魔導師
魔獣の騎兵は猛烈な勢いで突進してきた。三千か、もしかしたらそれ以上かもしれない。彼らが騎乗しているのは馬というより猛獣といった方がより近かった。馬よりかなり大きく、その革はサイのよう分厚そうに見えた。それに獣人が跨っているのだから、もはや奇観としか形容のしようがない。脅威が目の前に迫っているにもかかわらず、私は目を逸らすことはできなかった。
それでもウッドエルフたちは怖じ気つかなかった。勇敢に前に出ると、一斉に矢を放った。しかしそれは騎兵の勢いを些かも減じさせることはなかった。
「それでどんな手を打ったわけ?」私は正面を見据えながらレオに尋ねた。
「もうすぐ分かりますよ。でも間に合わなければ、許してください」とレオは言った。
魔獣との距離が二百メートルを切った。もう連中の臭いまで嗅げるほど近づいている。
何も起こらない、そう思ったとき、大地から五本の炎の柱が吹き上がった。その高さは十メートルを超えていた。炎の柱は横に広がっていき、壁となって魔獣の前に立ち塞がった。
突然、現れたオレンジの壁に魔獣の騎兵は大混乱に陥った。勢いを止められずに炎に突っ込んだ騎兵はたちまち焼かれてしまった。なんとか直前で踏みとどまった者も、後ろから突進してくる仲間に追突され落馬していく。ウッドエルフたちはすかさずそこに矢を射ち込む。怒号と悲鳴、そして背後からは歓声が湧き上がった。
魔獣たちは炎の壁を避けようと迂回しはじめたが、炎は彼らの回りをぐるりと取り囲んだ。
「いったいどういうこと?」私はレオを振り返った。
「あれですよ、あれ」レオは小手をかざして頭上を見上げた。
曇天の空に五羽のチョコレート色をした大鷲が浮かんでいた。その背から見覚えのあるエンジ色のローブの男がにこやかに手を振っている。
「もしかして、あの人って」
「メイジタワーのトニアさんです。彼に助力をお願いしていたのです」
「そんな暇がよくあったわね」
「遣い烏ですよ。夏美さんが王宮に居る間、メイジタワーをよく訪れていたのです。実はレイマン王子の帰還を教えてくれた占い師はエミリアさんじゃないかって思いまして、それをトニアさんに話したところ、もう一度姿を見かけたら、すぐに教えてくれと烏を渡されたのです。それが思わぬところで役に立ちました」
しれっと種明かしをするレオを見ながら、この子は将来この国にとってかけがえのない人材になるのではないかいう気がした。冷静な分析と的確な判断、そして自分の出した結論を迷わず実行できる大胆さ。十四歳の少年とはとても思えない。
「あんたってほんと恐ろしい子よね」ため息まじりに私は言った。
「今は褒め言葉と受け取っておきます」こまっしゃくれた態度がしゃくに障ったから、「生意気いうな!」と白いおでこを指で弾いてやった。
五羽の鷲が地上に舞い降り、トニアが私たちの方に歩いてきた。
「なんとか間に合ってよかった。役人の目を誤魔化すのに手間取りました」とトニアは頭をかきながら言った。
「こんな非常時でもメイジは出動を禁じられているの?」
私は驚いて尋ねた。
「教会は魔法を戦いに使うことを禁じているのです。それがたとえ魔獣相手としてもね」トニアは表情を曇らせて言った。
彼らの力を目の当たりにすれば、その魔力を活用しない手はないはずだ。槍を持った兵士で魔獣の突撃を防ぐより被害はずっと少なくてすむ。今起こっている事態が魔道士によって引き起こされたにせよ、教会の措置は理にかなわぬことのように思われた。
「じゃあバレたら大変ね」
「ただでは済まないでしょう。でも私はウッドエルフを救うため手を貸してほしいというレオさんの手紙が来たとき、迷いはなかったです。メイジにとって亜人は偉大な先達ですから!彼らも私と同じ想いです」トニアは仲間の四人のメイジを振り返った。
ローブ姿の四人の男女が片手を挙げて挨拶した。その晴れやかな表情は、自分のやっていることが無意味ではないのだと教えてくれた。信念のためには我が身を省みないという点では、私たちは同士だ。
「罰せられるようなことはないわ。あなた方は私を助けるために来たのでしょ? 」ウルスラが言った。
トニアたちはしばらくウルスラの顔を訝しげに見ていたが、レオに彼女が第一王女であると教えられると恭しく片膝をついた。
なるほど、彼らが無断でメイジタワーを出たことも王女を救出するためという名目があれば罰する理由はなくなる。
「お心遣いに感謝します。殿下」トニアは言った。
「お礼を言うのはこちらの方よ。万事休すというところを助けてもらったのだもの。それよりあの炎の壁はどれくらい持つのかしら?」ウルスラが尋ねた。
「あれだけの炎を維持するには五人が交代で魔力を送り込む必要があります。なるべく急がれたほう良いでしょう」とトニアは答えた。
ウルスラは肯くと、促すように私を見た。
「私はここに残るわ」
「あなたも炎の魔法を使えるのかしら?」
「もしものときのために誰かが魔道師たちを守る必要がある」
ウルスラは瞬きもせず、私の顔を見つめていた。強く温かい眼差しだった。
「押し問答している時間はないわね……でも死んだら絶対に承知しないから」
ウルスラはそう言うと、私をしっかりと抱きしめた。そして王都で会いましょう、言い捨てるとウッドエルフたちの先頭に立った。
ウルスラたちを見送ると、私は再び主戦場の方に視線を移した。
勇敢なノーラスの重騎士たちは獣人の兵士たちを蹴散らし、牛頭の巨獣の周りに群がっていた。今のところ戦いは優勢に進んでいる。魔獣の将帥は孤立していた。
王都側の坂を別な騎兵が駆け下りていくのが見えた。魔操剣使いの騎士たちだ。いよいよ最後の決戦の時が来たらしい。
二人きりになったときのブランは憔悴しきっていた。しかし今あの坂を下りていくブランは有能な王太子として、戦いを勝利に導こうとしている。どちらがほんとうの彼なのだろうか。
この戦いに勝利しても、魔獣の王を倒さない限り終わりはない。ブランは私にとってどんどん遠い存在になっていく気がした。
突然、私は自分が無音に包まれていることに気づいた。傍らで呪文の詠唱を続ける魔導師たちの声も姿も消えた。ベルセリウスの存在を近くに感じる。
聞きたいことは山ほどあったのに、この気まぐれな魔獣は私の呼びかけには一切応じなかった。
――ベル居るんでしょ?
――その呼び方はよせ。
相変わらずのイケボイスで魔獣は照れたように応えた。
――ねぇベル、魔獣はなぜ突然ここを襲ったの? これも暁の使徒の仕業なの?
――人間如きにこれだけの魔獣を召還することはできんよ。王の意思が働いたのだろう。
――じゃあ、王はもう降臨しているのね。
――完全な姿ではないがな。
――王のことを教えて、どんな奴でいったいなにが目的なの?
――そんなことを知ってどうする? それよりも今どうやって生き延びるか考えた方が良さそうだぞ。
――将帥はもう丸裸じゃない。あれだけの魔操剣の騎士がいるんだから、倒すのは時間の問題よ。
――だといいんだがな……
ベルは受話器を置くようにそこで交信を絶った。
再び視界が現実の景色を映しだしとき、そこには顔色を失った魔導師たちが茫然と立ち尽くしていた。目の前にあった炎の壁は消え失せ、白い煙がもやのように立ちこめている。
「どうしたの?」私はトニアの肩を揺すった。
「デスペルです。魔法が打ち消されたのです」トニアは震える声で言った。
「相手にも魔導師が居るってこと?」
「ええ……それもかなり強力な魔導師です。我々の魔法はすべて打ち消されてしまいます」
だとすればかなり厄介な事態になる。今魔獣の騎兵がブランたちに向かって突撃すれば一気に形勢逆転だ。
「その魔導師さえ倒せばいいわけね? とりあえず、あなたたちは上空に待避しておいて」
私は剣を一振りした。ブーンという唸りをあげて、剣が青く光る。
強い風がもやっていた煙を吹き飛ばした。息を詰めて目を凝らしていると、黒い魔獣の軍団が見えた。
そしてその前には真っ白な少女が立っていた。髪も肌も着ているワンピースも真っ白な少女だ。
――気をつけろ。そいつは今までの敵とは違うぞ。むしろ俺は逃げることをお勧めする。
再びベルの声が聞こえた。
――ずいぶんと弱気ね。
――冷静と言ってくれ。今のお前では勝てる見込みはまずない。
――ひょっとしてこいつが真の将帥なの?
――牛は囮にすぎない。白い呪術師ティロロ、そいつが真の将だ。
――そう聞くと、ますます逃げるわけにはいかなくなるわね。
白い少女はゆっくりとこちらに向かって歩き出した。




