第134曲 デートは笑顔で
「もう少し時期が早かったら、桜が満開だったんだけどな」
天守閣に登り、廻縁で景色を眺めていたらより姉がそんなことをつぶやいた。
「緑葉もそれはそれで生命力に溢れた風情があるよ。それに街を挟んで見える海湾も、とても綺麗」
少し強めの風に吹かれて舞い上がりそうな髪を右手で押さえ、左手では天守閣の高欄を握りながら、遠くに見える海へと視線を走らせる。
あの海湾は岸から数分で水深1000mを超え、そのまま外界へと繋がっている。太平洋だ。
太平洋の向こうにはアメリカ大陸。懐かしいかの国の風景を思い出したら、はるか遠い過去の出来事のような気持になって微笑んだ。
記憶の引き出しを開ければ、昨日のことのように思い出せるのに。
「どうしたんだ? ずいぶん遠い目をしてるじゃねーか」
より姉がそう声をかけてきた。その表情はとても柔らかく、愛情に満ちている。
「ちょっとアメリカでのことを思い出したの。日本に帰ってきてまだ5年しか経っていないのに、ずいぶん昔のことのような気がしてね」
視線を海へと戻し、微笑みながらそう答えた。
隣で息をのむ音がした。
* * *
絵になる、ってのはまさにこのことだろうな。
どこか浮世離れした天守閣の雰囲気。そこに佇む絶世の美女。あまりの美しさに顔が熱くなるのを感じる。
日本に帰ってきてからの事を考えて感傷にひたってるみてーだ。
その瞳は遠くを見つめていて、微笑む横顔はどこか神秘的にすら見える。どこか満足げな表情。
「なに年寄り臭いこと言ってんだよ。この5年間でたくさんの思い出ができたんだろうけど、これからもっと時間はあるだろ」
そんなやり遂げたみたいな顔してんじゃねーよ。まだ10代のくせに。
「……そうだね」
こちらを見て微笑むゆき。心臓がうるさく跳ねるくらいにキレイだ。思わず見惚れてしまう。
でもその瞳の奥底に、どこか寂しさが漂っているように見えるのは気のせいか……。
「そうだよ。何があってもあたしはおまえのそばに居続けてやるからな」
そう宣言して、決して離さないという気持ちも込めてゆきの肩を抱き寄せた。今朝も思ったが、とても男の子とは思えないくらい華奢な体だ。
この細い体にどれだけたくさんの重荷を抱え続けてるんだか。
ゆきにはまだ隠していることがある。この少し寂し気な表情も、きっとそれに関係があるんだろう。
「……ありがとう、より姉」
お礼を言うならもっと幸せそうな顔をしろ。
「たとえどんな大きなものを抱えていても、あたしらが一緒に背負ってやるよ。何があってもこの気持ちは変わらねー。いつかゆきに本当に幸せな笑顔ってものを教えてやる」
「それだけ想ってもらえて、わたしは十分に幸せだよ」
そんな儚い笑顔を浮かべて何言ってんだ。
「そんな今だけ感じる刹那的な幸せじゃねーよ。未来を信じて疑わない、生涯にわたっての幸福だ」
ゆきの憂いを吹き飛ばせるように、満面の笑顔を作る。白い歯がまぶしーだろ。
少し面食らった顔をしたけど、すぐに柔らかな微笑みに戻った。まだダメか。
その憂いを含んだ微笑、蠱惑的で万人を魅了してしまうんだろうけど……。
「まったく、どうすれば心から笑ってくれるのかね」
「? より姉の気持ちが嬉しくて笑ってるんだよ?」
「そんなんじゃねーよ。ゆきが心底安心して、幸せな気持ちで笑ってくれるとこが見てーんだ」
ゆきにとっての安らぎ。
それはいったいどこにあるんだろ。今はまだ分かんねーけど、絶対に見つけてやる。
「わたし今とっても幸せだってば」
「本当に頑固頭だなぁ。でも絶対諦めねーからな!」
「……。ありがと」
ぽつりとつぶやき、あたしに見せた笑顔は花が咲いたような、という表現がぴったりくる可憐なもので。そこに憂いや儚さといったものは見当たらなかった。
なんだよ、そんな顔もできるんじゃねーか。ずっとそのままでいてくれよ。
慣れるまでは大変かもしれんけど。ええい、うるさいぞ心臓!
* * *
より姉、ありがとね。
気持ちはすごく伝わって来たよ。おかげでみんなと過ごす明るい未来を少しだけ想像することが出来た。
妄想するのは自由だもんね。少しは現実を忘れてみるのもいいかもしれない。
「ちょっと歩こうか。たくさん花が植えられてるみたいだから、少し見て回りたい」
「あぁ、そうだな」
より姉に手を引かれ、階段を下りる。天守閣は敵の侵入を防ぐためか、急こう配になっていることがほとんどだ。
より姉が先に下り、わたしの足元に注意を払ってくれている。ちゃんとエスコートできてるじゃん。
でもたまにスカートの中を覗こうとするのはやめなさい。蹴飛ばすよ。
「下界は暑いねー」
「天上人か?」
違うわ。
天守閣は風もあって比較的涼しかったけど、季節はまもなく夏に入る。地面に近付けば少し蒸し暑い。
「汗かいてるな。拭いてやるよ」
ハンカチを取り出して拭いてくれるより姉。
……なんで胸ばっかり重点的に拭いてるのかな? 脳天唐竹割り。
「いてぇ! 何すんだよ~」
「うるさいセクハラおやじ。せっかくの王子様が台無しだよ」
「誰がおやじだ! こんなうら若い乙女を捕まえて何言ってんだよ」
セクハラの部分は否定しないんだな。
男の胸を触ってそんなに嬉しいのか? 同じもの持ってるだろうに。
「なんかゆきの胸ってエロいよな」
もう一回食らいたいのかな?
「待て待て待て。これ以上食らったら右脳と左脳がおさらばするっての。妙に色気のあるゆきが悪いんじゃねーか」
小脳と脳幹は割れないから大丈夫。
「色気なんかあっても嬉しくないやい。男性の視線を集めるだけじゃない」
「女のあたしもつい見てしまうぞ」
やっぱりおやじじゃないか。
「バカなことばっかり言ってないで、どこかで休憩しようよ。汗で化粧が崩れちゃう」
「しっかり汗対策をしたメイクだったから大丈夫だろ。それにしてもそんなことを気にするなんて、すっかりメイクにハマったか?」
「ハマってないっての。より姉は弟がどんどん乙女化していっても平気なの?」
胸、女装、化粧。およそ男とは思えない方面に行ってしまって、普通は複雑な気分になるものじゃない?
「ゆきなら何でもありだ。そこらの女よりよっぽど似合ってるんだから」
またそんなこと言って。確かに自分でも驚いたけど、いくらなんでも言いすぎじゃないかなぁ。
「そんなお世辞では口説き文句にならないよ」
「ばっか。お世辞なんて言うかよ。本気で口説いてるっての」
「……ちゃんと幸せになってね」
願いを込めた。いつまでもわたしに執着していては、きっと不幸になってしまう。
「もうなってるよ。ゆきはただそこにいてくれるだけでいいんだ」
「バカ……さ。喫茶店に行こうか」
ダメだ。これ以上は切なくなっちゃうよ。申し訳ないけど、このお話はここまで。
「ん……」
より姉もそれ以上は何も言わず、わたしの手を握ってきた。ちょっと力が強いよ。
ごめんね。寂しそうな顔しないで。
「今日はこうじゃないでしょ」
つないでいた手を離し、より姉の腕に絡みついた。覗き込んで笑顔を向ける。
「そんな顔しないの。まだデートの途中なんだから、しっかりエスコートよろしくね」
「あぁそうだな。まだまだこれからだ」
瞬時に気持ちを切り替えたのか、いつもの男前な笑顔を見せてくる。これから、という言葉にはいろんな意味を込めてるんだろう。強いなぁ。
より姉なら……大丈夫かな。
大好きだよ。
「おぉ? 急にすり寄ってきてどうした?」
「ん~なんとなく。歩きにくい?」
腕に頭を預けるように甘えてみた。ぶら下がっているような姿勢になっちゃったけど、より姉の体温、匂いを感じられて安心する。
「そんなに甘えられたらたまらなくなるじゃねーか。キスするぞ」
「まだダメー」
そこまで許容してはわたしの心がもたない。そんな想いを誤魔化すように、悪戯っぽく舌を出した。
「そんな小悪魔系の顔も可愛いじゃねーか。まぁいい、それも課題だ」
「わたし攻略されちゃうんだ」
小悪魔だと子供っぽい気がしたので、少し大人びた、挑発的な笑顔を意識してみた。
「悪い顔。悪女だ悪女」
「プレイボーイを相手するなら悪女くらいにならないとね」
軽口を叩き合い、顔を見合わせて笑い合う。心が軽くなり、自然な笑顔を出すことが出来るようになった。
より姉と一緒にいると、凝り固まった思考をどんどん解されていってしまう。
大雑把でいい加減な面もあるけど、こういったところはさすが長女というか、とても頼りになるんだよね。自然と甘えられる気持ちにさせてくれる点は、お姉ちゃん気質ってやつだ。
駅前の地下街に喫茶店はあった。事前にしっかりとリサーチしていたようで、迷うことなく連れてきてくれたのは好印象。やるな。
化粧が落ちないようにハンカチで押さえるようにして汗を拭きとり、確認のために手鏡を覗き込んだ。
メイクをした自分の顔を見るのは二度目だけど、やっぱり慣れない。なんだか自分の顔じゃないような気がして、少しドキドキする。
ほとんど化粧は落ちていなかったので、後でリップを塗りなおすだけでよさそうだ。ありがと、かの姉。
「あ、わたしパフェ食べたーい」
「まぁた甘いものかよ」
いいじゃん。
「今はスイーツ男子も流行ってるんだよ」
「ゆきがスイーツ食べてるのは何も不自然じゃねーけどな」
はいはい、今日はレディーになりきりますよー。
「それで、この後はどうするか決めてあるの?」
「当然! この後は映画を見て、それからディナーだ」
上映時間は16時10分開始らしい。2時間たてばディナーにはちょうどいい時間になるだろう。けっこう計画性あるじゃん。
「普段は行き当たりばったりなのに」
「うるせー。せっかくのデートなんだから気合も入るっての」
気合入れてくれたんだ。嬉しいよ。
映画は何を観るのかな。デートだから恋愛ものだろうか。
どうせなら純愛系を観たいなぁ。




