40 惑いて問えよ己が心に・2
――俺を売る。
思ってもみない言葉に、ひゅっ、と咽喉から変な音が鳴った。
リリィが俺の服の裾をつかむ。不穏な言葉にビビったのか、話の要領がつかめないまま突撃しないほうがいいって戒めなのかよくわからないが、とりあえず声を押し殺す。
その甲斐あってか、室内のふたりが俺たちに気付いた様子はない。会話が続いていく。
「彼は……リリィちゃんを助けてくれた……。ううん、リリィちゃんだけじゃない。魔王として疑って……ひどいもてなしをした、わたしたちみんなを守ろうと……戦って……!」
「言われなくてもわかっている。私もあの場にいたんだから。王城に篭もって報告を聞いていればいいあなたと違って、ぜんぶこの目で見てきたんだから……!」
「だっ、だったら……!」
「――だからこそよ!」
ステファニーの必死な声を、キッカさんが塗りつぶす。
「目の前でゾラも、リスティも、イザベラも、フィーアも、ロクサも死んだ。殺された。たった一瞬で、人としてのかたちを留めないくらいグチャグチャにされた! そのうえで彼はエリザヴァトリに立ち向かってくれた!
でも、だからこそなのよ!
私は大隊長。私の命は私だけのものじゃない。この国のものよ。有事の際には死ぬ覚悟で立ち向かう。けれどこの国のためにおいそれと死んではいけないし、これ以上、麾下を無駄死にさせるわけにもいかないの!」
……部外者の俺でもわかる。
キッカさんは、本当にこの国のことを考えていて。
だから彼女なりに試算した結果、俺をエリザヴァトリに売るのが最善と判断したんだ。
それは彼女本来の心性からはかけ離れているはずで。
苦しくないわけがなくて。
だから、自分以上にこの国の未来を憂うべきステファニーが、その提案に否をとなえるのが……許せなくて、やるせなくて、仕方ないんだろう。
「…………死」
長い沈黙のあと、ステファニーがぽつりと呟く。
かぼそくて、痛々しくて、ほんのそよ風でも消えてしまいそうな声が、……夜中だからこそ浮かびあがった言の葉が、それでも小さな決意をおびる。
「キッカちゃん……わたしに……何度も……何度も教えてくれた、よね……。王は、死ぬために存在するって……」
「そうよ。王は衣食住を保障されるかわり、国家の運営にかかわる重大な決定をくだし、――その結果が重篤な損耗をもたらした場合は、責任をとって死罪となる」
「うん。……だからエリザヴァトリ討伐を許可した先代は自死した」
「……だからあなたが次の王に選ばれた!」
「――だからこそっ……!」
さっきキッカさんが叫んだ言葉を、そのままステファニーが叫ぶ。
埃だらけ、ガラクタだらけの部屋に。手燭と月明かりしかない部屋に。ステファニーの涙がきらめく。
「わ、わたしはキッカちゃんみたいに魔法が使えない! 戦えないっ! この三年間、必死になってお勉強したけど、なにが正しいかなんてわからないよっ! ……し、死ぬのだって怖いし、今でもなんでわたしが選ばれたんだろうって、……これは悪夢でッ、次に目覚めたら、また昔みたいに粗末な小屋にいて……、枕元にはノミが跳ねてて、ああまたメグサハッカを採りにいかなきゃって……」
ぐしゃり、とシルクのドレスが握り潰され、皺だらけになる。
いくつも涙滴がこぼれて、滲みになっていく。
それでもステファニーの言葉はとまらなかった。舌がもつれながら、言葉につまりながら、それでも叫ぶことをやめない。
「で、でもっ、わたしは王様なの! お飾りでも、役立たずでも、わたし自身に価値なんてひとつもなくても、わたしが王様なのっ! 王としてジーンガルドの明日を……誰もが笑って三年後を迎えられる、そんな夜明けを願うわ……!」
「……その決断が、あなたを殺し、私を殺し、彼を殺し、――国民すべてを殺すとしても?」
「…………ッ!」
ステファニーは唇を戦慄かせた。
それでも逸らしそうになる視線をまっすぐに、震えそうになる足で立ち上がり、真正面からキッカさんを見据える。
「……そう、です、キッカちゃん。……いいえ、キッカ。……わ、わたしは、ジーンガルドの、現王、です……。誰も喰らったことがない、一度も戦ったことのない〈無能の王〉たるソウタ様も戦いました……! ならっ、わ、わたしだって〈お飾りの王〉として……わたしにしかできない決断をします……っ!」
ふたり以外に、誰もいない物置部屋で。
俺とリリィが聞いているとも知らず、埃と、ガラクタと、月明かりだけを証人にして。
泣きながら、震えながらの、一方的な誓いがなされる。
キッカさんは、もうなにも言わなかった。
ただ険しい表情をうかべたまま、静かに手燭を床におき。
騎士として、王のまえに拝跪した。
エリザヴァトリ再戦……前夜……いやもう今夜の予定なのですが、とにかくキッカさん&ステファニー編でした。なお31話でも書きましたが、王様は3歳です。3歳です!