エピローグ
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私は幸せです。
お父様とお母様はどちらも立派な方で、とても優しいし、いつも世話をしてくれる侍女もお姉さんみたいに接してくれる。じいはたまに怖いけど、いっつも甘いものをくれるし、一緒に住んでいる使用人達も、とても親切にしてくれる。
それに、私はガイレス様から恩恵を授かっているんだ。
だから、将来はお嫁にいくのも困らないし、人の役にだって立てる。だって、その恩恵は治癒術だから、怪我をした人を助けたいって思ってるの。
それを言うと、いつもお母様は「それを忘れないで」って言ってくれるし、お父様は「ララは本当に素晴らしい自慢の子だね」って褒めてくれる。だから、私はがんばるんだ。お父様とお母様が誇れるような、そんな大人になるんだ。
そんなある日、私が寝ていたらどこかで何かが割れる音がした。私はその音がなぜだか気になってベッドから降りる。なぜだか足が自然とお父様とお母様の部屋に向いて、部屋の近くにいくと、なぜだかドアが開いていた。少し怖くなったけど、お父様とお母様が心配だから中を覗く。
するとそこには信じられない光景が広がっていた。
お父様とお母様のベッドは真っ白で気持ちがいいの。でも、今日は真っ赤に染まっている。
お父様とお母様の部屋の香りはお花の香りがするんだけど、今はなんだか、気持ち悪い鉄の匂いになっている。
いっつも私の名前を呼んでくれる二人は、今はベッドに寝たまま動かない。聞こえてくるのは、ぴちゃん、という何かが滴り床にぶつかる音だけだった。
「お父様! お母様!」
私は慌ててお父様とお母様にかけよった。見つめていても二人は全然動かない。だから、私は使ったんだ。私に授けられた恩恵を。
「治癒術」
それでもお父様とお母様は動かない。よし、もう一度。
「治癒術っ」
なんで動かないんだろ? もっとたくさんやれば動くはず!
「治癒術!」
だめだ! なんで!? どうして?
「治癒術! 治癒術! 治癒術!」
そのあと、何度治癒術を使っても、お父様とお母様は動かない。
ねぇ、どうして? ガイレス様から頂いたこの恩恵は、怪我を治すんでしょ? お父様とお母様は怪我してるけど、全然効かないよ?
ねぇ、どうして? どうして、お母様とお父様がこんな目にあわなきゃいけないの!? どうして、二人は目を覚まさないの!?
ねぇ、どうして? どうして、私は、一人ぼっちにならなきゃならなかったの?
ねぇ……、どうして…………?
両親が死んで、失意のどん底にいた私は、ある日ぼんやりと町の外を歩いていた。家の使用人達は両親が死んだことで私には見向きもしない。だから、簡単に外に出ることができた。
「城の外は危険って、いつもじぃが言ってたわ」
そんなことをつぶやきながら歩く。しばらくすると、目の前に一匹の野犬が現れた。
牙をむきだしにして、涎を垂らし、私をじっと見つめながら唸っている。
あぁ、私もお父様とお母様と同じところにいけるんだ。
そんなことを思っていると、予想どおり、野犬が私に向かって走ってきた。命を奪われる予感。それは、すぐに確信に変わり全身の震えへと変わる。
「いまから行くね、お父様。お母様」
覚悟の言葉は、実らなかった。目の前にいた野犬は、いつのまにか真っ二つになって地面へと崩れ落ちる。
「大丈夫か?」
そこにいたのがアクトス様だったのだ。
不意に助かった命。私はその事実になぜだか涙が止まらなかった。今更ながら、恐怖で腰がぬけ立っていられなくなった。何かを失いそうで、必死になって叫ぶことしかできなかった。
そんな私の頭を、アクトス様はそっと撫でてくれたのだ。
しばらくして落ち着いた私は、思っていたことや起こった出来事をすべてアクトス様に吐き出していた。
自分の無力さへの嫌悪。両親を助けられなかった不甲斐なさ。自暴自棄になった心の弱さ。そのすべてをアクトス様はじっと聞いてくれたのだ。そして、最後に行ってくれた言葉。それが私の生きる道しるべとなった。
「俺と一緒だな」
そう言って笑ってくれたアクトス様の顔を、私は一時も忘れたことがなかった。
――――
ララが目を開けると、その視界に映ったのは、無骨な石造りの壁と鉄の杭。城の牢獄に入れられているララは目を変えたまま視線をそらしはしない。
「もう久しくこんな夢、見ていないのに……」
そうつぶやくララの目からは一筋の涙。その涙にそっと触れると、そこからはかすかな温かみを感じた。
「ねぇ、アクトス様……。あなたはいらなかったのですか? こんなつまらない世の中を、この世のすべてを壊せる力を……。アクトス様だって、すべてを失ったじゃないですか……。どうして……」
そして再び目を閉じる。瞼の裏には笑顔のアクトスがいた。
自分と一緒だと言ってくれたアクトス。
そのアクトスは、自分と同じように理不尽に全てを失くしていた。そんなアクトスが力を得ようと足掻いているのを知ったとき、ララの胸は高鳴った。
自分と同じように、理不尽さにあらがう力を欲しているのだと唐突に理解した。そして、目指す場所も同じだと思い込んでいたのだ。
だが、それは今のララからすると幻だった。アクトスは全てを失ったかもしれないが、何も持っていないわけじゃない。それがわかってしまったからだ。
「アクトス様……」
か細い声が、牢獄に響く。それは、すぐに石の壁に吸い込まれ、沈黙へと溶け込んだ。
◆
「と、そんな幼少期を過ごしたようです。ちなみに、ララ殿のご両親を暗殺したものは、我が国の有力な貴族だったようですな」
「権力争いか……。それは一重にわしの力不足じゃ。だが、起きてしまったことはどうすることもできん。やりすぎには違いない」
「その通りでございます」
報告書を読むオーキシスとそれを聞いていた王、レダコートは沈痛な面持ちで口を閉ざす。
二人はわかっているのだろう。不幸な若者を生み出したのが、この王国の膿そのものであることに。しかし、今はどうにもならないのが現状だった。そういったことを起こす貴族を全て裁いていたのでは、国が立ち行かない。
どうしようもなく、そのことをわかっている二人だった。
そんな二人は、しばらく沈黙に包まれたまま執務室で過ごしていた。が、そんな沈黙を破ったのは、唐突に叩かれたドアの音だった。だれかがドアの向こうで叫びながらドアを叩いている。
「陛下! オーキシス様! 伝令でございます! お開けください! 伝令でございます!」
ドアをたたいていたのは、おそらく防衛隊のだれかだろう。伝令ということは、王に伝えなければならない急用があるということ。その声色からは容易に焦りが窺えた。
「なんだ。騒々しい」
そう言いながら、苦々しい顔を浮かべたオーキシスは、ゆっくりと歩きながら執務室のドアを開ける。すると、わずかに開いたドアから一人の男が手紙を持って飛び込んできた。
「陛下、こちらを!」
その手紙を受け取ってオーキシスはおもむろに読み始める。そんなオーキシスを尻目に、王は穏やかな口調で防衛隊の男に退室を命じた。
「なんじゃ、騒々しいな。して。なんと書いてあったか? オーキシスよ」
「まず差出人がハイト・デルフィーノですな。何々? 火急の要件あり。すぐに中の手紙を確認せよ、とありますが……」
頭を抱えたまま唸るオーキシス。そんなオーキシスが持つ手紙を、王も受け取って目を通した。
「陛下」
「うむ」
王がそれを読むと、にやりと笑みをうかべた。その笑みは、どこか子供っぽい面もありいやらしくもあった。
「あやつらしいわい。いいだろう。放っておけ。好きにやらせればいい」
「それ以外にはないでしょうな」
「ハイトの心境は複雑であろうが……さしづめ、子を送り出す親のような心持だろうな」
「結婚もまだですがな」
そういって、王とオーキシスは笑う。その笑みには、少しだけ寂しさを含み、少しだけ誇らしげで、それでいて優しい笑みだった。
「成長したのですね」
「うむ。まあ、まだまだ、この老いぼれに尻拭いをさせる程度のことしかできない若造達だがな」
「ははっ」
当然、その尻拭いには、他国への圧力を失ったことに対する危機感を感じるものや、むしろアクトスなしでも力があることを知らしめようと戦争を企てようというものや、そもそも王命に背いたアクトスが悪いのだから責任をとれと論点をすり替えるものや、それを真に受け作戦を無視して防衛隊規則に違反したアクトスを糾弾するものや、現実的にこの情報をどう操作して外交を行っていくか考えるものや、神器というおとぎ話の中のものが実在した事実に歓喜する馬鹿などの意見すべてを押しのけて国のための指針を打ち出さなければならないが、それは王の仕事である。
「ああ、それとな。アクトスたっての希望があってな。これを読んでいるお前ならわかるだろうが……まあ、アクトスの言うことだ。少しは融通を聞かせてくれんか?」
「命まではとらんと約束しましょう」
「それでいい」
そういって、王は再び手紙へと視線を落とす。その手紙にはこう書いてあった。
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拝啓 ハイト・デルフィーノ殿
副隊長をやめる。あとは頼んだ。
それと、ララのこと。それも、おっさんにまかせるから。うまくやってくれ。
元二番隊副隊長 アクトスより
――――
◆
所変わって、ここは王都にある防衛隊の訓練場。そこでは、今日も二番隊の面々が訓練を行っていた。
砂煙が舞い、模擬刀がぶつかり合う音が今日も響き渡っている。
「知ってるか? 副隊長らしいぞ」
「何がだ?」
「何って、あの蛇の盗賊団の親玉のことだよ」
「親玉って?」
「なんだよ、お前。なんもしらねぇのな。あの蛇の盗賊団の親玉。副隊長がやったらしいぞ」
「嘘だろ? あの副隊長が?」
「まじだって。しかも、そこで使われてた古の産物である神ガイレスの神器を真っ二つに叩き切って、国の危機を救ったんだと」
「ほんとかよ。つくり話じゃねぇか?」
「でもそこに乗り込んだ奴らが言ってたんだぞ?」
「じゃあ、ほんとなのかよ」
「す、すげぇな」
そんなことを話しながら、隊員達は口々に言葉を交わす。
「でも、単独行動でお咎めくらってるって噂だけどな」
「そうなのか? たしかに今日はまだ来てねぇけど」
「もしそれがほんとなら、稽古くらいつけてくれねぇかな。盗賊団の親玉をやるってそれなりの腕があるってことだろ?」
「まあ、そうだよな。なら、今日来たら皆で頼んでみるか」
そこへ、隊員の一人が走ってやってきた。その隊員は、ひどく慌てた様子で皆に向かって叫ぶ。
「おい! 大変だぞ! 副隊長が――」
その隊員の言葉に、訓練場がざわめいた。
◆
ようやく城があわただしくなるそのずいぶん前。その日の早朝に、アクトスは城門にいた。大きな背嚢を背負って。
「もう少しまてねぇのかい」
「悪い。急いでるんだ」
「まあ、もらうもんもらってんだから文句は言えねぇか」
そう言いながら、門番は門を開けていく。本来であるならば、門を開ける時間は決まっており、その時間まではまだずいぶんある。しかしながら、まったく外に出れないかというとそうでもなく、脇にある小さな扉に通行料を払えば通れる仕組みになっていた。
その手間から、門番からは嫌がられることではあったのだが。
「ありがとな」
「おぉ」
そんなやり取りを経て、アクトスは王都の外にでた。広い荒野にたった一人。胸をすくような解放感と、幾ばかりかの不安。それがないまぜになった状態でアクトスはその一歩を踏み出す。
が、その一歩を邪魔するかのように立ちふさがる一つの人影。アクトスは、その人影に気づくと、顔をしかめて悪態をついた。
「邪魔すんじゃねぇよ。もう俺は副隊長をやめたんだ」
「手紙は見た。だがな、一言くらいあってもいいんじゃないか? なぁ、アクトス」
そこに立っていたのはハイト・デルフィーノ。アクトスの保護者であり、上司であり、剣の師匠でもある。そんなハイトがこんな早朝に、なぜこんなところに、とも思うが理由は一つしかないだろう。
「恩恵もなくして一人で生きていけると思っているのか?」
「わからねぇ。けど、やらなきゃ一生わからねぇ」
「今まで王都に引きこもっていた奴に旅などできると思っているのか?」
「わからねぇ。けど、もう外に出たんだ。引きこもりじゃねぇだろ」
「なんも知らない若造が、生きていけるほど外の世界は楽だとでも?」
「わからねぇ。だから見に行くんだ。もっと強くなるために」
互いに仁王立ちしながら、視線をそらさず言葉を交わす。どちらも一歩も引かず、重くるしい空気がその場にはびこっていた。
「もう揺るがないのか?」
「ああ」
大きくうなづくアクトスを見て、ハイトは微笑んだ。そして、腰に刺さっていた剣を抜くと正眼に構える。
「知ってるか? 剣を掲げて互いに剣先を交わしたらそれが決闘の合図だ。最近は、あまりやらなくなったがな」
異様なほどの圧力。ただ立っているだけの男とは到底思えないほどの隙のなさ。アクトスは、その立ち姿だけで強さを感じ取る。故に、最初から本気だ。
アクトスも、砲輪をつけた剣を取り出して正眼に構え荷物を置くと、おもむろに近づいてハイトの剣先に、自らの剣先をぶつけた。
軽やかな金属音。
その音が鳴り響いた瞬間に、二人は互いに距離をとる。そして、一拍おいたのち、二人の姿はその場から消えた。
刹那の交錯。おそらくは互いに一太刀かわしたのであろう。互いに剣を振り切った状態で位置が入れ替わっていた。
だが、背を向けたまま互いに動きはしない。静寂が、二人を包んだ。
そして唐突に、甲高い破裂音が響く。ハイトの剣が、衝撃に耐えきれず弾け、そして地面へと落ちた音だった。
アクトスを見ると、その頬に深い傷を刻んでいた。そこからは血が流れ、地面へと滴り落ちる。
背を向けたまま、視線は合わせず、ハイトはアクトスの荷物を後ろへと放り投げた。そしてその荷物はアクトスの真横にどすんと落ちる。
「強くなったな」
「……あぁ」
その言葉だけを残し、ハイトは歩き出した。王都へ、城へ向かって。アクトスはそれきり何も言わず、荷物をもって歩き出した。否、何も言えなかったのだ。今口を開いたら、その声は震えてしまうから。
アクトスは今、初めて旅立ったのだ。
そんなアクトスの真後ろから唐突に声が響く。そんな予想だにしない出来事にアクトスは慌てて振り向いた。
「いよいよですね」
そこにはミリサが立っていた。その事実に、アクトスは思考が全く追いつかない。
「ねぇ、副隊長。この道をずっと行って、港町からもっとずっと言ったところが私の田舎なんですよ? だからこの道は私は通ったことがあるんです! なんだか懐かしいですね。ほんの少し前のことなのに」
そんなどこかうきうきした様子が伝わってくるような声がアクトスの横から響いている。
「まあ、副隊長は、ずっと王都から出たことないから知らないでしょうけど、途中で通る港町の名物の『川魚モドキのちょっぴり甘い激辛砂糖煮込み』は絶品ですからね! 絶対食べましょ! 絶対です」
ミリサの目線はアクトスと同じ空へ向かっていた。その思考の中がすでに港町の名物で埋め尽くされているのは、傍からみていて容易にわかるほどの浮かれようだ。
「なな、なんでお前がこんなとこに!?」
「なんでって。副隊長と一緒に旅に出るからにきまってるじゃないですか」
「なんで旅に出るって知って――そもそも、誰がついてきていいって言ったよ。仕事があるんだろ? さっさと帰れ、馬鹿女!」
「あ! また馬鹿女って言いましたね!? そんなこと言ってると、副隊長が言われたくない、神の化身とか呼んじゃいますよ? 今、泣いてたこともつっこんじゃいますよ? いいんですか?」
痛いところを突かれ口を噤みかけるが、ここで言い負かされてはいけないと、アクトスも必死で言葉を紡いだ。
「馬鹿を馬鹿っていって何が悪いんだ、何が! それに、俺はお前がいるから、安心して副隊長やめれたんだぞ? わかってんのか!? それを一緒に行くとかふざけてんのか!?」
「そんなこと言っても……副隊長は命の恩人ですから。それに、王様に言われましたからね? ずっと副隊長を守れって」
「そんなの……俺はもう副隊長じゃねぇ」
「でも、守ります。決めたんです」
そういってミリサはアクトスをじっと見つめた。
制服姿ではない、軽装ではあるが旅装束を身にまとったミリサは色気のかけらもない。しかし、ぐいっとアクトスを見上げる上目使いや、突き出した唇など、ミリサのかわいらしさは損なわれていない。むしろ、今までとは違った印象に、アクトスは不覚にも胸を高鳴らせてしまう。
そんなミリサに咄嗟に悪態をついてしまおうと思ったが、アクトスは理性でなんとかそれを押しとどめると、頭をかきながらぽつりとつぶやいた。
「なら、アクトスだ」
「ふぇ?」
「もう副隊長じゃねぇって言ったろ? 俺の名前はアクトスだ。仲間ってんならそう呼べって言ったんだ。わかったか、この馬鹿ミリサ」
アクトスがぶっきらぼうにそう言い放つと、ミリサは満面の笑みを浮かべて、頬を少しだけ赤らめながら大きくうなづいた。
そして、跳ねるようにアクトスの横を歩くと、敢えて視線を向けずに返事をする。
「わかりました……アクトス。これからもよろしくおねがいします!」
「おう。よろしくな」
言葉を交わす二人の表情は、二人の未来を照らすかのように眩しかった。
――完――




