四章 黒衣の魔紳士(20)
「さて、残るはあなたと教授だけですな。ミスターフェラン」
フェランはのろのろと黒衣の紳士に顔を向けた。信じられないというかのように呆然とした表情から、徐々に眼が危険な色を浮かべてくる。
それは憤怒だ。
また仲間を目の前で失ってしまった。助けられず、ただただ見る事しか出来なかった。己の力が足りず何も出来なかった。
フェランはM1ガーランドの銃口を再びナイ神父に向ける。この武器が通用しないのは解っている。しかし、それでもホーヴァスの死に一矢報いたかった。
「素晴らしいね。その怒り。人間の最も強い感情だ。君を生かしておいて正解だったよ」
「ふざけるな」
低いつぶやきと共に、それを打ち消す銃声が公園の深い闇に木霊する。
七発を撃ち尽くし、M1ガーランドの機関部からクリップが排出され宙を舞う。
フェランはコートから七発の三〇ー六〇弾の装填されたクリップを取り出して、M1ガーランドの機関部に装填する。
その弾丸である三〇‐六〇スプリングフィールドの強烈な反動を抑え込んだ無理な連射で右肩に鈍痛が湧くが、そんなことはどうでもよかった。
ナイ神父は先程から姿勢を崩さず、悠然とフェランを眺めている。唯一違う点は彼の前に、弾丸が宙に浮いていることだ。
「暇つぶしに自動的に発動する防御機構を作ってみたのだが、それなりの役に立つようだ。まあ、この程度の攻撃なら私は何発受けても平気なんだがね」
ナイ神父の足下から弾丸の数だけ湧いた触手は、それぞれが音速を超える弾丸を絡め捕りフェランの攻撃を無効としていた。
「まあ、君もせっかくの弾丸が無駄に消費されるのは面白くないだろう」
ナイ神父の右人差指にはめられた指輪の黒い宝石が鈍く輝く。
「これで防御機構は作動しない。さあ、撃ちなさい」
誘うように笑みを浮かべた顔を前に突き出す。
間髪入れず、その端正な顔に黒点が次々に穿たれる。
「いや、一発で十分じゃないかな」
八発の弾丸を受けたダメージは一切無いのか、ナイ神父は瞬時に弾痕の消え去った額にかかる黒髪をかき上げて艶然と笑った。
「くっ……」
対するフェランは再びM1ガーランドに弾丸を装填するが、歯を食いしばった表情から、彼のどうしようもない苛立ちが見て取れる。
彼に目の前の脅威を排除する力はなく、己の身を守る術もない。無力な人間としての限界を感じながらも彼は抗い戦い続けるしかなかった。
「君の出来ることはこれだけかね。なら、終わりにさせてもらうが。まずは……」
指輪が煌めき、ホーヴァスの沈み込んだナイ神父の影から触手が這い出し、その傍らに伏した冬峰の手足に絡みつく。
「この少年から頂こうか」
冬峰はゆっくりと引き摺られて優美な影へと近づいていく。
「くっ」
フェランは冬峰の手足に絡みついた触手を断ち切ろうと触手に向けて銃撃したが、その弾丸は影から飛び出た別の触手に絡み取られ地に落ちる。
そうしている間にも冬峰の右手が影の中に入り二度と抜け出ることのない深淵へ落ちようとしていた。
「やめろ、この少年は関係がない。見逃してやれ」
フェランの懇願に黒衣の紳士は微笑を浮かべる。
「関係が無ければ、あなたはもっと苦しみますね。好都合です」
表情とは裏腹な無慈悲な言葉を口にして、ナイ神父は顎をしゃくった。
力無く冬峰の体がゆっくりと影の中に没していく。この少年もホーヴァス・ブレイン同様に、この平面な黒い沼に囚われると二度と浮かび上がってこないのは明白であった。
フェランは愛用拳銃のコルトM1911A1を左脇のホルスターから抜いてナイ神父に向けるが、三〇‐六〇ライフル弾が通用しない以上、拳銃弾である45ACPにこの状況を覆す力など無い。
ナイ神父は目を細くして口角を上げ、本当に幼子を見つめる父親の様な表情でフェランを見つめている。同じように銃弾が通じないにしても敵意の感じられる不死の代行者の方が、フェランにはまだ理解出来た。
ここは引くか。フェランは決心する。
しかし、引くにしても自分にはこの一手しか残されてはいない。今回ばかりはこの手段が通用するのか疑問だった。
フェランは左手でコートのポケットから小さいガラス製の瓶と妙な彫刻の刻まれた笛を取り出し、親指でガラス瓶の蓋を弾いた。それに口をつける彼を黒衣の紳士は手を出さず見守っている。
手を出さないならこれ幸いと、フェランは黄金色の蜂蜜酒を飲み干して笛を吹き、呪文を唱え始めた。
「いあ いあ はすたあ はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ あい あい はすたあ」
呪文を唱え終って虚空を仰ぎ見る。
これでいつも通りなら遙か彼方のセラエノから、星間飛行を可能とする生物で旧支配者ハスターの下僕であるバイアクヘーが召喚され、自分はひとまずセラエノまで逃亡出来る筈だ。
「――」
何も来なかった。バイアクヘーの巨大な羽の羽搏きは聞こえず。フェランは宙を仰いだまま目を閉じる。
「ふはは」
ナイ神父が堪えきれないというように宙を仰ぎ、額に手を当てて哄笑した。
「いや、君も解っているんだろう。君はハスターの代行者【黄衣の王】に弓を引いた。おまけにハスターの眷属であるロイガーまで深手を負ったそうじゃないか。それに関わった君にハスターの加護など得られるわけないだろう」
言われるまでも無い。ハスターの加護が得られないこともフェランは予想していた。ただ、ここで自分の戦いが終わることに、これまでの仲間の死が無駄になることに耐えられないだけだ。
フェランは何も言わず再び四十五口径の銃口をナイ神父に向ける。
「無駄と解っているのに、君はそれしか残されていない。ならこれで終わりにしましょうか」
ナイ神父が右手を振ると指に葉巻が挟まれて火が点いた。それを一息吸ってから人差し指を上下させて灰を足下に落とす。
その気障で優美な行為の結果に生じた現象は、銃を構えたフェランの眉をひそめさせるものであった。
灰の落ちた足元から現れたものは、黒い色紙を切り取って作られたように平面な、子供の落書きの様な六つの人影だった。それは眼も鼻も無く、口だけが耳元まで裂けて背後のナイ神父の姿がその中から覗く。
「これも私の作った下僕でして、影鬼とお呼び下さい。非常に悪食で、人を消すのに使ってます」
耳まで裂けた口の上下は鋭く尖った牙の様にギザギザであった。
薄っぺらい両手を胸前に上げてにじり寄る異形の影絵を迎え撃つのは長い轟音。
六発の銃声が一発に聞こえるような速射で額を撃ち抜かれた影鬼は、しばらく仰け反った姿勢で硬直していたが、銃声の残響が治まると共に姿勢を戻して、何事も無かったかのようにフェランに向き直った。
「無駄ですよ。銃など私達に通用しない事を、そろそろ理解してほしいですね」
ナイ神父の指摘通り、影鬼はダメージを負った風も無く意外な敏捷性を発揮してフェランに肉薄するや、その鋭い平面な鉤爪を振るって襲い掛かって来た。
舌打ちして仰け反り鉤爪をかわしたフェランだったが、その鉤爪が自分の影のコートの裾に重なり通り抜けると、コートの裾がぱくりと裂けたのに驚愕して声を漏らした。
「影鬼の鉤爪が影を切り裂くと、その影の持ち主が切り裂かれる。影鬼が影を喰い千切ると、その先は言わなくとも解りますね」
ナイ神父はくくくっと忍び笑いを漏らした。フェランは悪趣味な化物だなと毒づきたくなったが、そんな事をしてもなす術も無く喰われる運命が変わるわけではない。
「いいですね、その表情。そのまだ戦い続けようとする気概が、最後にはどのように変わっていくのか。私はそんな人間の感情が、絶望の中で抗おうとする健気な行為が大好きでして」
宙を仰いで陶酔するかのように目を閉じるナイ神父の姿は、己の指揮する楽団の音楽に酔いしれるカリスマ指揮者の様に神々しくもあった。




