砲撃
甲板に出てみると、海面を夜霧が覆っていた。視界がほとんどきかない。
「敵はどこ?」
「あそこだ。五隻いるな」
サタケの示した方向に黒い船影が見えた。白い靄の中に浮かぶ影はサタケの船より一回り大きい。
「戦艦だな」とサタケが言った。
バモスに向かった以外にも戦艦がいるとは驚きだった。
黒い影から赤い閃光がした。同時に轟音が響く。ヒュルヒュルという風を切る音が海面に鳴り渡り、左前方すぐ近くに着弾して、マストより高く水柱が上がった。
「まずいんじゃない。射程に入ってるよ」
部下に指示を飛ばしていたサタケは振り向いて肩をすくめた。
「エルフのでもウッドエルフのでもいい、今はそれぞれの神に祈ってくれ。とにかく全速で離脱するより他に手はない」
言い終わるまもなく、次から次へと砲弾が海面に着弾しはじめた。
一発食らえば被害は甚大だ。下手すれば沈没するかもしれない。
エルナスの砦でレオの祖父が火薬を用いてリュロスを撃退していたが、手なげの手榴弾みたいなもので、銃や大砲は王都ですら見かけなかった。
きっと東の大陸の自由都市から買い入れたのだろう。
サタケの船は商船を改造した冒険用の船で、兵装は何もない。
「魔法で撃退することはできないのかな?」
私は傍らで、耳を覆っているトトに向かって言った。
「私たちは大地の精霊の力を借りて、魔法を使うの。ここでは十分な力を使えないのよ」
トトは悲しげに首を振った。
「逃げ切ってみせるさ。お前たちは船室に戻っておけ」
マストに上がって敵の様子を伺っていたサタケが怒鳴った。
今は熟練の船乗りに任せるよりない。
レオが三人のウッドエルフを連れて船室に降りていった。そのあとにロジャーとカイルが続く。
しかし、私は甲板を立ち去ることができなかった。このままではダークウッドからどんどん離れてしまうことになる。
またしても目的地を前にして足踏みしなければならないことに、歯噛みする思いだった。
ダークウッドはあと一歩で私の手からスルリとこぼれ落ちた。
立ち尽くす私の肩にそっと手が置かれた。
「戻りましょう」
トトが促すように言った。
忸怩たる思いは私はひとりではない。彼女の表情を見ればわかる。
私は肯くと、船室へ続く階段を降りた。
食堂ではレオとロジャー、カイルの三人がワインを飲んでいた。
「ララたちは?」
私は姿の見えない三人のウッドエルフのことを尋ねた。
「部屋でシーツにくるまって震えていますよ」とレオが答えた。
「連中は俺たちよりはるかに耳がいい。あの大砲の音は耳元でがなり立てられているようなもんさ」
カイルが苦笑した。
彼女たちの様子を見に行こうとすると、ロジャーが大きめの陶のカップにワインを並々と注いで、私とトトに差し出した。
「こいつはミアス産のワインだ。ノーラスじゃユニコーンの血と呼ばれるくらい高価な酒だ。この船には他にも名産のワインがたんまり積み込まれている」
こちらに来るまでワインを飲んだことはあまりなかった。
しかし、ノーラスでは大人から子供まで日常的にワインを嗜む。私も自然と好むようになった。
グラスから立ちのぼる芳醇な香りの誘惑から逃れることはできない。一口含んでみた。
さすがにユニコーンの血だけのことはあって、口に含んだ瞬間のまろやかさは安宿で提供されるものとは違う。
「こんなおいしいワイン初めて。王宮ですら味わったことはないよ。でもいいのかな?こんな上等のワインを勝手に飲んだりして」
「沈んでしまえば海の藻屑よ。気にせずいただきましょう」
トトは茶目っ気たっぷりに笑うと、一息に飲み干した。
さすがに修羅場をくぐってきた人たちだけあって肝が据わっている。
運を天に任せるしかない。私も腹を決めて腰を下ろした。
「バモスに向かった以外にも、戦艦を持っていたとは驚きましたね」
蜂蜜入りのワインを手にしたレオが言った。
「銀で連中はよっぽど儲けたんだろう」
カイルはワインでなくエールを飲んでいる。船乗りのエールはアルコール度数が陸のそれより高く、カイルはすでに上機嫌だった。
「あれだけの戦力を整えるとなれば、大陸への侵攻は相当以前から計画されていたのでしょうか?」
レオが真面目くさった顔でカイルに尋ねた。
「戦艦を建造するとなれば何年がかりの話だ。それに船員も集めなければならない。昨日や今日の思いつきじゃないだろうな。もしこれが教会の意思、大教母の裁可の元に計画されたことなら、外に漏れないはずはない。坊主どもは口が軽いし、俺の親父にご注進に及ぶ奴だって居そうなもんだ。しかし、そんな噂は一度も耳にしなかった」
カイルはハイデン家の御曹司で、金狼騎士団の団長だった男だ。政界の裏事情には通じている。その彼が噂すら耳にしたことがないというのは確かに不思議な話だ。
「では、騎士団が独断専行で動いたということでしょうか? しかし、銀山を所有しているのは教会ですよね。騎士団が勝手にそこから得た利益を使えるものなんでしょうか?」
レオが疑問を口にした。
「普通は無理だよな。収益はすべて教会の懐に入る。帳簿の上ではそうなっているはずだ。しかし、ちゃんとカラクリがあるのさ」
カイルは意味深な笑みを浮かべた。
「カラクリと言いますと?」
「教会の内部、財務を管理する立場にあるものが協力すれば金の流れはなんとでもなる」
「つまり教会内の上層部にそういう者がいるということですか?」
「協力というより、そいつが騎士団を牛耳っているのかもしれん」
「カイルさんはそれが誰か知っているのですか?」
「七人衆の話を聞いてから、俺もいろいろと考えてみた。それでひとりの男にたどり着いた。ロハス枢機卿だ。名前くらいはお前も聞いたことがあるだろう」
「辺境の修道士から、枢機卿にまで短期間で駆け上がったという人ですね」
「そうだ。奴は教会の実務を握っている。騎士団に金を流しているのはロハスだ」
「ではそのロハス枢機卿が大陸への侵攻を企てたと?」
「さてそれはどうかな……ところでロハスが辺境の修道士から異例の出世をした事についてはいろいろと噂があるが、もっともほんとうらしいのは
ロハスの前任者であるアウグストス枢機卿の引き立てがあったというものだ。アウグストスは男色趣味で聞こえた男で、ロハスの居る辺境の教会を訪れたとき、一目惚れした。ロハスは体を与える代わりに出世を手に入れた、坊主の世界じゃ良くある話だ」
カイルはもう何杯目かわからないエールを飲み干すと、さらに瓶に手を伸ばした。酔うと舌の滑りが良くなるのか、カイルは饒舌に話し続けた。
「しかし、実は金狼にいた頃、俺はアウグストスについての耳寄りな話を奴が贔屓にしていた男娼から仕入れたのさ」
「えっ、あんたそっちの趣味もあったの?」
思わず突っ込んでしまった。
カイルは何がおかしいのかと言わんばかりに怪訝な表情で私を見た。
「夏美さん、西部の騎士の間では、その……男同士で愛し合うことはわりと一般的なことなのです。我々東部人からすればおぞましい習慣ではありますが……」
レオがはにかみながら解説してくれた。
「西部ほど大っぴらではないが、俺の故郷南部でもその習慣はある」
ロジャーが落ち着いた声で横から言った。ロジャーといえば、バリャドリー、私は瞬時にそのカップリングを妄想した。
「おいおい、勘違いするなよ。それはあくまでもカイルのような上流階級の話だ。百姓出の俺には関係ない」
私の表情から何を考えているのか察したロジャーは慌てて否定した。
思わぬところで、あちらの世界の趣味が出て、私は顔を赤らめた。
「話が脱線しすぎでしょ。カイルさん、続きをお願いします」
レオが咳払いとともに皆をたしなめた。
「うむ……その男娼というのは王都の娼館にいるのだが、アウグストスは聖都から三カ月に一度ほどそいつの元に通っていたそうだ」
「枢機卿という要職にある身にしてはかなりの頻度ですね」
最近、うっすらとではあるが髯が生えてきている顎をレオが撫でた。
「俺も不審に思って男娼に問いただしてみた。それでわかったのはどうやらアウグストスはそこで頻繁に人と会っていたらしい。その相手というのが驚くなかれ、暁の使徒の連中だというのだ」
レオの顔が一瞬強ばった。彼の父親は暁の使徒に連座した咎で処刑されたのだ。
「でもどうして相手が暁の使徒だとわかったの?」と私は訊いた。
「アウグストスは王都に滞在中は娼館に泊まり続けていたらしい。それで男娼は夜中に話の内容を耳にしたというのだ。どうやらアウグストスは暁の使徒に金を流していたらしい」
「じゃあアウグストスも暁の使徒の仲間ということ?」
「仲間、或いは賛同者かもしれん。しかしそう驚くに価することではないのだ。教会の奥深くにまで暁の使徒が食い込んでいるという噂は以前からあった」
「アウグストスは今はどうしているの?」
「引退してどこかの修道院で余生を送っているのだろう。アウグストスがロハスを引き立てて、後釜に据えたのは寝間の相手だったからではなく、ロハスが暁の使徒だったからだということで間違いあるまい」
「なるほど、これですべて繋がりましたね。聖騎士団が美月さんを追っている理由もはっきりしました」
敵はもはや魔獣だけではない。暁の使徒に聖騎士団、得体の知れない敵がさらに加わった。
じっとしていることができず甲板に駆け上がった。
複雑に帆を組み合わせたサタケの船は逆風をものともせず進んでいた。見ている間に追っ手の船をどんどん引き離していく。それは同時にダークウッドから遠ざかることを意味する。
――いったいどうすればいいのよ……
「どうした?暗い顔をして。まさかこのまま逃げて終わりだと思ってるんじゃないだろうな」
いつの間にか傍に来ていたサタケが私の顔を覗き込んだ。
「そうじゃなかったの?」
「一旦、姿をくらませるだけだ。そこから反転して夜陰に紛れて上陸する」
「でもほんとにいいの?他にも連中の船がうろついているかもしれないよ」
「俺を誰だと思ってる?煮えたぎる熱い海すら乗り切ったサタケだぜ。騎士団の艦隊ごときにびびるかってんだ」
サタケは厚い胸板を叩いた。
日が落ちると、サタケの船は再びダークウッドに舵を切った。
「俺の仕事はここまでだ。幸運を祈ってるぜ」
サタケは武骨な手を差し出した。私はその手をがっちりと握った。
「サタケさん、これを」
レオがリュックから例の地図を取り出した。
「こんな大切なものいいのか?」
「複製をもう一枚取ってあるので。これはあなたの勇気に対するささやかな謝礼です」
「ありがたく受け取っておくぜ」
サタケは大事そうに地図を抱えた。
「ところでお前たち、帰りはどうするつもりなんだ?」
サタケが今気づいたように言うと、皆が一斉にレオの顔を見た。
「申しわけありません。考えてませんでした」
レオは拍子抜けするほどあっさりと答えた。
「まあ、それは美月を取り返してから考えよう。今は前進あるのみよ」
今までだってそうやって来たんだ。私は景気よく皆に言った。
「夏美さんならきっとそう言うと、思ってました」
レオもどうやら私の無鉄砲に感化されてきたようだ。
私たちは暗い波の上に降ろされたボートに乗り込んだ。サタケの部下がオールを漕ぎ出すと、ボートはダークウッドに向けてゆっくりと滑りだした。灯り一つない陸地は鬱蒼とした森林が浜辺にまで押し寄せていた。この森のどこかに美月がいるのだと思うと、胸が高鳴る。
「ここから東へ進めばアスラン川です」
レオが地図の一点を指した。
その川を遡ればウッドエルフの村だ。
メイファとカレンの姉妹が軽やかに走り出した。
私は遂に美月と同じ大地をいま踏みしめているのだと実感した。




