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王子の強さ


「ルルーリア嬢!」


 ぱたぱたぱたーと駆け寄ってくる小さな男の子。

 蜂蜜のような色合いの髪と瞳の、可愛らしいこの男の子が、一国の王子にして王太子であらせられます、レオナルド殿下です。


 奥の宮にある一室に通されたわたくしとオズワルドを迎えて下さったのはレオナルド殿下と数名の付き人でした。


「大変怖い目に遭ったと、聞いています。もう大丈夫なんですか?」


 下からジッと覗き込むように見つめてくる殿下に、微笑んで頷きます。


「お陰さまで、すっかり元気です。殿下もお元気そうでなにより。では、改めまして。ルルーリア・ハン・ヘルツォークと申します、よろしくお願い致しますわ、殿下。そしてこちらがお供のオズワルドです」


 オズワルドは後方で無言のまま深々と殿下に頭を下げました。

 殿下はオズワルドを見て目をキラキラと輝かせています。あら、一体何に興味をそそられたのかしら。


「あの、ホフステン家の方ですか?」

「ええそうです。彼はオズワルド・ユアン・ホフステンです」

「わぁぁ! ホフステンの人はがちむちだと聞いた事があります。がちむちって何ですか?」


 誰ですの、レオナルド殿下に無駄な単語を覚えさせたのは!

 確かにホフステンのおじ様はガチムチです。どんな服を着てもパンと張り裂けんばかりにピッチリしてしまう方です。

 やたらと腕まくりをして見事な上腕二頭筋を披露したがる方です。


 ですが! 決してオズワルドはガチムチなどではございません。至って普通。むしろ少し細いくらいの体型です。


 殿下に一生懸命ガチムチ講座を致しまして、オズワルドは不適合である事を伝えると、殿下は目に見えてションボリしてしまいました。そして何故かオズワルドの表情も暗くなったような気がします。何故男性はそんなに筋肉に拘るのか。

 あれか、父王もどちらかと言うとガッチリ体型だからか。

 しかし殿下は王妃似でヒョロリとしています。歳月が経っても優男風で、どうにも剣術などは不得手だったように記憶しております。


 無いもの強請りというものかしら。男はやはり逞しい体躯に憧れるのですね。

 女のわたくしから言わせますと、ホフステンのおじ様も王様も視覚的な圧が強すぎて、常に押されているような錯覚に陥ってしまうので、少しばかり近寄りがたい。その点、オズワルドやレオナルド殿下は圧が無いので親しみがわくと言いますか、声をかけやすいと言いますか。


 つまり何が言いたいかと申しますと、そのままでいいじゃない、とそういう事です。


 そっと殿下の手を取り、少し屈んで視線を合わせます。


「別に身体が大きくなくとも強くなれます。オズワルドはこれでも大人に負けないくらい力がありますし、殿下にも殿下の強さがあります」


 きっと。多分どこかに。

 うふふ、と笑って「どこ? どこに僕の強さがあるの!?」と言及されないよう誤魔化します。


 レオナルド殿下の強さはそう、メンタルの方ですわ。

 今は歳相応の喜怒哀楽を表面に出しておいでなのですが、少しすると凶悪なポーカーフェイスに大変身してしまいます。

 純真そのものなこの王子が、人の心の中まで見透かしているんじゃないかと思うような、なんとも恐ろしい目をした、食えない青年に成長してしまうのです。成長というのは時として残酷なものです。


 わたくしは、殿下の教育係にウチのシーザーお兄様が起用されたのがそもそもの間違いだったのではないかと考えています。

 このせいで、数年間ですっかり人間の酸いも甘い知り尽くしたような、妙に老成した性格になってしまうのです。最後にお会いした時には十代後半。まだまだ若造と言われても仕方がない歳だったというのに……お兄様は一体何を教えたと言うのでしょう。


 しかし、オズワルドの時といい、お兄様ったら全くとんでもないですわね。わたくしも兄妹でなければ決して近づきたくない部類の人です。


「では、ルルーリア嬢の強さもあるんでしょうか?」

「わたくしですか? そうですわね……」


 力も無ければ魔力も微々たるもの。別に頭が良いというわけでもございません。

 そんなわたくしの最大の武器と言えば、この類稀なる美貌でしょうが、それは強さとはまた違います。

 わたくしの強さ、何かしら。


「他人に傷つけられない事、でしょうか」


 自分自身、答えが曖昧にしか出て来なかったせいでよく分らない言い回しになってしまいました。殿下も首を傾げています。


「お父様やお母様、あとお兄様もですが、敵が多いんです。だからわたくしもよく苛められます」


 思い出しますわねぇ。もっと年齢が上がって社交界に出るようになると、わたくしの家柄や美貌に嫉妬に駆られたご令嬢達が裏である事ない事誹謗中傷や嘘の噂を言いふらして回って、わざとわたくしに聞こえるように悪口を零す事も多くありました。


 けれどわたくしは、それらに心煩わせる事をしませんでした。他人がどれだけわたくしを貶めても、この心を傷つける事を許さなかったのです。

 だってわざわざ子供じみた嫌がらせに泣くだなんて、相手の思うつぼじゃありませんか。誰があんな下らない馬鹿で底の浅い嫌がらせに揺さぶられてやるものですか。


「でも、絶対に泣いたりしないんです」


 体の傷は仕方がありません。先日のように叩かれれば柔肌は簡単に痣を作る。わざと転ばされれば擦り傷を作る。

 だけどどれだけ痛みを感じても、心が悲鳴を上げたりはしません。絶対に。


 これがわたくしの強さ。

 けれどそれこそが危ういと言ったのは誰だったかしら。


 結局その方の言う通りになりました。

 ジェイドに出会うまでは耐えられました。ジェイドに出会ってからは、あの子が居てくれれば何でも我慢出来ました。

 ジェイドを失ってしまったら、何も耐えられなくなってしまいました。


「それは……それは、かなしいです」

「悲しい?」

「……ごめんなさい、何でもありません」


 幼く可愛らしい顔を難しい表情に歪ませて、黙ってしまった殿下。

 しかし彼はすぐにパッと顔を上げてわたくしに手を差し出しました。


「ずっと立たせたままで、ごめんなさい。お母様に、ちゃんとエスコートしなさいって言われてたのに」


 王妃様にレディに対する礼儀を叩き込まれたのかしら。わたくしが、小さな手に自分の手を乗せると、しっかりとした足取りでソファまで連れて行って下さいました。可愛らしい紳士ですこと。


 しかししっかりした三歳児ですわね。あと一年でウチのアルはこうなるかしら。ならないわね。一体どういう育てられかたをすればこんな風になれるのでしょうか。


 ちなみに、王妃様は我がお母様や他数名のマダム達とサロンでお茶会中です。

 子供達だけの方が気兼ねなくて良いでしょう、とあっさり子守を放棄した母親達です。


 暫くお菓子を食べながら何気ない会話を続けていたのですが、レオナルド殿下は言おうか言うまいか逡巡する様子を見せました。首を捻って見守っていると、決心したのか口を開き、こう言ったのです。


「僕、城下へ行ってみたいんです。ルルーリア嬢は行った事ありますか?」


 と。ううーん? 前世でこんな会話しましたっけ?

 そもそも幼少の頃の記憶なんて曖昧で、些細な出来事なんてこれっぽっちも脳の片隅にすら残ってはおりませんが……これ、わたくしの答え如何によっては、それなりに大変な事が起こるような気がするのですが。


 チラリと部屋の壁際に控えている殿下の世話役に目配せしてみる。深い皺の刻まれた品の良さそうな老人は、表情を変えないどころか、わたくしと目を合わせようとも致しませんでした。


 あらちょっと貴方どういう了見ですの。王家に仕える超のつく優秀な従者が、この状況でわたくしのアイコンタクトに気付かぬはずがありません。という事は敢えての無視。

 その他侍女達も同じように、直立不動でどこか一点を見つめたまま。


 あ、これはあれですね。普段から城下の様子を気にし、口を開けば行きたい行きたいと駄々を捏ねる殿下に辟易し、そして自分達ではどうとも答えられないものだから、わたくしに全て押し付けやがりましたね?


 子供には子供の言葉の方が説得力があるだろうと。けれど殿下よりは年上で自身の立場を弁えているであろうわたくしが、下手な事を殿下に吹きこんだりはしないでしょうと、そういう了見ですね。


 五歳の子に全てを委ねないで下さいまし!


 言葉で言って聞かせて納得するような三歳児はこの世にほぼ存在しないでしょう。わたくしだってそうでしたし、アルもまたそう。感情を理性で押さえつけられるようになるのはもっと年齢を重ねてからです。


 オズワルド……と助けを求めてみれば、彼は立ったまま目を瞑っていました。

 オーズーワールードー!!

 わたくしを視界に入れながらその視線を避け続ける事は出来ないと踏んで、最初から視界を遮断するなど、従者の風上にも置けません。


 最初から貴方に意見なんて求めてませんわよ。オズワルドはわたくしの護衛。この場で発言を許される立場ではございません。それはわたくしも彼も重々承知しております。

 だからって、主を無視!?

 困り顔なわたくしに、頑張れとエールを送るくらいはしてくれてもいいじゃありませんか! 全く気の利かない。


 プイ! とオズワルドから勢いよく視線を外すと、彼が身動ぎする気配を感じました。わたくしの機嫌を損ねてしまったと気付いたのでしょう。このくらいで動揺するくらいなら、最初からしないでほしいものです。


 と、こうしている間も、「行きたい行きたい」と目で訴えてくる殿下をどうにかしなければなりませんね。


「殿下。わたくしは先日、知らない男に拉致されて、薄暗くて汚らしい小屋に手足を縛られた状態で閉じ込められました。とても怖かったです。顔を叩かれました、とても痛かったです。オズワルドが助けて下さいましたが、本当に恐ろしかったです」


 辛そうに、ぎゅっと眉根を寄せて言うと、殿下もまた痛そうに表情を曇らせた。


「皆が、殿下が街へ行くのをダメだと言うのは、同じような目に遭って欲しくないからです。殿下に怖い思いをして欲しくないからです。もし、殿下が怪我をすれば、陛下も王妃様も泣いてしまいます」

「私も泣きますよ」

「わ、わたしもです……!」


 今まで岩かと思うくらい頑なに動かなかった従者の面々が、私も私もとこぞって名乗り出てきました。

 あら貴方達って口がきけたのね、と嫌みを言ってやりたくなりましたが、レオナルド殿下を説得させるのが先決と我慢します。今話の腰を折ってしまうのは得策ではないでしょう。


「城下を見てみたい。民がどんな生活をしているのか見てみたい。そのお考えは立派です。ですが、ここにいる皆様を悲しませてでも、見たいものですか? お父様やお母様を心配させても?」


 別にいいんじゃない? と、十年後のレオナルド様なら言いかねませんので、ちょっぴりドキドキします。皆が困る、ではなく泣く、や悲しむと言えば大抵の子は思いとどまるのですが……


 わたくしの心配を他所に、レオナルド殿下はフルフルと首を振って「見たくない」と小さく呟きました。

 良かったぁぁぁ! この幼き王子にはちゃんと人の心が存在しておりました、わたくし安心いたしました……!

 うっかりホロリとするところでした。


「もう少し殿下が大きくなられたら、きっと皆様もお許し下さいますよ」

「大きく? どのくらい? あと何回くらい寝たら!?」

「う、うーん……あ。殿下の背がわたくしより高くなったら、です」


 王族が市井へ下りるなんて、気軽に出来る事ではありません。お忍びであっても、警護は万全! な状態でなければならない。という事は騎士団や近衛兵等々、人員を少なからず割かなければならず、そうすると通常業務にも影響が出てきて……と、大人の事情的にとても難しい。

 ちょっと庭を散策、くらいの感覚で行けるものではないのです。

 もう少し殿下が大きくなり、ある程度の分別がつくようになってからでなければ、とてもじゃありませんが外出など許容しかねると言うわけです。


 殿下も男の子ですので、当然わたくしより将来的には身長は高くなりますが、二歳差あるという事もあり、まだまだわたくしの方が高い。


 そしてわたくしもすくすくと成長している真っ最中ですので、殿下がわたくしを追い越すのはもっとずっと先のお話。小さい頃は男の子よりも女の子の方が成長が早いですからね。


 きょとんとする殿下に笑いかける。


「わたくしより小さなお子様なうちはダメです」


 不敬を承知で、ポンポンと殿下の頭を軽く撫でる。するとレオナルド殿下は顔を赤くしながら、ぷぅと頬を膨らませました。あらまぁ。


「僕、もう三歳だもん!」

「そうですわねぇ、わたくしは五歳です」

「……っ!!」


 言葉にならない腹立たしさ……!

 という王子の内心の葛藤が手に取るように分ります。ぷるぷると肩が震えてしまっています。

 少し苛めてしまった感は否めませんが


「絶対、絶対ルルーリア嬢よりすぐ大きくなって見せるから! そしたら一緒に城下へ行くんだからね!?」 


 と、闘志を燃やさせる事で殿下の興味の方向を少し逸らす事に成功したようですので、まぁ良いでしょう。しかし一緒にとな。巻き込まれてしまいました。


「では早く大きくなる為に、食事は好き嫌いせずに食べ、お勉強も嫌がらずにして頂かなければなりませんね」


 殿下の世話役の方がすかさず乗っかって来る。さっきからこの方の便乗商法(商売はしてませんが)酷過ぎます。


 暫く殿下と雑談を交わしていると、お母様が迎えに来ました。

 そして帰り際、やたらと王子付きの方々に感動の言葉と謝辞を述べられるわたくしを見て、ニヤリと笑ったのです。


 そうですか、最初からこれが目的でしたか。わたくしはレオナルド様の説得役として連れて来られたのですね。


 本当に些細な事とは言え、人の役に立つ事をしてしまった事実にショックを受け、わたくしは夜通し、一人反省会をする羽目になりました。



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