10・裏切られるのは辛いから
中庭をフェリクスと並んで歩く。
ただそれだけだというのに……なにを喋っていいか分からず、早くも場には気まずい空気が流れていた。
「素晴らしい場所だね。管理が行き届いている。きっと、庭師の方が優秀なんだろう」
しかし彼は私を気遣って、こうやって話を振ってくれる。
私と二人きりということもあって、言葉を崩していた。
「ありがとうございます。ですが、アシャール公爵家の中庭の方が素晴らしかったですわ。やはり私じゃ公爵家に嫁ぐのは身に余るものかと……」
「君はさっきから、まるで婚約を避けているような発言を繰り返すね」
池の前で足を止めて、フェリクスが不安そうな声音で言う。
「そ、そんなことありませんわ。ただ……」
「もう一度言うけど、僕は君に一目惚れした。こんなことは初めてだったんだ。なのに君は僕から離れようとする」
フェリクスは少し迷ってから、こう続けた。
「教えて欲しい。僕に至らぬ点があるとするなら、たとえそれがどんなに困難なことでも直そう」
「そ、それは……」
言葉に詰まってしまう。
フェリクスの目をじっと見る。
これはその場凌ぎの嘘を吐いているような目ではない。覚悟が込められた色をしている。
いっそ、八年後に私はあなたに殺されることになる……と打ち明けてしまおうか。
ダメだ……信じてもらえるわけがない。
頭がおかしくなったと思われるだけだろう。
「僕は一生を懸けて、君を守る」
フェリクスの迫力に押されて、私は一歩後ずさってしまった。
「僕はまだ若い。こんな僕の言葉は、君に取っては軽く感じてしまうかもしれない。しかし信じて欲しい……これが僕が見せられる君への誠意だ」
フェリクスがそう言って、私の両手を握ろうとする。
それが嫌だったわけではない。
だけど──今のこの状況で手を握られてしまえば、くらっとしてしまうかもしれない。
仮にもフェリクスは、私が一度好きになった男なのだ。
「ちょ、ちょっと待って──」
だから私は慌てて彼と距離を取ろうとした。
それがいけなかった。
「あっ──」
足を踏み外してしまう。
後方には……池。
池は浅いんだし、別に溺れることはない。しかしずぶ濡れになって、話し合いどころじゃなくなるだろう。
それに──彼の前では、カッコ悪い私は見せたくない。
この時の私、何故だかそう思ってしまった。
だが、体は重力に逆らえず、そのまま池に落ちて……。
「クラリス!」
そこでフェリクスの手が伸びる。
彼は私の腕を掴む。
そして私と体の位置を入れ替えるようにして、代わりに自分から池に落ちてしまった。
バシャーン!
そんな音と共に水飛沫が上がった。
「フェリクス様!」
私はすぐに彼の名前を呼ぶ。
そしてこれだけ大きい音が立ったのだ。どこからともなく、伯爵家の使用人とフェリクスの従者が一斉に駆け寄ってきた。
しかしフェリクスは彼らをさっと手で制し、
「無事かい? クラリスさん」
と私に問いかけた。
頭の先からずぶ濡れになって、衣服が肌に密着している。
頭には水草が乗っていて、その姿はとてもいつも優雅な黄金の貴公子とは思えない。
だけど何故か、今まで見たどんなフェリクスよりカッコよく見えた。
「す、すみません! 私がドジなばかりに……!」
「いやいや、そんなことはないよ。僕が強引すぎたせいだ。それに……君が無事でよかった」
私が手を差し出すと、彼はそれを握り返す。
「こんな状況で聞くのは卑怯かもしれないけど……君は僕と婚約するのが嫌かい? 嫌なら、今日のところはこのまま帰るとしよう。君の考えを聞かせて欲しい」
本来ならすぐに腕を引っ張って、フェリクスを池から上がらせるべきなのだけど。
何故だか、私はその言葉を聞いて固まってしまった。
「……私からも聞かせてください」
こんな状況でありながらも、他の人たちはそれ以上私たちに近付こうとしない。フェリクスが止めているというのもあると思うけど……それ以上に、割って入ることが出来ない神聖な雰囲気を感じ取ったのだろう。
私はゆっくりとした口調で、彼に問いかける。
「仮に婚約したとしても、あなたは浮気をしませんか?」
「う、浮気?」
突然なにを言われたのか分からないのか、フェリクスが戸惑いの表情を見せる。
「はい。過去にあった出来事で、私は男性が苦手……とお伝えしていましたよね」
「うん。前のお茶会で言ってたよね」
「それは昔、大切な人に裏切られた経験があるからなのです。だから……もう自分から大切な人を作らないと決めた。だって私から離れていったら辛いから……」
前世では殿下やフェリクス、友達のオレリアをあの泥棒猫が全て奪っていった。
断罪されるのが嫌だというのもあるけれど、それ以上に大切な人を作るのに、私は臆病になっていた。
「だから聞きます。あなたは私を裏切りませんか?」
「なにを言うかと思えば……」
フェリクスは一度息を吐いてから微笑み、こう答えた。
「裏切るわけがない。僕は君のことを一生愛し続ける」
──愛し続ける。
そう、この透き通った瞳。
私はそんな彼の目が好きだったのだ。
「あらためて聞くよ。僕と結婚を前提にお付き合いしてくれないかい?」
フェリクスを池から引き上げる。
こんな優しそうなフェリクスの顔を見ていたら、前世での彼との楽しい思い出が走馬灯のように甦った。
だから。
「……はい」
と情緒的な空気に騙され、私はつい頷いてしまった。
……あれ?
もしかして私、自分から墓穴を掘りにいってる?




