97.失くし物
アップが話し始めたのは、促されてからではなかった。
何かが決まった顔をして、それから静かに口を開いた。
◆◇◆◇
「俺の故郷は、小さな村でした」
声が変わっていた。今まで使っていた、計算された軽い声とは違う。素の声だった。
「山の近く——ここではなく、東の山です。小さな村で、神域と呼ばれるものもない、神に縁のない普通の土地でした」
ルベルドは動かずに聞いた。スルクも、拘束を緩めないまま黙っていた。
「村には魔法使いが二人いました。一人は俺の母です。光属性の、強くはないけれど人を助けるために魔法を使う人でした。もう一人は、隣村から来た加護持ちの男。神の加護を受けた、それだけで村人全員から崇められた男です」
「……」
「その男が気に食わなかった。加護を持っているというだけで、全てが許される。村人の向ける視線が違う、声の掛け方が違う、他の者からの接し方が違かった。神に選ばれた者は特別で、選ばれなかった者は選ばれたものに付き従う——そういうことが、当たり前のように通る世界でした」
アップが手を見た。刻印が刻まれた腕を。
「俺は光属性です。母親から受け継いだ。戦闘の才能もあって強かった。村の中では一番強かった。それでも加護がないというだけで、あの男には全てにおいて届かなかった」
「……」
「加護を得ようとした。神域に行った。試みた。何度も。でも神は俺を選ばなかった。選んだのは——弟でした」
少し沈黙が落ちた。
「弟は優しくて、真面目で、力の強くない子でした。それなのに、神はあの子を選んだ。寂しがり屋でたまたま着いてきた1度のことで。―――なぜか。何が違うのか。聞いても誰も教えてくれない。神は答えない。弟も俺と同じように戸惑っていた。あの子は加護が欲しいとも思っていなかった。それなのに選ばれた」
「弟さんは今も——」
「死にました」
ノクタールの言葉を、静かに遮った。
「加護を得た直後、加護の力を制御できずに自滅した。まだ幼かった。神の力を体が受け止めきれなかった。……それから俺は、神というものが嫌いになりました。不公平で、恣意的で、自分の気まぐれで力を与えて、その力で人間を殺す」
アップが少し空を見た。
「アダムを見つけた時、俺には希望に見えた。神に選ばれなくても強くなれる。神が決めた序列を、人間の手で変えられる。その言葉が、当時の俺には必要だったんです」
沈黙が落ちた。
風が通った。落ち葉が舞った。
「……あなたのお弟さんが亡くなったことは、気の毒だと思う」
ノクタールが言った。感情を抑えた、それでも確かな重みを持った声だった。
「その痛みは、本物」
「そうですか」
「ただ」
ノクタールが一歩前に出た。長杖を両手で持ち、地面に真っ直ぐ立てた。
「だからと言って、許されることと許されないことがある」
「……」
「あなたは今日、私を騙した。魔族の二人を敵に仕立て上げ、私に戦わせようとした。もし私が傷を負っていれば、それはあなたがつけた傷と同じ。弟さんへの思いがどれほど真剣であっても、それは別の話」
アップは答えなかった。
「加護を持てない人間が強くなりたいと思う気持ちは、理解できる。私の師も、加護を得るまで長い時間がかかった。それでも師は、人を傷つけることで強くなろうとはしなかった」
「……綺麗な話ですね」
「綺麗かは分からないけど。ただ、私が知っている話」
ノクタールが少し間を置いた。
「あなたがアダムに入ったのは、弟さんへの怒りと悲しみからだと分かった。でも、今のあなたは、弟さんを悼むためにそこにいるの。それとも、自分の怒りを正当化するためにそこにいるの」
アップが動きを止めた。
長い沈黙だった。
葉が一枚、舞い落ちた。
「……分からない」
小さく言った。
「最初は弟のためだと思っていた。でも今は——正直、分からない」
「そう」
ノクタールは、それ以上言わなかった。




