第二十二話:見えない部屋
えー、三つ目のお話になりますか。
今度のお話はですね、若い頃に二階建てのアパートで暮らしていたという、四十代の男性からお聞かせいただいた怪異になります。
その方は佐賀県から大阪へ就職した際に、できるだけ家賃の安いアパートを探してそこで生活をされていたそうなのですが、その始めて借りた物件というのが本当に家賃が安い場所だったそうで。
駅やスーパーからそれほど離れているわけでもない、優良物件のはずなのに何故か近くにある他のアパートの半額くらいで借りることができたんですね。
まだ全然お金がない時代でしたから、よくわからないけどすごくラッキーだったとホクホクした気分で契約し住み始めたものの、その初日の夜からあることに悩まされてしまうこととなった。
大体深夜の一時過ぎ。
その時間帯になると、隣の部屋から何やら人の喋る声が聞こえてくる。
電話でもしているのか、声は一人分しか聞こえてはこないものの、十分ニ十分とそれなりに長い時間聞こえてきて、それが毎日続いたと。
あ、これはあれかな。実は壁が滅茶苦茶薄くて、ちょっとした声や音も隣に聞こえるような感じなのかもしれないな。
だから家賃が安かったのか。
その方、最初のうちはそう思ったのだそうです。
しかし、どういうわけかその声は毎晩毎晩、同じ時間帯になると必ずのように聞こえてくる。
いやぁ、壁が薄いのは仕方ないけど、これはさすがに隣の住民も非常識過ぎるんじゃないだろうか。
その方も、仕事がありますから。深夜になる度に話し声が聞こえてくるというのは、さすがにちょっと勘弁してほしい。
少し気が滅入るけれど、近いうちに一度話をした方が良いかもしれない。
そう考え、また暫くの期間は我慢をしていたそうなのですが、やはり一向に深夜のお喋りがなくなる気配がなかったため、ある日ついに勇気を出して隣室へ注意をしに伺った。
隣に住んでいたのは、二十代後半くらいの女性で、引っ越しの挨拶をした後はほとんど顔を合わせたりもしなかった相手だったそうで。
「突然すみません。あの、申し訳ないんですけど、夜中に電話か何かしてますよね? あれ、ちょっと迷惑なんで少し控えてもらえませんか?」
顔を出した相手へそのような趣旨のことを伝えると、どういうわけか酷く困ったような顔をされ
「……それ、あたしじゃないですよ」
と、何とも言い難そうに言葉を返された。
自分じゃないとは、どういう意味か。同居している人がいて、その人が話しているということだろうか。
想定していなかった返答をされて若干まごついていると、女性は更に不可解な言葉を付け加えてきた。
「深夜の一時くらいに聞こえてくる、独り言みたいな声ですよね? それ、あたしの部屋からも、聞こえるんです。もうずっと、ここで暮らし始めてから一年半くらい毎日」
言っている意味が、さっぱりわからない。この人の部屋から声がすると注意に来たのに、あたしの部屋からも聞こえるとは何を言っているのか。
馬鹿にしている様子はないが、少し変わった人なのか。
ただただ困惑していると、女性は徐に外へ移動してきてお互いの部屋の境目辺りになる壁を指差してきた。
「あたしも最初は隣の部屋の人が話してるのかなって思っていたんです。引っ越してきた時、そちらの部屋に男性が一人住んでいたので。でも、会って話をしてみたら夜中に喋ったりなんかしていないって」
勝手に話を始める女性の言葉を聞きながら、その方はただ指差されている壁を見つめていた。
「間違いなく隣の部屋、今貴方が使っている部屋から声がするのに、そこで生活している人が喋っていないというのはおかしい。でも嘘を言っている感じでもないし、それであたしたちは二人で声の出処を一度検証してみようかってことになったんです」
指を差したままの女性は、そこで一度言葉を切り、男性の方を見つめてきた。
「夜になって、またいつものように声が聞こえ始めたタイミングでお互い部屋から出て、本当に自分が話していないことを証明し合って、その上で、声はどこから聞こえてきているのか確かめてみたんですけど……その声がしていた場所、ここなんですよ」
え? っと、その方は改めて女性が指差す壁を見たそうで。
「お互いの部屋を仕切ってるこの位置。薄い壁の中で、声がしていたんです。どうしてなのかは、わかりません。人が入り込めるようなスペースがあるとは思えないし、誰かの悪戯だとしてもこんな長期間繰り返すなんて異常すぎますし。ただここ、異様に家賃が安いじゃないですか。だから、ちょっと何かがあるのかもしれないなって相手の男の人が言って……でも、それ以上はあたしたちも調べたりはしていないんですよね。声がする以外に特に害はないし、家賃の安さは魅力的な場所なので、あたしは我慢して住んで、今はもう慣れちゃいましたし」
その日の夜。そんな話を聞かされたせいで、寝つけずにいたその方は、またいつもの声が聞こえてくると同時に布団から出て壁に耳を押し当て、本当に女性の言うことが正しいのかを確かめようとしたそうです。
ジッと耳をすませれば、聞こえる声は確かに隣に住む女性のものとは違う。
男の声であるのがどうにかわかる程度で、内容まではボソボソと喋っているせいでわからない。
本当に、壁の中から聞こえるのか。
自分たちの部屋の間に、認識することのできない異界の空間でもあるかのような、そんなイメージが頭に浮かび、その方はすぐ布団へ戻るとなるべく声を聞かぬよう意識をしながら眠りについたそうで。
その謎の声、お話を聞かせてくれた男性がアパートを去るまでの五年間、休むことなく毎晩聞こえ続けていたということです。




