃなかったら──こんなに幸せじゃなかった』ってことさ。僕は君を一度たりとも困った婚約者だと思ったことはない。クラリス、僕は君のことをずっと愛している」
「──っ」
嬉しい。
フェリクスは誠実な男だ。
こういう時、嘘やお世辞を言わないことは知っている。
そしてこれは今まで何度も言われた言葉だった。
しかしダンスパーティーの雰囲気もあるのか、彼に真っ直ぐ見つめられて、そんなことを言われると嬉しくて泣いてしまいそうになる。
「フェリクス……」
──だからきっと、これは気まぐれ。
私はフェリクスを見上げ、彼の思いに答えるべく──。
「フェリクス様!」
その時。
ダンスホールに剣呑な声が響き渡った。




