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【悲報】転生先でも定時退社できない。――過労死会計士、劉邦のCFO・蕭何になる【完結済/シリーズもの/一気読み推奨】  作者: 筑紫隼人
第5章:セルフ粉飾決算と最後の退職届

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第40話 二度目の定時退社

 足音が聞こえた。


 静かな庵の中を歩く音。


 胸の痛みは遠のいていた。


 代わりに、不思議な安らぎがある。


 霞む視界の向こうに、人影が立っていた。


 見間違えるはずがない。


 あの男だった。


「よう」


 気の抜けた声。


 沛県で初めて会った頃と変わらない。


 破れた衣。


 乱れた髪。


 皇帝の威厳などどこにもない。


 ただの劉邦だった。


「陛下……」


「だから、その呼び方はやめろって」


 劉邦は笑った。


「仕事は終わったのか」


 蕭何はゆっくり目を閉じる。


 思い返せば長かった。


 戸籍を集めた。


 税を整えた。


 法を書いた。


 戦に負けても国が潰れぬよう支え続けた。


 そして今。


 その仕組みは自分の手を離れている。


 曹参がいる。


 国は回る。


 もう、自分が走り回る必要はない。


「終わりました」


 ようやく答えられた。


 胸を張って。


「そうか」


 劉邦は満足そうに頷いた。


「なら帰るぞ」


「帰る?」


「何だ。その顔は」


 劉邦は呆れたように笑う。


「お前、まだ働く気か?」


 蕭何は思わず苦笑した。


 確かにそうだ。


 問題が起きれば自分が動く。


 ずっとそうしてきた。


 気づけば、それが当たり前になっていた。


「もう十分だ」


 劉邦は言う。


「お前はやるだけやった」


 その言葉が胸に染みた。


 前世では聞けなかった言葉だった。


   ◇


 前世の記憶が浮かぶ。


 深夜のオフィス。


 積み上がる資料。


 終わらない締切。


 机に突っ伏し、そのまま意識を失った夜。


 あの日の自分は何を残せただろう。


 数字は残ったかもしれない。


 報告書も残っただろう。


 だが、自分が消えれば回らなくなる仕事ばかりだった。


 だから怖かった。


 休むことも。


 離れることも。


 誰かに任せることも。


 だが今は違う。


 自分がいなくても回る。


 法がある。


 仕組みがある。


 人が育っている。


 曹参が守っている。


 それが何より嬉しかった。


 仕事とは、自分が頑張り続けることではない。


 自分がいなくても続く形を残すことだ。


 ようやく、その答えに辿り着いた。


   ◇


 外から風が吹き込む。


 夕日の赤が部屋を染めていた。


 長安の空は美しい。


 初めてこの地へ来た日よりも。


 天下統一の日よりも。


 今日の空が一番美しく見えた。


「行くぞ」


 劉邦が手を差し出す。


 蕭何は頷いた。


「はい」


 迷いはなかった。


 やり残した仕事もない。


 引き継ぎも終えた。


 残業もない。


 ただ静かに立ち上がる。


 その瞬間。


 肩から重荷が消えた。


 どこまでも軽かった。


 自由だった。


   ◇


 翌朝。


 庵を訪れた若い役人が蕭何を見つけた。


 机にもたれたまま。


 まるで眠っているような姿だった。


 苦しんだ様子はない。


 穏やかな顔だったという。


 紀元前一九三年。


 漢の相国、蕭何はその生涯を終えた。


   ◇


 訃報は長安を駆け巡った。


 曹参はしばらく何も言わなかった。


 ただ静かに杯を置き、窓の外を見ていたという。


 その翌日。


 相国府はいつも通り開かれた。


 役人たちは出勤し、書類を運ぶ。


 法は動く。


 税は集まる。


 裁きは行われる。


 誰かが命じなくても。


 誰かが見張らなくても。


 国は回り続けた。


 蕭何が残した仕組みが生きていた。


   ◇


 季節は巡る。


 曹参もやがて世を去る。


 恵帝もまた歴史の中へ消えていく。


 多くの英雄が現れ。


 多くの英雄が消えた。


 だが漢は残った。


 人ではなく仕組みが残ったからだ。


 長安の役所では今日も竹簡が開かれる。


 法に従って税が集まる。


 法に従って裁きが下る。


 当たり前の日常。


 だが、その当たり前こそが奇跡だった。


 戦場で何万人を倒すことより難しい。


 百年先まで続く仕組みを作ること。


 蕭何が成し遂げたのは、その奇跡だった。


   ◇


 夕暮れ。


 役所の門が閉じる。


 役人たちは家路につく。


 長安の街に明かりが灯る。


 子どもたちの笑い声。


 夕餉の匂い。


 穏やかな日常。


 誰も蕭何の名を口にしない。


 だが彼が残したものは、確かにそこにあった。


 国が回る。


 人々が暮らす。


 明日もまた朝が来る。


 それだけで十分だった。


 遠い空のどこかで。


 劉邦が酒を飲みながら笑っているかもしれない。


 そして、その隣では。


 ようやく仕事を終えた男が、静かに杯を傾けている。


 本当に長い残業だった。


 だから今度こそ。


 胸を張って言える。


 お疲れ様でした。


 定時です。


(完)

ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。


『項羽と劉邦、あと「転生してきた公認会計士」蕭何!』は、歴史と経営を軸にした物語でした。


会社をどう作るのか。

組織をどう動かすのか。

人はなぜ集まり、なぜ離れていくのか。


そんなことを考えながら書いてきました。


そして次に書くのは、少し違う物語です。


舞台は現代の学園。


主人公は、誰もが憧れる完璧な転入生と、誰にも近づこうとしない少女。


これは英雄の物語ではありません。


世界を変える話でもありません。


たった一人を愛した結果、取り返しのつかない場所まで辿り着いてしまった人たちの話です。


新連載『桜渓の孤星』

https://ncode.syosetu.com/n0409mf/


テーマは、


「愛は、その人がすでに持っているものを完成させる」


救済の物語ではありません。

けれど、きっと忘れられない物語になると思っています。


もし興味を持っていただけたら、次は桜渓学院でお会いしましょう。


その星がどこへ落ちていくのか。

ぜひ見届けていただけたら嬉しいです。

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