1-9『完璧に策が決まった時ほど気持ちいいものはない』
し、死ぬかと思った。
崖下で、俺は土にまみれて横たわっていた。
落下はしたものの、崖で減速しながら落ちたのと、土が柔らかかったのがあって、ひどい怪我はしなかったようだ。全身しこたまうちつけて、足も痺れているが、冷静に自己把握できるくらいは無事だった。
丁度以前にリタが兎石に逃げられた場所だった。倒れたまま軽く辺りを見回して、俺はすぐに目的の相手を見つけた。
「しぶといな……。そろそろ観念したらどうだ」
俺がほぼ無傷なわけだから、女神像にダメージがあるべくもない。女神像は体の泥もそのままに、ゆっくりと俺に向かって歩いてきていた。
どうする、どうする。震える足に活を入れ、立ち上がって女神像と相対する。策はないではない、それが決まれば――
「ぬわっちっ!」
女神像が放ったハイキックが俺の頭上をかすめていった。多少慣れて避けれるようになってきてはいるが、当たったら死ぬ威力だ。
なりふり構わず、逆方向に全速力で逃げ出す俺。
ふと違和感を覚え、額を手で拭った。
「うおっ!」
手には血がべっとりと張り付いていた。さっきのキックで額を切ったのか!
驚く間もなく血は目まで垂れてきて、それに慌てた俺は足をもつれさせて転んでしまった。
「手間をかけさせるな。一息に殺してやる」
後ろから、女神像の声が聞こえてくる。ゆっくり歩いてくる奴を尻目に、俺は必死で匍匐の姿勢のまま前進した。
少しずつ、距離が詰められていく。
進んだ先、崖の隅のような場所に辿り着いた。袋小路に追いつめられる形になってしまっていた。
「くそっ、来るな! 来るんじゃねぇっ!」
道具袋の中から、雑多なものを歩いてくる女神像に投げる。
火打ち石、ニッパーなどが女神像に当たるが、当然そんな攻撃など効かず、女神像はゆっくりとこちらへと歩いてくる。
ずりずりと移動して、崖に背をつける。手に触れるものがあったかと思えば、崖の上でのやり取りで折れてしまったショートソードの刃先であった。
これは当てたい。
掴みあげて、俺はそれを狙いすまして投げつけた。剣先は、女神像と全く関係ない崖の上の方へと回転しながら飛んでいった。
女神像はそれを一瞥し、俺へと向き直る。
「いい加減、負けを認めろ。無駄なあがきは醜いぞ」
「くそっ……」
俺を見据えながら、女神像は一歩一歩近づいてくる。ここまでか、というように、俺は歯噛みをした。
歩く女神像が、俺に見せつけるように拳を握りしめる。
「安心しろ。痛みは感じさせん。大人しくしていれば――」
眉を歪めて、俺は俯く。女神像は、俺に一歩近づき。
「一瞬のうちにうおおおおおぉぉぉっ!?」
突如現れた落とし穴に、肩まで落下した。
突然の出来事に、呆然とした顔をしている女神像。
「くくく……」
俺は俯いたまま、口元を押さえていた。目線だけを上げ、何が起こったか分からない、という表情の女神像を見る。
「くっくっくっく……」
片手で尻の土を払いながら、俺は立ち上がった。呆然と俺を見る女神像を、悠々と見下ろしてやる。
隠しきれなくなった口元から手を離し、俺は高らかに叫んだ。
「ハァーッハッハッハ! か か っ た な ア ホ が!」
もう一度言おう。高らかに叫んだ!
策が完璧にハマったのだ! これが笑わずにいられようか!
ここまでやって尚、女神像は状況を理解していないふうだった。せっかくなのだ、俺は親切にも、何が起こったのかを説明してやることにする。
「俺が何の策もなしにここまで逃げたと思ってたのか? 甘い。奏屋のザクロタルトより甘い。
リーゼロッテがお前と対峙するよりも前に、俺はこの周辺に無数の落とし穴を作っておいたんだよ。元々あった穴を利用してな。プランBが失敗した場合、これにおびき寄せてお前の動きを封じる予定だったのさ。
お前はそれに気付かず、俺を追い詰めたと勘違いし、まんまと落とし穴に引っかかったというわけよ!」
「ココの出来が違うんだよ、ココの出来がなぁ!」こめかみに人差し指を当てながら言う俺に、女神像もようやく状況を理解したようだった。怒りに顔を歪ませ、俺を睨みつけてくる。
「こんなもの!」
穴の縁に手をかけて、女神像は穴からの脱出を試みる。
「無駄よ、無駄無駄。俺が脱出への対策を取っていないと思うのか?」
怒りで歪んだ女神像の顔に、今度は焦りの色が浮かぶ。それもそのはずだ、穴の中は粘性の高い泥でいっぱいなのだ。
この辺の土は、水を加えてやればかなりべたつく泥になる。穴の表面をしっかり固めて、そこにそれを流し込めば、自然の鳥もちになるのだ。
女神像は今それに腰まで取られて、脱出もままならない、というわけだ。
「ちぃっ……。だが、貴様に何が出来る! 動きを止められたのは認めてやろう、しかし、お前に私を破壊することは出来まい! 新しく剣でも出して斬りつけてくるか? その瞬間に掴んでここに引きずり込んでくれる!」
大声で喚き散らす女神像に、俺はぱちぱちと拍手をしてやる。
「ご説明ありがとう。その通り、俺じゃあお前をどうこうする火力がない。だから、さっき剣の刃を投げたのさ。狙い通りロープに当たってくれるか不安だったが――おっと、噂をすればだな?」
ずりずり、ざりざり、という音が聞こえた。音のする崖の上の方を見てみれば、ちびっこい女子が、滑り落ちる、と言うよりかは転がり落ちるように崖を降りてきていた。
「――――ぁぁぁぁぁああああああ!」
ごろごろごろどてーん。どこかポップに聞こえる音が響く。
金髪を真っ黒に濡らした小柄な少女が、女神像のいる落とし穴の向こう側に着地……と言うよりは、落下してきた。
「や……やって、来ましたよ……?」
ふらふらしながらも、なんとか、といった感じで彼女は立ち上がる。黒インクで真っ黒になった上から、今度は全身を土にまみれたせいで、ローブも元の金髪も台無しであった。
「こいつが俺の切り札。リーゼロッテ・エーレンベルグさ」
驚愕の表情でリタを見る女神像。
リタは、俺達の様子を見て、にっと笑って、ぐっと親指を立てた。
そのままふらついて、横の方にべちゃっと転んた。丁度その先に立っていた木に頭をぶつけて、しこたま苦しんでいる様子である。
「……あれがか」
「……ま、まぁ」
どこか困惑した様子の女神像に、俺もちょっと心配になってきた。とにかくここまで来たら俺達の勝ちは揺るぎない! 揺るぎないはずだ!
「リタっ! こいつの動きは封じた、お前のその『パイルバンカー』とやらをぶちかましてやれ!」
俺の指示に、はっとした顔で起き上がるリタ。「わっ、分かりました!」の返事と同時に、女神像へと駆け始める。
女神像も落とし穴の中で半身回って、リタを迎え撃つように身構えた。
「来ると分かっている以上、返り討ちに――」
「てめーの相手はこっちだッ!」
俺は渾身の力を込めて手元のロープを引っ張った。崖の上で女神像の腕に絡めたロープが、まだ絡まったままだぜ。
不意打ちで腕を引っ張られ、流石の女神像もバランスを崩す。
「くっ――」
「パイルっ!!」
ぴったりのタイミングだ。リタが女神像に跳びかかる。
ぺちっ。
ひ弱なパンチが、女神像の胸元に当たった。
……。
「……なんだ?」
困惑した。俺も。女神像も。
次の、瞬間だった。
「バン、カアアァァァァァァァァッ!!」
耳をつんざく爆音。
それと共に、俺の視界は真っ白になった。
ふと気がついた時には、俺は地面に転がっていた。
触れる土が柔らかくて気持ち悪く、まだ山の中にはいるようだ。ただ、どうにもざわざわと騒がしい。
痛む体を堪えて、周囲を見回す。女神像と戦っていた場所から、そう離れてはいないようである。ただし、周辺にはローブを着た大人が何人も動き回っていた。見上げる位置に、丁度見知った髭面があった。
「おっ、気付いたか」
「なんでいるんすか、先生」
言ってから、ああそういや、討伐隊作るって言ってたっけ、と思い出した。気絶したせいか、どうにもぼんやりしてんなぁ、と自分で自分を評価する。
「お前らを魔導石像から助けるために、急いで学院から討伐隊を呼び寄せてきたんだがな。よくやったな、と言うべきか」
そうだ。女神像はどうなった? 背筋にヒヤリとした感触が走る。落書きは……。
急いでその行方を探した俺の目に入ってきたのは、クレーターであった。土の中に半球状に広がる、俺の身長の倍近くの大きさはあるクレーター。
その周辺で、ローブの大人――うちの学院の先生たちが、何やら色々話しながら歩き回っていた。
クレーターの中心には、女神像がいた。
正確には、その残骸と言うべきか。
女神像の腰から下の部分だけが、膝ぐらいまで埋まるようにして、土から突き出ていた。
「……は、はは」
その腰より下の部分ですら、ヒビまみれで今にも崩れそうな状態だった。あの様子なら、落書きの書かれた上半身は木っ端微塵だっただろう。
乾いた笑いしか、湧いてこなかった。
リタの、あのアホくさい名前の魔法が、あれをやったのだ。
ここまでやることはなかったんだが、まぁよくやったわ、と思う。
そういやリタはどこだ、と思ったが、探すまでもなくインクまみれの姿で俺の隣に寝かされていた。
「こりゃあ、そいつがやったのか? 怪我もひどかったし、正直何が起こったのか聞かせてもらいたいんだがな」
困ったように肩をすくめて先生が言う。
寝苦しそうに土の上に横になっているリタは、火傷の手当てをされたのであろう、右腕を包帯でぐるぐる巻きにされていた。
いやほんとに、ちょっと見直したぞ。
流石の威力だ。火傷しただけの価値はある。
「おーい、リタ、生きてるかー? 俺たち、助かったぞー」
耳元で声をかければ、リタはものすっごい嫌そうに顔をしかめて、左手で俺を振り払った。
「おいおい、起きてんのか? 起きてんだったら喋ってくれていいじゃねぇか」
「耳元で喋らないでください……」
しかめ面のまま、俺に背を向けるようにリタは寝返りをうつ。
「なんで」
「鼓膜が破れた時、大声で喋られると頭が痛いんです……」
ああ。破れたのね。
やっぱアレ、ダメな魔法だわ。
不可解そうに俺を見るヒゲ先生に、俺は肩をすくめてみせた。
「ま、大魔導師二人が、悪い魔導石像を退治したってことで」
納得できなさそうに眉をひそめる先生を尻目に、俺は痛む全身を地面へと投げ出したのだった。
第1話終了です! 書き溜めここまでなんで、更新はしばらく止まると思います。読んでくれてありがとうございました。