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怪談遊戯~冥界ドライブ~  作者: 雪鳴月彦
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惨劇の追憶3

          3


 正面から向き合うのはこれが初だが、先程まで見ていた容姿そのままに、温厚で知的な雰囲気を欠落させ、その代わりに狂気を帯びたような人相を浮かべた見越は、白い歯を剥き出しにして俺を凝視してくる。


「……お、驚いたな。どうしたんですか? 俺、何か忘れ物でもしましたっけ?」


 あからさまに異常な事態だと、本能が警鐘を鳴らしてくるのを理性で堪え、俺は平常心を保つふりをしながら声をかけた。


 すると、見越は口元へ浮かべた不気味な笑みを僅かに強め


「えぇ、しましたよぉ……。とぉ~っても大切なことを、お忘れになっております」


 と、芝居がかった口調で告げながらぐぅっと、開け放った窓から顔を乗り出してきた。


 お互いの距離が、数十センチまで迫る。


「大切なこと……って、何ですか? お金はちゃんと払ったし、特に問題ないと思いますけど」


 さすがに予想の斜め上をいくこの展開に、俺も怯みそうになってしまうが、それでもどうにか普通を装うことには成功している。


 ずっと照らし続けている見越の顔が、ゆっくりと小さく左右に揺れた。


「いいえぇ、忘れています。お客さんには、口止め料としてここで死んでいただかなくては。このまま生かしておくわけにも、いきませんので。その命も、払っていただかないとぉ!!」


「うわぁ!?」


 見越の身体が大きく動くのに合わせて、俺は咄嗟に上体を仰け反らした。


 そしてそれが、結果的には自らの命を救うことに繋がった。


 突如窓から突き出された見越の右腕。その手に握られていたナイフが、俺の鼻先ギリギリで止まりライトの光を鈍く反射させる。


「な……何をいきなり。運転手さん、こんな冗談やめてくださいよ。笑えませんって」


 眼前にある切っ先を凝視したまま、引きつる声で俺が告げると見越は、


「まさか。冗談などではありませんよ。お客さん、私のことに気づいていらっしゃるでしょう? 最後にあのような怪談を話されたのは、脅しか何かのおつもりでしたか?」


 意味不明な質問を投げつけてきながら、更に身を乗り出し俺の顔へナイフを触れさせようと試みてきた。


「危ないですよ! 気づくって、いったい何の話をしているんですか? 訳がわからない。取りあえず、ナイフをしまってください。これ、本物でしょう」


 状況を整理する時間欲しさに、俺は意識しておどけるような口調を作り、見越へ笑いかけてみる。


 それでも、見越はこちらの声を無視してナイフを突きつけたまま、人形のように両目を見開き不気味な視線を送り続けることをやめなかった。


「……ここに足を運んだのは、何年ぶりでしたかねぇ。前はね、たまに様子を見に来ていたんですよ。不安もありましたから。ですが、それは逆に自分が怪しまれる行為に繋がりかねないと思って、いつからか意識して訪れるのをやめていたんです。ですが、今夜こうして久々に戻ってくることになって……ええ、忌々しいことですねぇ。長い月日が経ってなお、私への恨みは消えていなかったようだ。まさか本当に、怨霊となって留まっていたとは」


 まばたきもせぬまま、更に意味不明なことを見越は喋り、クツクツと喉を鳴らして笑い声を漏らした。


「ここへ来る途中でも、車の周りを付きまとっていましたからねぇ。貴方も、気づいていらしたんでしょう? ――いや、そもそも私をここへ連れてくるために、あいつらと共謀していた。違いますか?」


「…………?」


 薬物でもキメているかのような見越の言動に、俺はまともに取り合うことを放棄するべきかと思案する。


 いきなり現れ意味不明なことを言い並べ、挙げ句にナイフまで向けてくる。


 いったい全体どうなっているのかはさっぱりわからないが、ここはひとまず何かしら対処をしなくては埒があかない。


「……悪いですけど、運転手さんの言ってることは意味がわからないです。俺が誰と何を共謀しているって?」


 車の周りを付きまとっていたとも言ったが、途中からサイドミラーを頻繁に気にしていたあれがそうなのだろうか。


 しかし、俺が見た限りでは走る車の周囲に何かがいたような気配はなかった。


 もし仮に、俺が気づかなかっただけで何かがいたとしても、普通に考えれば野生の獣が威嚇でもしようと追いかけてきていたといったところか。


 ただ、それにしたって無理があるように思う。


 となれば、見越が見ていたモノは――本当に何かを見ていたのであればだが――普通には見えない何かであった可能性もあるのか。


 それこそ正に、幽霊のような。


「運転手さん……あなた、この別荘と過去に何か繋がりがあるんですか?」


 ピンとくるものがあって、俺は相手に気づかれぬくらい慎重に後退を試みながら、視線を逸らすことなく問いかけを口にする。


 すると見越は、ゼンマイ仕掛けの人形みたいにクゥゥッと首を傾かせ


「ほぉら、やっぱり気づいているんじゃありませんか」


 と、肯定と取れるような返答を放ってきた。


「昔、休暇を利用してここを訪れていた一家全員が惨殺された……というのは、お客さんもご存じですよねぇ? 夜の……十時くらいでしたか。ちょうど今くらいの時間帯に、突然現れた犯人にみーんな殺されてしまったんです。父と母、それと中学生の娘さん。父はそこの和室で、母は二階の部屋へ逃げ隠れたものの、あえなく見つかり殺され、娘は……ここ。浴室で。ちょうど入浴している最中でね、両親の悲鳴やら怒声を聞いて出るに出られずにいたんでしょうが、犯人に見つかってしまいあえなく身体を切り刻まれてしまいました。色白で華奢な身体が、たった数分で自らの血で赤黒く染められて、最後は浴槽に放置されたんです。……もっとも、それをやったのは私ですけれどね」


 ここまでのやり取りで薄々感じていた答えを、見越はもったいぶるでもなく口に出した。


 過去に起きた惨劇の、その犯人。


 未だ未解決のままにされている残虐な事件を演出したその張本人が、この人がさそうに見えたタクシーの運転手だった。


「あなたが、犯人? どうして……」


 目の前にある狂気を滲みださせた顔を見ていれば、到底悪い冗談とは思えない。


 この車を走らせていたときとは別人に思えるくらいの変貌ぶりは、まさに悪霊が憑りついてしまったのではないかと思えるほど、異常性を帯びてしまっている。


「どうして? 快感だったからですよ、生き物を殺すのが。犬猫ではね、駄目なんです。飽きてしまって。それならやはり、人間を殺した方が興奮が高まるんじゃないかと、仕事柄たまたまここに家族が泊まりに来ていると聞いたもので、人目にもつかないし存分に殺せるんじゃないかと足を運んでみれば、ええ、まさに予想通りで」


 またクククと喉を鳴らして笑い、見越はナイフを持っていない方の手を窓枠へかけて外へ出ようとしてくるモーションを見せてきた。


「最初に、訪問した私を不審そうな顔で出迎えた父親を、和室まで追い込んでめった刺しにしました。妻や娘に逃げろ逃げろと大声で喚いていましたが、すぐに静かになってしまいましたねぇ。それから、二階へ逃げた母親を探しだして、殺さないでと哀願してくる声を聞きながら、脳天へ持参したなたを叩きつけたんですが、一撃では死なずにパニックになったように泣き叫んでいましたね」


 それほど大きくもない窓からジリジリと見越の身体が這い出し始める。


 このままいけば、いずれ窓から下へ落下するだろうが、そんなことなど意に介していないかのように、見越は嬉々とした様子で自らが過去に引き起こした惨劇の一部始終を語り続ける。


「娘は、最初どこにいるのかと思いましたよ。まさか父親を殺している最中に逃げたのかなと焦りましたが、中をくまなく探したら、ちゃあんといました。ここに。蒼白な顔で震えながら、浴室のドアを壊して侵入した私を見つめてもう死んでいる両親へ助けを求めてねぇ。邪魔する者ももういなかったので、一番時間をかけて殺したんですよ」


 見越のナイフがあごかすり、慌てて大きく後退する。


 同時に、見越の身体が窓から落ちドサリと鈍い音を響かせた。


 落ちた衝撃でナイフを手放しでもすれば奪い取ってやろうかとも構えていたが、生憎()はしっかりと握ったままで近づくタイミングも見つけられず、俺はどうにか更に数歩だけ後退あとずさりするだけに留まる。


「痛い痛い、助けて誰かと、ずっと金切り声をあげていましたっけ。最後はね、死なないうちにと思って腹を思いきり裂いて、内臓を引き出したんですが、それで終わりでしたね。恐らくショック死だったのかなぁ? 娘さんもそれっきり動かなくなってしまいまして。念のため、仕上げにと思い、浴槽に頭から突っ込んでそのまま放置したんです」


 ゆっくりと、ふらつくような動きで見越が立ち上がる。


 今のうちに逃げてしまえばという発想も当然浮かんだが、どういうわけか自分の足は逃走という目的に動いてくれることはしなかった。


 突然現れた殺人鬼に対する恐怖か、それとも惨劇の真相を知るチャンスを逃したくないというどうしようもない好奇心か、自分が動けぬ理由は定かにはできなかったが、俺が成り行きを見つめる間にも、見越は体勢を整え真っ直ぐに俺を見据えて笑みを浮かべて話を再開してきた。


「最初はね、すぐに捕まってしまうなと後悔を、もっと慎重にやれば良かったと、警察が自分の元へ訪れる瞬間にビクビクしていたんですが、どういうわけか今日まで一度も疑われることなく生活ができている。普通に結婚生活を続けて、名前も知らなかった他人の娘を解剖するように殺しておきながら、自分の娘の前ではごく普通の父親を演じて生きてこれたんですから、不思議ですよねえ」


 そこまで一息に話した見越は、不意に俺から視線を逸らすと、何かを探すかのようにグルリと周囲を見渡した。


「しかし、これまでたくさんの怪異を様々な人から聞かされてきましたが、まさか自分が実際に体験することになるとは。これも一種の因果応報……なのでしょうかね。お客さん、貴方、ここに私が殺した一家の霊が居続けていることを知って、その上で私に案内を頼んできたんですよね?」


「え?」


 暗闇に這わせた目線をまた俺に戻した見越は、先ほど同様の意味不明な言葉をほうってきた。


「この別荘に近づいてきた途端、私の周りをね、あのとき殺した両親が付きまとっていたんですよ。車の周りを追いかけてくるみたいに、ずぅーっとね。すぐに理解しましたよ、ああ、こいつらはずっとこの場所で私を恨んでいたのだと。こうして何らかの理由で私が戻ってくるのを首を長くして待ち受けていたんだなと……。そこにきて、貴方が私に話してくれた最後の怪談だ。あの人殺しが報いを受けるという話……遠回しに私へ警告したつもりだったのでしょう? どういう経緯で私を殺した者たちの元へ連れて行こうという運びになったのかは、ちょっと想像が及びませんが、ここに彷徨さまよう一家の霊と貴方は共犯者だ。そうでしょう?」


 確信がある。とぼけても無駄だと言いたげな面持ちで、見越はあからさまに見当違いな推理を披露してくる。


 まともな正当性となり得る動機もないままに――殺人を犯している時点で正当性も糞もないが――快楽殺人を実行したような人間だ。


 その常軌を逸した思考もある意味頷けるものではあるが、だからといってそれで納得するわけにもいかないし、ましてや肯定などする余地もない。


「運転手さん、悪いけどあなたの言ってることは本当に意味がわからないですよ。俺が何です? ここにいる霊と協力して運転手さんを連れてきたって? そんな突飛でもない発想をよく思いつきますね。いくら怪談好きでも、さすがにそれは無理があるってもんです。そもそも、俺がここへ来たのは今日これが初めてなんですから。その幽霊とやらだって、まだご対面していないんですよ」


 本当に走行中の車の周りをうろついていたというのなら、俺だってこの目で見てみたかったくらいだ。


「無理がある? まぁ確かに、普通はそう考えるでしょうけどね。ですが先程車内から見た奴らの姿は、間違いなく私が過去に殺した家族だった。サイドミラー越しにねぇ、ずぅーっと私を睨み続けていたんですから。腹が立ちますよ、まったく。殺された立場で、逆らっているつもりなのか」


 グラグラと頭を拡散するように動かしながら、見越は視線をあちこちへ彷徨わせる。


 自分が見たという霊たちでも探しているのだろうが、生憎俺にはその存在を感じ取ることはできていない。


「しかし、何にせよ貴方には私の過去を知られてしまいましたからねぇ。ここで大人しく死んでいただいて、前に殺した一家の仲間入りをしてもらいましょうか。これからはずっと、大好きな心霊スポットにいられるんですから、貴方にとっても本望なんじゃありませんか?」


 下卑げびた笑みを増々強め、見越は手にしたナイフを握り直して俺へ一歩近づく。


「いやいや、さすがに自分が幽霊になるのはごめんですね。それに、俺はまだ他にも行ってみたいスポットがいくつもあるんです。ここ一ヵ所に留まり続けるなんて、いくら何でも退屈すぎます」


 相手を牽制する意味も含ませ、俺はすぐに走り出せるようほんの僅かに腰を落とし重心を左足へ傾ける。


 相手は凶器を所持していること以外、特に注意を払う部分はないはず。


 年齢的に考慮しても、体力は自分の方があるだろうし、懐中電灯だって持っている。


 このまま逃走を図れば、逃げ切るだけの自信も普通にある。


 後は、動くタイミングを掴むだけ。


「そうですか? 気に入ってくださると思ったのですが、残念です。ですが、だからと言って大人しく帰してあげるわけにも……いかないんですよぉ!」


「――っ!?」


 迂闊だったと、そんな後悔を味わう余裕もなかった。


 見越がこちらへ向かってくる瞬間を見極め、逃走してやろうと考え意識を高めていた俺の顔面めがけて、一直線にナイフが飛んできた。


 それほど離れていない距離からの投擲とうてきに、俺はまともに回避することが間に合わず、どうにか顔の位置を逸らして眼球への直撃を防ぐことだけが精一杯だった。


 ナイフの刃は、ダイレクトに俺の頬肉を突き破り骨に当たってから地面へ落ちた。


 心臓に痛みを走らせるような嫌な激痛が顔面を襲い、俺はつい傷ついた頬を手で押さえながら前傾姿勢になってしまう。


 そして、当然のようにそれが仇となり、すぐさま間合いを詰めてきた見越に、不気味なほど優しく肩へ手を置かれてしまった。


「命を狙われているのに、少し危機感が足りないんじゃありませんか? いけませんねぇ、若いんですからもっとしっかりなさらないと」


 痛みに耐えながら片目を開くと、俺の肩へ手を置いたままの見越がそっと足元に落ちていたナイフを拾い上げるのが間近に見えた。


 黙っていたら、追撃がくる。


 咄嗟に状況を理解し、溢れ出た血で赤く染まった手を慌てて伸ばすも、見越の方が余裕で先にナイフを拾ってしまう。


 ――ヤバい。


 この距離で、二撃目を受けるのは致命的だ。


 ここに来て、命の危機が目前にあるというリアリティが一気に覚醒し、胸の奥から背中へかけて鈍重な恐怖心となり膨張してくる。


「――申し訳ないですが、せっかく久々に人を殺せる機会を得たわけですし、そう簡単に楽にしてはあげませんよ。幸い、大声を張り上げても人に聞かれるような場所でもありませんし。痛いときも苦しいときも、我慢せず好きなだけ苦悶の声を吐き出してください」


 上体を屈めたままのポーズでいる俺の頭上から、どこか恍惚とした見越の声が降り注ぐ。


 同時に、肩に置かれた手に力が込もり、逃がしはしないと暗黙で告げるよう指が服へと絡みついてきたのが感触でわかった。


 それでも、純粋な力ではまだ自分の方が上のはず。


 考える時間もない。頬の痛みを気合で堪え、俺は瞬時に下げていた右拳を握り締め、男の弱点――見越の局部へ振り上げようと上体を起こしかけた、その刹那。


 上向かせかけた俺の目が、四本の足を捉えた。


 自分の足を含めて、ではない。


 目の前に立つ見越の足が二本。


 更にその背後、見越へピタリと付くようにして、青紫色の薄汚れた裸足の足が二本、見えている。


「…………」


 足の――と言うか骨格の――感じからして、女性のものだとはすぐにわかったが、どうしてそんなものがこのタイミングで視界へ映り込んできたのか、脳みそがその解を即座には導きだせずフリーズしてしまった。


「どうなさいました? 観念されたところで、慈悲などはかけてさしあげませんよ。私をめようとした報いを、死ぬ間際まで悔いていただかないと」


 見越本人はまだ何も気づいていないのか、意識を俺へ向けたまま背後を気にする素振りは見せない。


「…………」


 数秒遅れで、これはまともな存在ではないと直感が警告を鳴らしてきた。


 見越も充分まともではないが、それとはまた別の異端者。


 俺が追い求めてやまなかった、霊界の住民。


 ついに、巡り会えた。


 一瞬、見越への恐怖心も忘れそんな高揚感と充足感が全身を電気のように駆け抜けた。


 そっと自分を焦らすようにして顔を上げていくと、相変わらずギラついた目で俺を見つめる見越の顔のすぐ右横に、ズタズタに切り刻まれた女の顔が並ぶようにして浮かんでいた。


 女は俺には興味を示す様子もなく、ただただ真横にある見越の顔を眼球が千切れるのではと思うくらいの形相で睨みつけ、口元には怒りか苦悶かわからぬ歪みを湛えている。


 恨み。正にその言葉を、その表情だけで明確に表現していると言っても過言ではないと思える様相だった。


 年齢を推測すれば、間違いなく自分よりは上だろう。


 であれば、この女性の正体は過去に殺された母親か。


「逃げられるのも困りますからねぇ。まずは動けないようお腹を裂いてから、念入りに脹脛ふくらはぎ辺りをグチャグチャにしてさしあげましょうかぁ?」


 呆然となり動かない俺を、自分に対する恐怖で委縮しているとでも勘違いしているのであろう見越が、嬉しそうな声を漏らしてナイフを持つ右腕を頭上へ掲げた。


 真横にある女の顔を、見越の腕がすり抜ける。


 それを合図に、異変は起きた。


「……ん? 何だ、身体が、動かない……?」


 腕を上げ、ナイフの切っ先を俺へ向けた姿勢のまま、突然見越の動きがピタリと制止した。


 俺を掴んでいた左手の力も弱まり、肩から離れる。


 俺自身も戸惑いながら、見越と女へ視線を固定したまま慎重に三歩だけ距離を離すために後退する。


 前屈みになっていた上体を戻し、改めて対峙するようにして見越を見やれば、いつの間に現れていたのか、見越の足元には地べたへ這いつくばるような格好で半透明の身体をした中年と思しき男が出現し、血まみれになっている両手でがっしりと見越の足首を掴んでいるのがはっきりと見えた。


「く、クソ……何だこれは。おい、私に何をした!?」


 まだ何も気づいていないのか、まるで時間を止められたように動かなくなった見越が、唯一まともに機能している顔だけを必死に動かし、俺へ状況の説明を求めてくるような言葉をほうってくるが、俺自身もこの状況を冷静に説明できるほど頭の中が落ちついてはいないため、言葉を吐き出す余裕がない。


 ただ、明確に理解できていることは、この男と女の二人が遠い過去に見越によって殺された被害者であるということ。


 でなければ、ここまで憎しみの噴き出した形相で見越へまとわりついている理由がわからなくなる。


 この状況下で、果たして自分は何をすれば良いのか。


 見越を助ける……というのも、何か違う気がする。


 ではこのまま目の前で起きている異常な現実へ背を向け、逃走してしまえば良いのかとなれば、それもまた後に後悔してしまう気がしてならない。


 自分を殺そうとする見越は助けたくはないが、ここで繰り広げられ始めた怪異の顛末は見届けたい。


 それが、俺の素直な胸中だった。


「――!」


 必死に金縛り――と言っても間違いではないだろう――を解こうともがきながらくぐもった声をこぼす見越の背後で、不意に新たなもやらしきものが揺れるのを見た。


 何かと思い、焦点を後方へずらして注視すると、ついさっき見越が這い出てきた窓から、人の形をした灰色の煙らしきものが蛇の真似事をするような動きでスルスルと出てくるのが認識できた。


 そしてそれは、すぐに鮮明な輪郭を作りだし、華奢な体躯をした裸の少女へ変貌する。


 ただ、既に現れた男女の霊と同様に肌は全て赤黒い色に染め上げられ、大きく切り裂かれた腹からは、年頃の女の子にはあまりにも似つかわしくないグロテスクな臓物が溢れ出て、膝の辺りまで垂れ下がっている。


 浴室で、既に殺された両親へ助けを求めながら身体中を切り刻まれた少女。


 その少女は、血か水かわからないが濡れた髪を顔と肩へ張り付かせながらゆっくりと見越の側までやってくると、僅かな時間ジッと動くことなく佇み、そのまま吸収されるように見越の身体の中へと同化していった。


「うぅ……!」


 刹那、見越は眼球が零れ落ちるのではないかと思うくらいに両目を見開き、ガクガクと身体を揺らし始めながら獣のような唸り声を上げ始めた。


 オカルト系の漫画やアニメでたまに見かけるような、霊が人間の身体へ憑依ひょういした瞬間を自分は目の当たりにできたのかと気づき、動画を撮影出来たら良かったななどと、ズレた考えが脳裏をよぎってしまった。


 黙って成り行きを見守っている間にも、見越はみるみるうちに豹変し、見開いていた目は白目を剥き口からはよだれと泡をこぼしながら意味不明な呻きを撒き散らして――そしておもむろにナイフを手にしたまま固まっていた腕を、自らの腹部へ向けて振り下ろした。


 ドッという身体を殴りつけるような低く鈍い音が、暗闇に短く響く。


 ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッ……と、間断なく何度も何度も見越は己の身体へナイフの刃を突き立て続け、終いには口から垂れ流していた泡と涎が赤い別のものへと変化をしても、自身を責め立てる凶行を止めようとはしなかった。


 側に立つ女も、足にしがみつく男も、ただひたすらに狂いきった見越を睨み続け、その場から消えていなくなるような気配もない。


 どれほどの恨みを、今日まで抱えこの場を彷徨い続けていたのか。


 その鬱憤うっぷんを全てぶつけるように、三人の家族は見越の肉体と精神を蹂躙じゅうりんし尽くし、やがてもう何十回目かわからないほど振り上げさせた腕をピタッと止めさせると、とどめとばかりに刃を首元へと移動させ、その年老いた喉へ深く突き刺し躊躇ちゅうちょさせることなく真横へ一気に引き裂かせた。


 切断された首の断面から、大量の血しぶきが上がるのを見て、俺は咄嗟に顔を覆いながらしゃがみ込む。


 背中へ雨のように降り注ぐ血の雫から逃れるように急いでその場から離れ、再び見越へ目線をほうったが、そこにはもう霊たちの姿はいなくなり、デロォ……っと赤い舌をはみ出させた見越が前のめりに倒れていく姿だけが、まるで虚構を見せられているかのように俺の視界を埋めてきた。


 数秒間、様子を窺うようにその場で固まっていた俺は、ようやく重い足を引きずるようにして見越へ近づきライトで顔を照らしてみたが、素人目にも息絶えていることが容易にわかる有様で、俺は不本意にも胃液が込み上げてくる感覚に耐え兼ね、即座に視線を廃屋の方へと逸らしてしまう。


「あ……」


 そこで、俺ははっきりと視た。


 見越が開け放った窓の奥から、無残な姿と成り果てた親子三人の顔がジッとこちらを見つめている。


 ただ、見越へ向けていたような憎悪に満ちた視線ではなく、まるで俺に何かを訴えているかのような、切り刻まれたその顔の奥に漠然としたメッセージを感じたような気がして、俺も瞬きも忘れ死者たちへ視線を固定していたが、それも数秒にも満たない時間で終わりを告げた。


 何を伝えたかったのか、その意思を受け取れぬうちに、三人の姿は溶けるように薄れだすと、やがて暗闇と同化し見えなくなってしまった。


「…………」


 それでも、暫しの間呆然と窓の奥を凝視していた俺だったが、これ以上何も起こりそうにないと結論を下すと、即座に落としていた荷物を拾いあげ、逃げるようにしてその場から駆け出した。

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