34 ナイトメア・ビフォア・バースデー・3
えっ、真理子さん?
いやだって苗字……は……そりゃ変わることくらいあるよな。
ほらご両親の離婚とか。結婚? ないない。だって依頼者は社長の愛人――……
顔面からずるりと下着が落ちる。
その瞬間、俺は――全力で頭を地面にたたきつけていた。
脇目もふらず土下座したせいで、カーペットがやたら肌触りがよくいい匂いがしないでもない。ついでにやたら毛先が長い気がしないでもない。
が、落ち着いて考えろ。ここは高級マンション。部屋の壁すべてぶちぬきで、美術館みたいに絵画や花瓶やらがあって。つまり。なにかというと。だからやたら肌触りがよくていい匂いのするカーペットでもおかしくない。まったく断じて完璧なにひとつおかしくない!
「たっ、大変、失礼、いたしましたっ……!」
「……どうして謝るの?」
「いえっ、それはですね、お客様の裸体を、あ、いえ、大変申し訳ありません私のくちからはとても」
こういうとき、どう言えばいいんだ? 裸を見てごめん?
それとも知らぬ存ぜぬを貫き通すべきか?
最善なのは作業を中断し「また後日改めてお伺いします」パターンに持ち込むことだが、それが許されるなら最初から来てないっつうの!
「ねえ、顔あげて」
「……はっ。いえ、お客様、どうかご勘弁くださ……」
「顔、あげて。〝お客様〟命令よ」
「…………はい」
ゆっくりと顔をあげる。
真理子さんはベッドに座っているため、かぎりなく視線を落とせば土下座の俺からは見えない。
これであとは「落とし物です」と下着をスカートにくるみ、直視しないように差しだせば、まだ道は拓ける。軌道修正できる。
ちらと後方を振り返った。
スカートは、わけのわからない文字化けが表示されたパソコンの隣だ。
「後ろをむいていいなんて言ってないわ」
「……はい」
「この依頼、なんて聞いてる? 正直に答えてね」
「……シンセシスの社長、大城戸様より、知人のパソコンが壊れたから修理してほしいと……」
「正直に答えてないと、今すぐあの人に連絡するわ」
ベッドのうえで身動ぎしたのか、ぎしり、とやけに艶めかしい音がした。
いやいやいやいや。待て。待とう。それは非常にまずい。コンクリ詰めのち東京湾ダイビングコースだ。
「訂正いたします。シンセシスの社長、大城戸様より、愛人として懇意にしている方のパソコンが壊れたため、早急に修理するか、パソコン内部のデータを救出してほしいとの依頼を承りました」
「そう。でもこれ、私のパソコンじゃないの」
「……ええ、はい、まあ、そうでしょうね……」
SCHOPは、パソコンの特殊クレーム処理担当。絶対に断れないうえ、一歩でも対応を見誤ると即アウト案件。そういう厄介なところの、決して表沙汰にできない情報の救出が仕事だ。
もしこれがよくある「いち個人のパソコンが壊れた案件」なら、ヤマシタ電機の一般向け修理サービスを利用すればいい。どんなエロ画像やアダルト動画が入っていようと、誰も社長の性癖なんて知らないのだから、しれっと別名義で――または愛人や部下に頼めばそれで終わりだ。
そう、この案件は「愛人」「ノートパソコン」という点がミソなのだ。
わざわざ〝社長の愛人〟とむこうから申告してきたのは、責任逃れをしつつプレッシャーをかけたいから。
そして、もしも救出したい情報が会社の機密情報ならば、シンセシス本社の業務用パソコンが対象になる。事業内容の観点から、絶対に個人所有の、それもノートパソコンになるはずがない。
「会社についてはどの程度知ってるの?」
「……国内最大手の遺伝子バンクで……遺伝子を売りたい方々と、様々な事情から子宝に恵まれない方々を繋ぐサービスを提供していると」
「タメ口、ちゃんと直してね。養護施設は知ってる?」
「…………人工授精によって生まれた子供が期待通りのスペックでない場合、未成年なら無条件にひきとり、シンセシスが運営する養護施設が育てることになっているとは……まあ一応聞いたことがある」
「他には?」
「……色々悪どいことやってるって噂はちらほら。これ以上は流石に勘弁してくれ」
シンセシスは、ノーベル賞受賞者やオリンピック選手、大物芸能人といったハイスペックな有名人から遺伝子を買い取り、看板ドナーに掲げている。
ただそれとは別に、ごく平凡な一般人でも金を積めば、自分の遺伝子を提供・登録できる仕組みだ。
悪どい噂はふたつある。
ひとつは、看板ドナー希望の依頼であろうとも、実際には一般人の遺伝子をつかって人工授精させているという話。いわゆる景品表示法違反にあたる。
子供が天才児かどうかなんて生まれて数年でわからないし、遺伝子はよくても環境や教育方針が悪かっただけといくらでも言い訳できるから、被害者は声をあげにくい。
もうひとつは人身売買だ。もし希望通りの子供じゃなかったと言われても、返金はしないから懐は痛まない。〝返却〟された子供は自社の養護施設にいれる。そこはヤクザみたいなヤバめの性風俗産業や犯罪組織と繋がりがあって……というアングラな話だ。
もしその噂が真実ならば。
SCHOPを出動させてまで、人目に触れさせたくなくて。
社長の愛人という絶妙な立場からプレッシャーをかけなければならない。
なおかつ本社に置いておけない――そんなデータが、あのノートパソコンに入っていることになる。
十中八九、実際の――不当な遺伝子情報管理。
それから犯罪組織に繋がる顧客データだろう。
…………田中!
おい田中! マジでなんでこんなタイミングでいつもの『退職届』発症したんだ田中!
この仕事は死ぬほどブラックだ。
現物を本社に持ち帰れるなら、ハードディスクが物理的に……よっぽど破壊されていないかぎりは、専用の機械をつかってデータを救出できる。
だがSCHOPはそれが許されない。ヤバい相手の懐に飛び込んで、言われるがまま、可及的速やかに、ヤバいデータを救出しなければならない。
だからハッキングに精通した田中頼みなのだ。
俺はそっちの知識は人並みしかなくて、超絶コミュ障キング・オブ・人見知りの田中と顧客をつなぐ橋渡し。ただの潤滑油。
だからなんとしても持ち前の会話術で乗りきるしかない――んだが、相手が真理子さんとか聞いてねえよ……!
「…………相田くん、ずっと黙ってるけど、今なに考えてる?」
「……今日生きて帰れるかなとか、無事に帰れたら晩飯なに食おうかなとか」
「せっかく久しぶりに再会したのに、晩ご飯のこと? 私は相田くんのこと考えてる」
いや俺もせっかくだからもっと楽しいこと考えたかったわマジで。
憧れにして初恋の人と再会しておきながら、針の筵のうえで正座したくなかった。
「相田くんも私のこと考えてくれる?」
ふたたび、ぎしり、と艶めかしい音がする。
かぎりなくカーペットだけを見据えた視界に、真っ白な素足が飛びこんできた。
え、爪が赤い。なんだこれ。マニキュアか? あれって手にやるもんじゃねえの? 足にもするのか?
アラサーとは思えないほど綺麗な足が、すぐ隣を通り過ぎて背後にまわる。
そのままスカートと下着を回収してくれと神に祈ったが、そうなるはずもなくて。いくら童貞な俺でも、このあとの流れなんて嫌でもわかる。察してしまう。
背後から、そっと抱きしめられた。
あまえるように肩に頭が乗せられ、それから背伸びするように耳朶に唇が寄せられ――吐息がふきかけられる。
「考えてくれないなら――私のことしか考えられないようにしてあげる」
次回は非常にマイルドなあだるてぃー描写がはいりますが、期待はしないでください! この作品は全年齢です!!!




