第八話:フリマアプリ
「…………」
見越の話を聞き終え、俺は暫し外へ視線を向けたまま沈黙を保った。
十年以上前に、マンションで起きた殺人事件。
該当する記憶が自分の中にあっただろうかと脳内に検索をかけるも、引っかかる事件は何もない。
当時はまだ子供で、大人が好んで観ているようなニュースには関心がなかったし、世間で起きる事件に霊的な事柄が絡んでいるかもしれないなど、考えもしていなかった。
それに、知名度のない事件では俺の住んでいた地域にまで情報が届いていたかも微妙だし、何よりマンション内での殺人などそう珍しいものでもないはずだ。
ここでいくら思い返せないかと頭を使っても、恐らく目的地に着くまで時間をかけたところで何も成果は得られないだろう。
そう結論を出して、俺は首の向きを車内に戻し前方を走る車のテールランプへ視線を固定した。
「一応、確認したいんですけど。その事件について、詳しくは教えてもらえないんですよね? どこのマンションだったのかとか、いつ起きた事件かの詳細な日時とか」
知ることができれば、いずれ外観だけでも見に行くことを検討したい。
そんな浅はかな願望が芽生えたが、見越はあっさりと首を横へ振り
「申し訳ありませんが」
と、拒否の意志を示してきた。
「まぁ、普通はそうですよね。すみません、つまらないことを訊いてしまって」
想定内の反応だったため、特に気にすることもなく、俺は愛想笑いを浮かべ潔く引き下がった。
代わりに、違う話題を即座に吟味し、そのまま吐き出す。
「プライバシーとか守秘義務みたいなものって、やっぱり色んな場面で使われていますよね。俺が大学生の頃、友人にネットのフリマで曰く付きの家具を買ってしまった知り合いがいるって話してくれた奴がいて、詳しく聞いたらちょっと面白い内容だったんですよ。ネットは、匿名で出品したりできますからね。それ故、自分の正体を知られずに厄介な物を他人へ押し付ける。そういう使い方もできるんだなって話なんですけど」
体験したという本人には申し訳ないが、話のネタとしては無難でそこそこ楽しめる話だと聞かされた時に思った。
「ネットのフリーマーケットですか。私は門外漢ですが、最近若い人の間では流行っているらしいですね。偽物や画像で見た商品とは異なる物が送られてきたなんて、問題になることも多々あると、テレビで報じられていましたが」
「ああ、そうです。ただこの話はちゃんとした品が送られてきたにも関わらず、痛い目に遭ったという内容なんですけどね」
こちらの会話に乗ってくる見越へそう補足を入れて、俺は当時聞かされた話を語り始めた。
◇◆◇◆◇◆◇
その友人の知人、言い難いので和田って名前にしておきますが、その和田は大学に入ってから暫くの間、寮で生活をしていたらしいんですけど、どうしても他人との共同生活に馴染めないという理由で半年もしないでアパートを借りることにしたそうなんです。
部屋自体は割とすぐに決まったらしくて、大学から自転車でニ十分くらいの場所って言ってたかな。そこに決めたのだと。
それで、いざ一から一人暮らしの準備を始めるにあたり、色々と必要な物を買い揃えなくてはいけなくなった。
所詮は大学生ですから、そんな社会人みたいにお金があるわけでもないため、和田は均一ショップやリサイクルショップを梯子しながら日用品を買い足していったのですが、ある日、何となくネットでフリマサイトを眺めていたら、一人用のソファーが破格の値段で出品されているのを見つけたそうなんです。
デザインと色が自分好みだし、ちょっと部屋は狭くなるけど持っていてもいいかもな。
購買意欲を刺激されて、そんなことを考えながら和田はそのソファーの購入を決めた。
お金を入金して数日後に、ネットで見たのと全く同じソファーが部屋に届き、和田は良い買い物をしたなとご満悦になりながら梱包を解いてリビングに置くと、早速そのソファーを使い始めた。
目立った汚れや破損はなく、素材は革製で触った感じもどことなく高級感を感じる。
これは最高じゃないかと、その日から部屋にいる時は毎日のようにそのソファーを使い続けるようになったそうなんですが……二週間くらいが過ぎた頃から、どうも和田は脇腹辺りにおかしな痛みを感じるようになったんだそうです。
最初のうちは筋肉痛か何かかなと、それほど気にもしていなかったものの、その痛みは日に日に酷くなっていき、更に二週間が過ぎた頃には軽く擦るだけでも身体がビクッとなるくらいの激痛が走る程まで悪化してしまった。
これはヤバい、内臓の病気にでもなってて自分は死ぬんじゃないだろうか。
お金がもったいないというのと、病院に行くのが恐いという思いでずっと我慢していた和田は、そこまで追い詰められてやっと重い腰を上げ診察を受けることにしたのだそうです。
だけど、いざ診察を受ければ医者からは特に異常はなく健康体だと言われるだけで、痛みを感じる原因はわからないと首を傾げられる結果となり、ひとまず痛み止めだけをもらい数日様子を見ることとなった。
その間、ずっと薬を飲んで様子を見続けたものの、痛みはほとんど和らぐこともなく、和田はもう一人では駄目だと判断し、両親へ事情を説明し一度実家へ帰省することを決めました。
そうして、実家へ戻って療養を始めると、どういうわけか翌日の朝には今までずっと苦しめられていたのが嘘だったかのように、脇腹の痛みがなくなった。
擦っても痛くない。強めに叩いてみても、違和感すらない。
これは治ったってことなのか。だとしても、何でこんな急に?
不思議に思いながらも、痛みがなくなったのならそれはそれで悪いことではないと、もう数日だけ様子を見て、それで特に問題がなさそうならアパートへ帰ろうと、和田は約半年ぶりの帰省をゆっくりしながら過ごすことに決めた。
それから二日程が過ぎた日の午後、家にたまたま親戚の叔母が訪ねてきたそうで、和田もせっかくだから挨拶くらいはしておかなくてはと顔を見せたらしいのですが、茶の間へ入ってきた和田を見た叔母は、あからさまに驚いたように目を大きくしながら
「あんた、とんでもない物を側に置いてるでしょ!?」
と、いきなり怒るような口調で問い質してきた。
意味がよくわからず戸惑う和田へ、叔母は更に
「最近、調子悪くなったりしてない? 身体怪我したり急に体調不良になったり。変なこと起きてない?」
と、早口でまくし立てるように言葉を重ねてくる。
何も事情を知らない叔母が、どうしてそんなことを言ってこれるのか。
状況を飲み込めないまま、和田は隠すことでもないだろうと実家へ戻るまでに自分が体験したおかしな痛みについて、叔母へ一通りの説明をした。
すると、その話を終始強張った面持ちで聞いていた叔母は、
「あなたの住んでるその部屋にね、良くない物があるのよ。何かしら……それを買ったせいで、身体がおかしくなってるはずなんだけど。今また帰って元の生活をするようになったら、すぐに同じ目に遭うわよ。お腹が痛くなる前に、変な物買わなかった?」
そう言って、ジッと和田の顔を見つめてきた。
買った物などいくらでもあるが、体調がおかしくなる前にした一番の買い物は、ネットで購入したあのソファーくらい。
そう思い至った和田は、素直にそのことを教えると、叔母は即答するように「それだわ」と告げ、
「帰ったらすぐにそのソファーを処分しなさい。でないとほんと、あなた遅かれ早かれあっち側に引っ張られるからね」
まるで説教をするように厳しく言うと、冗談なんかではないぞという風に和田を睨んだ。
その叔母は、特に霊感が強い人みたいな話は聞いたことがなかったし、そういった方面の仕事をしている人でもなかったけれど、あまりにも真面目な様子で言われてしまった和田は素直に頷くと、数日後、アパートへ戻るなり早速問題のソファーを処分しようと行動を起こした。
普通のゴミには出せないし、金はかかるけれど業者に依頼するしかないかと考えた和田は、どうせ捨てるのならその前に少しソファーを自分で調べてみようと思い、ソファーのちょうど中央付近にカッターを当て、ひと思いに切り裂いて開いてみたそうなんですが……そしたら、中に詰まっていた綿みたいな物が、どす黒い色になって固まっていることがわかったんです。
何だこれ、と訝しみながら指で摘まむようにして擦ると、僅かに乾燥した粉みたいなものがパラパラとこぼれ、何だかそれが固まった血みたいに見えて、和田はすぐに手を洗って引き取ってもらうための手続きを開始したということです。
このソファーに詰まっていた物が何であったのかは、話をしてくれた友人も和田本人もよくわからない……と言うか気持ち悪くてそれ以上調べる気にはならなかったそうですが、もしその綿が血を吸って固まった状態のものであったのだとしたならば、和田ってやつは毎日そんな物に身体を預けて座っていたってことになるんですよね。
それで俺、考えてみたんですけど、和田が脇腹に痛みを感じた理由って、過去にソファーの持ち主だった誰かが、そのソファーに座った状態で腹を刺されて死んだとか、じゃなきゃ自殺とか、そういうことがあったってこともあり得るんじゃないでしょうか?
それで、中の綿が血を吸って乾燥し、どす黒くなった。
その後、持ち主の家族か知人なんかが表面の素材だけを取りかえ、金に換えるためにリサイクルショップやネットへ売りに出し、次々に持ち主を変えてずっと渡り歩いていたみたいな。
まぁこの辺りは俺の勝手な妄想ですけど、格安の曰くつきアイテムって言うなら、どうでしょう……こういうこともあり得そうな気がしますよね?