第6話「心を掴まれるような」
翌日の朝は大雨だったそれは記録的な降水量に迫るほどで東中学の1年F組廊下前の直ったばかりの窓ガラスにも大きな雨粒が勢いよくぶつかり、大きな音をたてていた。まだ校舎内に人影は殆どなくその雨音だけが響き渡っている。そんな直ったばかりの窓ガラスにもたれかかる姿が一つある。史である。目は腫れぼったく、普段に増してその眼は鋭く細い。待っている、藤森を待っているのだ。
昨日の一件は藤森、きっと藤森がやった。茶道室にいたあいつらも関係しているのだろうが、その確かな証拠はない。事の経緯を、茶道室のあいつらに何を言われたのかを史は藤森から直接問いただすつもりでいた。
藤森ははなぜあそこまでやったのか。いじめっ子といじめられっ子という関係性だが藤森とは長い付き合いだ。あいつがあそこまでやったことにどうしても合点がいかない。茶道室にいた連中に脅されたとしてもあそこまでやるやつだっただろうか。
また頭の中で考えが巡る。いつもであればある程度考えが巡るだけで完結、もしくは状況が変わることで考えること自体が不必要になることを待つ。誰にも共有しないし、働きかけもしない。だが、今回のことはいつもとは違う。昨日から考えがまとまらず落ち着かない。そしてじっとしていられずここに立っている。
史の頭の中で考えが駆け巡っている間に、生徒たちが「もう、びしょ濡れー。さいあくー」などと愚痴をこぼしながら次々と登校してきた。そして雨に濡れた生徒たちの登校がまばらになりHRのチャイムが鳴る頃、藤森はいつもの二人とようやく登校してきた。
「びしょ濡れだよオイ、やっぱ今日はこのままバックれよーぜ」難波の提案で三人がどこかへ行ってしまうかもという状況を前にしたとき、史の思考は一旦止まり足はやっと一歩だけ前へ出た。一歩だけ脚を出すと次の脚も続き、教室へと向かう教員とすれ違い「オイ、HR始まるぞ」と声をかけられようがその声はもう聞こえない。
「なんだよ、なんか用かよ」きっかけは三人に近づいて行くだけで十分だった。敵意に満ちた史の表情に、まず難波と森谷が反応し、藤森は二人の後に立ってまだその様子を見ている。背の高さの関係上、藤森を少し見下ろす史。藤森とほぼ同身長の難波と森谷は史を見上げる形で睨み上げる。「なんだって聞いてんだよ」森谷の問に史の口からは何も出ていかない。対する史の視線にも藤森は何も応えない。そんな二人の空気を、自分たちが眼中にないことを難波と森谷が感じ始める頃にF組の担任川上が割って入ってきた。「なんだぁ?お前ら?また朝からなんかやらかそうってんじゃないだろうな?HRのチャイムが鳴ってるだろう、聞こえないのか?あぁ?」川上の一声をきっかけに教室内の生徒たちが少しずつ廊下へ顔を出し注目し始めている。少なくなってはきたが登校してきたばかりの生徒達も通りすがりにそれに注目し始めた。そしてその中には史と同じクラスの窓際のイケメンくん「植草中」もいた。だが植草中が見ているのは史と藤森ではなく別の場所。少し高い場所からのなんとも言えない嫌な視線が集まるそこには龍と新、収や卓夫たちがニヤニヤと薄ら笑い、史と藤森を観察していた。
「…なんであそこまでやった?」
ストレートな質問をしても欲しい答えが返ってこないことは分かっていた。ただ、考えて考えて口から出た言葉はシンプルなものになった。藤森の表情は一瞬「疑問」から「理解」へと変化し、そして眼を逸らした。だが眼を逸らした先には川上が立っており、目があった川上の方はきょとんとしていたが藤森はすぐにそこからも目を逸らし、そのまま何も言わず足早に教室へ向かおうとした。
「なんであそこまでやった!?」
藤森の腕をとっさに掴み、今度は強めた声で再び問いただす。もはや聞き方などどうでもよくなっていた。強めた声は周りの注目をさらに集め、二階校舎からも数名の生徒たちが追加で顔を出す。「なんだ?なんのことをいってるんだ?」脳天気に尋ねる川上を無視するように史は藤森に勢いよく掴みかかった。掴んだ胸ぐらを何度も揺らし「なんであそこまでやったんだ!?誰に言われた!?」そう聞き続けるが藤森は何も答えない。反撃する様子すらない。止めに入る川上の手を振り払い教室へ向かう藤森を「まて!」と追いかけようとする史を川上が体で割って入るように止め「待つのはお前だ!いい加減にしろ!お前!後で生徒指導室こい!」我に帰るとやっと川上や野次馬達の存在が史の視界に入ってきた。人混みを、視線を集中させてくる他生徒を避けながら史もB組へ向かい、難波と森谷もそれに続く。二人は史を怪訝にみて「なんだよ?」「おいさっき聞いてたのなんのことだよ!」と疑問を史に投げつけるが何も史からは返ってこない。
HRが始まり、今日は副担任の女教師岡野に何回注意されようと、史は頬杖で顔の片側を隠し、窓の外をずっと見ていた。激しい雨音といつもより早い心臓の鼓動は一向に収まらない。鼓動のスピードと同じように、頭の中でも早いテンポで自分への問が止まらない。「何故あんな場所で藤森に詰め寄った?」「何故生徒指導室に呼ばれるようなバカなマネをしてした?」「何故話した事もない近藤の事で自分が損になるような事を?」外を見て、さらに頬杖ついて顔を隠し、必死に自分を整理している史の顔を、史の真後ろの席の植草中は伺うことが出来る。植草中は今日は窓の外を見ていない。
(こいつ、あいつになにやられたんだ?教師の眼の前で…バカかこいつ…)
休み時間になるとしびれを切らした難波と森谷が史の席までやってきた。
「おい、お前いつまでそうやっとくつもりだよ、朝のやつなんだよ、説明しやがれ」しかし史は答えない。窓の外をみたまま。
「こっちむけ!この野郎!」
無視され頭に血が上った森谷は史の腕を掴み上げ、無理矢理にこっちを向かせる。振り向かせたその眼は、いつもは見せない感情剥き出しの眼、そして何かに怒りを露わにし、難波を鋭く睨みつけている。後ろの席からは植草中もその様子を見ている。大きな声でクラスメイトも反応し、視線が一気に集中する。
「な、なんだよ」
史の剥き出しの感情に圧倒され、尚且つクラスメイトにその瞬間を見られたバツの悪そうな森谷を難波がワンテンポ遅れて援護に入る。「とりあえずちょっとこいよお前!」この後に及びまだ無視する史を見て、今度は難波が肩口を掴んで無理矢理連れて行こうとした時、史の口がやっと開く
「わかんねえよ…」
「あ?」
「わかんねーよ…でも…これだけは確かなんだ。なに不自由のない環境で育ったおまえらにはもっとわかんねえよ!」
史が強く意見したことに対して森谷と難波は目を丸くして立ち尽くしている。一方、植草中はその言動に興味を惹かれたようだった。
「な、なんだあ?中学上がったばっかで人生悟ったようなセリフ言ってんじゃねえぞ…!」
この場は史の勝ちだった。森谷と難波は一瞬史の剥き出しの感情にたじろいだという事実と、その後も言い返してこない史に対して追撃の言葉が用意出来なかった時点で引かざるえなかった。
静寂もやがて止み、クラスのガヤがポツポツと始まる。
その中で窓の外を再びじっと見ている史を植草中はじっと後ろから見つめている。言葉が行き交う周りに対し、二人の周りだけは静寂が濃くなってゆく。
放課後、史の姿は生徒指導室にあった。
それは川上からの呼び出しの言いつけを守るためだったが、生徒指導室には当の川上本人がいない。一時間、二時間待っても川上は現れず、結局その日川上は現れなかった。翌日、史は川上と廊下ですれ違ったが、川上は特にその事について何も言うことはなく「授業始まるぞ、早く教室に入れ」と、ただのそれだけで呼び出しの件については全くだった。この中学校は土地柄からか、昔から多くの不良の資質を持った少年少女たちが入学してくる。その少年少女たちは在学中の三年間を通して勉強ではなく教師に反抗することで自己主張の力を養っていく。そんな少年少女たちを日々相手にしている川上にとって「生徒指導室にこい」などという言葉は無意識のうちに出てしまうものであり、本人も口に出したことを覚えていないことが多い。注意を頻繁にうける生徒達もそれを把握していて、史の様に最初は呼び出しに応じる生徒もいるが二度目からは学習する。今回は史もその洗礼を受けたのだ。
近藤が入院し、二、三日経つと校内では近藤が休んでいる理由が生徒の中で噂され始めた。「校外で傷害事件を起こして鑑別所にいる」だとか「お父さんがヤクザで近藤もその組に入ってもうヤクザになっちゃった」とか「自殺未遂を起こして入院している」だとか「自殺した結果もうこの世にいない」だといった内容で、そのどの噂の中にも藤森、史は登場してこなかった。その藤森はというと、徐々に元の様子に戻り、難波と森谷とで史を再びいじめの標的にするようになっていた。
「イャッホ〜イ!中学のカバンはランドセルよりやっぱり難易度が高いぜ〜その割には空いたときのマヌケな感じがイマイチだなぁ!」
「ランドセルだったらよ、頭に蓋がベロ〜ンってよ!あっちの方がやっぱりいいよな!」
「だからよ史ちゃん…明日はランドセルしょってきてねっと♡」
語尾に付けられた♡とボディーブローは史の足を止め、咳き込ませる。
史の新しいカバンを蹴り回し、ボディーブローで苦しむ史をみてケタケタと笑う難波と森谷を藤森は後ろで無表情で黙って見ている。
史は自分を痛めつけてきた難波と森谷ではなく、ずっと藤森を睨みつけていた。
相変わらずこの光景を「かわいそう」の目で見つめる傍観者たち。これは小学校の通学路と何も変わらない光景だ。
周りに散乱した教科書の1つを森谷が近くの草むらに蹴り込むと、三人はそれをみてまた笑い、満足したのか帰って行った。
史はその場でしばらく動かなかったが、教科書を拾い、倒れている自転車を起こすと、周囲の冷たい哀れみの眼の奥でどこか楽しんでいるような残酷な感情を感じつつ、その場を後にする。
自転車は家へと続くいつもの通学路を外れ、近藤勝也の入院している病院に向かって行く。
(自分はなぜこんなことをしているのか)
(なぜ近藤勝也にそれほど関わろうとするのか)
それが史本人にも分からなかった。それでも、今までにないスピードと関心力で近藤勝也に関わっていくそんな自分を制御出来なかった。
病室に着くと、一人で外をじっと見つめる近藤の姿がそこにあった。その横顔は史の立っている入り口から見え、その顔は昨日の情報が脳内にあるからか、史にとってはなにか「心を掴まれるような」もので、あの凶暴な性格の近藤から生まれる表情とは思えなかった。
病室まで来てしまったが、どうしていいのか、またどうしたいのかがわからなかったのもあるが、しばらく史はその場に立ち尽くしてその横顔を見ていた。夕闇の光で少し煌めく瞳。その瞳の中に近藤の中の「心」をたしかに感じた気がした。
「あら、珍しい。お友達?もう出来たんね?」
背後から声を掛けてきたのは近藤の母だった。
「あ…」
驚きで内容をすぐに理解出来ず、言葉の否定も肯定も無く、史はただ声の方に反応した。
史に気づいた近藤もただただ驚き、史をみている。
少しの間の沈黙をやぶり、近藤の母が続ける
「あ、ごめんね、お母さん邪魔だね、また明日くるから、じゃあね勝也」
近藤の母は腫れた顔をくしゃっと笑わせ、史に一つ頭を下げると本当にどこかへ行ってしまった。少しの間、また沈黙が流れたが「なんか用?」ぶっきら棒に近藤が言い放った。
その意思は無かったにしろ形としてお見舞いにきた人間に無礼だと感じた史は、なにか言い返してやりたくなった。
「いい気味だな、入院なんて…忠告を聞かないからだ」
「なんだよ、忠告って?」
「言っただろ、藤森は必ず報復するって…だからいったんだ」
「だからそれがなんだってっ言ってんだよ」
話の進展の無さに勝也は少しイラつき、一方なんで俺の言ってる意味がわからない?と言わんばかりの史。
「あいつらは、これからずっとこんな調子で続けてくるんだぞ!反抗して抵抗して、力で対抗したって、次の日にはそれ以上の力、人数集めて徹底的にやり返してくるんだ!キリがないんだよ!そんなもの…」無力感に襲われ、史は「…無駄なんだよ…そのうちきっと他の…」と途切れ途切れに絞り出すようにいった。
ほぼ初対面の自分に感情をぶつけてくる史に「お前の悩みはわかった、けど」という部分を口には出さず近藤はこう続けた。
「相手を殺してやりたいほど憎い場合は?その相手が憎くて憎くてどうしようもない場合はどうするんだ?」
勝也は窓の外を見、再び先ほどまで見せていた眼で続ける。「なんで、なんでもかんでも我慢しなきゃなんねぇ…こんな世界なんて、学校なんて、全部ぶっ壊してやる…今からだっていい」
病室の外には帰った筈の勝也の母が立って息子の叫びを聞いていた。息子の胸の痛みを知っていても、何も出来ない…そう感じている母はゆっくりと気づかれないようにそっとその場を後にし、足を家路に向ける。こんな環境が母親である自分と父親が息子を今の状態にしている。もっと普通に…今のままで息子は普通のまともな大人になれるのか、そんな想いと「でも自分にはどうしてやることも出来ない」という無力感を抱いて家に帰っていく。そして近藤家からは今日も「こんな時間まで何をしていた」「まだあいつは退院出来ないのか、無駄金使ってんじゃねえ」という父の怒鳴り声と鈍く思い音が聞こえてくる。
史は帰り道で「ああ、おれはまだ学校や家での自分を守ろうとしていて、同時に守ってくれてる状況に甘んじていて、なのに近藤はもうそれすらを壊してやりたいってとこまできているんだ」そう考えていた。
自分の未来には漠然と「大人になる」事が存在しているが、近藤にはそんなものは無いのだ、そんなもの放棄することを考えてるのだと。




