16・初めての屈辱(ロレッタ視点)
「くそ……っ! あの女ぁ!」
誰にも聞こえないように、小さく声を漏らす。
わたし──ロレッタは先ほどのことを思い出しながら、廊下を歩いていた。
わたしが歩くと、周りの男どもがこちらを振り向く。
その視線はわたしのお尻や胸に向けられ、彼らはこぞって鼻の下を伸ばしていた。
見られるのは好きだ。自分がさらに優れた人間になった気がするから。
しかし男たちにそんな視線を向けられようとも、わたしの気分は晴れなかった。
わたしが気に入らないのはもちろん、あの女……クラリスのことである。
本来、入学式のスピーチはヘルムート殿下とわたしの二人でやる予定だった。
王子と平民であるわたしが新入生代表を務めることによって、身分の隔たりがない新しい学園の形を示そうとしたのだろう。
だが、入学の選別テストが終わった後。
わたしは学園長に呼び出され、こんなことを告げられた。
『悪いが、君のスピーチはなしだ。ヘルムート殿下がテストで一番を取ると思ったが……彼の上をいく令嬢がいてね』
最初なにを言われたのかが理解出来ず、頭の中が真っ白になってしまった。
『その令嬢は誰?』
そう問いかけると、学園長は事務的な口調でこう続けた。
『クラリス伯爵令嬢だ。テストではヘルムート殿下の総合得点より、僅かに上回っていた。テストで首席を取った者を無視するわけにはいかなくてね。すまないね』
『クラリス……』
誰だ……そいつ。そんなポッと出がわたしを邪魔するっていうの?
屈辱だった。自分の思う通りにならなかったのは、生まれて初めてだったのかもしれない。
この時、わたしの中で『クラリス』の名が刻まれた。
憤りがおさまらない中、入学式に参列すると──壇上では華々しい容姿をした女がスピーチしていた。
彼女がクラリス。
わたしから、新入生代表の座を奪った女。
確かに、彼女は人を惹きつける容姿をしている。
それは認めよう。
だけどわたしの足元には全然及ばない。
よくそんな中途半端な見た目で、人前でスピーチ出来たものね。
恥ずかしくないのかしら?
だけどそう思っていたのはどうやらわたしだけらしく、周囲の人々は口々にクラリスを絶賛していた。
『お美しい……気品に満ち溢れている』
『保護欲をそそられる女もいいが、クラリス様みたいなカッコいい女性もいいよな』
『憧れるわ。まさに理想の令嬢……』
男女関係なく、クラリスに羨望……もしくは恋慕の眼差しを向けていた。
その現状に、わたしのイライラはさらに募っていく。
どんな女か気になるわね。
今のうちから、軽く牽制しておこうかしら。
そう思ったわたしは入学式が終わった後、彼女に接触することにした。
『わあ! わたしの名前、知ってくれてるんですね! 光栄ですー』
もちろん、光栄だなんて言葉は嘘である。
彼女がわたしの名前を知っていることは当然のことだし、それをいちいち光栄と思う必要はない。
彼女の隣には思わず、目を見開いてしまうくらいの美男子がいた。
彼のことも知っている。黄金の貴公子と呼ばれる公爵子息である。名前は確かフェリクス。全てにおいて完璧であり、周囲からの評判も高い。
クラリスについて調べていた時に、どうやらこの男が彼女の婚約者であることを突き止めた。
気に入らない。
どうしてこんな美男子が、この女の婚約者なのか。
そうだ──彼にはわたしの方がふさわしい。
そんなどす黒い感情が湧いてきた。
ちょっとした悪戯心でフェリクスを誘惑してみたが、彼はなびく様子を見せない。
なかなか貞操の固い男だ。
だが、焦る必要はない。どんな男が相手でも時間を少しもらえれば、わたしの虜に出来る自信があったからね。
唯一気に入らなかったことは、
『さっきからクラリス『さん』って言ってるけど……一応、そういうのはやめておいた方がいい』
とあろうことか、彼がわたしにそんなくだらない指図をしてきたことだ。
はあ!? どうしてクラリスに『様』付けなんてしないといけないのよ! 本当は『さん』付けも嫌なのに!
なんでわたしがそんなこと、言われないといけないのよおおおおお!
その本音をぶち撒けるわけにもいかなかったので我慢したが……彼がそんなことを言い出すなんて幻滅である。
しかしフェリクスは生真面目な性格だという。
別にわたしに不快感を抱いて注意したわけではなく、性格に由来したものだったと思う。
ならばそういうところも、彼の魅力の一つのように思えた。
それに……顔や社会的地位に比べれば、性格など些細な問題である。だってわたしの男にすれば、性格を矯正してあげればいいんだもの。わたし好みの男にしてあげる。
あともう一人、知らない令嬢が彼女らの傍にいたが……あんなヤツは眼中にない。名前すら既に忘れた。
だから当面の問題は。
「クラリスね」
わたしをコケにしてくれた、あの女である。
わたしから新入生代表の座を奪い、さらに屈辱感を与えた女。
いつか絶対にこの屈辱の代償を払わせてやる。
イライラで歯軋りが止まらなかったが、そのことを考えると少しだけ気持ちが軽くなった。