take2
「多分ー、トリコロールさんはまだジャババにいますよー。」
「いや、せめて地名くらいはきちんと言ってくれないと分からないよ。」
恐らくパルムにまだカプサルがいるのだろうと考えながらシンプソンは言った。その身は軽装の装備で固められている。
「こんな武器まで――どうしてこんなによくしてくれるんだ?」
朝、朝食をとった後にパニエに呼ばれたシンプソンは戦闘用の軽装備に着替えさせられた。
「それはー、あなたに期待しているからですよー、シンプソンさん。」
「今、当たった。」
「何がですかー?」
「パジャマもいただけるんですか?ありがとうございます!」
ミリカが乱入してきた。
「ミリカのパジャマまで、申し訳ない。」
「いいですよー。それよりー、あのあとー、眠れましたー?」
「廊下で眠らせてもらった。流石に一緒に寝るのはできなかったから。」
「なに、なんですか⁉夜にお二人・・・まさか!」
「「違う!」」
パニエとシンプソンは声を合わせて否定した。
「じゃあ、なんで一緒に寝てくれなかったんですか。ご主人様。私、寂しくて眠れなかったんですよ!」
「腹を出しながら大の字になって寝てたのはどこのどいつだ?」
「あれはどこからでも召し上がれという合図で――」
「ぐぼっ。」
シンプソンはミリカの頭を押さえ、頭を下げさせた。
「お世話になりました。」
「待ってください、ご主人様。まだお二人が昨夜――。」
「ほれ、行くぞ。」
それからシンプソンは一度もパニエの方を振り向かなかった。
「ドウシテアノ男ニ優遇スルノデスカ。」
おーちゃんがパニエに訊いた。
「気になるのですかー。おーちゃん。」
おーちゃんは返事をしなかった。
「なんとなーく、おもしろそうだなー、って思っただけですよー。」
パニエはシンプソンの後ろ姿が見えなくなるまでその大きくも小さくもない背中を見ていた。
「前より目立ってる気がするな。」
金を稼ぐ方法を考えながら町を歩いていたシンプソンは言った。町の人々の目線は当然シンプソンではなく、ミリカの方に注がれていた。
「貴族っぽくはあんまり見えないのになあ。」
言葉にしただけで大して気にはしていなかった。
「で、あてもないのでこうしてご主人様と歩いているわけですが――。」
急にミリカは目を見開いた。
「これってデート?デートですよね⁉」
「じゃかましい。」
シンプソンは軽くミリカの頭を叩く。
「カプサルさんの特徴さえあれば、聞き込みができるのですけどね。」
ミリカは元の調子に戻って言った。
「特徴・・・ねえ。あるとすれば、田舎くさいってところかなあ。」
「ご主人様も大概ですけど。」
ぷっ、とミリカは笑った。
「急に毒舌⁉頭を叩いておかしくなったのか⁉」
「いえ。復讐ですよ。」
「せめて仕返しって言おうよ。」
紺のスカートをなびかせながらミリカはシンプソンの前に出た。
「こんなところにいたのな。」
シンプソンが入っていったのは、小さな教会であった。
「やけに信心深いんだな。神父なんざ昼から酒場で騒いでいたというのに。」
祭壇に向かって手を合わせ祈っているカプサルに向かってシンプソンは言った。
「あなたは確か――。」
シンプソンたちに背中を向けていたカプサルが振り返って言った。
「俺はシンプソン・アーニー。こっちは――」
「ミリカです。ご主人様の従順な性奴――」
「やめんかい。」
シンプソンはミリカの頭を殴る。もちろん手加減はした。
「アーニー?どこかの貴族出身ですか?」
カプサルの問いにシンプソンはポカンとした顔をする。
「だって、苗字がありますし。」
的を得たようにシンプソンの目に生気が戻る。
「ああ、多分昔は村の有力者かなんかだったんだろう。今となれば親一人子二人だが。」
「村の出身ですか⁉どこですか?」
「ニッコウだけど。」
「ニッコウ?聞いたことないですね。どのへんですか?」
「ここから東だな。」
「僕の村から正反対ですね。僕は西のゲッコウって村から来たんですよ。」
「やけに信心深いんだな。農村だろう?」
「ええ。でも、西の方は聖洋教徒が多いんですよ。何せ、西から入ってきた教えですから。」
「そうだったのか。俺もこの町に来て初めて知ったもんなあ。」
二人はミリカそっちのけで話しているので、暇を持て余したミリカは教会の中を珍しく見回っていた。
「この町に来て長いんですか?」
「まあ、一年にはなる。」
「すごいですね。僕はつい最近ここにたどり着いたんです。本来なら友達とタンムリに行くんでしたけど。」
「タンムリってあの宗主国か?」
未だに地理に疎いシンプソンはパルムから少し北にあるなんかすごい国としか認識していなかった。
「どうしてあんなところに?」
「出稼ぎですね。うちの村は貧しいので。」
「そうか。俺もそうだ。」
苦い思い出を思い出すようにシンプソンは言った。
「ところで、僕に何か用でしたか?」
「ああ。忘れるところだった。パニエからお前に聞けばなにかいい金儲けのアイデアが貰えるかもしれないって言われたからな。」
「パニエって、あのラットスさんですか?」
カプサルが顔を青くしたのでどうしたのか、とシンプソンは不思議に思った。そのときである。
ぱきん。
「きゃあ。」
ミリカの声がした。ミリカの方を見ると、ミリカの足元には花瓶が割れていた。「
「うおおおお。何やってんだよ、ミリカっ!俺には弁償する金なんてないんだからな!」
「あなた様のことは決して口外いたしませんから、どうか許して下さい!」
恐れおののく声が聞こえたので何事かと思ってそちらを向くと、先ほどまで立って話していたカプサルがその場に座り、頭を抱え込んでいた。
「だ、大丈夫か?」
シンプソンは少し怖くなりながら聞いた。
「え、ええ。少し取り乱しちゃいました。」
無理矢理笑顔を作りカプサルは言った。
「それより、神父が帰ってくるより先に逃げなければ。」
シンプソンは慌てて教会を出ようとした。
「それなら、ちょうどいいものがあります。」
カプサルがとりだしたのは手のひらサイズの黒い物体だった。
「これはレーベルワルツという魔道具でして、行ったことのある村や町に行けるんです。ラットスさんのおっしゃっていたことに少し心当たりもありますので、ひとまず、ゲッコウ村まで行きましょう。」
カプサルはシンプソンとミリカに自分の体に触るように言った。
「では、ゲッコウへれっつごー。」
今まで見ていた教会の景色は大きく歪み、もとがどんな景色であったのかさえ判別できなくなった。そして、シンプソンが気が付いたときには、見知らぬ木々の中にいた。
木々の枯れた森をシンプソンと男は彷徨っていた。
「葉が茂っていないにも関わらず太陽が見えないなんて、大変だねえ。これでは方角も分からない。」
「そもそもどっちに行けばいいのかも分かっていないけどな。」
男の言葉にシンプソンは答えた。
シンプソンが男と出会ったのは、気味の悪い森に飛ばされて間もなくだった。
「ここはどこだ?」
どうみてもゲッコウ村だとは思えない景色の中、シンプソンは言った。周りには誰もいない。ミリカも、カプサルも。シンプソンは上を見上げる。そこには明かりはなく、葉のない枝だけの木々が空を覆っていた。カラスがぎゃーぎゃーとシンプソンを嘲笑うかのように鳴いていた。
「不幸だ。」
何故か遭難してしまった自分の運命と、この後屍になる未来を呪った。
「本当に運がなさそうだね。君は。」
突然の声にシンプソンは幽霊かと思い、恐る恐る声のした方を見る。そこにいたのは何とも形容しがたい男が立っていた。それは格好がおかしいというわけではなく、特徴がなく平凡であらわしにくかったのだ。あえて言葉にするなら、どこの世界にでも必ず一人は存在するような、そんな普遍性――
「足はついてるな。」
「あはは。君、おもしろいね。」
突然笑われたので、シンプソンは困ってしまった。
「いや、ごめんね。幽霊と間違えてしまったんだろう?」
ま、そんなところだけど、とシンプソンは答えた。
「ここはどこなんだ?」
シンプソンは男に聞いた。
「僕も気がついたらここにいたんだ。どこかまでは分からない。」
「そうか。お前はどこから?」
「うーん、難しい問いだね。敢えて言うなら、どこでもない場所からかな。」
男の悩んでいる様子がミリカに重なった。
「もしかして、記憶喪失とか、か?」
またしても男は悩んだ後、言った。
「まあ、正確には違うんだけど、大方はあってるのかな。僕は昨日生まれ落ちた存在だから、記憶を無くしたというよりももともと持っていなかったというのが正しいんだけど。」
シンプソンには分からないことを言ったので、とりあえず記憶喪失であるということにした。
「君は一体どこから落ちてきたんだい?」
「落ちてきた?俺は落ちてきたのか?」
「いや、わからないけど。僕が落ちてきたから君も落ちてきたのかと。」
不思議なヤツだな、と思いながらシンプソンは答える。
「俺はパルムからゲッコウ村まで行くはずだったんだ。」
「どういうこと?」
シンプソンはここまで至った経緯を男に話した。
「魔道具でねえ・・・この世界にそんなものが存在するなんて。」
「ガチャから出たものだからなあ。」
「ガチャ?なんだい、それ。」
シンプソンはガチャについて話した。
「ふんふん。なるほど。君のおかげでこの世界のことを大方知ることができたよ。」
「うん。それはなによりだ。」
少しも事情は読めないが、シンプソンは言った。
「ちなみに、そのパルムはどちらにあるんだい?」
男は左右を指さしながら言った。
「ここがどこだか分からないとどっちに行けば分からないし。」
シンプソンは自分の置かれている状況を再認識した。
「まあ、ゲッコウ村から東、ニッコウ村から西かな。けっこう大きな都市だから、遠目にもわかるけど。」
「そうか。ありがとう。君には本当に感謝しているよ。」
シンプソンは自分が名乗っていないことに気付いた。
「俺はシンプソンって言うんだ。お前は?」
「僕かい?」
男は再び悩んだ。
「名前なんてないんだけど、それじゃあやりづらいよね。よし、僕はケイオスと名乗ることにしよう。」
「よろしくな、ケイオス。」
「こちらこそ。シンプソン。」
それが二人の出会いだった。
二人はとりあえず森を出ることを目標に歩いていたのだが――
「同じところをぐるぐる回っているみたいだ。」
シンプソンが木に刀でつけた傷を見ながらケイオスは言った。
「さっきとは別方向に歩いていったよな。」
「おかしいね。」
数時間歩き続けて、一つも成果がない事にシンプソンの精神はまいっていた。一方、ケイオスは大したことはないという風に微笑んでいる。
「ケイオスはいつからここにいるんだ?」
「暗いからよくわからないけど、まだ一日は経っていないと思う。」
「タフだな。」
座り込んでシンプソンは言った。
「いや、そんなことはないよ。」
ケイオスもシンプソンの隣に腰を下ろす。
「僕はシンプソンに出会うまで、ここから出る気さえ起らなかったんだ。でも、君からこの世界の話を聞いて、僕は僕の使命を思い出した。だから、どんな手を使ってでもここから出なくちゃいけない。」
ケイオスの目には強い意志が宿っていた。しかし、すぐに目を細め、笑顔で言う。
「だから、早いとこ出ちゃおう。」
ケイオスは立ち上がった。
「そうだな。」
シンプソンも立ち上がる。
「で、なんか彼、すごく怒っているんだけど。」
二人の目の前には二人の背丈の大きさはある謎の獣がいた。
「まさか、魔獣?」
「いや、この世界にそんなものはまだ存在しない。」
少しずつ、獣を刺激しないように二人は後ずさっていく。
「あれは超巨大なただのイノシシだよ。」
シンプソンが後ろに出した足が木の枝を踏んだ。軽い音が森に響く。それが合図であったかのように、イノシシも、人間二人も、一斉に駆けだした。
二人は木の陰に隠れていた。数メートル先にはまだイノシシがいる。
「しつこい野郎だ。」
荒ぶる息を何とか抑えながらシンプソンは言った。
「もう一時間近く逃げてるもんね。」
ケイオスは一切息が乱れてなかった。
「まあ、まだイノシシで良かったってところか。」
「あれでも危なくない?」
シンプソンの言葉にケイオスが問いかける。
「あれがヤマイヌだったら俺たちはすでに死んでる。集団で襲われたらどっちも殺されちまうからな。」
「あれ?もしかして、どっちかが囮になることを考えてる?」
「最悪な。」
ふふふ、とケイオスは笑う。
「それなら、二人でバラバラに逃げればいいのに。」
「でも、ケイオスの方に行ったら――」
「大丈夫。君の方が運がなさそうだから。」
「そうか。だったら――」
飛び出していこうとするシンプソンの腕をケイオスは掴んで止める。
「いや、一緒に逃げよう。」
イノシシが二人の方を向いた。どうもばれたみたいである。
「よし、逃げるぞ。」
二人は森を駆けだした。イノシシはその巨体に似合わぬ速さで迫ってくる。
「うおっ。」
急に下り斜面が現れ、シンプソンは斜面を転げ落ちた。イノシシも同様に転げ落ちる。そんな折、急に一筋の光が差した――
「どうやら、出れたみたいだ。」
ぐるるるる。
シンプソンが安心したのもつかの間、まだわが身に危険が迫っていることに気が付く。超巨大イノシシが体を起こした。
「あ、アーニーさん。」
「ご主人様!」
聞きなれた声に思わずそちらの方を見てしまった。その隙を見て、イノシシは猪突猛進する。
「お前ら!そこのにいちゃんも。油断し過ぎだ。」
初めは空から何かが降ってくるのだと思っていた。それが自分にも降りかかってくると感じた時、シンプソンは急いでその場から駆けだした。
「一体なんなんだ?」
息を切らしその場を眺めると、地面に何本も鉄の棒が刺さっていた。
「まさか、初撃を避けるとは。お前、ただのイノシシじゃないな。」
ミリカとカプサルの前にシンプソンの知らぬ男がいた。
「いざ、参る!」
男はイノシシに向かって走りながら、地面に刺さった棒を抜く。
「串?」
地面で隠れていた棒の先が尖っていたので、シンプソンにはそう見えた。イノシシは周りの串もろとも蹴散らさん勢いで男に向かっていく。男はイノシシにぶつかる寸前で、横に避け、イノシシの胴体の側面に串を刺す。
「壱式。」
すぐに近くの串を手に取り、イノシシに刺す。
「弐式。」
二本の串がイノシシに刺さり、イノシシの体には計三本の串が刺さった。しかし、イノシシはそんなくらいでは倒れない。
イノシシは牙で男を振り払おうとする。男はそれを軽くかわし、新たな串に手をかける。
「勒式。」
「お、おい。待ってくれ。」
シンプソンはそう言っていた。イノシシに対し恐怖しか抱いていなかったはずなのに、思わず息をするようにそんな言葉を口にしていた。だが、男の耳には入らない。
男は両手に二本づつ串を持ち、宙に投げた。それを三回、計六本の串が宙を舞った。最後の串が宙に上がると同時に最初の串が男の元へ戻ってくる。それを順にイノシシの体に刺していく。串が刺されるたびに、イノシシの体から肉が貫かれる音と、イノシシの低い悲鳴とが聞こえた。相当数串が体を貫いたせいか、体を貫かれるごとに弱っていく。イノシシの体には計九本の串が刺さった。
「よく耐えたな。次で終わりにしてやる。」
イノシシはもう動けなくなっていた。しかし、大地に足をつけ、決して背を向けない。
「壱式。」
男の手にした一本の串は、イノシシの脳天に突き刺さった。
イノシシは息絶えた。
「元気がないですね。ご主人様。」
四人で歩きながら、ミリカは言った。
「ああ、そうだな。」
イノシシが目の前で殺され、今その死体が男の手によって運ばれている様をみて、シンプソンは萎えていた。
「でも、まさか不帰の森に迷い込んでいるなんて。どうしてあんな不気味な所に?」
カプサルがシンプソンに聞いた。
「それは俺が一番知りたいよ。」
「きっと重量オーバーだったのでしょう。でも、よりによってあんな場所とは。生きて出られて良かったですね。」
カプサルが準備をしていたかのように言った。
「運が悪かったら、あんなイノシシだけじゃなく、山みたいな熊も出てくるからよ。」
男は言った。
「ああ、そう言えば、紹介し忘れてました。こちらは僕の友人のマサト。こちらはパルムでであったニッコウ村のシンプソンさん。」
「よろしく。」
「ああ。」
二人は特に握手も交わさなかった。
「どうしてパルムになんて行ったんだよ。タンムリとは方向が全く違うじゃねえか。」
マサトはカプサルに言った。
「だって、それはマサトが一人で勝手に走って行っちゃうからだろ?おかげでどっちに行ったらいいのか分からなくなって、大きい町にたどり着いたのがパルムだったんだよ。」
「そんじゃあ、まあ、こいつの肉は村のみんなに分けてやってくれ。俺は少し出かけてくる。」
村の入り口でマサトは言った。
「何処に行くの?僕とマサトが村に帰って来たんだから、今日はみんなでお祝いをしようって言ってたじゃないか。」
「ちょっと気になることがあってな。」
マサトは大量の串の入ったバッグを背負って去って行った。
「そういえば、金になる話ってのはなんだ?」
シンプソンはカプサルに聞く。
「ああ。説明し忘れていましたね。ミリカさんには話したんですけど、この村の南には大きな湖があるんです。昔からの言い伝えでその湖には主が住んでるみたいなんです。パルムにいたとき、ふと懸賞金のチラシを見まして、そこにこの主に懸賞金が懸っていたんです。」
「どのくらいだ?」
シンプソンは即座に聞いた。
「百万くらいでしょうか。」
「よし。なんとしても主を釣り上げるぞ。」
竿は村の近くの森林からとれる枝で作った。シンプソンは幼いころから釣りなどの遊びをしてきたので、竿づくりは手慣れたものだった。ゲッコウ村での竿の作り方はシンプソンのものとは少し違い、カプサルの助言を聞きながら、興味深いとシンプソンは思っていた。
「エサはイノシシの肉でどうですか?」
カプサルは葉に包んで持ってきたイノシシの肉を見せた。
「それで釣れるのか?」
「分からないですけど、大きな魚なら、餌も大きい方がいいんじゃないかって。」
「それもそうだ。」
ミリカは村で仕事を手伝っている。
「この衣装、どうですか?」
湖に行く前、村人のお古の衣装を着てミリカは言った。
「ああ。とっても似合ってる。だから、しっかり仕事しろよ。」
「ご、ご主人様が褒めてくれた。やったー!」
機嫌をとっておけば問題は起こすまい、とシンプソンは考えたからだ。そのときである。
「カプサル!」
そう言ってシンプソンとカプサル、そしてミリカに向かって来る人影があった。
「アンタ、私に断りなく町に行こうとしたみたいね?さてはマサトがそそのかしたのね。」
村娘といった感じの女だった。
「そして、アンタがカプサルのツレね?」
牙をむき出しにして村娘はミリカに言った。
「ご、ご主人様。この人、怖いです。」
「初対面の人に向かって怖いってなに?都会人は礼儀も知らないの?」
「まあまあ、ハナコ。この人は友達のカノジョだよ。ほら、彼だ。」
カプサルはシンプソンを示す。
「こんな貧相な男がこの子のカノジョ?そんなわけないでしょ。」
失礼なのはどちらだろう、と思いつつ、シンプソンは黙っておいた。
「ご主人様!カノジョですって。私たち、やはり恋人同士だったんですね!」
「なんの話だよ。ミリカはミリカだ。その――コイツはあれだ。妹だ。」
「妹にご主人様なんて呼ばせてるの?不潔。」
「私とご主人様が兄妹だったなんて。衝撃の事実です。イケナイロードまっしぐらです。」
「うう、めんどくせえ。」
頭を抱えだしたシンプソンを見かねてカプサルがハナコに言う。
「ハナコ。僕たちが湖に行っている間、ミリカさんに仕事を教えてあげて欲しいんだ。いいよね。」
「そんな、やっと会えたと思ったのに、また離れ離れなんて、嫌です。」
「いいわ。分かった。ほら、さっさと行くわよ。」
ミリカはハナコに襟を引っ張られ、連れて行かれた。ご主人様ぁと嘆くミリカにシンプソンはしっかり働くんだぞ、と声をかけた。
「互いに大変なんだな。」
釣り糸を垂れながら、シンプソンは言った。カプサルも同じく釣り糸を垂れている。
「そうみたいだね。」
カプサルも同じことを考えていたようである。
「そういえば、あの森に一人で大丈夫だったんですか?とても怖かったでしょう。あの森に入って帰ってこれた村人はいませんよ。」
この時初めてシンプソンはケイオスのことを思い出した。
「いや、俺はケイオスってやつと一緒だったんだよ。でも、イノシシに追われてるうちにはぐれて。今思えば幽霊だったのかもなあ。」
幽霊という言葉にカプサルは肩を震わせる。
「お前ってけっこう怖がり?」
シンプソンはカプサルの様子を見て言った。
「い、いえ。そんなことはありませんよ。そういえば、ラットスさんが気になってらっしゃったんですが、アーニーさんは何をガチャにいれなさったのかなって。」
「シンプソンでいいよ。」
シンプソンは湖面の浮きを眺めていた。
「俺があのとき持ってたのは少額の金と、家族の写真だけだった。」
「写真ですか?」
「ああ。昔村に商人が来て、撮ってくれたんだと。どんなつらいことがあっても、それだけは肌身離さず持ってた。」
「まさか、それを――」
「そうだ。ミリカの前では話せなかった。アイツ、ときたま俺の顔を見て不安そうな顔をするんだ。俺の顔になんて書いてあるのか心配であるかのようにな。」
「そう、なんだ。」
カプサルはしばらく黙り込んだ後、話し出す。
「僕はそこらへんの石ころだったよ。なぜあんなものが出てきたのは不思議だった。」
「別に俺は後悔してはねえんだ。ミリカと出会えて本当によかったと思ってる。ちょっと騒がしい方が寂しさも紛れるし。」
「ときに、カプサル。」
一呼吸おいてシンプソンは言った。
「その主ってのはどんなものなんだ。」
「見た人によると2メーターはあるって。」
「うんうん。それで、その俺たちの身長より大きな魚をこの釣り竿で釣れるとでも?」
シンプソンとカプサルの持っていた竿は普通の川釣り用であった。大きな魚を釣るようなものではない。
「2メーターって僕らより大きかったの?知らなかった。でも、きっと何とかなるよ。」
「その輝かしいばかりの自信はどこから⁉」
そのとき、シンプソンの竿が反応した。
「ああ。嫌な予感。」
竿は大型の魚がかかった時の比ではないほどに引っ張られた。というより、すぐ折れた。
「あ、ああ。」
もの凄い衝撃に手をシビラせながら、シンプソンは絶望のあまり嘆いた。
その直後、湖面全体が浮かび上がり、湖の中から竜のような巨体が出てきた。大量の水しぶきが二人の顔面を濡らす。ありえないほどの巨体は太陽の影を二人の下に作った後、だんだんと湖へと帰っていく。その際に一層大きな水しぶきに、二人は湖へ引き込まれそうになった。
湖の水はしょっぱかった。
「なあ、なんでこの水はこんな味がするんだ?腐ってるのか?」
シンプソンは辛くなった口に辟易しながら言った。
「べ?湖の水ってしょっぱいんじゃないの?」
「いや、そんなはずねえよ。でも、しょっぱいってえのなら――。」
目を赤くしながらシンプソンはニヤニヤと笑った。
「金儲けの方法を見つけたかもしれない。これは掘り出し物だ。」
髪や服から水を滴らせながら、シンプソンたちは村へとたどりついた。体がかゆくてしかたなかったが、それでもシンプソンの目には光が宿っていた。そんなシンプソンの様子をカプサルは不思議そうに見ていた。
「ご主人様、おかえりなさいっ。ってなんですか、それ。」
折れた釣り竿を濡れた服のシンプソンを見てミリカは言った。
「あれですか。濡場だったんですね。」
「お前、意味わかって言ってるのか?」
そう言いながら、シンプソンはミリカの服装をよく見る。
「着替えたのか?」
村を出る前と違って、フリルの多く付いた、現代風の衣装にチェンジしている。
「あんなおばさんの着るような服じゃダサいから、私の服を貸してあげたの。」
ハナコが出て来て言った。
「お前も着替えたのか?」
シンプソンの言葉にハナコは顔を歪める。
「どこ見てるのよ。変態。」
両手を胸の前で組み、不潔なものを見るような目でシンプソンを見る。
「このやろう。」
聞こえないように小さくシンプソンは言った。
「しかし、お前がこんな可愛らしい服を持ってるとはな。」
ミリカの衣装はハナコが着ているのより幾分か幼い印象を与えた。ミリカとハナコの体型はほぼ同じなので、最近手に入れたものだろう。胸の部分を除いて、二人の体型はよく似ていた。
「まな板で悪かったわね!」
ハナコは目に涙を浮かべながら言った。
「私に似合わないって分かってるけど、作って見たかったのよ。悪い?」
「へえ。これ手作りなんだ。」
カプサルが感心して言った。
「これなら町で売れるんじゃない?」
「ああ。十分勝負できると思う。」
シンプソンが言った。
「町に出て店を出すとかしてみればいいのに。」
「そんなの無理に決まってるじゃない。」
顔を俯けてハナコは言った。
「女は男と違って家を守らなくちゃいけない。弟だってまだ小さい。あんたたちと違って好き放題できるわけじゃないの。」
スカートの裾を握る手が震えていた。
「でも、カプサルと一緒なら、どこへだって一緒に行ってもいいわ。」
「うん。また今度ね。」
「どがっしゃあああいっ。」
勇ましい声とともにハナコはカプサルに回し蹴りをした。ミリカ以外は意味が分かっておらず、男どもはキョトンとしたままだった。
「ほれ。食い物できてるでーよ。」
おばさんが声をかけてきた。
「母さん。ただいま。」
蹴られた尻を抑えながらカプサルは言った。
「また二人で遊んどるのか。仲がええのう。」
「これ、仲がいいんですか?」
問いかけてきたミリカにシンプソンは首を傾げてみせた。
「あ、これ。町でご主人様が言ってたサカナって奴です。」
「ああ。コグロだったな。」
カプサルの母の運んでいた料理を見てシンプソンは言った。
「でも、俺が見たことの無い魚もいるな。」
「湖で捕れる魚はちょっと変わってるんだよ。しょっぱいからかねえ。」
カプサルの母が言った。その言葉にシンプソンは少し考え込んだ。
「ミリカはちゃんとお手伝いしてただろうな。」
「もちろんですよ。」
心外だという風にミリカは言った。
「ちなみに、ミリカの作った料理はどれだ?」
「大体のものは手伝ってくれたよ。」
「まあ、私に比べれば大した腕ではなかったのだけど?」
鼻を高くしてハナコは言った。
「ええ。師匠からは多くのことを教わりました。」
ミリカが言った。
「早く席にお座り。」
その言葉に一同は椅子に座り会食を始めた。
「なあ、お前たち。塩ってどうしてる?」
「どうしてるって、目の前にあるじゃない。」
誰よりも早くハナコが言う。
「いや、どこから仕入れているのかって。」
やけに静かに話すシンプソンにハナコも少し真剣に話そうと心掛ける。
「湖から採ってるけど。」
「つまり、塩には困ったことはないんだな。」
「当たり前でしょ?」
「でも――。」
勿体ぶるようにシンプソンは語りかける。
「それが当り前じゃないんだ。」
「どういうこと?」
カプサルが言った。
「カプサル。パルムで飯を食ったことがあっただろう?そのとき、味はどうだった?」
「うーん、本当のことを言うと、あんまり美味しくなかったかな。味が薄かったし。」
「なぜだか分かるか?」
「勿体ぶってないでさっさと言いなさい。」
「わかったよ。結論から言うと、俺の村にはしょっぱい湖なんてない。きっとどこへ行ったってそんなものあるはずがないんだ。」
「はあ?何言ってるの?現にあるじゃないの。」
「塩がどうやって作られるか知ってるか?」
「湖の水を乾かして作るんでしょ?」
「俺も実際見たことはないが、聞いたことはある。この世界には海っていうとんでもなく広い湖があるそうだ。」
「で?」
絶妙に相槌を打ってくるのでシンプソンは話しやすかった。
「海の水はしょっぱいらしい。そして、見たこともない魚がいっぱいいるとも聞いたことがある。島ほどの大きさの魚もいるとか。」
「それって、まさか――」
一同が驚いている中、ミリカは何のことか分からないと言った風に飯を黙々と食べていた。
「恐らくあの湖は海と繋がっている。」
「どうして?」
カプサルが聞いた。
「分からない。」
「そんなことより、それがどうしたのよ。塩の話はなんだったの?」
「塩ってのは本来海からでしか取れない。作り方は俺も知らないんだけど、ゲッコウ村での作り方とさして変わらないと思う。で、重要なのはこれからだ。」
ミリカ以外は固唾を飲んでシンプソンを見ていた。
「パルムの人は海の近くの町からわざわざ商人を通して買っている。俺たちの村はさらにパルムからの商人を通して塩を買っているんだ。そうなると、当然塩の値段は高くなる。」
「どういうこと?」
ハナコが聞いた。
「僕も町に出て驚いたんだけど、村とは違って町では等価交換じゃないんだ。お米と野菜を同じ量で交換してくれない。どちらか価値が高い方のものがふっかけるんだ。つまり、お米なんてどこの村でも作っているけど、別の国から運んできた珍しい野菜はお米を2倍持ってこないと交換してくれないんだ。」
「でも、珍しいんだったら、仕方ないんじゃない?」
「でも、海の近くでは塩はたくさん採れるだろう?」
「ええ。」
「海の近くではあまりお米は育たないんだ。だから、お米はたいそう喜ばれる。」
「?」
「つまり、海では町の塩くらいの価値がお米にある。」
「?」
ハナコの頭は混乱し、今にも蒸気を吹き出しそうだった。
「色々端折ると、海から仕入れるよりゲッコウ村からパルムの方が近いだろう?その分、安く売ることができる。そうすると、お金儲けができる。」
シンプソンは涎を垂らしながら言った。その涎をミリカは拭う。
「でも、そんなに簡単にいくかしら。」
カプサルの母が言った。
「そう。それに、一番心配なのは――」
シンプソンはスラムにいたので、商人についての知識はない。だが、このパルムに住む人がどんな人間で、どんな社会を構成しているのは分かっていた。
カプサルのレーベルワルツでパルムに戻ったシンプソンとミリカは近くの酒場へ向かった。教会が転移先であり、花瓶を確かめたが、割れたままだった。神父は帰っていないか、気がついてもそのままにしていたのだろう。花はもともと枯れていた。教会を訪れる者もいない証拠である。その神父が入り浸っている酒場に二人は訪ねて行った。
「塩をもっと安値で買うことができるとしたら、買うか?」
シンプソンは店主に言った。店主は困った顔をした。
「直接店に売り込むのはご法度だぜ。ここのルールも知らねえのか、田舎者。」
人相の悪い男が声を上げる。やはりか、とシンプソンは思った。
「まあまあ。まずはどうやって今より安価に塩を売ることができるようになるのか、聞いてみようではありませんか。」
癇に障る声。シンプソンは聞き覚えがあった。
「まさかエンチャンター商会がヤクザのようなことをしているとはな。」
声の主はジャンであった。
「ヤクザとは失敬な。我々はきちんとした商売をしているんです。」
「独占が商売か?」
「田舎者のくせに、利発ですね。そういうの、嫌いです。」
すました顔でジャンは言う。
「物の価値というものはとっても不安定なんですよ。だから、我々が調整させていただいている。だから、お前のように勝手に外から持ち出されると、すぐにバランスが崩壊するんだ。」
「うわっぱねして儲けてるヤツがなにを偉そうに。」
「まあ、どうとでも言えばいい。僕らのしていることなどお前たち愚民にはわかるまい。」
酒場中に響く声でよくそんなセリフが吐けるな、とシンプソンは少し感心していた。
「ところで、100万ゼニー出そう。秘密を話せ。」
「嫌だね。」
「話していただけないでしょうか。」
ジャンは今までのプライドを捨て、土下座した。
「嫌だね。」
シンプソンは気味が悪くなりながらも、断る。
「なんだと?この売女づれが!いきがるなよ!町の外に出ろ。僕のハイイロドラゴンで灰にしてくれる。」
三人はその酒場にラクサがいることを知らなかった。
「やっぱり、ご主人様の御推測通りでしたね。」
街を歩きながら、ミリカは言った。
「町には商業を取り仕切ってるマフィアみたいな組織があるって。」
「でも、エンチャンター商会だったのは驚きだな。エンチャンターがそんなことをしてるってことは、国も認めてるってことだろ。だから、あのボンボンは声高らかに公言できたんだ。」
「大人の事情って、大変ですね。」
「一番大変なのはその大人の事情に呑み込まれてるアイツなのかもしれないけどな。」
シンプソンは町の外への門から遠ざかっていく。
「外はこっちですよ。」
「分かってる。逃げやしねえって。行くところがあるんだよ。」
ミリカの言葉にシンプソンは答えた。
「どこに行くんですか。」
「ガチャのところ。」
「でも、お魚取り損ねましたよ。」
「こいつがある。」
シンプソンの手には折れた釣り竿が握られてある。
「それにしても、あまりいい話ではなかったですね。」
王宮に向かいながらミリカが言った。
「何が。」
「塩の利権の話ですよ。」
「そうだな。」
「塩を巡って村の中だったり、他の村から攻められる可能性があるから武装しろだなんて。」
「でも、それが人の本性さ。」
何かを思い出すような遠い目をしてシンプソンは言った。
シンプソンは王宮に着くなり、ガチャに釣り竿を入れる。そして、レバーを回す。
「決めるぜ、覚悟。」
仲間と初めてこの場所に来たことを思い出しながら、シンプソンは叫んだ。
一方、ゲッコウ村の外れ。一人の男が散歩を楽しむように野原を歩いていた。
「やっと見つけたぜ。」
多くの串の入ったカバンを背負った男、マサトが男に言い放つ。その男は知り合いにでも挨拶するように男に微笑んだ。
男は特徴という特徴のない、平凡な存在であった。どこの世界にもいて不思議ではないなりをしていた。同じ顔の彼が何人いても気にも留めない、特徴らしい特徴といえばそんなものであった。
「お前だな。嫌な感じがするのは。」
マサトは初対面の彼に向かって不躾にも言う。
「そうか。ありがとう。二番目にあった人間がキミで本当によかったよ。」
普通なら人格を否定するような言葉を浴びせられて感謝されたことに不思議だと思うはずであるが、マサトは緊張していた。
「彼のような人間ばかりに会ってしまうと人間を簡単には殺せなくなってしまうからね。」
マサトの張りつめた緊張が弾けた。バッグの中から串が何十本もバッグから宙に飛び出す。串が全て見えなくなったころに、ヒュンという音とともに串の雨が降り注ぐ。
「宝具百槍。八大陸をそれぞれ模した世界宝具の一つ。特性として、槍の刺さっている一体に結界を張り、百の槍が決して減らないようにする魔術文明の技術の結晶。」
「何故お前がヒャクソウのことを知っている。」
「百槍のことを知っているのはガチャで手に入れた自分だけだと思っていたのに、かい?」
マサトは地面の槍を一つ抜き、男に襲いかかる。男は自分の近くに刺さっていた槍を抜き、マサトの槍を防ぐ。
「簡単な推測だよ。その宝具はこの世界に存在するはずのないものだ。龍や聖剣のようにね。それを召喚できるのはガチャだけだ。君は彼の話には出てこなかったから、彼の知るより前にパルムでガチャを引いたか、別の場所にもガチャがあって、そこで引いたかだ。」
槍で互いを押し合いながら、男はマサトにぬっと顔を近づける。
「どこでガチャを引いた?」
今までの男の表情とは違い、怨念のこもった、この世のものとは思えない表情を見て、マサトは慌てて後ろに飛び、間合いを確保する。
「いや、言わなくてもいい。ガチャが一つではない可能性は大いにあったから。一つ一つ国を潰していくつもりだったから、大した問題じゃないんだ。」
マサトはこいつをここで食い止めなければとんでもないことになると思いながら、後ろ手に槍を二本掴む。
「飛連弐式。」
マサトは二本の槍を男に投げる。その槍は正確に男の元へと飛んでいく。
「飛連弐式。」
男も同じ様に槍を二本交互に投げ、マサトの槍と当たり、槍は四本消失した。
「これが人造宝具の限界だね。槍を持ち主だけが扱えるようにするには世界の一部を持ち主の色で染め上げなければならない。でも、それを世界は許さないだろう。誰でも槍とその技法を使える。それがこの百槍の限界。」
槍四本が二人の間合いの中点に現れて地面に刺さる。
「では、何が両者を隔てるのか。素早さか、それとも策略か。もしかして運かもしれない。」
マサトは果敢にも槍を二本持ち、男の刺さんと飛び込む。
「勒式。」
マサトは手に持っていた二本の槍を宙に放ち、中点にあった四本の槍も二本ずつ宙に放つ。そして、降りてきた槍を男に刺す。二本、四本、六本。男に槍が刺さるたびに、マサトの顔が恐怖に歪んでいく。
男に槍が刺さった時の肉を刺す感触が見当たらなかった。
「本当にフェアじゃないよね、運命とか神様って。だから僕は殺してやりたいんだ。」
男に刺さっていた槍は吸い込まれるように男の体に入って行く。向こう側に槍が出て行った形跡はない。
「お前はなんなんだ。」
マサトは絶望に心が折れ、膝をついていた。攻撃の効かない相手にどう戦えばいい。その答えはその短い一生の中では見つからなかった。
「僕かい?」
目を細めながら男は言った。その手はマサトの頭へ。
「僕は混沌。この世界の歪みそのものさ。」
ぐしゃ。ぐちょっ。
この世の音とは思えない音が響く。マサトの体は渦を巻くようにねじ曲がり、頭を中心に丸い肉塊のオブジェと化した。飛び出した血も渦の中心、ケイオスの触れたマサトの頭に向かって集まり、一体化する。
「混沌とは非相対的であり、非絶対的である。そのくせ世界に存在している限り絶対的であり相対的なのだ。それは世界の矛盾そのもの、いや、歪みそのものである。って誰かが僕のことを評していたよ。」
地面に落ちたガチャ玉を拾い、ヒャクソウを収納した後、どこの世界にもいるような平凡な男は何事もなかったかのように商業都市パルムの方に歩みを進めた。
「ドラゴンと戦って勝ち目はあるんですか?」
ミリカはシンプソンに聞いた。
「どんな龍かも分からないんだ。もしかしたらヘビみたいなのかもしれない。」
そんなヘビを出して救世主に選ばれるものだろうか、とミリカは疑問に思ったので言った。すると、シンプソンはこう返した。
「まあ、勝てそうになかったら逃げるよ。」
ミリカはシンプソンがいつになく能天気である気がしていた。
「一体何をやっていた。」
イライラしているのが歴然の口調でジャンは言う。
「ここが町の外、ねえ。」
シンプソンがいたのはスラム、つまりかつてシンプソンが住んでいた場所である。
「こんな場所、外と変わらないだろう?僕は忙しい身だから、早く済ませたいんだ。死体の処理にだって困らないし。」
「カタギのセリフとは思えねえけどなあ。」
シンプソンは怒りを押し殺して言った。
「ここなら一面焦土にしたって、誰にも迷惑はかからない。ああ、もしかして君はこの周辺にでも住んでいたのかな?」
鼻にかかった声が癪に触る。
「俺は正義感なんてものはないし、世界なんて救う気もない。でも、男のプライドくらいは持っているつもりだよ。」
シンプソンは剣を抜き、ミリカに下がっているように言う。
「そんな安物の剣で龍に勝とうというのかい。実は僕は塩の件で君に少し興味が湧いていたんだ。案外頭のいい奴なんじゃないかってね。でも、買いかぶり過ぎたようだ。」
ジャンは懐からガチャ玉を取り出し、まるで見せびらかすように掌に乗せる。
「今、塩の秘密を教えてくれるなら君を灰にしないであげよう。僕のドラゴンは狂暴だからね。君の命は保証できない。」
「ああ。それはどうしてもできないな。」
「そうか。ではさようならだ。選ばれし救世主くん。」
ガチャ玉が光り中からドラゴンが飛び出す。
「一面を焦土にしてしまえ。ハイイロドラゴン。」
その龍は大きかった。顔は人の体を丸のみできるほどに大きく、体は何人もの人間をドロドロに溶かすことができそうであった。
シンプソンは即座に後ろを向く。そして、後ろに控えていたミリカに笑顔を見せると、我先にとハイイロドラゴンから逃れようと走って行く。
「逃がすわけないだろ。」
ハイイロドラゴンは長い尾を振り回す。この動きを予想していたジャンは地に伏し逃れたが、シンプソンはそうはいかなかった。丸太のように太いドラゴンの尾がシンプソンを前方に弾き飛ばす。
「ご主人様!」
叫び声を上げてミリカが近づこうとする。
「来るな!」
シンプソンは力の限り怒鳴った。ミリカは初めてシンプソンに怒られた気がしていた。
「お前だけでも逃げろ、ミリカ。」
シンプソンの体は動かないようであった。必死に立ち上がろうとするものの、どこか痛むのか、すぐに地に伏してしまう。
「そ、そんな。嫌です!私は、私はご主人様に――。」
「貧民を捕まえろ。」
ジャンの言葉にハイイロドラゴンはシンプソンに向かって歩みだす。ミリカは地を揺らし歩いてくるドラゴンを前にして一歩も動けなくなってしまった。
ご主人様を守らなければならないのに――それが私の存在意義なのに――
ミリカの想いとは裏腹にドラゴンはシンプソンの体をつかみ取る。
「僕の叔父もそのまた叔父もずっと商人だったんだ。それも海の向こうの大陸でね。」
苦しんでいるシンプソンにジャンは平然と話しかける。
「僕らは聖洋教会の命令によって東極大陸の経済を掌握するように言われているんだ。そうじゃないと西の諸帝国の方々とまともに取引ができないからね。僕の祖先がこの大陸に来たのは百年ほど前らしい。まあ、なにが言いたいのかって話になってるけどね。」
シンプソンはうめき声を上げる。
「おい。ちゃんと聞いてるのか?ハイイロドラゴン。少し揺さぶって意識を戻してやれ。」
ハイイロドラゴンはシンプソンの体をしっかりと握り、右へ左へと揺さぶった。その度にシンプソンは声帯がちぎれんばかりの声を上げる。
「お願いです。やめてください。」
ミリカがその場に座り込んで言った。うつむいた顔の下の地面は水たまりができるほどに湿っている。
「まだ、話は終わっていないんだ。僕が何を言いたいかっていうとね、商人は商売を第一に考えなくてはいけない。実は高が塩ごときの利益なんていまさらってカンジなんだ。こっちは安定した収入をこの先何世紀も続けられるだけの権力を持っている。でもね、利益を追求しなくなってしまったら、それだけで商人としての誇りや生きざまが傷付くんだ。例え土下座してでも、利益を求め続けなければならない。まるで呪いだよ。」
ジャンは溜息をつく。
「どうだい、貧民。塩の秘密、話すだろう?」
「口が裂けても言えないなあ。」
「なぜだ?お前は僕のドラゴンを見た瞬間に逃げ出そうとした。それは命が惜しかったのだろう?僕だって商売のために命を落とすつもりはない。もしかして、つまらないプライドのために死ぬっていうのかい?」
半開きになった瞳でシンプソンはジャンを睨む。もう話す言葉はない、というように。
「じゃあ、そこの売女に聞くか。」
ジャンはミリカに目を向ける。
「おい、売女。塩の秘密を話せ。あれはどこから仕入れた?」
「それは――」
「言うんじゃねえ、ミリカ!」
ミリカはどうしてという顔でシンプソンを見た。それは訴えるようにも、懇願するようにも見える表情であった。
「あの塩だけで、みんなの運命がかかっているんだ。誰にも知られるわけにはいかねえ。俺の命と引き換えに、多くの人の命が奪われることになる!」
「でも、私は――」
多くの人々の命より、あなたのことが大事です。
「そこまでにしたらどうだ。ボンクラ。」
突然の声にミリカは肩を震わせる。ミリカとドラゴンたちとの間に割り行ってきたのは、ラクサであった。珍しいデザインのマントが風に揺れる。
「この前はよくも脅かしてくれたな。聖剣使い。一体何の用だ。この貧民を助けに来たとでも言うのか。」
ジャンは醜く顔を歪めて笑った。
「気味の悪い笑いだ。」
ラクサは一瞥する。
「別に私はこの男がここで息絶えようが興味はない。」
そう言うと、ラクサはくるりとうしろを振り向く。
「ミリカ殿。あんな意地汚い男と手を斬って私とともに行かないか。」
その場にいた誰もが何を言っているのか理解できなかった。一番早く立ち名乗ったのは問われたミリカであった。
「ご主人様が死ねば、私も死にます。」
それは涙に濡れながらも必ず意思を通す目であった。
「おい。ボンクラ。そこの下衆を離せ。」
「な、何を偉そうに僕に命令してるんだ。そもそもお前は何者だ?変な恰好しやがって。」
「龍ともども聖剣の錆にされたいか。」
「その聖剣で龍を斬れるってのか?どうせただの剣だろう。」
ラクサは鞘から剣を抜く。腰より下で少し振り回したかと思うとすぐに鞘に納めた。何をしているのか分からなかったジャンだが、直にラクサが何をしたのかが分かった。ジャンが少し体の重心を傾けると、瞬く間に地面の石畳が崩れた。
「なっ。」
ジャンが声を上げた時にはジャンは尻もちをついていた。その鼻先には剣の刃がある。ラクサがジャンの目の前で聖剣の刃を突き付けていた。
「最後の聖剣バターナイフ。この剣に断ち切れないものはない。」
「ううぅ。」
うめき声をあげたのはシンプソンだった。ドラゴンもジャンと同じく地面が崩れたことによりバランスを崩し、倒れていた。その衝撃でシンプソンはドラゴンの体から抜け出ることができたのだ。
「くそっ。ハイイロドラゴン!」
ジャンは背後のハイイロドラゴンを見た。ジャンと視線を交えた瞬間、ハイイロドラゴンはガチャ玉に戻る。
「おい。こら。出てこい。言うことを聞け!」
ジャンの手元のガチャ玉は反応しない。
「私はミカド国のサムライ、ウチダ・ラクサだ。」
「ミカド国だと?」
ジャンはガチャ玉を振りながら剣先を眺める。
「百年も前に聖洋教会に滅ぼされた国じゃないか。」
「ミカド国は滅んでなどいない。」
剣先が揺れたのでジャンは悲鳴を上げる。
「ケンザン連峰の向こうでまだ生き残っている。私は聖洋教会に復讐するために、いや、この国を取り戻すために戦う。」
「それって――」
「命が惜しくば、去れ!そこの下衆のようになりたいか。」
シンプソンは息をするのもやっとであるといった様子であった。もう長くはもたないのは誰の目から見ても明らかであった。
「覚えてろよ。」
ジャンは一目散に逃げていった。
「ご主人様!」
ミリカは倒れているシンプソンのもとに駆け寄る。そんなミリカにラクサは非情にも言い放つ。
「その男はもう助からない。」
「いいえ。必ず助けてみせます。」
ラクサはミリカの瞳を見て、それがただの妄言ではないと察した。ミリカはシンプソンの懐からガチャ玉を一つ取り出す。それは、先ほど釣り竿を代償として回したものだった。
「私に奇跡を――!」
ミリカがガチャ玉を胸に抱きしめると、光がミリカを包んだ。
ミリカの服が光の粒となり消える。ミリカの首から下が発光し、見えにくくなる。ガチャ玉から放たれた別の光がミリカの体を包む。その間、0.003秒である。
光が収まったミリカの姿は、黒い生地に短いスカート。頭には長い髪をすっぽりと覆う帽子。その姿はシスターそのものだった。
「修道女?だが、それは聖洋教会のものとは違う――」
ラクサは呟いた。
「あなたを死なせはしません。」
ミリカはシンプソンに触れ、念を込める。すると、ミリカの両手から淡い光が出る。シンプソンの顔はだんだん穏やかになっていく。
「活力が戻っていくようだ。」
話せるほどに回復したシンプソンは言った。
「魔法、か。」
ラクサが驚きを顕わにして言う。
「ミリカ。お前、こんなことできたんだな。」
上体を起こしたシンプソンが言った。その時である。突然ミリカがシンプソンの胸に飛び込んでくる。
「おい。離れろって。」
初めは楽観していたシンプソンだが、返事が全くなく、ミリカの体に全体的に力がないのでシンプソンは慌てて脈と呼吸を確認する。
「気を失っているだけか。」
シンプソンとラクサはひとまず胸をなでおろした。ラクサはマントを翻して去ろうとする。
「お前、どこに行くんだ。」
シンプソンは目の前の、国家の転覆を図ろうとしている女に聞いた。
「ニッコウ村だ。」
俺も行かないわけにはいかなくなった、とシンプソンは思った。
「魔法使いさんだったんですねー。そうなるとー、教会が面倒臭そうですねー。」
双眼鏡にて一連の騒動を見守っていたパニエは言った。
「シャガクシャさん。ご報告してくださってありがとうございますー。」
パニエ見やる先には後ろ手を鎖で柱に括りつけられたカプサルがいた。
「シンプソンさんは家族の写真を代償にしたんですねー。」
だが、家族の写真を代償にした者は何人もいることをパニエは知っていた。
「運というものを信じてみなくてはいけないのでしょうかー。」
「ラットスさん。これ、ほどいてくれませんか。」
「嫌ですよー。」
即答であった。
「私の秘密を知っている者をやすやすと野放しにできませんからー。」
「でも、西の者なら、誰だってあなた様方一家を存じ上げております。」
「ですねー。根絶やしにしないとー。」
カプサルは干上がった湖に打ち上げられた魚のような声を上げた。
「冗談ですよー。でも、私のことはあまり公言しないでくださいねー。冗談では済まされない事態になっちゃいますからー。」
おーちゃんはカプサルの鎖を解き放つ。その時である。彼の五感に何かが反応した。
なんだ?
初めは訝しんだものの、すぐに気のせいだろうと忘れる。
「どうかしましたかー?おーちゃん。」
パニエがおーちゃんに聞いた。
「イイエ。問題ハアリマセン。」
「そろそろ私たちも旅立つ準備をしなくてはいけませんねー。」
まだその場にへたり込んでいたカプサルを置いて、パニエとおーちゃんは町へと帰っていった。




