第八章:Shadow Encounter/03
「……戒斗、今は」
「分かってる、流石に俺も冷静だ……今はまだ、堪えるときだろ?」
遥とインカム越しに囁き合いながら、戒斗はじっと息をひそめる。
まだ、あの二人に存在を気取られた様子はない。瑠梨の救出とサイバーギアの破壊こそ、今最も優先すべきことだ。すぐにでも一戦交えたい気持ちはあるが、ここはグッと堪えるべきところだった。
それに戒斗の心も、さっきヘリポートで二人を捉えたときより幾分か落ち着いている。遥に言われるまでもなく、今ここで動く気はなかった。
「瑠梨、さっきのでちゃんと壊れたのか?」
「……ええ。ギリギリだったけど、あのサイバーギアは完全に破壊されたわ」
「ってことは、あと三体か……」
どうやら、瑠梨はしっかりサイバーギアの始末をつけてくれたらしい。
一体は完全に無力化して、残るは三体。出来ることならさっさとここから抜け出したいところだが、しかし……あと三体、ここに居る分だけでも破壊しておきたい。
「さてと、ここからどう動くか……」
だから戒斗は、今はまだじっと息をひそめる。
「でも、僕には不思議なことがひとつある。どうやってここを突き止めたのか……それが不思議でならないんだ」
そうして彼らが息を殺して隠れ潜む中、暁斗はリラックスした調子の声でそう、隣の八雲に語り掛ける。
八雲はそれにうむ、と相槌を打ち。
「この場所の……エルロンダイクの存在は、我らの中でも限られた者しか知り得ぬことのはず。あの者らが如何にしてここを知り得たのか、それは私も奇妙に感じていた」
「ふふっ、だったら本人たちに直接訊いてみるのが一番だよね」
笑いながら、暁斗はチラリと目配せをする。
すると八雲はうむ、とまた頷けば、スッと静かに目を尖らせて――――。
「いい加減に出てくるがよい。上手く隠れたつもりであろうが、そなたら戦士の臭いは誤魔化せぬぞ」
と――――睨みながら、明らかに戒斗たちに向けて告げた。
(チッ、気取られたか……!)
完全に、存在がバレている。
苦い顔を浮かべつつ、戒斗は対面の遥たちと頷き合えば……隠れるのをやめ、立ち上がりその姿を八雲たちの前に晒した。
「……驚いたな、いつから気付いていた?」
遥と紅音が警戒しつつG36Cを向ける傍ら、戒斗が暁斗たちに向かってそう問う。
すると暁斗はふふっとまた小さく笑い、
「最初からさ、このラボに入ったときにはもう分かってたよ」
と、爽やかな――それだけに気味の悪い笑顔でそう答えた。
「侵入者が兄さんたちだってことには、すぐに気が付いたよ。きっとサイバーギアを狙ってここに来るだろう、ってことも見当がついた。でも……まさか、葵博士も一緒とは思わなかったけれどね」
チラリと瑠梨の方を見ながら、暁斗が言う。
鋭く尖った、赤い切れ長の瞳。
それに見つめられた瞬間、瑠梨はゾワッと全身に鳥肌が立つ感覚を覚えて――――。
「っ……!」
さっき戒斗に渡されたグロック19を、思わず彼へと向けていた。
本能的な嫌悪感を味わいながら、暁斗に向けた銃口。
そうして瑠梨がグロックを向けた瞬間、八雲がすぐに腰の太刀に手を掛けたが……しかし暁斗が「いいよ、大丈夫だから」と言ってそれを制する。
「博士、それはやめておいた方がいい。生兵法は怪我の元って言葉もあるぐらいだからね。それに僕らには貴女が必要なんだ。だから約束するよ。僕らは葵博士に傷ひとつ付けない。一切の危害を加えない。だから安心して、貴女はその銃を下ろして欲しいな」
「っ、誰がこれ以上、あんたたちになんか……!」
瑠梨はグロックのトリガーに指を掛けるが、しかし――横から戒斗が手を置き、構えたそのピストルを下ろさせる。
「……悔しいが、奴の言う通りだ。あんたが戦って勝てるような相手じゃない……それに、奴の言葉もきっと本当だ。少なくともこの場で、君だけは安全な立場なのは間違いない……だから瑠梨、君は手出しするべきじゃない」
冷静な、しかしシリアスな面持ちで言う戒斗。
そんな彼の横顔を見て、瑠梨は「っ……!」と悔しげに歯噛みしつつ、グロックを懐に収めた。
すると暁斗は「そうそう、それでいいよ」と、わざとらしく拍手なんかしながら笑って。
「でも、不思議なことがひとつあるんだよね。どうやってこのエルロンダイクのことを知ったのかな? 出来たら教えて欲しいんだけど、駄目かな兄さん?」
「馬鹿言ってんじゃねえよ、わざわざ親切に教えてやるとでも思ったか?」
「ま、そうだよね。兄さんならきっとそう答えるとは思ってたよ」
暁斗は大袈裟なぐらいに肩を竦めるジェスチャーをしつつ、また瑠梨の方をチラリと見ながら……こう言葉を続けた。
「でも、今こうして対面してなんとなく分かったよ。兄さんたちがここに来た目的は、葵博士の強奪と……ここにあるサイバーギアの破壊、そうだね?」
「強奪とは人聞きが悪いな、救出って言って欲しいもんだぜ」
実際のところ、後者のサイバーギア破壊に関しては予定外もいいところだ。
が、ここでハッタリをかましてこその彼だろう。戒斗はニヤリと不敵な笑みを湛えながら言うと、自分もまた得物のグリップに手を掛けた。
しかし、抜くのはSIG・P226――彼愛用のピストルの方だ。
この狭苦しい部屋の中じゃあ、ただでさえ重くて長いSR‐25では不利だ。そこらの有象無象の敵ならさておき、相手はあの長月八雲と……それに暁斗だ。小さく取り回しやすいピストルの方が、恐らくスナイパーライフルよりも有利に立ち回れるはず。
そう考えて戒斗はP226を抜き、それを静かに暁斗たちの方に向けて構えていた。
「このまま、逃がしちゃくれなさそうだな」
言いながら、戒斗はカチリとP226の撃鉄を起こす。
すると、暁斗も笑顔で「そうだね」と頷きながら――彼もまた、自分のピストルを抜く。
――――H&K・P30L。
香華を護衛したあの豪華客船でも見た、それはきっと彼が愛用する得物だ。ドイツ製のピストルで、奇しくもP226と同じ9ミリ口径の弾を使うもの。
戒斗と暁斗、P226とP30L。
互いの構えたピストルが、9ミリ口径の銃口が静かに睨み合う。
「……ねえ戒斗、ひとつ頼まれてくれる?」
しんとした静寂の中に漂うのは、ピリピリとした緊張感。
そんな張りつめた空気の中、瑠梨がボソッと小声で彼に囁きかける。
戒斗がそれに「なんだ?」と同じく小声で返すと、瑠梨は苦い顔を浮かべながら彼にこう言った。
「五分……いいえ、三分だけ時間を稼いで貰えないかしら」
「その言い方、何か名案でもあるのか?」
「名案といえば名案、でも最悪と言っても間違いじゃない。……この様子だと、あの連中は貴方たちにとっても最悪の敵なのよね?」
ああ、と戒斗が頷く。
すると、それを見た瑠梨は小さく目を伏せて。
「……だったら、この場を切り抜ける手段がひとつある。こういう事態も想定しておくように、サイファーに言われていたからね……前から準備しておいた、とっておきの秘策がひとつだけあるの」
「ソイツを仕込むのに、時間を稼ぐ必要があるんだな?」
ええ、と瑠梨が頷く。
それを見た戒斗はやれやれと肩を竦めて、
「オーライ、どうにかしてみせる。……長い三分間になりそうだぜ」
言いながら、チラリと遥たちに目配せをする。
インカムは起動しっ放しだ。戒斗の呟いていたことは、通信回線を通して二人にも伝わっているはず。
それを確認する意味も込めて目線を向けると、遥と紅音もコクリと僅かに頷き返してくれる。
どうやら、意図は伝わっているようだ。
「……頼むぜ瑠梨、秘策とやらが何なのかは知らねえが……俺たちの生命、預けたぜ」
「ええ、やってみるわ……!」
呟いた戒斗の横で、瑠梨が隠れるようにしゃがみ込み……手近な機材にケーブルを差し込んだノートパソコンを操作し始める。
それを横目に見つつ、戒斗は再び視線を二人に向け直した。
暁斗は、こちらに向かって笑いながらピストルを向けている。
その傍で八雲もまた、腰の太刀に手を掛けていた。しかし彼のルビーの瞳は戒斗ではなく……ただ一点、遥のみを見据えている。
今まさに、一触即発――――――。
極限まで張りつめた緊張感の中、戒斗は目の前の強敵を、暁斗と八雲をじっと真っ直ぐ見据えながら。
「こうなった以上、戦うしかねえんだろ? だったら――白黒、ハッキリさせるとしようぜ!」
伸ばした右の人差し指を、P226のトリガーに触れさせた。




