44 惑いて問えよ己が心に・6
「……それ言っていいんですか?」
デリカシーのない一言に、アリアさんが瞠目する。
やばい。今からでも撤回して――いや、これでよかったんだ。
いつまでもああだこうだ考える性格じゃない。どの道いつかは尋ねてた。
そしてエリザヴァトリがいつもどってくるかわからない現状、ここを逃したら、たぶん二度と機会は訪れない。吐いた唾が飲み込めないなら、腹くくって開き直っていけ!
「今の、リリィを助けてくれて感謝してるって言葉……本当に言ってよかったんですか?」
アリアさんに助けられたときのことは、今でもはっきり憶えている。
あのとき彼女は崖下にいた。だから影竜に襲われるリリィを俺が助けたことも、そのせいでふたりそろって追われていることも知らなかった。落下したあとも変わらない。リリィはリス魔獣にしがみつけたから、身体はでかいしっぽに隠れて、下から見えなかったはずなんだ。
エリザヴァトリの魔の手から逃れてなお母国にはもどらなかったアリアさんが、なぜ、あのときあんな場所にいたのか。俺を助けてくれたのか。
そしてあの――
『リリィを殺せ』
『ジーンガルドを滅ぼせ』
『あらゆるすべてを鏖にしろ』
俺のくちから放たれた〈死霊のささやき〉の――……ん? 〈死霊のささやき〉?
結局〝ベル〟はジョゼの演技で? だったらあの魔法も嘘っぱちで? つまりあの声もジョゼの手品だか魔法の応用……?
「――馬鹿なこと言ってめちゃくちゃすみませんでしたあああッ!」
全力土下座するレベルで頭をさげた俺に、アリアさんがぽかんとする……気配がした。いや土下座こそしていないが全力で頭さげてるからな。ほとんど屈伸だからな俺。言うに事欠いてアリアさんに! よりにもよってリリィとの仲を疑うようなことを! マジで顔あげられねえ。
「いやマジで本当すみませんあまりに浅慮でした! 今の言葉は忘れるかなかったことに、いや自分で言っててなんだがこれ図々しいな!? マジでアリアさんの気が済むまで殴ってくれてもいいんで……」
「いいのよ。顔をあげて」
「でも、」
「貴方が顔をあげてくれないなら、私もおなじことをするわ」
「待ってください!?」
高速で背筋をのばした俺に、アリアさんは困った表情でほほえんだ。
白銀の髪と白皙の肌が、月明かりをはじいて夜空にうかびあがる。
「何度でも言うわ。――リリィを助けてくれてありがとう」
そして、と唇が続ける。
夜風がざあっと音をたてて、俺たちのあいだを吹き抜けた。
強い風は外壁の松明をいくつか攫い、いまだにあれこれリリィをいじっていた女の子たちが慌てて火を灯しにいく。彼女たちの声まで風に連れて行かれてしまったようだった。
そのぽっかりとあいた、ふたりだけの空間に、アリアさんの声が響く。
アリアさんの声だけが、はっきりと響く。
「どうかあの子を傍でささえてあげて」
なんで俺に。
そう言おうとして舌がもつれた。言葉がつっかえた。
いや別にアリアさんに見蕩れたとか、リリィが嫌いとかじゃねえけど。なんの脈絡もない話題をふられて脳がバグったってわけでもないんだけどさ。むしろ妹思いのアリアさんなら全然おかしくない言葉……って、そうじゃなくて。
おかしいだろ。だって、その役目は姉妹の――
「やっぱり姉妹ね。昔から好きになるものは大抵おなじだった」
「え?」
「リリィは貴方に心を許している。貴方だから心を許している。……よく訛ったりするでしょう?」
「訛りって、あの博多弁ですか?」
「ハカタベン……はわからないけれど。あの独特の言い回しは北東部の方言なの。だから元々は……すくなくとも三年前まで、ずっとああいう喋り方だったのよ」
あの博多弁が北東部の方言だっていうのなら。
三年前まで、あの方言こそが素だったというのなら――……
「ええ、そう。あの喋り方でいるかぎり、北東部出身だとばれてしまう。迫害をうけるから、王都の標準語に変えたのだと思うわ」
アリアさんはちらと妹を見遣った。
リリィはちょうどディナを召喚して、火を操る女の子の足場にしているところだ。
遠目でも、まだすこし態度はぎこちない気がした。たぶん相手が俺だったら遠慮はなかっただろうし、アリアさんならもっとスムーズに事が進んでいただろう。
「でも、あなたには訛りがでていたから。〝魔法少女〟じゃない、ただの〝リリィ〟でいられたようだから。……貴方にならリリィを託せる」
アリアさんは胸元で――いや、胸元のブローチをぎゅっと握りしめた。まるでなにかを決意したかのような振る舞いに、俺は思わず待ったをかける。腕をつかみ、強引にこちらを向かせた。
「ま、待ってくれよ!」
いきなり女性の腕をつかむとか完全にセクハラだけど。わかってるけどさ!
ついさっき、なんか似たようなことがあったんだよ。
ひとりで勝手に決めて、ひとりで背負い込もうとしてたやつがさ、いたんだよ! ここに! リリィって言うんですけど!
「まさかエリザヴァトリと相討ちするつもりじゃないだろうな!? 違うよな!? そういうんじゃなくても――あいつを倒してやれ祝勝会だのなんだのの最中に……勝手にどっか行ったりしないよな!?」
リリィが俺を逃がして、ひとりエリザヴァトリを迎え撃とうとしたみたいに。アリアさんも刺し違えるつもりで……死ぬ前提で戦うつもりなんじゃないか? 刺し違えとはいかなくても、エリザヴァトリを倒したあとで、ひとりこっそりジーンガルドを去るとかさ。
裏表がなさそうなキッカさんにだって、立場によるしがらみはあったんだ。妹思いで、責任感が強くて、真面目なアリアさんなら、そんなこと考えていたっておかしくない。
「……それは、」
「なんで言い淀むんだよ! あ、いや、違う、そうじゃない、俺が言いたいのはそうじゃなくて――……」
困った顔が、なぜか告白したときの真理子さんの顔とダブった。
中学のときとはまるで違う、どこかあきらめたような顔。
俺が見たいのは。言いたいのは――……。
「もしも自分じゃ絶対無理だって、叶いっこないってあきらめていることがあるなら! 俺に言ってくれ! 頼ってくれよ!」
こんなに近くにいるのに、なぜかめちゃくちゃ遠くに感じた。
腕をつかんでいるはずなのに、今すぐ消えてしまいそうな気がした。
困らせているってわかってるのに、言葉がとまらない。でもなにをどう言おうとアリアさんの心に届いている気は全然しなくて。
「俺の魔法で――……!」
腕をぐっと引っ張った、そのときだ。
――パキン。
上着の胸元に縫いつけられたブローチが弾けて――砕けた。
真っ赤な宝石が破片となって宙に舞う。
あ、と言葉をこぼしたのは、一体どっちが先だったのか。
「謝らないで」
反射的に頭をさげようとした俺を。謝ろうとした俺を。アリアさんは機敏に制した。
声音は……怒りも悲しみもなかった、と思う。俺の楽観ってわけじゃなく。
でもアリアさんは相変わらずすこし困ったような、なにかをあきらめた表情をうかべていて。だから、もし今からでも俺が死ぬほど謝っても、たぶん彼女の心はなにも変わらないんだろうなと理解できてしまった。
「申し訳なく思っているなら、約束しましょう。
私は黙ってひとりでいなくならない。だから貴方も……あの子の傍にいて、あの子を支えてあげて」
赤い宝石のブローチを握りしめていた手で。
その破片を取り落としてしまったてのひらで。
アリアさんは小指をぴんと掲げて、指切りの姿勢をとる。
……俺は、躊躇いながらも約束することしかできなかった。
グラブルの古戦場を走っていました+恒例の月末体調不良により冬眠していました。2週間くらい間が空いてしまったことに恐々としつつ何食わぬ顔をして更新していきたい所存です……(0w0)