惨劇の追憶1
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「……なるほど。言われてみれば、そうかもしれませんね。人を殺めるほどの罪を犯した人間であれば、相手から呪われても不思議はない。と言うよりも、大抵は恨まれてはいるんでしょうね」
前方を向いたまま、静かに俺の話を聞いていた見越は、どこかしみじみとした口調でそう呟きを放ってきた。
「ええ。殺害現場とか自殺した部屋に霊が出るって話は腐るほど世に溢れてて、そういう霊は直接自分を殺した奴や自殺に追い込んだ奴の元へ行けば、すぐにでも無念を晴らせるのにって思うことがたまにありますけど、やっぱり何かそうできない理由があるんでしょう。その場に留まり動くことのできない霊を表す、地縛霊なんて言葉もあるくらいですから」
「ふむ。では、そういった霊たちは自分の元へ死に追いやった人間が戻ってくれば、呪い殺すなどの方法で復讐を果たし成仏するのでしょうか……」
「そうかもしれませんし、霊によるのかもしれません。もう自我みたいなものすらなくした悪霊なら、恨む相手も忘れてひたすらに呪いを振り撒き続けるのかもしれませんし」
よくあるホラー映画などに出てくる悪霊は、そんなタイプが多いような気がする。
呪った人間の身体を、壊れたマリオネットのように不自然な形へ変形させて殺したり、鏡の中へ引きずり込んだり。どれほどの霊的なエネルギーがあればそんなことができるのかと、内心突っ込みを入れたくなるようなシチュエーションも多々あるが、ああいう創作作品は純粋な娯楽として楽しめるため、特に文句も批難も言わずにいるが。
そもそも、生きた人間をバラバラにしたり壁の中へ引きずり込んだりできる霊がこの世にいるとは到底思えないし、もし仮にそんな化物が実在したら頻繁に変死体が発見されるニュースがネットやテレビを賑わせているはずだろう。
「ま、何にせよ、今みたいな話は人を殺したり深く恨まれるようなことさえしなければ、俺たちには縁のない災いでしょうけどね」
軽い調子でそう会話を締め括り、俺は鏡に映る見越へ笑顔を向ける。
見越は前を見つめたまま、どこか低い声音で「そうですねぇ」とだけ答え、僅かに車の速度を落とし始めた。
そのまま、自然とお互い沈黙を保ち数分が経過した頃に。
減速し徐行していた車が、完全にその動きを止めた。
「……一応、到着はしましたが、本当に行かれるのですか? 幽霊が出るという噂はどうであれ、足元も見えないこの状況で廃屋へ侵入されるというのは、やはり危険だと思いますが」
到着した、という言葉に反応し、俺は暗いだけの窓の外へじっくりと視線を這わせる。
よく目を凝らして見れば、確かに何か建物らしきものの輪郭が少し離れた場所にあるのが把握できた。
遠い過去、この場でとある一家が皆殺しにされた。
犯人は未だ逮捕されておらず、未解決のまま時間だけが静かに流れ続ける場所。
間違いなく、人の無念が刻み込まれているはずの地へ足を踏み入れることができた現実に、俺は心が浮足立つようにソワソワしてきたことを自覚した。
「問題ありませんよ。準備は整えてきましたし、危険だと思ったことはその都度自重するつもりです」
見越の心配そうな声に、対照的な明るい声で対応し、俺はポケットから財布を取り出した。
それなりの距離を走ってもらったせいで、料金はなかなかの額まで上がっていた。
所持金に関してはかなり多めに用意していたので困ることにはならずに済みそうだと、ひとまずそこには安心しながら俺は
「お釣りはいりません」
と、ここまでわざわざ乗せてくれたことと楽しい時間を過ごさせてくれたことに感謝を込め、少しばかり多めに乗車料金を差し出した。
「え? いやいや、そういうわけにはいきませんよ」
慌てて見越が釣りを渡そうとしてくるが、それを丁寧に断り、俺は外へ出ることを伝える意味を含ませ、自分の荷物をまとめて抱える。
「……充分に、気をつけてください。この周辺は本当に人が住んでいる家はありません。電波も弱い以上、緊急事態に陥っても助けは一切期待できませんので」
「わかっています。ご心配していただいてありがとうございます。運転手さんも、帰り道には気をつけてくださいね」
俺の返事を合図にするみたいに、タクシーのドアが開いた。
「それじゃ、行ってきます。ありがとうございました。また御縁があれば、色んな怪談をきかせてください」
ひんやりとした空気の中へ身を移し、最後にもう一度見越へ声をかけると、見越はまだ何か言いたそうな様子で肩越しにこちらを振り向いたまま黙っていたが、やがて「ありがとうございました」と微笑を浮かべて告げると、近くにあった少し余裕のあるスペースで器用に車をUターンさせ、元来た道を引き返していった。
晴れてはいるはずだが、上空は木々の枝葉に覆われているようで、月明かりも差し込んでくれてはいない。
そんな漆黒の中をタクシーの赤いライトだけが何かの目玉のように浮かび上がり、やがてそれもエンジン音と共に徐々に遠ざかっていくと、いよいよ真の闇と自分の息遣いだけが聞こえる世界へ堕ちてしまった。
完全な静謐。今は風すらも吹いてはいない。
「さて、と……」
何も見えない周囲を一度見回して、俺はリュックの一番上に入れ直しておいた懐中電灯を取り出し、ライトを点けた。
最初に照らされたのは、生い茂る木々と好き放題に成長し、大人の膝上くらいまで伸びた雑草たち。
そこからくるりと後ろを向けば――そこに今回の旅の終着点である朽ちた別荘が、まるで近づこうとする者を拒むような無言の圧力を放出しながら静かに鎮座していた。
自分が立つ位置から、約二十メートルは離れているか。
おかげでライトの明かりに全体像がしっかりと照らしだされている。
一見して長い年月放置された廃屋とわかるくらいには荒れ果てているものの、建物自体の形は崩れることなく維持されている。
建築には微塵も興味がないため専門的なことはわからないが、丸太を組み合わせて作った二階建ての小さなログハウス、そう言い表すことができる外観だ。
きちんと手入れがされていれば、間違いなくおしゃれで見栄えのする良い別荘だったことだろう。
建物以外に何かないかと思い近場を改めて照らしてみれば、少し離れた場所に電柱があることに気がついた。
そちらへ近づき上部を照らせば、当然ではあるが電線は引かれておらず、本来の役目を果たすことのできないただの柱と化していることが確認できた。
「さぁてと……それじゃあ、早速中に入ってみるか」
体調は万全、気温も少し低いくらいで動くには丁度良い。
ひょっとしたら、野生の獣なんかがそこらに潜んでいるのかもしれないが、大抵はこちらが音を出せば逃げていくだろうし、それほど深刻に問題視はしていない。
姿は無理でも、せめて幽霊の声とやらを生で一度は聞いてみたい。
これだけおあつらえ向きな場所ならば、嫌でも期待は高まるというものだ。
足元をライトで照らしながら、俺は恐怖とは程遠い期待感に胸を膨らませ、惨劇の舞台となった廃屋へ足を踏み出した。




