第25話 賢者の魔法学講座/実践編
昼食後の休憩が明けると、シアンとクロムは王宮の演習場に出た。王族専用の演習場で、他の騎士や魔法使いが入って来ることはない。充分な距離を置いた場所にテーブルと椅子、パラソルが設置され、セレストとシャルトルーズは見学しながらお茶会の続きをするようだ。
シアンはカージナルの魔法実習の授業で魔力調整のコツを掴んでおり、魔法の威力の操作はかなり上達している。何より、今回ばかりは賢者の知恵を存分に利用する。ただの特訓でクロムに負傷させるわけにはいかないのだ。
シアンとクロムは三十メートルほど距離を取って位置につき、シアンを講師とした魔法実習が始まった。
「まずはマナの魔法からいきます」
そう声をかけ、シアンはそっと杖を振る。攻撃性を消しマナを乗せた風の魔法を放つ。クロムはマナを感知することができない。ある程度の威力がなければマナと魔力の違いを感知しづらいため、受ける身では強風程度に感じられるだろう。それでもクロムの体幹が揺らぐことはなかった。
「では次は魔力のみの魔法でいきます」
クロムを包む風が完全に消えたことを確認して、先ほどとは手の力を変えて杖を振る。同じような強風がクロムの髪と服をはためかせるが、その感触は変わっているはずだ。
「いかがですか?」
「さっぱりわからない」クロムは肩をすくめる。「ただの風にしか感じない」
魔法の力を持たないクロムが初めからマナと魔力の違いを感じ取ることはできないというのは想定内だ。優れた魔法の血筋を持っていたとしても、魔法の力を持ち合わせていなければ感覚は頼りにならない。それを研磨する必要があるのだ。
「もう一度、マナの魔法でいきます。マナを多めに取り込みますので、魔力のみのときとの違いに集中してください」
この微妙な違いは賢者の知恵がなければ調整できないが、クロムの能力値を伸ばすためには出し惜しみする必要はない。
この講義はクロムの能力を伸ばすために行われているのだ。
シアンが放った風に意識を集中していたクロムは、溜め息を落としつつ顔を上げた。その表情は浮かない。
「わからないな」
(ふむ、わからないことを正直に言うのは良いことじゃ)
シアンは何度か軽く手を振ってからクロムに歩み寄る。魔法の種類を切り替えるときの賢者の癖だ。
「違う方法を試してみましょう。お手を貸してください」
クロムが差し出した左手に、杖の先から球状の水を放出する。それはクロムの手のひらでぷるぷると揺れながら形状を維持した。右手にも同じように球体の水を乗せる。
「それぞれマナを含んだ水と魔力のみの水です。風よりはわかりやすいかもしれません」
クロムは険しい顔で手のひらに意識を集中させた。風のほうが全身に浴びられる分、その違いを感じ取りやすいと言う者もいるが、手のほうがわかりやすいという者もいる。
「うーん……左のほうが少し、温かいような気がするな」
「そうです!」シアンは手を叩く。「その微かな違いがマナと魔力の差です。さすが鋭い感覚をお持ちですね」
「温度でしかわからないが」
「そういうちょっとした違いを感じ取ることが重要なのです。それを無意識的に瞬時に察知できるようになれば完璧です」
「先は長そうだな」
「最初の一回で違いを感じ取れるのは優秀ですよ」
弟子の中には何度やってもなかなか判別できない者もいた。そうでなくても、大抵の者は数回かけなくては違いを感じ取ることは難しい。一回目で違いを言い当てたのは、血筋による感覚の鋭さが功を奏しているのだろう。
「何度か繰り返せば確実性が上がるはずです。もう一度やってみましょう。それを捨てて、手を拭いてください」
水球を地面に落とすクロムに、シアンはハンカチを差し出した。手に水分が残っていては、新しい水に対する感知の働きが鈍くなる。一度、基準値に戻す必要があるのだ。
それから何度か同じことを繰り返し、シアンはクロムが答えるたびに「正解です」「残念」とまるでクイズのように答え合わせをする。そうしているうちに徐々に正解率が上がり、違いを感じ取るための時間も短くなっていった。
「なんとなくわかったような気がするな」
「素晴らしい成果です。その感覚を研ぎ澄ませれば負けなしの騎士になれるはずですよ」
軽く手を振りながら言ったシアンは、大袈裟なことを言ってしまった、と脳内反省会を開催した。クロムは特に気にした様子もなく、しかし少し照れくさそうに肩をすくめる。
「次はさっきの風の魔法も試してみましょう」
クロムから距離を取りながら、時間をかけすぎかとセレストとシャルトルーズを見遣ると、いまも楽しげにお喋りをしており、退屈している様子はなかった。
先ほどと同じようにマナの魔法と魔力の魔法をランダムに放出し、クロムが回答するのに対し「正解です」「残念」と答え合わせを繰り返す。そうしているうちに、クロムの感覚がだんだんと研ぎ澄まされていくのが賢者にもわかった。
「わかった気がする」
何度か同じことを繰り返したあと、クロムがそう言って顔を上げる。シアンは杖を下げて続きを促した。
「お前が魔法を放つ前の一瞬、大気の酸素のようなものがお前に向かっていくように感じる」
「そうです!」シアンは手を叩く。「それを突き詰めればマナに行き当たります。ほぼ掴めてきていますね」
この魔法に対する感覚の成長速度はさすがベルディグリ家の血筋と言える。短時間でこれほど習得できる弟子はいなかった。手のかかる弟子ほど可愛いという考え方もあるようだが、ここまで筋が良いと教えていても楽しくなってしまう。
「少し休憩を挟みましょうか?」
「お前が大丈夫なら俺は平気だ」
「はい。では、瞬時に攻撃に転ずる訓練をしましょう。種類の違う魔法をかけます。マナを感じたら剣に触れてください」
「わかった」
わかりやすい例がいいだろう、とシアンはまずマナで光の球体を構成し空に浮かべる。目を細めるくらいの光を照射したあと、先ほどと同じように魔力のみの風の魔法を発動した。クロムはどちらにも反応することができず、降参、というように肩をすくめる。初めの数回は反応できないのは想定内だ。
そうして種類の違う魔法を繰り返し使い分け、クロムの感覚を研ぎ澄ませていく。回数を重ねるごとに、クロムはマナを察知して剣に触れる回数が増えていった。
「素晴らしいです。これを突き詰めれば『マナ感知』のスキルに繋がっていくはずです。スキル習得は簡単なので、迷宮攻略などで熟練度を上げましょう」
「ああ」
ひと段落して気が抜けると、小さく息をつきひたいの汗を拭った。この国の気候は温暖とまでは言わないが、こうして陽が射す中で訓練しているとその熱で疲労が溜まっていくようだ。ジャケットを先に脱いでおいたのは正解だった。
とりあえずクロムの元へ戻ろう、と歩いて行くと、待っていたクロムが水の入ったグラスをシアンに差し出した。
「すみません、自分で取りに行くべきでしたのに……」
「やめろ。今更、堅苦しいのはなしだ」
「はい。ありがとうございます」
彼を「気難しい」と称する者たちは、やはり王太子に対する遠慮や線引きがあるのだろう。今日の訓練だけでも、賢者にはクロムに対して「素直さ」を感じている。自分の能力値を伸ばすための意欲も充分に感じられ、伝授している身としては「育て甲斐のある教え子」という印象だ。
(どれほど伸びるか楽しみじゃわい)
賢者は、弟子の能力値が計測のたびに伸びていることに喜びを感じる。それだけ自分の知識を有効活用し、人の役に立てたということだ。それだけが支えだった。
「これだけの短時間でマナを感じ取ることができるようになられたのは、とても優秀でいらっしゃいますね」
「お前の教え方が上手いんだ。ここまでできるようになるとは俺も思っていなかった」
「王家はもちろんのこと、ベルディグリ家は優れた魔法使いの血筋ですから、魔法の力はなくとも魔法の素質はあるはずですから。きっと鍛錬を繰り返せば、誰よりも優秀な騎士になれるはずです」
「ああ。精進するよ」
偉そうなことを言ってしまった、と賢者は思ったが、クロムは気にしていないようだ。自分の能力値を上げることへの意欲は人一倍らしい。その素直さは賞賛に値する。
「……お前、時々年寄りみたいな目をしているな」
「えっ」
ぎくっとして目を剥くシアンに、クロムは肩をすくめる。
「遠い目をしているぞ」
「そうですか……」
クロムは元々鋭い感性を持っているらしい。バレるのも時間の問題、と思わせるような言葉だった。
(もしかして、サルビア家の人々も言わないだけでそう思っておったのかのう……)
実際、中身は年寄りなのだから致し方ない。まだしばらくは、中身がじじいであるということさえ隠すことができればそれでいい。それがシアンのためだと賢者は考えている。
時計を見ると、もう少しだけ訓練を続けられそうだ。セレストとシャルトルーズは盛り上がっているし、残りの時間を座学だけで終わらせるのは少々勿体無い。
「まだ時間もありますし、せっかくですから、防御魔法についてもご教授しましょうか?」
「お前がいいなら頼むよ」
「はい」
グラスを片付けると、シアンとクロムはまた演習場に戻った。防御魔法の授業は距離を置く必要はない。
「防御魔法は『耐性』とは別で、自分の周りに結界を張ることで攻撃を防ぎます。試しに僕の周りに結界を張ってみます」
シアンは自分の周りに手をかざし、限りなく薄い結界で自分を覆った。目には映らないほど薄い防壁だ。
「この辺に防護壁があるので、手で触れてみてください。危険性はありません」
シアンが手で示した辺りに手を遣り、クロムは首を傾げる。
「手が痺れるような感覚になる場所があるな」
「そうです! それが防御魔法の防護壁です。これを破壊することができれば完璧です」
「破壊もスキルでできるんだったな。これは実戦で試していくしかなさそうだ」
「はい。迷宮に行けば、防御魔法を使う魔獣もいます。防護壁が張られたことを感知できれば、破るのはそう難しいことではありません」
ひとまず教えられるのはこれくらいか、と賢者は考える。ひと通りの基本は教えたし、あとは実戦で身につけていくしかない。今回の講義だけでクロムの素質が充分であることは実感できた。実戦を繰り返せば満足な能力値になるだろう。
「それにしても」と、クロム。「大した知識量だな」
「恐れ入ります。知識は身につけたらつけただけ役に立ちます。本当の勝負は知識量で決まります」
これは弟子にも口を酸っぱくして教えてきたことだ。あまりに何度も言うので「おじいちゃん、その話はさっき聞いたよ」と茶化す弟子もいた。もはや口癖のようなものである。
「相手の力を上回りにはより多くの知識が必要です。その知識も身につけただけでは意味がない。知識と実践を組み合わせてこそ実力が身につくのです」
賢者時代を思い出し、シアンはひとりで納得するように呟く。言い終えてから、ようやく我に返った。
「すみません、生意気なことを……」
「いや。よければまたいろいろ教えてくれ」
「はい、僕でよろしければ」
国の未来のためなどと仰々しいことは言えないが、目の前にいるクロムという少年を高い実力を誇る騎士へと導くのは、ここまで知識を授けた者の役目と言えるだろう。それと同時に、シアン自身も能力値を伸ばす必要がある。
(肩を並べ競い合う相手がいるのは良いことじゃ)
「また年寄りくさい目をしているぞ」
「うっ……」
そろそろ帰ろうとセレストが声をかけて来た頃には、シアンは魔力を多く使った反動で眠くなってきていた。子どもの体はよく寝るようにできている。それでもなんとかシャルトルーズとクロムに別れの挨拶をして、サルビア家の馬車に乗り込んだ。睡魔は馬車が出発した瞬間を狙っていた。シアンの意識はサルビア邸に着く前に夢の世界へと奪われていた。




