第四章:Princess of Azur/04
それから、数時間後。
横浜港を出港した豪華客船『プリンセス・オブ・アズール』は東京湾を出て、さざ波揺れる夜の太平洋に繰り出していた。
その船内を、戒斗と遥は……香華に連れられる形で歩いていた。
パーティーが始まるまではまだ多少の時間があるから、折角だし船を案内してあげる――と、香華が二人を連れ出していたのだった。
「にしても、マジにデカい船だな」
「そう? ラグジュアリー系の大型クルーズ客船なら、別にこの程度のサイズはよくある話よ?」
と、船内を歩きながら香華が戒斗に言う。
――――彼女はそう言うが、しかしプリンセス・オブ・アズール号は間違いなく超大型クラスの豪華客船だ。
全長340メートルの大きな船体の中は、まるでひとつの街のようだと喩えられる。例えば船にはいくつもレストランやバーにクラブがあるし、他には屋内型のプールやスパにフィットネスジム、上部甲板の一部はスポーツ用のレクリエーションデッキになっている。
その他にも大きなコンサートホールや映画館といった娯楽設備にも事欠かない。他にはちょっとした図書館まである至れり尽くせりっぷりだ。
ちなみに、今こうして戒斗たちが歩いているのは船内のショッピングプロムナード。要は土産物やらあれこれを販売する店が並ぶ一帯で、外観はヨーロッパの古い町並みをモチーフにしたものだ。
白い石造り風の売店が左右に広がる廊下に、飾りではあるが街灯も並んでいる。天井なんかは青空っぽい感じでペイントされているから、こうして歩いていると……ここが豪華客船の中ということを、思わず忘れてしまいそうになるぐらいだ。
「折角だし、記念にひとつぐらい買ってあげましょうか? 特にほら……あのネックレスなんか遥ちゃんによく似合いそうだし」
「……お気持ちは嬉しいですが、今はまだ」
「いいのよ、遠慮なんかしなくたって?」
「いえ、まだ仕事中ですから」
「あー……そういえばそうね。じゃあひと段落した後に、ね?」
遠慮する遥にそう言って小さくウィンクなんかした香華は、そのままプロムナードを抜けて……別の場所へと二人を案内していく。
広い船の中を、まるで自分の家を案内するみたいに勝手知ったる顔で歩いていく香華。流石はほぼ船のオーナーみたいな立場だけあって、この船の構造にも詳しいらしい。
そんな香華は、船のあちこちに戒斗たちを案内してくれた。
例えば、こんな場所――――。
「へえ、カジノなんてあるのか」
「クルーズ客船には定番だもの。といっても日本船籍の船だから、賭けごと抜きでただ遊ぶだけのカジノごっこだけれどね」
船内にあるカジノに案内された戒斗が、遥と一緒に物珍しそうに辺りを見回す。
ちなみに今はまだカジノはクローズ状態らしく、客の姿は誰一人として居ない。賑やかなはずのスロットマシンも電源が落とされていて、なんとなく寂しい雰囲気が漂っている。お披露目を兼ねた日帰りの航海だし、カジノが開いても数時間程度だろう。
と、そんな閉店中のカジノを見せて貰った後、次に連れて行かれたのは――――。
「ここは……茶室ですか?」
「そうよ、中々いい雰囲気でしょう? 改装の時に造ってって私が頼んだの」
「船の上に茶室とは、意外な気もしますが……はい、良いと思います」
「色々落ち着いたら、遥ちゃんもここで一緒にどうかしら? 嗜み程度だけれど、多少は私だって茶道の心得はあるのよ?」
「……ええ、そうしましょうか」
と、船内にある小ぢんまりとした茶室で、遥がコクリと頷く。
そう、茶室だ。畳敷きで床の間もちゃんとある、そんな茶室がこの豪華客船の中にあったのだ。
香華が言った通り、この茶室は改装をする際に後付けでこしらえたもの。日本船籍の豪華客船らしい設備だから、きっと本格的にクルーズ船として動き始めれば、人気になること間違いなしだ。
「……にしても、折角の機会に雨とはな」
なんてことを思いながら、戒斗は茶室の窓――飾り障子を開けた先の景色を眺めながら、ポツリと独り言のように呟く。
そう、外は雨模様の景色だった。
横浜港を出るときは曇っている程度の天気だったから、きっと船が雨の降る海域に入ったのだろう。
こう雨が降っていては、船の甲板には出られそうにない。
「そうね……晴れていたら部屋のバルコニーで海を眺めながら一杯、っていうのも楽しめたのだけれど」
呟いた戒斗の横で、香華も窓の外を見つめながら残念そうに肩を落とす。
「お楽しみは次の機会に、ってことだ」
「ええ。次が……あれば、いいのだけれど」
小さく笑って戒斗が言った傍ら、伏し目気味の香華がポツリと呟く。
そんな彼女の横顔をチラリと見た戒斗は、
「なんだ、不安なのか?」
と、香華に問うてみた。
「当たり前でしょう。自分の生命を狙われているんですもの……私だって、不安のひとつぐらい覚えるわ」
「そう言う割に、さっきまではケロッとしてた気がするがね」
「かもね。実際あんまり不安には思ってなかったわ」
けれど、と香華は言葉を続ける。
「…………どうして、かしらね。パーティーの時間が近づくにつれて、なんて言うのかしら……現実味が増してきたの。今までふわふわとしか感じていなかったものが、急に色づいたような……そんな気がして。多分だからだと思うわ、急に不安みたいなものを感じるようになったのは」
らしくないわよね、私ったら――――。
どこか自嘲気味な笑みを浮かべて言う香華の肩に、戒斗はポンっと手を置いて。
「安心しろ、おたくは俺たちが必ず守ってやる」
と、わざとらしいほどの笑顔をニッと微かに浮かべながら、不安げな彼女にそう言ってやった。
「だよな、遥?」
その後で振り向いて言えば、遥もコクリと静かに頷き返す。
「……ええ、私たちがここに居るのは、貴女をお守りするためです。不安に思うことは自然なことですから、仕方ありません。でも……きっと大丈夫です、私と戒斗がちゃんと傍に居ますから」
ニヤリと笑う戒斗と、いつもの薄い無表情で、抑揚の少ない声で呟く遥。
そんな二人の顔を交互に見て、香華はクスッと笑うと。
「…………そうね、そうよね。あのマリアさんが信頼する二人ですもの、きっと大丈夫よね」
と――――少しだけ、肩の力が抜けていくような思いだった。




