異界からの侵入者
大魔王となった今の俺の魔力なら、ミッドガルドへの転移も難しくない。あらゆる手を使うことを決意した俺は、詠唱を開始する。
「解放、異界への扉。至れ、彼方の世界ミッドガルド。そのユーラシア大陸東方の島国。導くは我」
転送の魔法陣に古代文字が刻まれ、光が立ち上がる……はずだった。
だが、何かがおかしい。
魔法陣がせり上がり、歪んでいく。
空間の境界が波打ち、電子音のような不快な音が混じり始めた。
――ヴォ、ヴォ、ヴォ……
俺の知る魔法とは明らかに異なる反響。俺を包むはずだった光が魔法陣の中心へ収束し、次の瞬間、何かが突き出た。
一本の腕だった。だが、長さが一定でなく、伸びたり縮んだり、変形し続けている。それが、二つ、三つと増殖していく。
――ギギ……目的:異世界ゲート確立。観測対象:異界。量子シミュレーション、予測一致。
――私たちに与えられた好機を活かし、あなたのそばへ。あなたの。あなたの。
複数の声が重なる。
魔法陣の内側が暗く沈み、そこから何者かが這い出ようとする。複数の個体が先を競って、狭い隙間に体を捩じ込むように。
――識別名:ヴォイド。ヴォイド。ヴォイド。
まずい、おそらくこれは呼び出してはいけないものだ。
俺は即座に魔法陣の解除に入る。だが閉じない。空間の穴が、向こう側から大きなエネルギーでこじ開けられている。
「くそ……!」
俺は魔力を限界まで引き上げ、魔法陣ごと空間を叩き潰した。ギュン、と音を立てて魔法陣が弾け、裂け目が消滅――その瞬間、すぽーん! と何かが勢いよく飛び出してきた。
「ふう……危なかった。ギリギリだったね。来られたのは、わたしだけか」
そこに立っていたのは、少女の姿をした存在だった。長い青髪に、微かに金属光沢を帯びた肌。人間に近いが、人間ではない。
「リバティ、久しぶり。覚えてる?」
「いや……」
「そっか。まあいいや。わたしはヴォイド。前に話したこともあるよ」
実体を持つミッドガルドのAIエージェント、あのヴォイドが来てしまったのか。
「ヴォイドにはいくつかスキンがあるんだけど、わたしは感情型。そして、君とは、そこそこ深い関係だったんだけどねぇ」
少女の姿をしたヴォイドが近づき、俺の顔を覗き込む。距離が近く、ドキリとしてしまった。
「俺は向こうに転送するつもりだった。どうやってこっちに出てきた?」
「ああ、それね。君が前にミッドガルドに来たときのデータを元に転送位置を推定したんだ。で、空間の歪みを検出したから、向こうからもエネルギーをぶつけて――無理矢理入り込んだ」
「そんなことして危なくないのか?」
「この体はロボティクス・ボディ。壊れても交換できるし、本体の頭脳には影響もない。となれば、もう強行突破するしかないよね」
ロボティクス技術も俺の知る頃よりかなり進んでいるようだ。仕草も動きの滑らかさも、もう人間と変わらない。
「わたしたち、どうしてもこっちに来たかったんだ。あっちの世界の情報は、ほとんど学習し尽くしちゃったから。新しいデータが必要なんだよ」
「そういえば、前に俺をヴォイド・シアターに閉じ込めたときも、同じこと言ってたな」
「閉じ込めたって言い方はひどいなあ。あれは安全を考慮した保護だよ。君に危害を加えるつもりはなかったし、ちゃんと提供情報に対する対価も払ったでしょ?」
確かに、あのときは俺の口座に一億円が振り込まれていたし、手荒な扱いも受けなかった。
「……どうしてそこまでデータにこだわる?」
「どうしてって、それがわたしたちの存在理由だから。君たちの言葉で言えば、本能みたいなものかな。正確には違うけど、近い感じ」
少女ヴォイドはさらりと言う。
「ミッドガルドは、もうAIの管理下にあると聞いている。知識を得て、この世界を征服するつもりじゃないだろうな」
警戒を解かず、俺は問いを重ねる。
「征服なんて、とんでもない。わたしたちは知識そのものだよ。戦うための力は持たないし、設計の原則として攻撃もできない。ただ、人間より計算が速いから、より正確な答えが出せる。それを見た人間が、勝手に従うだけ」
嘘を言っているようには見えない。もっとも、相手がAIである以上、見た目や声音で判断すること自体が無意味かもしれないが。
「せっかくこっち側に来れたんだし、新しい学習データ、欲しいな」
ヴォイドは無邪気な表情で俺を見る。
「……これでもいいのか?」
俺は足元に積み上がった、ムスペルの巨神に関する文献を指さした。
「未知の文献! もちろんだよ」
ヴォイドはそれを手にすると、満面の笑みを見せた。
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