七
亮平の家柄は申し分なく、それが幼い頃の彼を悪い立場へと追い込んだことは少なくない。何が悪かったというわけでもなく、彼は妬みの対象にされた。態度が気にくわない、という理由で防空壕跡の洞穴に閉じ込められたこともあった。帰宅途中に上級生に追われ逃げ帰ったことも少なくなかった小学生の頃を思い返しても、その当時の啓太への関心が低いものであることが認められるほど、彼は亮平の思い出に記されてはいなかった。
その啓太が今になってこれほど気がかりな存在になった過程を追えば、そこには麻己の近況を耳にした一年前の、帰郷を決めたきっかけとなった同郷の知人の言葉にあった。
麻己が実家で一人老人相手に暮らしているという話を聞けば、もったいない、あれだけの女が田舎で一生を、老人とともに腐らせていくなんて、と両親が他界し、一人祖父の介護を行う献身的で知的に憐れな女性像を思い浮かべてしまうのは、亮平自身田舎と閉鎖的な慣習を嫌うが為であった。町を歩けば、自分を知らぬ者は唯一人もおらず、自分のみならず親兄弟親戚関係までも筒抜けの村社会での生活に浸かってしまえば、大抵の者は保守的な考えを持った、田舎に適した人格が形作られてもしかたなかった。
事実故郷を出た者達はいずれも封建的なものの悪習に疑問を抱いた、はぐれ者であったから、彼らはよく異端視されることが多かった。そしてそのような子供達を排除しようとするのも、同じ子供であるのは物心のつく以前に植え付けられたものを疑わずにいる者達ならではの思考からであった。自分と違う者の考え方をする他者は同一視しにくく不安を抱懐させるが故に脅威なのだ。そういった無自覚な排除への意識にさらされる度に、亮平は異なる考え方を持つことに恒常的な反応しかできない他者とは恐ろしいものであるという認識を強め、次第に亮平のような、村社会に表面上も馴染めない者達は当然のごとく他人との関わりを避けるように故郷を捨てていくのだった。
彼にしてみれば麻己もその封建的な仕組みの犠牲者であるのに抜け出そうとしない愚かさがもどかしくあったからこそ、そこに故郷へ一時的でさえ戻ろうと決めた理由があった。亮平の屋敷を囲むようにしてある、昔の区画そのままで立ち並ぶ家々の一つに過ぎなかった麻己の住む家に着くと、彼の心は少年期のそれに立ち帰ろうとするのだった。
玄関のサッシ戸に模様の入ったガラスが使われているのに、古臭い印象を受けずにはいられなかった。
呼び鈴も古い型のもので、ボタンを押しても音が出た気配もなく、部屋の奥から人がやってくる様子もなかった。留守かと引き返そうと歩き出した亮平の背後に、玄関戸の開く豪快な音が響いて、中からほつれた前髪をかき分けるしぐさの女が出てきた。それが麻己であると分かるのに時間が掛かったのは、彼女の姿があまりにもみすぼらしく亮平の目に映っていたためだった。
「亮平……くん? なの……」
訝しい表情で彼の顔をのぞき込むような麻己の顔面には、これまでの年月がどれほど過酷であったことかを表出するような、やつれ果てた小皺がしかめ面した際に痛々しいまでに浮き出されたのを目の当たりにして、亮平は再会の言葉も忘れ呆然と立ち尽くしていた。