第159曲 愛しているからこそ
「う~、頭いちゃーい」
ぐわんぐわんと頭の中で鐘が鳴り響く。ついでにちょっと気持ち悪い。
昨日はおいしいジュースを飲んでなんだかいい気分になってたけど、なんでこんなことになってるんだろう。
「ゆきちゃん、昨日のことは何も覚えてないんですか?」
かの姉が心配そうに覗き込んできた。姉妹たちはまだ化粧や身支度に勤しんでいる。化粧の必要がない男の子でよかった。
そんなことはない。わたしに忘れるという概念は存在しない。
全部覚えている……けれど、結構まずいことをいってしまったなぁ。わたしを解放してください、か。
わたしはいったい何から解放されたいんだろうか。
みんなからの想い? 決まっているこれからの運命? それとも……この人生全てから?
「ゆきちゃん? 具合が悪いならもう少し横になっていていいですよ。着替えだけここに置いておきますから、ゆきちゃんの荷物はこっちでまとめておきますね」
わたしの荷物の中にあるはずの着替えがなんで用意できるんだろう? と思ったら女性用だった。
そう言えば三日分の衣装はみんなで持ってきてるんだったっけ。わたしが用意した服の意味がなかったな。
「ゆきちゃんの荷物、わたし達が持ちますからね」
ギクッとした。わたしの荷物……。昨日言ったことの意味も入ってるのかな。
「どうしたんですか? その状態じゃ、大きな荷物を抱えるのは大変でしょう? 一人では大変でもみんなで分担すれば軽いものですよ」
穿ち過ぎか。だけど、みんなで分担すれば軽いもの……。
わたしの抱えてるものも、みんなで抱えれば少しは軽くなるのかな。そんなこと、出来るはずもないけれど。
「ううん、大丈夫。自分の荷物は自分で持てるよ。それより昨日の後片付けをしないと」
「そうやって無理ばかりしなくていいんですよ。甘えられるときは甘えてください。でないとわたし達も寂しくなってしまいます」
そうやってわたしのことで喜びを感じてくれるのは嬉しいんだけど。
どうすればみんなの執着心をわたしから逸らすことが出来るんだろう……。
「ゆきちゃん、あなたの抱えているものが何かは分かりませんし、無理に聞こうとは思いませんけど、少しはわたし達のことも信用してはくれませんか?」
「ん……」
決してかの姉たちの事を信用していないわけではない。むしろこれ以上ないほどに信頼感を持っている。
だけど、このことばかりは……。
「そんな顔をしないでください。わたしだってゆきちゃんを困らせたいわけじゃないんです。だけど、ゆきちゃんがたとえどんな荷物を抱えていたとしても、臆さず怯まずそれを肩代わりしてあげる想いがあるということを分かって欲しいだけです。」
どこまで行ってもわたしのこと。どうして……。
わたしに執着したところでそこには何の意味も未来もないのに。
どうやったら分かってくれるというのだろうか。
「大丈夫。自分のことは自分でできるよ。いつまでも人の手を借りないと何もできないような子供じゃないから」
「そりゃゆきちゃんはしっかりしていて十分に大人ですけど、やっぱり年相応の部分もあるんですから。まだ高校生なんだから無理に背伸びをしなくていいんですよ」
かの姉はどこまでも優しい。だけど今のわたしには……。
「もういいからほっといて!」
つい声を荒げてしまった。そんなつもりはなかったのに。
「……! ごめんなさい。余計なお世話、でしたね」
悲しそうな表情を見せるかの姉。違う、わたしはそんな顔をさせたいわけじゃない。
「ご……!」
違う。ここで謝るのは間違っている。わたしが今言うべきはそんなことじゃない。
ちゃんと伝えるべきことがあるはずだ。でも何を言えばいい?
「ほら、楓乃子もゆきもそれくらいにしておけ。ゆきもそんなに青い顔して無理すんじゃねーよ。荷物を持ってもらうくらいの事、そんなに意地を張るようなことでもねーだろ」
見かねたより姉が間に入ってくれたおかげで、その場は何とか収まった。
わたしもそれ以上逆らうことはなく、フロントまで自分の荷物を運んでもらう。発送の手続きはより姉が全部やってくれた。
かの姉の沈んだ顔はなかなか元に戻らなかったけれど。
その後で食べに行ったスイーツ店も、どこか味気なかった。甘くて美味しいんだけど、心から堪能することが出来ない。
わたしのせいだよね……。
だけど謝ることはおろか、本当の事を言うわけにも行かないわたしにはこれ以上何をすることも出来ない。
むしろ、このままわたしから気持ちが離れていってしまう方が、これからのことを考えればいいのかも。
「ゆきちゃん、一口いただけますか?」
そんな空気の中、かの姉が突然そんなことを言いだした。わたしの目の前にはミルフィーユ。
普段ならこんな甘い物、かの姉が食べることはないのに。
「仲直りのあーんです。いただけますか?」
かの姉……。そんなことを言われたら。
ほんとにそんなことでいいんだろうか。
「どうしたんですか? 一人で全部食べたい食いしん坊さんなら無理には取りませんけど」
冗談めかして笑顔を向けてくれるかの姉。
ほんと、敵わない。
「そんなに意地汚くないってば。それじゃ、食べてくれる?」
ミルフィーユにフォークを入れ、切り取る。かの姉の口に合わせて、若干小さめに。
「はい、あーん」
おずおずと差し出すフォークに、上品な仕草で口をつけるかの姉。なんだかドキドキする。
「うん、美味しいですね。時には違う味の物を食べてみると、自分の価値観が広がるような気もしますね」
さっきのやり取りの事を言ってるんだろうか。確かに、わたしが姉妹の事をあんな風に拒絶したのはあれが初めてのことだ。
あんなわたしの癇癪さえもそういう風にとらえることが出来るなんて。やっぱりかの姉は大人だ。
言われた通り、わたしはまだまだ子供なのかもしれない。完全な大人になり切れていないPerson in the gap、狭間の人。
「ほら、今度はわたしが食べさせてあげます」
ミルフィーユのお皿とフォークを手に取り、わたしの前に差し出してくる。今回は何も逆らわず、素直に口に入れた。
「はい、これでもう仲直りですね。もうさっきの話はおしまい。これからはいつも通りですよ」
そう言ってにっこり笑うかの姉に、なんだか自分の小ささを見せつけられて恥ずかしくなってしまう。
いままでわたしは姉妹たちと衝突することなんてなかった。全部わたしが折れればいい、わがままを言わなければいいと思っていた。
それがみんなを幸せに出来る方法なんだと信じていた。
だけどそれだと、みんなにとってわたしの内面というのは見えてこないだろう。それは他人行儀と何が違うというのか。
みんなのためという大義名分を振りかざして、自分の殻の中に閉じこもっているのと何が違うというのだろう。
本音でぶつかり合えば、時には衝突することだってある。だって違う人間同士なんだから。
仲がいいのはいいことだけど、それと自分を押し殺すことは似ても似つかない、真逆の事だ。それでは誰も幸せになんてなれない。
今のわたしが出来ることは、そう、みんなに対して誠意をもって対すること。
「みんな、ちょっと聞いてくれるかな」
わたしとかの姉に気を遣い、それまで冗談ばかりを言い合っていた他の三人もわたしの様子に何かを感じたのか、真剣な表情に変わってこちらに向き直る。
「昨日飲んだジュース、ひょっとしてお酒だった?」
言いにくくて、つい他の事を聞いてしまったらみんなずっこけてしまった。
「今更かよ!」
「ゆきちゃん気づいてなかったの!?」
「酔ってた」
「缶にもお酒って書いてあったんですけどねぇ」
マジか。なんだか気持ちいいとは思っていたけど、今朝頭が痛くなるまでそんなこと気づきもしなかった。
未成年なのに! コンプライアンスぅ~!
まぁ故意ではないし、あれはあくまで事故ということにしてしまおう。先日もひよりとあか姉がやらかしたような気もするから、多重事故だ。
「そっか。やっぱり。そんでさ、その、酔った勢いというかなんというか、わたし変なこと言ったよね……」
核心に迫った話題に入るとどうしても緊張してしまい、口の中が渇いてしまう。
より姉とのデート以来すっかりハマってしまったアイスティーで喉を潤し、話を続けた。
「わたしを解放してほしいって。あれの本当の意味を今から言うね」
みんなは姿勢を正し、真剣な表情でわたしを見つめる。一言一句も聞き逃さないという意思を表すかのように。
「あのね、わたし、みんなのことが大好きなんだ。それこそこの世界で、宇宙で一番、何よりも大切な存在。みんながいてくれるだけで、わたしはわたしでいることが出来る。これが愛してるっていう気持ちなんだったら、わたしの愛はとてつもなく大きいものなんだって言う自信があるよ」
今までに告げたことのない、本気の気持ち。
姉妹たちは固唾を飲み、顔を真っ赤にしている。ほとんど愛の告白と変わらないもんね。
「でもね。わたしには誰か一人を選ぶことなんて出来ない。そんなことは男としてけじめをつけるべき当たり前のことなんだろうけど、それすらも出来ない優柔不断な奴なんだよ」
言っていることは最低だ。それは自分でも承知している。これでみんなから愛想を尽かされてもわたしには何も言う資格がない。
だけど、みんなはそんなこと気にもしていなかった。いや、最初から予想していたとでも言おうか。
「誰も選べなんて言ってないじゃないですか」
「そうだな。あたしらはただ愛しつくすだけだ。それをどうするかなんて、ゆきが決めればいいことであって」
「ゆきちゃんなら誰も不幸にしたりなんかしないでしょ」
誰も不幸にしない……。悪いけれど、それだけは違う。わたしには誰も幸せにすることなんて出来ない。
「みんな勘違いしているよ。確かにわたしは人々に幸せを届けるのが使命だけど、それはその場限り、刹那的な幸せであって、誰かの人生を背負うことなんて出来ないんだよ。本当の幸せを与えることなんてわたしには不可能なんだ」
みんなにとって残酷かもしれないけど、これが真実。いくらわたしに想いを寄せてくれても、その先には何もない空虚な未来があるだけ。
「使命使命って言うけどな。そもそも誰かを幸せにしてあげる、なんて考え自体がおこがましいんじゃねーか? 幸せは個々が感じることであって、おまえがどうこうできることでもねー。ゆきの一生懸命に生きようとする姿に魅かれてるんであって、おまえに依存する気なんてサラサラねーよ」
「それは今わたしが目の前にいるから言えることでしょ! わたしはみんなに幸せになって欲しいから! いずれ消えてしまう雪の結晶に心を預けて欲しくなんてないんだよ……」
「雪の結晶って……ゆきおまえ……」
「やめて。今は言えない。言いたくない。12月。その時には言うから、それまでみんなもわたしから自立する用意をしておいて」
厳しいかもしれないけれど、これ以上引き延ばすわけにはいかない。
旅行の最後は楽しく締めたかったけど、約束の12月まであと四か月もないんだ。
この旅行でみんなの想いの強さを知ってしまったからこそ、青天の霹靂にならないよう心の準備をしていてもらわないと。半分答えを言ったようなものだから、きっと気持ちを切り替えて前を向いてくれると信じている。
たとえこの胸が張り裂けそうになっても、大切な存在の幸せを願うなら突き放すしかないんだ。
わたしは雪の精霊。この世に降り立ったその存在はその名のごとく、幻のようなものなんだから。




