第四章:Princess of Azur/03
「……ん?」
「あら、もう来たの? 意外と早かったのね」
突然聞こえてきたノックに戒斗がチラリ、と少しだけ警戒しつつ視線を向ける中、香華は呟きながら高野に目配せをして合図をする。
するとコクリと頷いた高野が出入口の方に歩き、ガチャっとドアを開けた。
そして、開いたドアの向こうから客室に入ってきたのは――――黒いスーツを着た、二人組の男たちだった。
(この連中は……)
入ってきた二人を一目見た瞬間、戒斗はスッと目を細める。
――――どう見ても、普通の人間じゃない。
パッと彼らの立ち姿を見ただけで、戒斗は瞬時にそう判断していた。
この二人……まず間違いなく、こちらと同類だ。
歩く動作や、ひとつひとつの所作から自分と同じ匂いが滲み出ている。普通の人間には絶対に分からないような、些細な違和感だが……でも、戒斗はすぐに自分と同類のプロフェッショナルだと見抜いていた。
何よりも、二人のジャケットの左脇あたりが不自然に膨らんでいる。
恐らくピストルを隠し持っているのだろう。膨らみ具合もそうだし、左肩も少しだけ下がっているから……ほぼ確実だと思われる。
同業者のスイーパーか、それとも早速現れた敵の刺客か――――。
一瞬そう考えたが、しかしどちらも違うと戒斗はすぐにその考えを否定した。
帯銃した明らかなプロで、しかも香華が来ることを知っている相手であれば、考えられる可能性はひとつ。彼女の護衛のために派遣されたという、例の特命零課の公安刑事たちだろう。
「…………」
どうやら遥も同じような結論に至っていたようで、チラリと目配せした戒斗にコクリと無言のままに頷き返してくれる。
とりあえず、敵ではなさそうだ。
「お嬢様、例の公安の方々がいらっしゃいました」
「西園寺さん、今日はよろしくお願いします」
「いらっしゃい、こちらこそよろしくお願いね」
と、高野に連れられてやって来た二人組の刑事――の、先頭に立つ方と香華が挨拶を交わす。
もう一人と比べて、その声も立ち振る舞いも実に落ち着いている。明らかに彼の方が年齢も階級も上な雰囲気だ。それに香華にわざわざ挨拶に来た辺り、恐らくは船に同乗した刑事たち全員の取りまとめ役、指揮官的な立場なのだろう。
「それで西園寺さん、そちらのお二人が例の……」
そんな指揮官役らしい刑事の彼がチラリ、と戒斗たちを横目に見ながら訊くと、香華はええと頷き返す。
「紹介するわ、戦部戒斗に長月遥ちゃん。お父様が雇った超腕利きのスイーパーだそうよ」
「ふむ……やはり室長の仰っていた通りですか……」
室長、というのは言うまでもなく零課のトップ、桐原智里のことだ。
「俺のこと、智里が何か噂でもしてたのかい?」
じっと見つめながら興味深そうに唸る刑事の彼に、ニヤリと小さく笑みを浮かべた戒斗が皮肉っぽく言う。
すると刑事の彼は「ええ」と頷き返し、
「室長から聞いていた通りですね。『黒の執行者』、コード・A‐9200……貴方、どうやら只者ではありませんね」
と、戒斗を見つめながら呟いた。
「そう言うおたくも、中々みてえだな」
戒斗もそれに――やっぱりどこか皮肉っぽい口調で返してやると、刑事の彼はフッと小さく笑い。
「ああ、自己紹介が遅れてしまい申し訳ありません。私は警視庁公安部・特命零課の佐藤一輝と申します。以後、お見知りおきを」
そう手短に、丁寧な口調で戒斗に向かって名乗っていた。
――――佐藤一輝。
奇妙な男だな、というのが戒斗の抱いた第一印象だった。
背丈は169センチと戒斗よりも小さく、黒髪をオールバックで綺麗に纏めたヘアスタイル。ほっそりとしたスマートな眼鏡を掛けていて、顔立ちは若々しいが彫りは深く、そこはかとない知性を感じさせる風貌だ。
そんな彼の格好は、言うまでもないが黒のビジネススーツ。刑事っぽい服装だが、その落ち着いた所作のせいか……パッと見では刑事というより、パーティーに招かれた富裕層の客にも見える。
少なくとも外見だけでは、とても公安のシークレットチームの人間には思えなかった。
「戦部戒斗だ……っても、あんたはとっくにご存知みてえだがね」
そんな彼――佐藤に向かって、戒斗もソファに座ったままで名乗り返す。
「……あの、戒斗?」
とした時に、隣からちょんちょん、と遥が触れてきた。
戒斗の裾を小さく摘まんで、声も仕草もどこか遠慮がちに話しかけてくる遥。
そんな彼女に「どうした?」と戒斗が答えてやると、遥はこんな疑問を口にする。
「この方が仰っていた、A‐9200というのは……?」
それは、当然の疑問だった。
佐藤が言った戒斗を示すワード、前者は遥もよく知っている。『黒の執行者』……それは彼に与えられた通り名だ。
しかし、A‐9200なんてのは初耳だ。
「公安が俺につけた番号だ、要はコードネームみてえなもんだな」
そう思って質問した遥に、戒斗はあっけらかんと答える。
「智里のツテもある関係で、昔っから公安の下請け仕事が多かったからな。だから俺が智里にコードネームなんてつけたらどうだ、って冗談半分に言ってみたら、アイツが本気にしちまってよ。それで智里が俺につけた番号が――――」
「コード・A‐9200、ですか……なるほど」
と、納得した遥がうんうんと頷く傍ら。
「――――けっ、野良犬が一丁前にボンド気取りかよ」
そんな舌打ち交じりの声が、佐藤の後ろから聞こえてくる。
戒斗が視線を向けると、声の主はやはり佐藤の背後に立つ青年――もう一人の公安刑事だった。
不機嫌そうな顔で、隠そうともしない敵意の籠もった視線を戒斗に向けている。
「野上くん、失礼ですよ」
そんな青年の方に振り向いた佐藤が諭すように言うが、しかし野上と呼ばれた彼はチッと舌を打ち。
「野良犬を野良犬って呼んで、何が悪いんすかセンパイ。スイーパーなんざ汚ねえ野良犬でしかねえ、あんなの居なくたって俺ら零課でお嬢さんは守り通せますよ」
と、突っ張った態度で彼に返す。
「仮にも彼らは西園寺のご当主様が雇われた護衛の方です、その言い方はよくありませんねぇ」
「でも! アイツらが野良犬なのは事実ですよ!」
「……やれやれ、君は相変わらずですね」
強情な彼に小さく肩を竦めながら、佐藤は少し困ったような顔で戒斗たちの方に向き直ると。
「申し訳ありません、彼は野上遼一……僕の部下です。戦部さんに対する彼の非礼は、僕からお詫びさせて頂きます」
と、謝罪の言葉を口にする。
「センパイが謝る必要なんかないっすよ! だって事実なんすから!」
「野上くん、今は少し黙っていてください」
尚も吠える野上を小さく睨み付けて、佐藤は無理に彼を黙らせる。
睨まれた野上は「ったく……」と毒づきながら、やっぱり敵意を剥き出しにした目で戒斗を見ていた。
――――野上遼一。
色んな意味で若いんだな、と戒斗は第一印象で思っていた。
年頃は恐らく戒斗とほぼ変わらないだろう。174センチの背丈に、焦げ茶色の髪は跳ねっぽい感じの、天然パーマのようなくせっ毛。黒いスーツを着た格好は佐藤と同じだったが、抱く印象は随分と若いというか、どうにも青い印象だった。
「気にすんなよ刑事さん、ソイツの言ってることも間違いじゃねえんだ」
戒斗は佐藤に向かって薄い笑みを浮かべながらそう言うと、ソファから立ち上がって何気なしに彼らの方に近寄ってみる。
「ま、お互い守る相手は同じなんだ。ここは仲良く協力していこうぜ?」
すると戒斗はそう言って、スッと二人に左手を差し出した。
握手を求めているのだ。佐藤は「こちらこそ、よろしくお願いします」と言って手を握り返したが、しかし野上はというと――――。
「野良犬と握手する趣味はねえ、お手のご褒美ならご主人様に貰えよ」
と、相変わらずのつんけんとした態度。
しかし戒斗は怒らず、むしろニヤニヤとわざとらしく笑みなんか浮かべてみせて。
「俺が野良犬、ねえ……? だったらおたくら公安は血統書付きってことかい?」
なんて皮肉で返すものだから、カチンと完全に頭に血が昇った野上は――――。
「てめえ……っ!」
怒りのままに懐から抜いたピストルを、バッと戒斗に向かって突き付けた。
「――――ッ!」
だがそれと同時に、戒斗も懐からピストルを抜く。
野上と戒斗、二人の右手が交差して……互いの額に向けて、ピストルの銃口を突き付け合う。
「……戒斗っ!」
それを見た遥は瞬時に飛び出そうと構えたが、しかし戒斗が「待て!」と叫んだことで思い留まる。
「しかし……!」
「なあに、ただのお遊びさ。いいからじっとしてなって、折角の綺麗なドレスが汚れちゃいけねえや」
小さく振り向いた戒斗がニヤリと不敵な笑みを浮かべて言うと、遥は「……分かり、ました」と頷き、またソファに座り直す。
そんな彼女に「いい子だ」と笑いかけた後、戒斗は目の前の野上へと視線を戻し。
「SIGか、やっぱ零課の刑事にもなりゃ良いモン持ってるんだな」
と、今まさに自分の額に突き付けられた彼のピストルを見て、感心したように言った。
――――SIG・P229。
野上が抜いて、戒斗に突き付けたピストルだ。物としては戒斗が愛用しているP226のコンパクト版といったところ。外見もよく似ていて、寸法は小さいが性能は遜色ない。要人警護には打ってつけの良いピストルだ。
「そう言うてめえは……ケッ、格好だけじゃなく銃までボンド気取りかよ?」
言われた野上もまた、戒斗が抜いた小さなピストルを見て不機嫌そうに舌を打つ。
――――ワルサーPPK。
今日の戒斗の得物はいつものP226じゃなく、そんな小型のピストルだった。
ワルサーPPK。ドイツ製の小型ピストルで、言わずと知れた007――ジェームズ・ボンドの代名詞的なピストルだ。
20世紀前半に設計されたピストルだが、しかしその完成されたメカニズムは現代の物に決して引けを取らない。軽くて小型な上にスリムで、こうしたタキシードの内側に隠し持つには持ってこいのサイズ感。使うのは小口径の32ACP弾だから、パワー的な面では心細いが……でもそれを補って有り余る魅力が、このPPKには確かにある。
戒斗はこういうフォーマルな場での護衛や潜入の時、必ずと言っていいほどPPKを持ち込んでいるぐらいだ。
それほどまでに彼が信頼を置くピストルが、この名銃ワルサーPPKなのだ。
……しかし、フォーマルなタキシードに、得物はワルサーPPKとは――――。
野上が格好だけじゃなく、銃までボンド気取りと言ったのも納得かも知れない。この組み合わせ、言い逃れなんて不可能なほどにジェームズ・ボンドそのものだ。
「ピアース・ブロスナンみたいでキマってるって、さっきそこのお嬢さんにゃ褒められたぜ?」
「……てめえ、本当にどこまでも気に食わねえ野良犬だな……」
ニヤリとして皮肉を言う戒斗に、野上は更に苛立った様子。ギリリと歯を食いしばり、不機嫌そうな顔で戒斗に向かってP229を突き付ける彼だったが――――。
「野上くん、その辺りにしておきなさい」
しかし横から手を伸ばした佐藤が、掴んだ彼の右手ごとピストルを降ろさせた。
「センパイ!」
「今の勝負、完全に彼のドロウの方が早かったです。どう見ても君の負けですよ。彼が本当に撃つ気なら、君の頭にはとっくに風穴が開いていることでしょう。……その程度のこと、分からない君じゃないはずでは?」
佐藤が指摘したことは、紛れもない事実だった。
ほとんど不意打ちに近い状況でピストルを抜いた野上より、後出しの戒斗の方が圧倒的にピストルを構える速度が早かったのだ。
それこそ、野上がやっと銃口を向けた時には……もう戒斗はとっくに狙い定めていて、後はトリガーを引くだけだったぐらいに。
佐藤が言ったように、もし戒斗が本当に撃つつもりだったのなら、野上はピストルを向ける間もなく眉間を撃たれていたことだろう。
当然、そんなことは野上本人が一番よく分かっている。
「……チッ」
分かっているからこそ、舌打ちに悔しさを滲ませながら……彼はP229を懐に戻していた。
「ま、おんなじ犬同士、お互い仲良くしようや」
そんな彼に更なる皮肉を言いながら、戒斗もPPKを懐にしまう。
「ちょっと……ねえ戒斗、あんまりヒヤヒヤさせないでよ。本当に撃ち合いになるかと思ったじゃない」
よっこいしょとソファに座り直した彼に向かって、香華が溜息交じりにそう言うと。すると戒斗は「なあに、ただの挨拶代わりさ」とニヤニヤしながら返せば。
「それより、おたくらは俺たちに用事があって来たんだろ?」
と、再び佐藤たちの方を見上げながら問いかける。
すると佐藤はええ、と頷き返し。
「西園寺さんの警護計画について、ご本人や……それに貴方がたとも情報共有をしておきたいと思いましてねぇ。少し長くなりますが、お付き合い頂けますでしょうか?」
「当然、それが俺らの仕事だからな」
「……ええ、無論です」
「西園寺さんも、構いませんね?」
「もちろんよ」
「それと野上くん、君はこれ以上余計なことを言わないように」
「……分かってますよ、センパイ」
戒斗たちや香華に確認し、最後に野上に釘を刺した後で。佐藤はこほんと咳払いをすると、香華の警護計画――これからの船上パーティーで彼女をどういう段取りで守る手筈になっているか、零課側のプランを彼らに説明するのだった。




