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19. 小暮詩乃になる

 私は、たった1人、沈みゆく夕陽を背景に、街を歩いている。

 人通りの多い駅前を通る。情報を集めるためにチラシ配りをする団体もいた。


「協力お願いします! 女性を探しています……!」


「すみません」なるべく失礼のないよう、丁重に断った。できるならば貰いたかったけど、今は、やらなければならないことがある。

 心ない人が捨てたのだろう地面に散らばったチラシは、ありったけの笑顔をもち元気そうな女性の写真が一瞬見えた。そして都会の冷たい風に運ばれ、私の視界から消えた。あぁ、なんてひどいことだ。女だから狙われたんだ。許されない。そんな舐め腐ったクソ(ちんぽ)野郎は潰されなければならない。これから私はそいつらの一部を倒す重要任務を遂行する。任務が終わってまだ私の助けを必要とするなら、快く協力する。私は心の中で約束をした。


 さて、こんな格好は生まれて初めてだ。普段より確実に視線が集まっているのがすごいわかる。絶対に望んでこんな格好はしない。

 さあ、私は今、どんな格好しているのか、それを知るには一日前に遡ることになる。


 *****


「「変装!!?」」

「そう、私は、()()()()になる」

「わたし!?」詩乃はびっくりしてさっき買ってあげた最新スマホを落としかけた。

 3人はひどく驚いていた。多分、私の言動にもう驚くしかできないのだろう。今噴出する危ない脳汁が収まったら私もきっと驚くに違いない。


「詩乃ちゃんの変装って……まさかあの姿の?」

「そう、詩乃の忌々しい夜街スタイルを揃える。私に合った服を」

「乗り込む気っすか? あの夜街に」

 岸の質問に私は頷いた。そう、私は詩乃の格好をして夜街に潜入する。

 これしかないと思った。飛び蹴りによって太った男は倒れたが、致命傷ではないだろう。女が男に肉体的に差があるのは仕方ない。だが、心は関係ない。狼狽(うろた)えてる隙に精神的にも倒したい。想像したくもないが、詩乃の前では、()()を晒してるはずだ。その盛大な隙に私が倒す、というのが作戦。作戦といっても、前準備としては後は私の変装に使うものを用意するしか残されていなかった。というか、これが作戦のほぼ全部を占めると言っても過言ではない。それくらい重要なフェーズである。要は、詩乃の仕事場だった所に出入りする時にバレなきゃ後は問題ないのだ。そこからは私が何とかするだけ。


「まずは髪型から、かな」

 時間がないから手当たり次第に店を回っていった。ウィッグが売っている店。それは以前詩乃と行った大型ショッピングモール、ルアポートにあった。今の詩乃の髪型は……黒色のツインテールだ。似ているものを購入した。

 続いては詩乃の夜の服装とよく似た服の店。事前に彼女のもののタグを確認していたため、すぐに手に入った。

「みてみて〜にあう?」

「おぉ可愛いね詩乃ちゃん〜」合いの手を入れる水野。

「やったー!」

「可愛い……です……!」水野と関わる時とは真反対に辿々しい岸。

 詩乃は茶髪のボブのウィッグをかぶってファッションを好奇心とともに楽しんでいた。

 詩乃と水野はだいぶ仲良くなっていた。岸はもしかしたら子供と喋るのは苦手なのかもしれない。水野と話す時の勢いが全く感じられない。得体の知れない物体を突いて様子を伺う原始人のようだった。


 あと揃えるものは靴だ。身長差があって、詩乃は高いヒールを穿かされていた。私はヒールありの詩乃と同じくらいの身長だから、ヒールがなくて、それでいて光沢が見える黒い革製の靴が必要だった。これもルアポートにあった。何でもあって、ショッピングモールがこの日はとても偉大に感じた。


 解散して詩乃と一緒に帰宅する。水野は明日"煌びやかな夜街"の手前まで車で送ってくれることになっている。決戦に向けて睡眠を取るべきなのだろうが、流石に寝れなかった。冴えまくってて困った。額に両手を当てざるを得なかった。困ると私は額に手を当てる癖があった。今日はその癖が大活躍している。嬉しいとは言い難い。

 明日の大一番、緊張がないはずがなかった。私はかなり危険なことをこれからするのだ。第一、あのデブクズ男が再び詩乃の仕事場に現れるとは限らない。これは一種の賭けだ。算段を特に考えない、無謀な賭け。だけど、私はあのデブクズ男が仕事場に来ると信じている。あんなことをしでかすやつは、決まって単純だからだ。情に任せて、情に溺れる単細胞生物なのだ。だから私は明日そこへ向かう。

 さらに、この状況で、少し興奮している自分がいることに驚いていた。大切な人を守るという闘志だろうか。かつて経験したことがなかった、この燃え上がり沸る心。自分にこんな一面があるとは思わなかった。額に当てていた手を握り、自分は生きていると実感する。アドレナリンの存在を知った、気がする。

 とはいえ、やはり落ち着かない。せわしさを紛らすため、私は()()()()をメモ用紙に連ねていく……。


「……なにしてるの?」

「詩乃……起こしちゃった?」

「ううん、おはよ〜」あくび混じりに詩乃は朝の挨拶をした。

 おはよう、と私も返答した。もう、朝になっていたようだ。夜の1番長い日は既に終われど、まだまだ暗闇は長く、1日の始まりに気づかなかった。


「……?」

「どうしたの……って、やばっ」


 体の強張りを和らげるために特に何も考えてなかったけど、他人にとってはめちゃめちゃ不適切な文字列を作り上げていたんだった。


「あ、ごめん詩乃!これはちょっと見せられないから!」


 慌ててその文字列を私の体に引き寄せて隠そうとするも……


「あっ」

「あっ」


 手繰り寄せすぎて、お腹と机の間にひらひらと落ち、そのまま詩乃の足元へ滑空してみせた。

 最悪だ。


「ちん……なにこれ」


 足元に落ちた紙には、『ちんぽ』の文字で埋め尽くされていた。さすがに、人に見られることを想定するはずもなく、思わず硬直してしまった。


「く、クズ!!」

「ひっ!?」

「ち、違う! 詩乃じゃないの!」


 私にとって『ちんぽ』というのはクズの象徴、そう説明しようとしたのだが、慌てすぎてクズしか出てこなくて詩乃に誤解をさせるところだった。


「でもこれきいたことあることば……」

「こ、この意味はいいの! これはクズって意味なの! それ以上でもそれ以下でもないの。いいね?」

「う、うん。わかった」

「そうなの。で、そんなやつらを……」


 私は愚かな文字いっぱいの紙を勢いよく引き裂いた。


「わ……!」


 これはあの時とは違う。これは一種の儀式。

 もうクズどもを恐れない。向き合った上で、私はあいつを否定する、その意志だ。

 詩乃はヒラヒラ舞う元ちんぽの紙に目を躍らせる。

 詩乃は、私が守る。この無垢な心をこれ以上汚してはならない。

 あいつを、ぶっ潰す……!!



 *



「ありがと、ここまで送ってくれて」

「いいんだ。というか、心配がすぎるから」


 夜の街の手前まで、水野楓は私を車で送ってくれた。


「はあ……有森さん、率直に言って、この作戦はイカれてる」

「知ってる」

「いいのかい? こんな心配してるの、人生で初めてかもしれない」

「わかってる。でもやらなきゃいけないの、私が」

「ごめん。正直、有森さんをここで止めたいよ」

「……うん。ありがと」

「危険なのはわかってる。でも、有森さんは強い意志を持ってるんだって、伝わってくるんだ。だから、歯痒いけど、有森さんを止めない」

「水野は他の男とは違う。女の私に対しても尊重してくれる。男女関係なく平等に接してくれる。でもあんたはちょっと気遣いすぎだよ」

「そうかな、普通のことをしてるだけだって」

「そうやって即答できるところ、ほんと素敵だと思う」

「え!?」


 ……え? とは?


「なんか……面と向かって褒められたのって、初めてのような……」

「そうだっけ!? 私は……!」


 なんて言葉足らずなんだ。私は水野のことが……。なんかそう思うのも恥ずかしい!確実に顔が赤くなってきた。


「え、有森さん、さっきのキリッとした態度はどうしたの?」

「あんたのせいでしょ!」

「はは、すいません……でもギャップがあって可愛いですねえ」


 あー、こいつ私をバカにしてるな。


「なんというか、いつも行動に芯がある感じ、憧れるなぁ。僕にはないから」

「ふぅん……ま、練習しな!」勢いよく水野の肩を叩いた。そろそろ決戦の地へと向かわないといけない。

「深夜までかかるかもだけど、待ってくれる?」

「もちろん。あのクズを倒してきて、詩乃ちゃんを救おう」

「そうする、じゃ、待ってて」

「うん、待ってるよ、いつまでも」



 *****



 今、つまり、私は小暮詩乃になっているということだ。我ながら完璧な変装だった……顔さえ見せなければ。

 黒色のツインテールに、白い楔模様でアクセントを効かせた黒のワンピース。そして黒色のローファーという、なんとも"少女(ガーリー)"な格好だった。これがあのデブカス男の趣味だとしたら、私が今、奴にいつの間にか支配されているような気がして吐き気がする。この呪いのような代物を早く脱ぎ捨てるためにも、早々と決着をつけたいところだ。

 そして問題は顔だ。詩乃の溢れる生命力で作られた艶やかな肌色はもう26歳の私には出せそうにない。まだまだ若いし肌質もいいと自負してるけど、やっぱり16歳の詩乃と比べると差が見えてしまうだろう。そして何より、骨格が少し違う。詩乃は丸い。私は詩乃と比べると若干顎が尖ってる。顎は俯いてなんとか誤魔化すことにした。だから、私はこの夜街にとんでもなく負のオーラを出し続けている、ように見えているだろうな。私は普段は多分そんなんじゃないと信じたい。そんなんじゃない……よな?

 ……まあいい。今は目の前のことに集中だ。

 考えながら歩いているうちに、辺りの店の光が強くなってきていた。近づいている。

 26歳の冬、妙に綺麗に整備された大きな道路で私は詩乃を待っていた。ベンチに座り、魑魅魍魎のごとくホームレスが湧く場所で、私は怖がりもせず、ただじっと待っていた。光の向こうから、少女がやってくるのを。

 そして今、私は光の向こう側へ、自ら足を進めている。私を迎え入れるこの威光は、暖かい? いや、見た目に騙されてはならない。これは人が作り出した紛い物。栄光ではない。目には見えないが、確実に精神を蝕み続ける針なのだ。チクチクと、気づかぬ間に、長い時をかけて苦しめ、苦痛に気づいた時には決して逃げられないようになっている恐ろしい毒針だ。

 私はそこへ自ら踏み入れる。私の意志が続いてるうちに、詩乃を本当の意味でここから救い出し、全てを断ち切る。


 そう決心した私は、俯いた顔を見上げた。


 見上げた末に目に入った景色は、目を開けるのがやっとなほどの、眩い栄光(どくばり)たち。やつらは私を十分すぎるほど照らしていた。

 

 ついにやってきた、因縁の夜街。


 あらゆる者を陥れる悪魔の毒針が、隙間なく照らす、煌びやかな夜街。


 今日、ここで、全てにケリをつける。

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