航海
この章より、最終章ダークウッド編です。
1
バモスを出て一週間が経った。一刻も早くダークウッドへという焦る気持ちもようやく落ち着いてきた。いくら焦ったところで、船の上ではどうしようもない。ただ待つしかないのだ。少しづつだが美月のもとに近づいているのは間違いないのだから。
航海は順調だった。それはすなわち退屈をも意味した。
何か手伝えることがあればやらせてくれとサタケに申し出たが、「あんたらはお客さんだ。のんびり船旅を楽しんでくれ」と丁重に断られた。何も知らない素人にできることなどないというのが本音だろう。
トトは一日の半分は眠った。あとの半分は座禅のような格好でひたすら瞑想に耽っていた。
彼女に言わせると、エルフには退屈という概念はないらしい。人間よりはるかに長い寿命を持つエルフと私たちでは時間の流れ方が違うのかもしれない。
ララノアはメイファとカレンの姉妹にすっかり打ち解けていた。ララノアは森でのエルフの暮らしに興味津々な様子でメイファにあれこれと質問をぶつけていた。
私はメイファたちがノーラス語に巧みなのを不思議に思い尋ねてみたところ、彼女たちの村は人間との行き来があるのだという。
人間には奴隷商人のようにウッドエルフを捕まえて一儲けを企む危険な存在もいるが、ウッドエルフの薬を求めてやって来る商人もいるのだという。その取り引きのために村人には共通語に堪能な者もいるというわけだ。
アマゾンの奥地に住む未開の部族のようなものを想像していた自分が恥ずかしかった。
皆がそれぞれの時間を過ごしていた。
せっかくの機会だから、私はロジャーに剣技を教えてくれるよう頼んだ。
今までは剣のもたらす力でがむしゃらに戦ってきたが、自分でも無駄な動きが多いことは痛感していた。
これまで戦った騎士たちは皆、剣の扱いに慣れていた。騎士というのは十二、三歳で従者となり、剣技はもちろん馬の世話から、武器や防具の手入れを学ぶ。
彼らが子供の頃から修練してきたことを短期間で学べるわけはないが、せめて両手剣の基本くらいは学んでおきたかった。
ロジャーにとって両手剣は得意の得物ではないが、さすがに私のようななんちゃって騎士と違い本物の騎士だ。魔獣の援護のない木剣での手合わせでは軽くあしらわれた。
「まずは型から始めよう。基本の動を覚えれば、お前はもっと強くなる」
ロジャーが言うには、両手剣は盾を持たない分、常に攻防を一体化させなければならない。私はブランの華麗な剣技を思い浮かべた。もし彼がもっと強い魔操剣を持っていれば、王宮の地下で戦ったとき、私は死んでいただろう。
彼のように戦いたいという強い動機が私を猛特訓に駆り立てた。飽きっぽい私がこれほど何かに熱中したことはない。
深夜に起き出して、映像として瞼に焼き付いているブランの動きを常に再生させながら稽古して、夜を明かしたこともしばしばあった。
ロジャーと互角に戦えるようになった頃には、船はダークウッドの近海まで来ていた。
2
ある夕刻、サタケは私たち全員を食堂に集めた。これから先のことを話し合うためだ。
一度に二十人が食事をとれそうな広いテーブルを囲んで席についた。
船はいま、ダークウッドの玄関口であるアスランの港の近くにいるとサタケは説明した。
「港は聖騎士団が抑えているから入れねぇ。となれば、その付近の陸地にボートで上陸するしかない。ただ困ったことに俺たちはここら辺りの正確な地図を持っていない」
「地図がないと陸には近づけないの?」
私の質問にサタケは首を振った。
「いやそれは問題ない。ただあんたらをボートで下ろすにしても、そこがどんな場所かわからないことが問題なのさ。ダークウッドはただの森林じゃない。地形が恐ろしく錯綜しているんだ。深い谷もあれば高い山もある。人を食うような魚が泳ぐ川も流れている。上陸する場所を間違えたら立ち往生するはめになる」
「あなたたちの道案内があっても無理なのかな?」
私はウッドエルフの姉妹をみた。
「私たちの村はアスランの港に注ぐ川の上流にあるんです。川筋をたどっていけば良いのですが、川から離れてしまうと私たちでも迷子になります」
メイファが答えた。
「内陸部の地図ならあります」
これまで珍しく寡黙を通していたレオが言った。
レオは食堂の大きなテーブルに膝の上で丸めていた紙を広げた。
「それってあのアジスからもらった地図?」
「そうです。原本は貴重品なので王都の知り合いに預けています。これは王家の絵師に摸写させたものです」
オリジナルの倍くらいの大きさの地図にはレオの字であちこちにびっしりと書き込みがしてある。
「こりゃたまげたな。地峡より南の地図でこれほど詳細なものは見たことがねぇ」
サタケは感嘆の声をあげた。
「カザルス王国時代の旅行家ユグナウスの地図です」
レオは得意気に答えた。
ユグナウスは古代ノーラスにあったカザルス王国に仕えていたエルフだ。王は彼にノーラス全土の地図の作成を命じた。ユグナウスは五十年かけてそれを完成させた。目の前にあるのがその一部、大地峡の南の地図だ。
後に彼は王国の宰相となり政治家としても功績を残した。
レオにとっては憧れの人らしく、嫌と言うほど彼の逸話を、私は聞かされた。
「たしかユグナウスの地図はノーラスじゃ禁書扱いのはずだよな。実は俺も手に入れようと探したことがあるんだが自由都市ですら、手に入らなかった。出物があってもお宅らの教会がすべて高値で買い占めやがった」
サタケは目を細めて地図を見た。オリジナルを精密に複製した地図は海や山、平野が色鮮やかに描き込まれている。
レオによると、その土地の風土や歴史を解説した地誌も地図には付属していたのだが、今は散逸して原本はないという。レオは王家の書庫や王都の学者を訪ねて、不足を埋めたのだと言った。
「ダークウッドのことを隠すためにわざわざ外国で売られているものまで買い占めているわけ?」
「それもありますが、カザルス時代の著作はすべて禁書扱いです。ノーラスで亜人と人間が共存共栄していた唯一の時代ですからね。教会にとっては教化される以前の暗黒の歴史なんです。それらの著作を読めば、亜人は人間より劣っているという彼らの教えが如何に馬鹿げているか世間に知られることになるから都合が悪いのでしょう」
私は神の存在を否定しない。これまでの人生で真面目にその問題に向き合ったことはなかったけれど、美月と出会い、今こうして異世界に居ることを、何か超越した存在の意思抜きには考えることはできないからだ。
しかし、それが宗教という形をとって、人々の暮らしに重くのしかかり、自由な考えを抑圧していることは、神の意志とはかけ離れているような気がする。
「ウッドエルフの偉い人の本もあるの?」
先ほどから黙って話しを聴いていたララノアがレオに向かって言った。
「僕の知る限りないな。カザルスにはウッドエルフもたくさん住んでいたはずだけどね」
レオの答えにララノアは失望の色を隠さなかった。
「エルフが皆、知識人というわけではないわ。エルフの神官の中でも進歩派の連中が人間との共存を夢みて、カザルスに移住したのよ」
ララノアを慰めるようにトトが言ったが、しかしそれは逆効果だった。
「エルフは薬草や森の知識をボクたちのご先祖様から盗んだんだ!それを自分たちの知識のような顔で人間に教えて偉そうにしている。ボクはエルフなんか大嫌いだ!」
ララノアはトトをにらみつけた。トトがエルフの代表というわけではない。むしろ彼女はエルフの中でも変わり者の部類だ。しかし、この場にいるたった一人のエルフという立場が、ララノアの怒りを買う対象になってしまった。気の毒なトトは居心地の悪そうな表情で救いを求めるように私を見たが、私とて二つの種族の歴史について何か言えるような知識はない。困り果てていると、カイルが口を開いた。
「ウッドエルフは固有の文字を持たない。本を書くという習慣がそもそもないのさ。だからといって彼らが無知というわけじゃない。自分たちの歴史や知識を歌や物語にして伝えている。俺たち人間やエルフとはやり方が違うだけで、どちらが偉いってわけじゃないと俺は思うぜ」
意外な人物から発せられた意外な言葉に周囲が呆気にとられていることに気づいたカイルは顔を赤らめた。
「あんたがそんな博識だとは驚いたよ」
私の言葉にカイルはむっした表情になった。
「俺はハイデン家の跡取りだったんだぜ。広大な領地を治めるのに相応しい教養と知識を子供の頃から学んできた。家庭教師が何人も付いていたんだ」
「へえ、幼気なウッドエルフの少女の腕を折らせたならず者と同じ人間とは思えんな」
ロジャーがからかうよに言った。
「カイルさんがそんなことをするわけない!」
メイファとカレンの姉妹が口を揃えて抗議した。
「最初は怖い人間だと思いました。でも見張りの男たちが……その……私たちにいかがわしことをしようとしたとき、カイルさんが私たち二人を抱きしめて離さなかったんてす。お陰でひどく殴られたり、蹴られたりしたけど、それでもカイルさんは私たち。守り通してくれました」
メイファは目に涙を溜めて訴えた。姉妹がどれほどカイルを信頼しているかは、妹のカレンがカイルの手をしっかり握っていることでもわかる。
「メイファ、カレン……俺がララノアの腕を折らせたのはほんとの話だ。俺はならず者のゴロツキで、王都の鼻つまみ者だったのさ。しかし、なかなか信じてもらえないが、俺は生まれ変わったんだ。そこに居る夏美のお陰でな」
「私が何をしたのか知らないけど、あんたが昔と違うことはわかっているよ。でも昔の悪党のインパクトが強すぎるから、つい……」
「わかっているさ。そう簡単に昔の悪名なんて晴らせるわけはない。ただ俺だって始めから腐っていたわけじゃないんだ。子供の頃は祖父の鋼鉄公のように騎士たちの尊敬を集める男になりたかった。しかし、歳がいけば自分がそんな器じゃないことを思い知った。人が俺を敬うのは俺がハイデン家の後継者だったからだ。そいつが無くなれば俺はただのゴロツキでしかない」
「それは違うよ。カイル」
私は彼の丸まった背中を叩いた。
「生まれつき尊敬される人間なんて地位がそうさせているだけだ。そんなのほんとの尊敬じゃない。お祖父さんだってそうなるように努力したんだよ。自分は器じゃないと言ったけれど、金狼の仲間はあんたを慕っていたじゃない。それにカレンとメイファだって信頼している。自分が思ってるほど、あんたは魅力のない人間じゃないと思うよ」
「骨を折ったことならボクはもう怒ってないよ。カイルはこの子たちを助けてくれたし、それにボクらはもう旅の仲間なんだ」
ララノアが言った。
「ララ、そう思うならまずトトさんに謝りな」
カイルがなにか言いかけたのを制して私は言った。
ダークウッドに上陸する前にわだかまりを解消する良い機会だと思ったからだ。
ララノアは固く握りしめた両手の拳をブルブルと震わせながら、トトの前に立った。俯いて黙ったままの姿を見て、私は彼女が泣き出すのではないかと思った。
「まあ!なんてかわいいんでしょう」
トトはララノアの頭を抱え込むと胸に抱きかかえた。
「もう十分よ」
トトは言った。
その一言がララノアの胸に溜まったわだかまりの関を切った。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
泣きじゃくるララノアの髪をトトは優しく撫で続けた。
これで私たちは一つになれた、そう思った時、船が大きく揺れた。
「舵を切ったな。何があったのか見てくる」
サタケが甲板に向かおうとしたとき、遠雷のような爆発音が響いた。
「おい!何事だ?」
食堂に飛び込んできた副官にサタケが訊いた。
「頭、騎士団の戦艦だ。砲撃を受けてる」
副官は青ざめた顔で答えた。
「見張りは何をやっていたんだ」
「すまねぇ。しかし艦隊は出払っているって話じゃなかったのかい?見たところ、六隻はいたぜ」
「針路を北に取れ、全速で離脱する」
サタケは副官に命じた。




