お忍びの魔法
目当ての建物は、街の中央から外れた川に近い場所にある。
綺麗に舗装された石畳の道を歩いて市街地を抜けると、急に草木の多い庭がある歴史を感じさせる建物が現れて少し暗く、涼しくなったような気さえしてしまう。
「あのお屋敷ですね」
メイド服姿のマジョリーは、はぐれないようにタモンと手を繫いでいた。屋敷が見えてからは、自分が先に出て、歩く速度を速めてタモンを楽しそうに引っ張っていく。
「思ったより普通ですね」
「ふふふ。レイラは普通に我が家に仕えていてくれた人ですから」
庭には大きな木があり、壁に這っているツタは歴史を感じさせるけれど、他の屋敷に比べててもそれほど不気味とかいうことはなかった。
辺境の城に住んでいたり、森の中にひっそりと家を構えていたりする魔導師とは違って、領主に仕えてくれる魔導師は比較的、普通の人が多いですとマジョリーは説明してくれる。タモンとしてもそれは実感しているので、満足したようにうなずいていた。
「こんばんわ」
ノックもそこそこにマジョリーは、古びた屋敷の扉をわずかに開けて中の様子を窺った。
「こんな夜遅くに何の用だい?」
中では一人の老婆が、ゆっくりとこちらに歩いてくる姿が見えた。
「私たちの恋愛運について占っていただけないでしょうか」
「……もう結婚しているじゃろう」
老婆の声はきつめだったけれど、顔は笑っている。マジョリーお嬢様との間には昔からこんなやり取りが行われていたのだと推測できる光景だった。
「お嬢様、おめでとうございますじゃ」
今度は優しい声で老婆は、シワの多い顔をさらにくしゃくしゃにさせてマジョリーの手をとった。
「さあ、旦那さんもどうぞおあがりなさい」
「こちらがレイラおばば様です。別名ビャグンの魔女。キト家に長年仕えてくれていた魔法使いです」
居間に通されたマジョリーは、ちょっと自慢げにレイラを紹介した。専属で魔導師を雇っている家というのは珍しく、かなり格の高い家か金持ちでないと魔導師の方も定住はしてくれない。キト家にとってこの魔女は自慢の存在らしかった。
「おばばも魔女も勘弁してくだされ。お嬢様」
「小さい頃、そう呼んでと言ったのはおばば様じゃない」
思い出話で、マジョリーとレイラはしばらく笑っていた。予想外に二人の仲が良かったので、タモンは身代わりになってくれているロランに心の中で侘びながらもこの暖かい空気を壊さないように、ゆっくりと出されたお茶を飲んで見守っていた。
「それで? 旦那様は私に聞きたいことがあるんじゃろ?」
「まあ、大した話ではないのですが」
タモンはお茶を置いて、レイラおばばに向き合った。
「僕がイレギュラーかどうかです」
レイラおばばの目が一瞬鋭くなった気がする。
とはいえ、予想していた質問のうちではあったのだろうとタモンはあまり気に留めなかった。レイラの方もすぐに優しい表情になり、答えてくれた。
「そうじゃね。『男王』としてはイレギュラーじゃ。じゃが、協会の扱いは変わってきているようじゃ」
「……なるほど」
タモンはただうなずいた。不可解だったところがとりあえずは合点がいったけれど、これからどうするかは少し考えこんでいた。
「ところで、フリーの魔法使いにあてはありませんか?」
タモンは一旦は忘れて、もう一つの頼み事をしてみる。
「おばば様が私たちのお城に来てくれてもいいわよ」
マジョリーは、先程までのレイラとタモンの会話が何を話しているのか理解できずに、目をきょとんとさせながらただ左右に首を振っているだけだったけれど、やっと話に入れそうなので嬉しそうに提案してきた。
「ほほ。もう年なんじゃよ。弟子たちを誰かと思ったんじゃが、みんな借り出されてしまってのお。そういう意味でも今は街から離れられんのじゃ」
「あら、残念。でも、弟子に任せられるようになったら、ぜひ遊びにきてくださいね」
本当に残念そうにしながら、マジョリーは引き下がる。レイラおばばは、このお願いも予想していたらしい。お願いは聞けないけれどと一つ役に立ちそうなことを教えてくれた。
「じゃが、旦那様の知り合いという魔法使いが最近来ておってね」
「魔法使いに知り合いなどいないのですが……」
だからこうやって、探しにきているのだとタモンは怪訝な顔をする。
「モントの城にいることを教えたら、近々会いにいくと言うておった。大丈夫。あの悪い魔法使いの関係者ではないぞ」
タモンが心配していたことを、レイラおばばは汲み取ってくれて安心させようとする。
「変わり者じゃが、旦那様のことを本当に心配しておった。まあ、魔導師はみんな変わり者じゃしな。安心せい」
そう言って、レイラおばば様は甲高い声で笑った。
(相談できる魔導師が来てくれたら嬉しい……でも、モントの城に昔いた魔法使い以外で知り合いなんて本当にいないんだけどな……)
タモンは感謝しながらも、どこか腑に落ちないではいた。
「それじゃあ、お邪魔したわね。レイラおばば様も元気でね。そのうち、お城にも遊びに来てね。約束よ」
玄関でマジョリーは見送ってくれるレイラおばばの手を固く握りしめた。
「まあ、それ以前にここの領主には気をつけなされ」
レイラおばばは、マジョリーには聞こえないように小声でささやいた。
「分かっておられるか」
レイラおばばの言葉に、タモンは軽くうなずくだけだった。
「あ、そうそう。おばば様。昔みたいに魔法をかけてくださらないかしら」
歩きかけていた足をくるりと反転させて、楽しそうにマジョリーはレイラおばばにお願いをする。
「誘拐とかされてしまったら大変ですし……ね」
「あの……大丈夫ですか?」
ランが目覚めると、視界いっぱいにロランの顔があった。
だんだんと意識がはっきりしてくると、ロランが心配そうに覗き込んでいることが分かって申し訳ない気持ちになる。
「ふ、ふああ」
顔があまりにも近いので、膝枕でもされているのだろうかとランはどきりとしたけれど、そんなことはなくベッドに寝かされて、ロランはその脇から覗き込んでいるだけだった。
今の状況よりも、演技で押し倒されて、敏感なところを撫でられて興奮したくらいで意識が飛んでしまったという事実にランは奇妙な声をあげて恥ずかしがるしかなかった。
「も、申し訳ありません。任務中にご迷惑を……」
ランはすぐにでも飛び起きたかった。ただ、ロランの顔が完全に目の前にあるので上体を起こすだけでも頭突きをくらわせてしまうので、何とか思いとどまり、そのまま、硬直したように謝るしかなかった。
「いえ、申し訳ありません。重かったでしょう」
ロランは押し倒した結果、圧迫されて気を失ったと思っているようだった。お互いに申し訳なさそうに謝り続ける。
(重くて息ができなかった……ということにしておいてくださっているのかもしれないですね)
謝り疲れたあとで、ランは、安心したような笑顔になり、ロランもやっと距離を離してベッドの脇の椅子に座ってくれた。
「お嬢様たちは、まだ戻ってはいませんか?」
ランは少し毛布で顔を隠しながら、周囲の様子を窺う。
「まだです。大丈夫です、そんなに長い時間は経っていませんよ」
近い距離からのロランの優しい声と笑みに、まるで看病されているみたいだと毛布の中で口元が緩んでしまう。
(どきどきしすぎて、倒れたとかお嬢様に知られてしまったらずっと何を言われるか分からないですしね……)
マジョリーお嬢様がニヤニヤとからかうように笑う姿がはっきりと想像できてしまう。
(家の都合で結婚しただけというのに、最近のお嬢様は恋愛経験の少ない侍女たちに勝ち誇ったような顔をするのよね)
一ヶ月前の狼狽ぶりを思い出すと、今の『経験豊富な私がアドバイスしてあげましょうか』という態度は頭にきてしまうとランは毛布の中で一人憤慨していた。
「はっ」
ロランは一瞬振り返ると、また突然にランに覆いかぶさってきた。
「ラン殿すいません。あの……また、ドアの向こうで音がしたものですから……」
「分かっております……」
また耳元で囁くロランに、ランも今度は慌てふためくことなく冷静に応じていた。確かに足音と、誰かがドアのノブを動かしているような音が聞こえて二人の間にも緊張が走った。
(ノックをしないならお嬢様が帰ってきたのでしょうか……それとも、まさか、キト家は予定を早めて今晩から拉致することに……)
「誰も来ませんね……」
下になっているランは、覆いかぶさっているロランの脇から部屋の入り口を覗き見ていたけれど誰も入っている様子はなかった。
「掃除の人とかでしょうか」
「そう……かもしれませんね」
ランは自分がこの屋敷にいた時にはこんな時間には掃除しなかったと思ってはいたけれど、今はお客人も来ていて慌ただしい時だしそういうこともあるのかもしれないと考えながら部屋の様子をちらちらと観察を続けている。
「あ、で、では、すいません」
慌ててロランは、ベッドから退こうとするけれど、ランはロランの背中に手を回して逃さないように繋ぎ止めた。
「え?」
「お舘様たちが帰ってくるまで、もうこのままでもいいのではないでしょうか?」
下から抱きつくようにしながら、ランは微笑を浮かべてロランに提案する。
(大丈夫。今は冷静。お嬢様にも負けないし、ロラン様にも負けない)
これだけ抱きついたりしておきながら、あくまでも任務のためという態度を崩そうとしないロランに対しても対抗心が芽生えてきていた。意識を失う前の態度からしても、少なくとも好意を持たれていないわけじゃない。『いける』と自分を奮い立たせていた。
「で、ですが」
「も、物音がするたびに毎回ベッドに飛び込んで押しつぶされても困りますし」
(や、やってしまった。こんな照れ方……学生じゃないんだから……)
冷静に色っぽくお誘いとはとてもいかなかったけれど、その理由には真面目なロランは納得したようだった。
「そう……ですね。では、失礼いたします」
ロランは一度は伸ばしきった腕を曲げると、肘をベッドに沈ませてランに再び体を密着させた。
(さっきよりは少し楽な姿勢なのでしょうけど、押しつぶさないように配慮してくださっている……)
そのことが分かると、体中が温かくなった気がして背中に回した手にも力が入って抱きしめた。
鼻先が触れるくらいの距離で、ロランが照れているけれど決して嫌ではなさそうに優しい目つきでランを見つめているのが分かった。
(このまま、ちょっと顔をずらしてベッドを揺らしたりしたら、唇を重ねられそう……)
ランは、そして、そのままキスをし続けてもらえるという気がして、背中に回した手を肩の方にずらしながら、瞳を閉じようとしていた。
その瞬間。ベッドのすぐ横で物音がした。
「はっ」
さっきまで、ロランが座っていた椅子に明らかに何かが当たった音がした。二人はベッドの反対側に飛び跳ねると椅子の方を睨みつけながら、ロランは戦う構えをとった。
「ご、ごめんなさい。こ、声をかけるタイミングを見失ってしまって……」
何もない空間から響いてきたのは、マジョリーの声だった。声に続いて、椅子の横に立っているタモンとマジョリー夫婦の姿が少しずつ浮き上がってくる。ロランは、はじめて見る不思議な現象に目を丸くするしかなかった。
「あ、あ、ああ。おばば様の姿を消す魔法です……」
ランはすっかり忘れていたと内心では頭を抱えながら、ロランに説明をする。屋敷にお忍びで戻るために良くしていたことで、危険なことはないと聞かされてロランも剣に伸ばしていた手を引っ込めて主人に無礼を侘びていた。
「あー。うん。全然いいよ。それにしてもロランもやるね」
ロランからすれば、こんな楽しそうな主人の満面の笑みははじめて見た気がする。親指を立ててウインクしながら、ロランを称賛してくれる。
「ち、違います。身代わりとして誰かが入ってきた時のためにこうして夫婦のふりをしておいた方が!」
ロランの弁明は、『分かっている。分かっている』と言いながらも、タモンの耳には全く届いていないようだった。
「ランも大胆ね。自分から積極的に抱きついちゃったりして……」
ニマニマと目を細めて笑いながら、マジョリーは我がことのように照れながら頬に手を当てて身を捩らせて照れていた。
(うざい。この主人。うざい)
邪魔された上に、余計な弱みを握られてランは涙目になりながら、主人に対する怒りを覚えていた。
「えー。私たちがでかけてからずっとあんなことしていたの?」
マジョリーがあまりにも楽しそうにからかうものだから、ランはつい、余計な反論を力いっぱいにしてしまう。
「押し倒されて、興奮して、一度、意識を失っていたので、そんなことはありません!」




