第30話 シアンの宝物
スマルトはしばらく、アズールと会議をしなければならない仕事に取り掛かるのだと言う。昨日の話し合いで決まったらしく、シアンには少し難しいのだとか。そのため、ちょうど手の空いたセレストの執務室に預けられた。託児所に預けられる子どもはこんな感じなのだろうか、と賢者はそんなことを考えていた。
「いまは散らかっているけれど、好きな本を読んでいていいわ」
セレストの執務室は、テーブルやソファに本が無造作に積まれている。本棚には空白ができていた。
「本棚を整理していたんですか?」
「ええ。あなたに読ませたい参考書を吟味していたのよ」
どれもこれも読んでみたい本ばかりだったが、セレストが厳選するのを待っていたほうがいいだろう、とシアンは考える。賢者は手当たり次第に読み始めると止まらないからだ。
「じゃあ、僕もお手伝いします」
「あら、助かるわ。じゃあ、この辺りの本を、この段にアルファベット順に並べてもらえるかしら?」
「わかりました」
「頭をぶつけないでね」
「はい」
自分で本棚を整理しようとしてぎっくり腰をやり、例の伝説を目指す弟子に叱られたことを思い出す。彼女は賢者をよく慕ってくれていた。何かと様子を見に来る、孫のような存在だった。
シアンの小さい手に分厚い参考書は重く、一冊ずつしか移動させられずに時間がかかってしまう。セレストは別の本棚の参考書を出しては戻し、出しては戻しと吟味していた。
(この世界には物を浮かせる魔法はないのかのう……。あれは便利じゃったの)
二十冊程度を棚に納めてひと息つくと、シアンはひとつ上の段に気を引かれた。窓から射し込む陽の光を受けてキラキラと輝く瓶が奥のほうに置かれている。手に取ってよく見てみると、中身は滑らかな手触りの丸いガラス玉だった。
「あら、そんなところにあったの。本で押し込んでしまったのね」
「これはガラス玉ですか?」
「ええ。あなたが拾って来た物よ。いろんなところから見つけて持って来てくれたのよ」
手を傾けるとカランと小気味の良い音が鳴る。濃淡様々な青色のガラス玉が詰め込まれていた。
「懐かしいわ。少し休憩がてら、眺めてみましょう」
シアンが重い本の整理に疲れて来ていたのを目敏く見抜いたようで、セレストは優しく微笑んで言う。手招きされるまま、瓶を抱えて執務室をあとにした。
マゼンタにお茶の用意を頼んでリビングのソファに着くと、セレストはテーブルの上にハンカチを広げる。転がり落ちてしまわないよう、その上にガラス玉を出して行った。
「綺麗ですね。ほとんど青色みたいですが……」
「そうね。たまたまなのか、自分で選んだのか、青色のガラス玉を見つけると私に持って来てくれたのよ」
懐かしむように言うセレストには申し訳ないことだが、いまのシアンは憶えていない。そもそも物心がつくかつかないかくらいの頃の話かもしれないが。子どもの幼い頃の記憶は親の心の中でのみ輝くものである。それも、眩しいほどに美しく。
「小さい頃はよく帽子を被って公園に行っていたの。そのたびに見つけて来たのよ。陽が当たって綺麗だから持って来てくれたのでしょうね。私の宝物のひとつよ」
セレストは優しくシアンの髪を撫でる。こうして愛してくれる人に贈り物をしたくなるのは、きっと子どもでも大人でも同じことなのだろう。
「あら、懐かしい」
明るい声に顔を上げると、ネイビーが覗き込んでいた。どうやらシアンの幼い頃の記憶は、姉の中にも刻み込まれていたようだ。
「シアンはガラス玉を見つけ出すことに関しても天才だったわ。私は見つけられたことがないもの」
「僕は姉様にはあげなかったんですか?」
「ガラス玉はぜんぶ母様に渡していたわ。でも、私には別の物をくれたの。取って来るわ」
楽しげに笑ってネイビーはリビングを出て行く。思い出話がひとつ始まると、そのあとは芋蔓式である。シアンが憶えていないとなると、語って聞かせたくなるのだろう。
マゼンタがお茶を運んで来るので、シアンは割れないよう気を付けながらガラス玉を瓶に戻した。母の大事な宝物を壊すわけにはいかない。宝物は美しくあるべきなのだ。
「あ、ひとつだけ緑色がありますね」
「そうね。それは『母様の目と同じ色』とあなたが言っていたから、その中でも一番の宝物ね」
(優男のような台詞じゃのう)
子どもの無邪気な言葉であり、いまのシアンには言えない言葉かもしれない。何より賢者が気恥ずかしい。
「おや、懐かしい」
シアンの手元を覗き込むのはアズールだった。どうやら思い出は兄の心の中でも煌めいているようだ。
「シアンは活発に遊ぶようなことはなかったけど、ブランコが好きだったね」
「僕は兄様にも何かあげましたか?」
「ああ。持って来るよ」
こうして思い出話の連鎖は続いて行くのである。
「僕はみんなにいろんなものをあげていたんですね。僕はあんまり憶えてないですが……」
「小さい頃はみんなそうよ。ブルーもいろいろ拾って来たわ」
私室を探してみればブルーにもらった物があるかもしれない。シアンは普段、スマルトの執務室で仕事をするか勉強部屋やピアノホールでカージナルの授業を受けているため、私室にはあまり行く機会がない。何が置かれているのかは把握していなかった。
「何をしているんだ?」
追加のお茶を用意しに行ったマゼンタと入れ替わりで、スマルトがリビングに入って来る。アズールも休憩に来ていたところを見るに、仕事はひと段落ついたようだ。
「僕がみんなにあげた物の話をしていたんです。スマルト兄様も何かありますか?」
「ああ、あるぞ」
「わあ、見せてもらえませんか?」
「ああ。持って来る」
シアンはよく贈り物をする子どもで、彼らはそれを大事に取っておくほどシアンを愛している。その愛に応えようと、シアンは次々と贈り物をしていたのだろう。
(色違いのガラス玉……なんて可能性もあるのかのう)
それでもきっと、それぞれ大事に取ってあるのだろう。シアンの贈り物には、ひとつひとつに想いが込められていたはずだ。そうでなければ宝物にならないだろう、とは言えないのがサルビア家である。シアンに関するものは、きっとすべて思い出なのだ。
引き返して行ったスマルトと擦れ違いでネイビーが戻って来る。その手には青色のファイルがあった。書類を入れるような大きさのファイルだ。ネイビーはそれを得意げにテーブルに広げる。
「公園に行くといつもシアンは花を摘んで来てくれたから、ぜんぶ押し花にして取ってあるのよ」
花弁が曲がったり押し潰されたりすることなく綺麗に保存された押し花だ。それを一冊にまとめた物のようで、パラパラと捲ってみるとそれぞれ違う花のようだ。
「教えていないのに不思議と青色の花ばかり摘んで来て、サルビア家の血筋を感じたわ」
「たくさんありますね」
「ええ。花束じゃなくて一輪ずつ摘んで来てくれたのが粋だったわ……。その度に幸福感を味わっていたもの」
ネイビーはうっとりと押し花を眺める。“粋”というものを子どもが理解することはできないだろうが、ネイビーがそう感じているならきっとそれが正解なのだろう。
「母様にもひとつずつあげていたんですか?」
「ええ。小さな手でひとつずつ持って来てくれたわ」
懐かしむように微笑むセレストは、いまだそのときの幸福感を憶えているようで嬉しそうな色が湛えられている。その幸せをシアンがもたらしたのなら、誇りに思ってもいいのかもしれない。
アズールが戻って来て、小さな箱をテーブルに置く。その中には、何かの形をした青色の折り紙が詰め込まれていた。
「これは……?」
「シアンが折って遊んでいたのをくれた物だよ」
子どもの手で懸命に折ったようで、ところどころぐちゃぐちゃになっており、なんの形を模した物なのかは判別できない。数々の思い出の品はほとんど青色だった。
「これはなんの形なのかしら」ネイビーが首を傾げる。「何を見ながら折っていたの?」
「いや、何も」と、アズール。「適当に折って遊ぶのが楽しかったみたいだが、芸術性を感じるだろう?」
(兄馬鹿フィルターじゃの)
しかし、シアンが「あげる」と言ってアズールに渡したのなら、それは贈り物に間違いない。芸術性が認められるかどうかはともかく、子どもなりに真心を込めて作った物なのだろう。
なんの形なのかの議論を交わしているうちに、スマルトがスケッチブックを手に戻って来た。その中身は、何を描いたのか判別できない青色のペンによる絵画だった。
「あら、芸術的だわ」セレストが微笑む。「これは何を描いた物かしら」
「さあ」スマルトは肩をすくめる。「ペンで適当に描くのが楽しかったみたいだ」
「素敵。気の赴くままに描くのが楽しかったのね」
スケッチブックを捲るセレストと覗き込むアズール、ネイビーは、懐かしむように微笑んでいる。彼らにとって、シアンが生み出した物はすべて芸術に感じられるようだ。
(ま、芸術は心で感じ取るものじゃしの)
スケッチブックには一本しか線が引かれていないページがあり、これにはどんな想いが込められているのだろう、とアズールとネイビーが議論を始める。子どもが線を描くことに意味を持たせているとは賢者には思えないが、彼らはそうしてシアンが何を考えていたかということに思いを馳せることを楽しんでいるのだろう。
「あら? 何してるの?」
お茶を運んで来たマゼンタとともに、ブルーがリビングに入って来る。午前の勉強を終えて来たようだ。
「僕が小さい頃にみんなにあげた物を見ているんだよ」
「それならあたしもあるわ!」
「え、ほんと?」
「ええ! 持って来るわ!」
意気揚々とブルーはリビングを飛び出して行く。二歳年下のブルーにあげた物ならシアンの記憶に残っていそうなものだが、いまのシアンは憶えていなかった。
「ブルーには何をあげたの?」
ネイビーの問いかけに、シアンは首を捻る。よくよく思い出してみても、検索に引っかかる記憶はなかった。
「よく憶えてません」
「あげたほうはそんなものよ」セレストが微笑む。「もらったほうは大喜びしても、そんなのあげたっけ? なんて言うの。あなたたちもそうだったのよ」
きっとセレストの私室に行けば、アズールたちの贈り物も山ほど出て来るのだろう。おそらくそれは父ゼニスも同じこと。子どもたちは綺麗さっぱり忘れてしまうのだ。
戻って来たブルーの手には、金色の縁取りがついたプラスチックの小さい宝箱が大切そうに抱えられていた。その中には金銀の刺繍が入った青色のリボンが詰め込まれている。金色の花の刺繍が施された空色のリボンを手に取り、アズールが首を傾げた。
「これは……刺繍は入っているけど、装飾品ではなさそうだな」
「わあ、懐かしい」
紅茶のおかわりを注いでいたマゼンタが顔を綻ばせる。六人の視線が集まるので、あっ、とマゼンタは我に返った。
「す、すみません……」
「いや、いいよ」アズールが笑う。「これに覚えが?」
「はい。それはシアン様が使用人からもらっていたお菓子の箱のリボンです。綺麗だからブルー様に差し上げたんだと思います」
装飾品のリボンには劣るが、貴族に出すお菓子の箱のリボンに相応しい上質な物だ。子どもの女の子には贈られたら嬉しい物だろう。そのひとつひとつが劣化することなく保存されている。
ブルーが一番の気に入りを手に取り、ふふ、と笑った。
「これを着けてってピアニーに言ったら、宝物だから大切に取っておきましょうって言われたのよ」
「確かに」と、ネイビー。「貴族の令嬢がお菓子の箱のリボンを身に着けるわけにはいかないわね」
こうして彼らの宝物を並べてみると、彼らに負けず劣らず、シアンも愛情表現の上手な子どもだったようだ。贈り物をするのは最もわかりやすい。シアンも彼らに深い愛情を示していたのだ。
「あ、あのー……」マゼンタが遠慮がちに言う。「実は、私もシアン様にいただいた宝物があるんです」
「ほんと?」シアンは首を傾げた。「何をあげたのかな」
「ふふ。常に持ち歩いているんですよ」
嬉しそうに微笑みながら、マゼンタはお仕着せのポケットに手を入れる。取り出したのは、青色の小さな袋。中身を手のひらに出し、シアンの前に差し出した。それは星のような形の石だった。
「シアン様が『これは星の種だよ。持っていたら願い事が叶うんだよ』と仰って、私にくださったんです。以来、肌身離さず持っております」
「へえ……。何か願い事は叶ったの?」
「ふふ……秘密です」
「ふうん?」
何やら良いことはあったようだ、と賢者は心の中で独り言つ。それがこの石によってもたらされたのかはわからないが、自分の贈り物で何か利益があったのなら、自分も得をしたような気分だ。
「僕はみんなにいろいろあげてたんですね。僕はあんまり憶えてないですが……」
「不思議よね」と、ネイビー。「いろいろ人にあげてたのに、みんなそれぞれ違う物を贈っているんだもの」
「シアンなりの区別があったのかもしれないわね」セレストが微笑む。「誰に何を贈るか決めていたのでしょう」
こうして幸せそうな表情を眺めていると、憶えていないことへの罪悪感が大きくなるが、そもそも年齢で考えても憶えているかどうか怪しいはずだ、と賢者は自分を納得させることにした。
「みんな、こんなに取っておいてくれたんですね」
「当然だよ」と、アズール。「シアンがくれた物はなんだって取ってあるよ」
(あげる、と言われた物はなんでも取っておくんじゃな……)
「シアンは何か宝物はある?」
期待に満ちた瞳でブルーが問いかける。他の四人も興味を惹かれているようだった。
彼らには申し訳ないが、彼らに何をもらったかは憶えていない。おそらくマゼンタとともに私室を探せばいくらでも出て来るだろう。だがそれよりも、いまこの場ではっきりと出せるひとつの答えがある。それを思い立つと、ふふ、と小さく笑い声が漏れた。
「秘密」
「えーっ! 教えてよー!」
ブルーが腕に掴みかかって来るが、シアンにはまだそれを言うつもりはない。シアンは適当に笑って見せた。
(ここで言うのも、媚を売っているような気もするしのう)
これから態度や言葉で少しずつ伝えていけば、きっと彼らはそれに気付いてくれるだろう。そのための時間は充分にある。長い時間をかけて、ひとつずつ。大切に。そのための方法をシアンはよく知っているはず。できなかっただけで、できるはずなのだ。賢者はその手助けをすればいい。それできっと、伝わるだろう。
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