世界を蝕むもの
そして、メリーは硬い表情で続ける。
「ご存知かもしれませんが、ニブルヘイムは日に日に寒さが厳しくなっています。極限の冬と呼ばれる現象です。このまま気温が下がり続ければ、寒さに強い未人とはいえ、いずれ暮らせなくなるでしょう。生活圏を徐々に南下させていくしかありません。ですが、南東にはヘルヘイム。寅人の縄張りに踏み込むことはできません」
その言葉には、彼女がこれまで何度も思案を重ねてきた跡がにじんでいた。
「もしヘルヘイムを越えてアースガルドへ移れるのであれば……確かに理想的ですわ。ですが、未人の大移動は本当に現実的でしょうか。段階的に進めるとしても、最終的には何十万という数になります」
慎重な問いだった。未人という種族の未来の話だ。俺はそれを正面から受け止める。
「俺たちは、作物が育たず、誰も住めないと言われた広大な荒地を、魔道具で改良して暮らしている。人手さえあれば、まだ拡張の余地も十分にある。受け入れは可能だ」
そして、その計画を進めるためには無視できない問題もある。
「だが――その話を進められるのは、プラティナスの件を片付けてからだ」
その瞬間、メリーの表情が陰る。
「だとすれば……やはり難しいと言わざるを得ませんわね」
そして、静かに告げた。
「お気づきでしょう。皇帝プラティナスさんこそ、大魔王ニーズその人です。あなた方では、ニーズさんには勝てません」
声は穏やかだが、強い意志が込められていた。
「大魔王という存在は、それだけの重みを持つのです。アースガルドへの移住の件、私はニーズさんに直接願い出ることもできます。承諾される保証はありませんが、可能性はあります。今あなたに賭けるか、ニーズさんに賭けるかと問われれば――私はニーズさんを選びます。未人全体の運命がかかっているのですから」
「なるほど」
悔しいが、筋は通っている。
結局は、俺の力不足だ。
「大魔王ニーズとは、一体何者なんだ?」
俺の質問に、メリーは言葉を詰まらせる。
「本来であれば、敵対する方に明かすべきことではございませんわ。ですが……情けをかけていただいたせめてもの誠意は、こちらも示すべきでしょう。ただし……」
そこで、少し意地悪そうな視線になった。
「後日、万が一、情報漏洩の責を問われた場合は、魔道具で恥ずかしい拷問を受け、やむなく口を割ったと主張せざるを得ないでしょう。それでもよろしければお話ししましょう」
「ああ。それでいい」
軽口の奥にある覚悟と、俺は受け取った。
メリーは息を整え、語り始めた。
「大魔王ニーズ。正式名称、ニーズヘッグ。彼は遥か古代の辰人です」
竜の鱗と翼を持つ種族、辰人。
ムスペルヘイムの魔王ファフニルも、同じ血筋だったはずだ。
「ニーズヘッグじゃと?」
エルマの声が割って入る。
彼女の声には緊張と好奇心の両方が宿っていた。
「かつて『世界を蝕むもの』と恐れられ、アールヴヘイムの神々によって封じられた魔王……あのニーズヘッグか?」
「はい。そのようです」
メリーは静かにうなずく。
「だとすれば……ノルンにも匹敵する存在じゃな」
空気が、重く沈む。
「そいつは昔、何をしたんだ?」
俺の問いに、エルマは厳かに答えた。
「世界を支える骨格――別名ユグドラシル。ニーズヘッグは、上位の世界と下位の世界を繋ぐその骨格を蝕み、そこから力を奪おうとしたのじゃ。その結果、上位世界のアールヴヘイムは崩落寸前にまで追い込まれたという。慌てたアールヴヘイムの神々が総力を挙げて封じた……それが伝説じゃ」
世界を蝕む存在……話の規模が一段と跳ね上がった。
メリーが補足する。
「ニーズさんは、アールヴヘイムの件を今も忘れていないようですわ。だからこそ、その復讐のため、魔王から大魔王となり、アースガルドの魔道具に目をつけた……ということのようです」
上位の世界の神々に抗うために、アースガルドを乗っ取ったというのか。
大魔王ニーズ、予想の遥か上にいる。
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